文学の息吹が薫ります「軽井沢文学散歩」2017.3.17更新


文学の息吹が薫ります「軽井沢文学散歩」

≪文学の息吹が色濃く残っています≫

軽井沢を舞台にする文学作品は数多くあります。また軽井沢に居を構えたり、軽井沢で創作活動を行った作家も沢山いらっしゃいます。そのような背景が存在するからでしょうか軽井沢には顕彰の意を表す建物がいくつもございます。軽井沢らしい旅の過ごし方として記念館のご訪問をお勧めしたいと思います。

 

内村鑑三記念堂

出典元:http://www.stonechurch.jp/sp/img/organic/photo02.jpg

明治・大正のキリスト教指導者・内村鑑三の業績を記念して中軽井沢に建設された教会。地上は礼拝堂、地下が祈念堂となっている建物はアメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグの設計によるもので、独特のフォルムから「石の教会」と呼ばれています。内村の「無教会思想」を反映させ、祭壇も十字架もないユニークな教会で、現在リゾートウエディングの人気スポットとなっています。自然と一体となった景観は一見の価値ありです。

出典元:http://www.stonechurch.jp/

住所:389-0195 長野県北佐久郡軽井沢町星野

問い合せ:0267-45-2288

見学時間:900~1800(挙式時は見学制限あり)

アクセス:しなの鉄道・中軽井沢駅より徒歩20

公式サイト:http://www.stonechurch.jp/

参考サイト:https://kotobank.jp/word/%E5%86%85%E6%9D%91%E9%91%91%E4%B8%89-19329

 

内村鑑三プロフィール

出典元:https://kotobank.jp/image/dictionary/daijisen/media/102730.jpg

1861年江戸生まれ。1930年没。思想家であり聖書研究家でもあったが「無教会主義」の創始者として有名。札幌農学校在学中にクラーク博士の感化を受けキリスト教徒となりますが、後に米国アマースト大学留学時、総長シーリーの影響を受け回心を経験。帰国後、一高教師等を経て様々な思想運動や執筆を行い独特の思想観を築きました。

ちなみに「不戦論」とは…

「戦争放棄の反対」「戦争直面時の無抵抗」と言う二重表現の行動原理です。現実に内村は日露戦争時、戦争反対活動を展開しましたが兵役拒否はしなように提唱する運動も併行しています。それは独特の無教会主義の教義に基ずくもの言えます。現在の日本の平和維持の在り方を思うと興味を覚えますが、不戦論って基本的に難しげな思想論ですね!

出典元:https://www.amazon.co.jp/%E4%BD%99%E3%81%AF%E5%A6%82%E4%BD%95%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E4%BF%A1%E5%BE%92%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%97%E4%B9%8E-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-119-2-%E5%86%85%E6%9D%91-%E9%91%91%E4%B8%89/dp/4003311922

室生犀星記念館(旧居)

出典元:http://www.82bunka.or.jp/db/museIMG/PTS0007991.jpg

文豪・室生犀星が昭和6年に建てた別荘の改築を行い作品や資料を展示する記念館です。犀星は昭和38年迄、毎夏、軽井沢の別荘で過ごしており、この別荘で川端康成、堀辰雄、志賀直哉等と交流したようです。また記念館から先を流れる矢崎川のほとりに文学碑が建てられており、この石碑の下には金沢から分骨された室生夫妻の遺骨が納骨されています。

参考サイト:http://www.82bunka.or.jp/bunkashisetsu/detail.php?no=799

参考サイト:http://kanazawa5towns.com/shop/murousaiseikinenkan.html

住所:長野県北佐久郡軽井沢町979

問い合せ:0267458695(軽井沢教育委員会)

