海を渡った日本の芸術/ビオンボBIOMBO


海を渡った日本の芸術/ビオンボBIOMBO

かつて江戸幕府が南蛮貿易を奨励した時期、多数の金屏風作品が輸出相手国ポルトガルやスペインに流出しました。(ポルトガル語・スペイン語でビオンボ/ビオボとは屏風を意味します)今、その作品たちが再注目され再び、目にする機会がありそうです。ご紹介します「海を渡った日本の芸術/ビオンボBIOMBO」です。

「日本の屏風絵の歴史」

≪創成期≫

出典元:http://kinbyoubu.jp/images/index_03.gif

屏風は白鳳時代に中国から伝来したと考えられています。「風を屏(ふさ)ぐ」という名前が表わすように、屏風は本来は風や人目を遮るための調度品ですが、同時に権威ある者の所在を示す象徴でもあり、その表面には絵画や装飾が施されるようになります。また奈良時代以降は、屏風は主に宮廷や寺院の、盛大な儀式の調度品としても用いられたということです。室町時代になると紙の蝶番(ちょうつがい)が発明され、現在、私たちが見慣れている「く」の字型が連続して蛇腹状に折り曲げて畳める、屏風の形式が確立しました。

「小栗宗継山水図・部分」出典元:http://www.kyohaku.go.jp/jp/img/dictio/kaiga/egaki01_l.jpg

室町期に入ると、宋元画の作風を取り入れて水墨による山水花鳥が障屏画の主要な画題として禅宗寺院で盛んに描かれるようになります。当時の作品として現存するものに、周文筆と伝える『山水図屏風』数点(東京・前田育徳会、同静嘉堂、奈良・大和文華館など)、伝曽我蛇足筆『山水図襖絵』(京都・真珠庵)、小栗宗湛・宗継筆『蘆雁図襖絵』(京都国立博物館)、伝狩野元信筆『山水花鳥図』(京都・大仙院、現在掛幅に改装)、相阿弥筆『山水図襖絵』(大仙院)、狩野秀頼筆『高雄観楓図屏風』等があります。


≪最盛期≫

「狩野探幽・桐鳳凰図屏風」出典元:http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/05-artscene/00-mus-exhibition/191029-osaka-biombo/img-02girei/aw118-033kirihooh605w.jpg

近世の桃山時代に入ると、織田信長の安土城、豊臣秀吉の大坂城と伏見桃山城、徳川家康の江戸城など、全国各地に諸大名の豪壮な城郭や邸宅が建てられ、その内部装飾として豪華な濃彩の金碧画(金地に濃彩を施した絵画)や大胆な手法を駆使した水墨画などの障屏画が現れ、空前絶後の盛観を呈するに至ります。この桃山時代を中心として、その前後にわたる近世初期は障屏画の黄金時代となりますが、その主力となった作家群のなかで指導的役割を果たしたのが、室町時代以降幕府の御用絵師であった狩野派です。室町末期に活躍し近世初期障屏画の成立に画期的な業績を示した狩野元信の画業を起点に、さらに大きく開花させたのが永徳、山楽でした。この画壇の主流であった狩野派に対抗する野党的存在ともいうべき諸派に、長谷川派、海北派、雲谷派、曽我派があり、それぞれユニークな画風をもって活躍しました。

「岩佐派・源氏物語図屏風」出典元:http://www.fujibi.or.jp/assets/images/collection/thumb_c/thumb_c_00672.jpg

これら漢画系諸派に対し、伝統的な大和絵系の画風を堅持する土佐派の絵師たちも障屏画の領域に新境地を開き、風俗画では岩佐派が画壇に新風を吹き込み、町衆の庶民文化を基盤とした町絵師のグループの進出を促し、近世初期の障屏画は一派に偏ることなく、多様化の現象を呈します。この時代の作品の多くは、智積院、南禅寺、妙心寺、大覚寺、三宝院など京都およびその近辺の諸寺院に残っており、なかには城郭や殿第から移された作品も残っていて、京都の寺院は障屏画の宝庫とも言えます。また当時の城内邸宅の遺構としては、慶長年間(15961615)造築の名古屋城が第二次世界大戦の戦災により焼失し、現存するものは1625年(寛永2)ごろ建てられた京都・二条城だけとなりました

