静かなるブーム「アメリカ絵画の150年のあゆみ」


4.『20世紀中期』具象絵画の展開と抽象表現主義

抽象表現主義とは1940年代後半からニューヨークを中心に展開された美術運動です。言葉自体は19年にベルリンで生まれ、しばらくしてカンディンスキーの作品について使われたのが始まりとされています。第2次世界大戦の戦火を逃れ、欧州から多くの芸術家が米国に移住。その中にはモンドリアン、ダリ、エルンストなど抽象画家やシュルレアリストが多く、それまでは美術の世界では一地方にすぎなかったニューヨークが、突然中心都市となりました。一方、失業者対策のために導入された公共事業促進局(WPA)連邦美術教育計画によって、多くの画家たちが建築物の壁画を描く仕事などを得ました。そうした中から、デ・クーニング、ポロック、ニューマン、らが登場。ニューヨークスクールとも呼ばれました。ポロックは47年、床に画布を敷き絵の具を滴らせるドリッピング技法で絵を描き始めました。絵の具が覆った巨大な画面全体には中心が消失しており、オールオーバーと呼ばれました。また身体の行為性に着目して、アクションペインティングという言葉も生まれました。激しい筆致のデ・クーニングや、静かで均質な色面が広がったロスコのカラー・フィールド・ペインティング(色面絵画)などが登場。以後、米国は次々と20世紀後半の主要な美術運動を生み出していきます

 

 

4-①参考:≪ウィレム・デ・クーニング1904~1997について≫

出典元:http://www.praemiumimperiale.org/media/k2/galleries/131/dekooning_mimage03.jpg

「Pink Angels」出典元:http://crea.bunshun.jp/mwimgs/4/6/250/img_46d4a59d28d5b3a08d6faaf19264dccc52374.jpg

「Woman」出典元:http://crea.bunshun.jp/mwimgs/5/2/250/img_529fffd4b3370200a2f3a987e7747c8d62111.jpg

参考サイト:http://www.praemiumimperiale.org/ja/component/k2/dekooning

参考サイト:http://crea.bunshun.jp/articles/-/795

プロフィール:激しい筆触とオレンジや黄色など強烈な色彩とで描かれた50年代の「女」シリーズで一躍脚光を浴びアメリカの抽象表現主義を代表する一人であり「抽象絵画に新たな肉体性を与えた」と評されます1904年オランダのロッテルダムに生まれ22歳でアメリカに渡ってニューヨークに定住、商業美術で生を立てながら、36年ころには画家として自立。「マリリン・モンロー」(1954)など「女」シリーズでは、美しかるべき女体が抽象絵画と見まがうほどにデフォルメされてキャンバスに塗りこまれています。その一方で抽象的風景画という独特の分野を開拓。まず場所や状況の“感覚をつかみ”その感覚を“一息で”画面にぶつけます63年以降、ニューヨーク郊外のイースト・ハンプトンに移住。「私は水の反映を見ながら思索する。田舎に住みたいのは、光が私に語りかけてくるから」と言う。晩年になるに連れて筆はより自在になり、漂うような色面で構成されるようになっていきます。ヘンリー・ムーアーのすすめで彫刻も制作、人物が溶解するようなフォルムを作っている。その一つ「足を組む人物」が箱根・彫刻の森美術館に収蔵されています。1997年死去。

 

 

4-②参考:≪ジャクソン・ポロック19121956について≫

出典元:http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/topics/9902/ichihara/images/pollock1.jpg

「インディアンレッドの地の壁画」出典元:http://musey.net/wp-content/uploads/2014/11/00.jpg

「速記の人物」出典元:http://musey.net/wp-content/uploads/2016/09/W1siZiIsIjE1NjM1MCJdLFsicCIsImNvbnZlcnQiLCItcmVzaXplIDE0NDB4MTQ0MFx1MDAzZSJdXQ.jpg

参考サイト:http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/topics/9902/ichihara/ichihara.html

参考サイト:http://musey.net/1118

プロフィール:アメリカ、ワイオミング州コディ生まれ。抽象表現主義の画家。画家としてスタートした当初からトーマス・ベントンに学んだスタイルで風景画などを描いていたが、30年代後半からアルコール中毒となります40年前後から精神分析を受け自由連想のデッサンを描き始め、その後、シュルレアリストたちから芸術の源泉が無意識であるという考えを学んでユングの徒を自称。47年イーゼルを使用せず、床に広げた画布に棒などで四方から絵具をドリップさせるヂリッピング手法を採用。48年から2年間禁酒して制作に没頭するが、56年飲酒運転による交通事故で44年の生涯を終えました。