見学時間:9:00~17:00

入場:無料

アクセス:軽井沢駅より草軽交通バス「旧軽井沢」方面行き乗車4分 「旧軽井沢」下車、徒歩10分

室生犀星プロフィール

1889年金沢生まれ。1962年没。加賀藩の足軽・小島弥左衛門吉種とハルとの間に私生児として誕生。内縁の妻ハツに引き取られるも戸籍上は私生児と登録されています。7歳のとき室生家に養子に入りますがこの生い立ちが、後の犀星作品に影を落とします。

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学業半ば裁判所の給仕職に就き、その職場の上司に俳句の手ほどきを受け、地元新聞への投稿により頭角を現します。1906年、犀星を名乗り1913年北原白秋に認められ多くの同人誌への寄稿・創作活動が本格化し数々の刊行を行っています。また数多くの文学賞も受け、後に1941年迄、芥川賞の選考委員も務めています。

代表作・及び受賞作

1941年 菊池寛賞受賞

1958年「杏っ子」読売文学賞受賞

1958年「わが愛する詩人の伝記」毎日出版文化賞受賞

1959年「かげろふの日記遺文」野間文芸賞受賞

*抒情小曲集:「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・」


堀辰雄文学記念館

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昭和初期に活躍した小説家・堀辰雄の業績を記念して開かれたのが堀辰雄記念館です。日本の文学が私小説を基調としていたのに対し、ロマン文学形式と言う新しい形式を採り入れた先駆者の偉業が展示されています。そのほか、住宅・書庫も開放されています。ここの居室書斎は師と仰ぐ芥川に模した部屋になっており、床の間には川端康成から贈られた「書」が掛けられています。

参考サイト:http://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000947/index.html

参考サイト:http://www.asahi.com/houryuji/story/20.html

参考サイト:http://www.shinchosha.co.jp/book/100402/

住所:389-0115長野県北佐久郡軽井沢町大字追分662

問い合せ:0267452050

開館時間:9:00~17:00

休館日:毎週水曜日/年末年始

入館料:400円

アクセス:軽井沢駅からクルマで15分

 

堀辰雄プロフィール

出典元:http://www.asahi.com/houryuji/story/images/20.jpg

1904年東京生まれ。1953年48歳で没。東京大学国文学科卒。作家活動のさなか結核を病み、大正12年転地療養のため軽井沢を訪れ、以後、軽井沢を舞台とする数多くの作品を残しています。昭和19年からは追分に定住し昭和28年(没年)までを過ごされています。この療養期間中、サナトリウムで後に恋人となる矢野綾子と知り合っています。結局、彼女は病死しますがその心模様を「風立ちぬ」に著しました。また昭和23年、室生犀星を通して芥川と知り合い大きな影響を受けましたが彼の自殺に遭遇。追悼の作品「聖家族」を新しい文学形式(西欧心理主義)で発表し、確固たる評価を得ます。軽井沢を代表する作家として記憶にとどめたい作家です。


出典元:http://www.shinchosha.co.jp/images_v2/book/cover/100402/100402_m.jpg

有島武郎別荘「浄月庵」

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武朗の父武が明治末期から大正初期に建てた別荘です。父から譲り受けた武朗はこの別荘で1916年(大正5年)から毎夏を家族と過ごしています。この別荘「浄月庵」は1993年婦人公論記者との心中事件の舞台となったことで脚光を浴び、また渡辺淳一の失楽園にも登場しています。現在、軽井沢高原文庫内に建つ別荘は武朗の終焉の地である三笠ホテルの近くからこの地に移築したものです。別荘の造りは木造二階建ての和洋折衷風の建物で武郎の代表作「生まれ出ずる悩み」は大正7年にこの別荘で生まれています。記念室内には武郎の著書・原稿の原紙、この他に室生犀星の原稿などの貴重な資料が公開されており一階にはカフェライブラリー「一房の葡萄」が併設されています。カフェ店内は洋風の中に和が演出されており、床の間が造られています。何故かこの雰囲気が落ち着きます。カフェ室内とテラスは続いており自由に出入りできます。カフェライブラリー「一房の葡萄」では、この広いテラス席にコーヒーを運び静かな贅沢な時間が過すことができます。