「尾形光琳・風神雷神図」出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Korin_Fujin_Raijin.jpg

もともと、障屏画は大画面を構成する装飾的な様式が基本であり、そのことは古代から共通してみられる障屏画の日本的特色です。近世初期はわが国の金銀の産出も多く、海外貿易も盛んであり、巨富を積んだ豪商町衆の台頭も著しく、文化の担い手は町衆へと移り、この基盤にたって、町絵師の流れをくむ俵屋宗達やその画系を継ぐ元禄(16881704)の尾形光琳らは、障屏画の領域でも狩野派にはみられない日本的情趣を時代感覚に融合させた装飾性の濃い大画面の創出を成し遂げます。しかし江戸時代を全般的にみると、寺院や邸宅の障屏画の制作は依然として盛んでしたが、格調高い芸術性を備えた作品は減少します。そのなかでも、多少とも意欲的に大画面の障屏画に取り組み、優れた作品を残した作家をあげれば、南画派の池大雅、写生派の円山応挙及びその門人で師の画風から離れ個性的表現をみせた長沢蘆雪らがいます。


「南蛮貿易と屏風」

「大洪水図屏風・中国マカオ(ソウマヤ美術館所蔵)」出典元:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_49/p11.jpg

ポルトガルが鉄砲を伝えた1543年(42年)から「鎖国」が完成した1639年。室町時代末期から江戸時代初期にあたる日本では、アジア諸国に加え東方貿易に参入してきたヨーロッパとの交流が盛んに行われました。鎖国下の日本において唯一正式の国交があった朝鮮からは、将軍の代替りごとに朝鮮通信使が来日しました。その返礼として、江戸幕府から、当時の御用絵師たちに新たに描かせた屏風が贈られるのが慣例でした。また天正遣欧使節が日本の屏風を時のローマ教皇に贈ったように,日本の屏風は献上品として,そして商品としても,外国に大量に輸出されていました。絵はキャンバスに描いたモノと見馴れてきた西洋人にとって「屏風絵」は日本文化への大きな驚きと感動を与えたのです。 そうした海外流出した屏風は現在,ほとんど残っていないのですが,実は,日本の屏風を真似まねた屏風(ビオンボ)が,マカオやメキシコなどで生産されており日本では,その存在がほとんど知られていません。


「輸出された有名作品」

「賀茂競馬図屏風」出典元:http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/05-artscene/00-mus-exhibition/191029-osaka-biombo/img-06umiokoeta/aw135-098kamo-keiba605w.jpg

インフォメーション:賀茂競馬は上賀茂神社の五月五日の神事で、近世初期を中心に盛んに描かれました。右隻に馬場での競馬、左隻に上賀茂神社の神苑や社殿かれています。砂子で縁取る金雲が特徴的で、遠近による人物の大小も考慮され空間構成が行き届いていますアメリカクリーヴランド美術館所蔵

 

「(右)松下麝香猫図屏風」出典元:http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/05-artscene/00-mus-exhibition/191029-osaka-biombo/img-06umiokoeta/aw143-101jyako-neko605w.jpg

インフォメーション:麝香猫は東南アジア産の小動物で、中国や日本でしばしば画題とされています。樹木や岩肌の筆法は共通し、ボストン美術館本には雌と子供、サントリー美術館本には雄が描かれ、元は一双の屏風と思われる屏風です。並べると雄が雌に視線を送る構図となります。右隻はアメリカボストン美術館所蔵

 

「右・祇園祭礼図屏風」出典元:http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/05-artscene/00-mus-exhibition/191029-osaka-biombo/img-06umiokoeta/aw141-095gion-sairei605w.jpg

インフォメーション:屏風に引手跡があり元は襖絵であったと思われます。ケルン東洋美術館本の左にサントリー美術館本が、その左にメトロポリタン本の左半分がつながります。屏風でいうと9 扇分にわたり祇園祭の山鉾巡行を描き、失われた襖に巡行の前半が描かれていた可能性が高いと思われます右はドイツケルン美術館所蔵。