 

 

4-③参考:≪マーク・ロスコ19031970について≫

出典元:https://iwano.biz/web/uploaded/items/2080.jpg

「壁画No.4」出典元:http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/images/rothko.jpg

参考サイト:https://iwano.biz/picture/picture-ma/post_1791.html

参考サイト:http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/mark_rothko.html

プロフィール:マーク・ロスコは、ロシア系ユダヤ人のアメリカの画家。ジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、ウィレム・デ・クーニングらとともに抽象表現主義を主導した画家で色面絵画の展開に大きな影響を与えたました。人間が体験する悲惨なテーマを暗示するために、自然とのかかわりを一切排除することが重要と考える制作手法で、1950年までに彼は2、3つの柔らかに塗られた、境界の曖昧な長方形を構成して抽象画を描き始めます。彼のキャンバスは時として巨大であり、観客を揺らめく色彩の帯に包み込んで、ある種の親密感を生み出して共感者を得ていきました。


5.『アメリカ現代美術』ポップアートの登場、多様なる時代へ

アメリカは揺籃期を経て1940年のジャクソン・ポロックの絵画が、初めて真にアメリカ独自といえるものを生み出すとともに、それがアメリカ現代美術の始まりともなりました。それは抽象表現主義とよばれる動向となり、その後もデ・クーニング、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンら抽象絵画に優れた画家を輩出しています。また1950年代後半からはロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホル、クレス・オルデンバーグ、グループ「フルクサス」らにより、ネオ・ダダ的ないしポップ・アート的動向がおこり1960年代なかばまで大きな広がりを示しました。1960年代は一種の芸術の極限化が、エルズワーズ・ケリー、ケネス・ノーランド、ドナルド・ジャッド、カール・アンドレらによるミニマル・アートや、ジョセフ・コスースらのコンセプチュアル・アートという動向として現れ、また社会の高度化やテクノロジーの急速な発達に見合った動向としてオプ・アート、キネティック・アート、ライト・アート、コンピュータ・アートなども生まれた。1970年代も末期になると、ミニマリズムやコンセプチュアル・アートへの反動やパンク・カルチャーの影響下に、表現衝動を直接にあらわに出す傾向もヨーロッパと同時的に生まれ、ニュー・ペインティング、トランス・アバンギャルド、新表現主義などと呼ばれました。続いてネオ・ジオ、シミュレーショニズム、ネオ・コンセプチュアリズム、メディア・アートなどが登場するが、それは1990年代以降にマルチ・カルチュラリズムと呼ばれることになる、多様化ないし拡散現象の表れといってよい。重要な作家としてはジェニー・ホルツァー、シンディ・シャーマン、ビル・ビオラらがあげられます

 

 

5-①参考:≪ジャスパー・ジョーンズ1930~について≫

出典元:https://iwano.biz/web/uploaded/items/1970.jpg

「旗」出典元:http://musey.net/wp-content/uploads/2014/10/331575be2e97f037324dea5fad90258f.jpg

「地図」出典元:http://musey.net/wp-content/uploads/2014/10/map.jpg

参考サイト:http://musey.net/artist/101

参考サイト:https://iwano.biz/picture/picture-sa/post_1569.html

プロフィール:ジャスパー・ジョーンズはポップアートとミニマル・アートの路を切り開いた先駆者です。その作品は仕事が展開する過程でより抽象的になっていますが、常にものの存在の意味を考察することへ傾斜していきます。初期の絵画はアメリカ国旗や数字、標的といった日常的なものを描いていました。しかしそのいづれの場合でも、ものそれ自体の存在を逆説的にとらえる視点が秘められていました。その意味で彼はいかなる作品を描いても、その中に新しい意味を探ることを続けています。

5-②参考:≪アンディー・ウォーホル19301987について≫

出典元:https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/s093251349da78e77/image/ic8e42c6b7d77f5ab/version/1434319712/image.jpg

出典元:https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=670×10000:format=jpg/path/s093251349da78e77/image/i8a64a42de604268e/version/1434320045/image.jpg

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51GSCGZ61TL.jpg

参考サイト:http://www.ggccaatt.net/2015/06/15/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3-%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%AB/

参考サイト:https://www.amazon.co.jp/dp/4887830327?tag=ggccaatt-22&camp=603&creative=2951&linkCode=op1&creativeASIN=4887830327&adid=17WF5TT1A7V77R4KHGYQ&