公式サイト:http://www.karuizawataliesin.com/look

参考サイト:http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/228.html

参考サイト:http://bookshelf.co.jp/products_new.php/page/806

住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢湖202-3 軽井沢高原文庫内

電話番号:0267-45-1175

営業時間:9-17時

料金:大人700円、子供300円

 

有島武郎プロフィール

1878年(明治11年)3月4日東京小石川(現・文京区)に旧薩摩藩郷士で大蔵官僚・実業家の有島武の長男として生まれる。 1923年(大正12年)6月9日没。 父の教育方針により米国人家庭で生活。その後、横浜英和学校(現横浜英和学院)に通う。このころの体験が後に童話『一房の葡萄』を生むことになる。学習院中等科卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。1903年(明治36年)渡米。ハバフォード大学大学院、その後、ハーバード大学で歴史・経済学を学ぶ。ハーバード大学は1年足らずで退学する。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜みなく愛は奪ふ』がある。

出典元:http://www.ndl.go.jp/portrait/JPEG_R/782-160/s0148r.jpg

出典元:http://bookshelf.co.jp/images/9784101042015.jpg

野上弥生子書斎

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野上弥生子書斎(鬼女山房)は、北軽井沢・法政大学村にあった小説家、野上弥生子(日本芸術員会員、文化勲章受賞)の山荘の離れ(書斎兼茶室)。昭和8年(1933)に北軽井沢に建設され、その後平成8年(1996)「軽井沢高原文庫」の庭内に移築し公開されています。弥生子は「ホトトギス」への掲載を機に文壇にデビュー。また夏目漱石の門下である野上豊一郎の妻です。弥生子の軽井沢を舞台にした作品には「迷路」、随筆「鬼女山房記」があります。
この山荘の離れは文人達の交流の場でもありました。建物は茅葺き屋根に、白樺の桟、杉皮葺き、下見板など、簡素でいい感じです。漆喰の白い丸窓が、全体をぐっと引き締めています。弥生子はここで春から秋を過ごしていたそうです。
「浅間山の頂を照らす朝日や、高繋山の上空に冴えわたる月を飽かずここから鑑賞した」と案内板にあります。また自らを山姥と称し「鬼女山房(きじょさんぼう)」の扁額を掲げたとも書いてあります。実際にあった所は浅間山の北になるわけですが、凛とした秋の空気を感じながら自然の景色を眺めるのは、いいもんでしょうね。旧軽井沢の別荘群とは趣を異にする。日本人的な住まい方を教えてくれる、そんな建物です。
住所:長野県北佐久郡軽井沢町長倉202-3

参考サイト:http://www.karuizawataliesin.com/

参考サイト:http://www.asahi.com/articles/photo/AS20161024004300.html

TEL :0267-45-1175

営業:10:00〜17:00

アクセス:しなの鉄道中軽井沢からタクシーで8分

 

野上弥生子プロフィール

出典元:http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20161024004300_commL.jpg

本名:野上 ヤヱ(のがみ やゑ)旧姓小手川。1885年(明治18年)5月6日,大分県臼杵市生まれ。14歳の時に上京し、明治女学校に入学。夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚する。 『ホトトギス』に『縁』を掲載して作家デビュー。以来、死去するまで現役の作家として活躍する。法政大学女子高等学校名誉校長も努め、「女性である前にまず人間であれ」の言を残す。臼杵市に生家の一部を改装した記念館がある。軽井沢町の軽井沢高原文庫には、春から秋にかけて過ごしていた北軽井沢の山荘の離れ(書斎兼茶室)が移築されている。 イタリア文学者の野上素一は長男、物理学者の野上茂吉郎は次男、哲学者の長谷川三千子は三男の娘である。1985年3月30日、老衰のため死去。享年101(満99歳没)。

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