「至近な注目展覧会」

出典元:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_49/s_49title01.jpg

展覧会タイトル:新桃山展/大航海時代の日本美術

公式サイト:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s49.html

開催概要:倭寇の船で来日したポルトガル人が鉄砲を伝えた1543(または1542)から、徳川幕府がキリスト教を禁じ、貿易統制「鎖国」を完成させた1639年までの約百年間に焦点を当て、「文化交流」という視点からこの激動の時代の美術を改めて見つめなおすものです。この時期、大航海時代の先駆をつとめたポルトガルとスペインがアジアに到達して交易と宣教を推し進め、それに追尾する形でオランダやイギリスも東方貿易に参入しました。当時日本国内は、戦国大名が割拠する室町時代末期から、統一政権が誕生する江戸時代初期にあたり、長い交流の歴史を持つ中国や朝鮮のほか、東南アジアの各地域やヨーロッパとの交渉が積極的に行なわれました。
本展覧会では、目まぐるしく変化する時勢と、人、モノの往来に対して異なる外交政策をとった三人の天下人織田信長、豊臣秀吉そして徳川家康 を各章の案内役にすえ、彼らの時代を彩いろどった名宝を、対外交流という観点から新たに見直します。またエピローグでは、大航海時代に日本の屏風絵が数多く海を渡ったことに注目します。当時、日本から輸出された作例は、残念ながら現存しません。しかし、かつてスペイン領メキシコやポルトガル人居留地のマカオでは、日本からの輸出品にならい、油彩画の屏風ビオンボが制作されたと言われます。このたび、国外コレクションに収められた貴重な屏風ビオンボを日本で初めて公開し、近世初期に日本絵画が海外の美術に与えた影響の軌跡をご覧いただきます。

注目作品:以下参照

幻の南蛮屏風・80年振りの公開/狩野内膳筆「南蛮屏風」

「左隻部分」出典元:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_49/p04l.jpg

異国の港から出帆し(左隻)、日本の港へと到着する南蛮船(右隻)を描く。豊臣家の画家として知られる狩野内膳ないぜん(15701616)を最初に見い出した戦国大名、但馬出石たじまいずし藩主小出家に伝来した。戦災で焼失したと考えられていたが、約80年ぶりの公開である。

天下人の心をつかんだ圧倒的な存在感/(国宝)狩野永徳筆「檜図屏風」

「檜図屏風」出典元:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_49/p05.jpg

狩野永徳(154390)の没年に、秀吉の命により八条宮家の襖絵として描かれた大作。金箔と彩色の明快で豪華なコントラストや、枝を広げた巨大な檜の堂々たる迫力に、巨匠・永徳が目指した美の境地を見ることができる。

躍動する異国の王・南蛮美術の白眉/(重文)泰西王侯騎馬図屏風

「泰西王侯騎馬図屏風」出典元:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_49/p08.jpg

元は会津藩若松城(鶴ヶ城)に伝来した。騎馬像は、印刷業の中心地であったアムステルダムやアントウェルペンで17世紀初頭に刊行された世界地図や『古代ローマ皇帝図集』に基づく。日本のセミナリオで西洋絵画の訓練を受けた画家たちが、小さな輸入銅版画をもとに描き上げた初期洋風画の白眉。

南米版泰西王侯騎馬図屏風/ローマ皇帝図屏風

「ローマ皇帝図屏風」出典元:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/s_49/p12.jpg

18世紀、スペイン植民地だったエクアドルの画家が制作したと伝えられる。この屏風は、日本のセミナリオの画家たちも手本にした『古代ローマ皇帝図集』の挿絵などにもとづいて描かれている。日本の「泰西王侯騎馬図」と直接的な影響関係はないが、構図、主題の類似は注目に値する。

開催箇所:九州国立博物館

開催期間:20171014日~1126

観覧時間:9301700(金曜・土曜は~2000まで)

休館日:毎週月曜日

関連料金:一般1600円・高校大学生1000円・小中学生600

参考サイト:http://kinbyoubu.jp/
参考サイト:http://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kaiga/egaki.html
参考サイト:http://plaza.harmonix.ne.jp/~artnavi/05-artscene/00-mus-exhibition/191029-osaka-biombo/01osaka-biombo.html
参考サイト:http://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=672
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%BD%A2%E5%85%89%E7%90%B3
参考サイト:http://www.granza.jp/member/?lid=7993
参考サイト:http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s49.html
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