プロフィール:アンディー・ウォーホルはポップアートシーンの第一人者です。イラストレーター、商業作家として仕事をした後、1960年から漫画のキャラクターを素材とした絵画を創作し始めます。それ以降、表現主義的な絵画様式を排除し、平坦で非個人的な仕上げを好み、連続する缶詰や新聞の絵柄やコカ・コーラの瓶の連続図などを好んで描きます。また作品を大量に複製するためシルクスクリーン技法に転じ、同一作品にならないよう彩色部分を変化させ、シルクスクリーンを絵画的な世界に主導させることを追求し続けました。

5-③参考:≪シンディ・シャーマン1954~について≫

出典元:http://www.sankei.com/images/news/161017/lif1610170044-n1.jpg

出典元:https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=666×10000:format=png/path/s093251349da78e77/image/i5dc07f4fb5802011/version/1477221037/image.png

出典元:https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=666×10000:format=jpg/path/s093251349da78e77/image/ib909eed57d9a66ae/version/1477221159/image.jpg

参考サイト:http://www.ggccaatt.net/2014/09/02/cindy-sherman/

参考サイト:http://www.sankei.com/life/news/161017/lif1610170044-n1.html

プロフィール:写真を使用するアンメリカの美術作家。ニュー・ジャージー州グレンリッジに生まれ、ニューヨークのロング・アイランドで幼少期を過ごします。1976ニューヨーク州立大学バッファロー校(絵画専攻)卒業。在学中クラスメイトの画家ロバート・ロンゴと出会い、現代美術に開眼。翌年ロンゴとニューヨーク市に移住。その年末より自分自身を撮影した白黒写真の連作「アンタイトルド・フィルム・スティル」を開始。80年ニューヨークの画廊メトロ・ピクチャーズで個展を開催。82ドイツ、カッセルの国際美術展ドクメンタおよびベネチア・ビエンナーに出品。このころより国際的な注目を集める。「アンタイトルド・フィルム・スティル」は、大衆映画やソープ・オペラのステレオタイプなヒロインを連想させる人物に自ら扮装し撮影したもの。80年に手がけた「リア・スクリーン・プロジェクション」は最初のカラー作品で、スライド写真をスクリーンに投影しその前に扮装した作者が立つセルフ・ポートレートで、つづく81年のパノラのカラー作品「センター・フォールド」は、美術雑誌に掲載される際の見開きの形式を想定して制作され、作者の身体を俯瞰する男性的、抑圧的な視線が際だっています。著しく作品サイズが拡大し、映画のシネマスコープ・サイズを思わせるこの二つの連作を通じてシャーマンは、巨大な展示物としての写真というあり方を一般に定着させ、結果的に写真の提示形式に革新をもたらしました。80年代前半までの作品は、既存のメディアに登場する女性像をコスチューム・プレーによって反復、提示しています。あえて男性側の視線をなぞり、性的衝動を喚起する戦略にはフェミニズム批評家の一部から批判が起こりました。しかしシャーマンの写真は意味内容ではなく記号的な力学に重きをおいており、むしろ男性・女性間の固定した支配、隷属関係そのものを顕在化させつつ、さらにその関係を不鮮明なものにして社会的な文脈とは微妙にずれた新しい物語のなかに置きなおしています。こうした特徴をもつシャーマンの作品は8589年に制作された連作「ディザスター」と「フェアリー・テイル」において新たな段階を迎えます。これらの連作では、それまでのソープ・オペラ的、メロドラマ的な場面設定にグロテスクなホラー映画を思わせる設定がとって代わります。シャーマンは、自ら汚物や腐敗物の支配する風景のなかの死体を演じ、また異形の動物や怪物に扮装することで、恐怖、病、死といったネガティブな観念を自己像の解体過程と見事に結びつけました。また88年に開始された「ヒストリー・ポートレート」では、美術史上の肖像画の傑作に、主に複製画を下敷きにしながら自ら扮し、それを自由に翻案しました。このセルフ・ポートレートの連作は、同時期に同様の主題に取り組んだ森村泰昌の作品とは異なり、起源となる図像が直接的には特定しがたいもので。それまでの彼女のセルフ・ポートレート同様、「ヒストリー・ポートレート」もまた、起源を欠いたシミュラクル(模造)という特徴が顕著で。こうした特徴によってシャーマンは、美術が歴史的に価値をおいてきたオリジナリティーや作者の権威を批判する、ポスト・モダニズムの思潮を代表する作家の一人と目されています

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