≪話題の伝統野菜たち≫2016年3月26日修正更新版


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「話題の伝統野菜たち」

子供の頃、見かけていた野菜が姿を消しました。でも、地産地消・道の駅のブームに乗って全国の生産農家が消えかけた地元野菜の見直しに力を入れ始めています。と言う訳で、伝統野菜とも称される昔野菜を一寸ご紹介します。

「京野菜」九条ねぎ

京の伝統野菜の中で最も歴史が古いとされ、和銅4年(西暦711年)に京都での栽培が始まったと伝えられています。東寺周辺の九条村で栽培が広まったことからこの名が付いています。煮物やぬたなど京料理には欠かせない食材で、京都のすき焼きは九条ねぎが一般的です。色が濃く太めの「太ねぎ(黒種)」と、浅黄色でやや細く、株分かれしいやすい「細ねぎ(浅黄色種)」があります。口当たりがやわらかで甘味があり、葉の内部にぬめりがあります。寒さが厳しくなり始めた頃、霜が何度か降りるとこのぬめりが多くなり、甘味が強くなります。本来の伝統的な栽培方法は非常に手間がかかります。秋に種を撒き、春に植え替え、夏にはいったん株を掘りだして1ヶ月間天日で乾燥させ、その後また植え付けて晩秋にやっと収穫できるそうです。今でもこの方法で栽培されたものが手に入れば幸運です。

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出典元:http://www.maff.go.jp/


「京野菜」聖護院かぶら

江戸時代後期、山城国愛宕郡聖護院村(現在京都市左京区聖護院)の農家、伊勢屋利八が近江堅田村から近江かぶらの種子を譲り受けたことに始まるそうです。彼は丹精込めて育成し、聖護院村の特産物にまで育て上げ、彼の功績により、聖護院かぶらは、地域農業・経済の主役となり、京の食文化を支える貴重な京野菜となりました。京料理や千枚漬の原菜で、成長すると、直径20センチ以上、重さ2~4キロにもなります。よく聖護院大根(別名淀大根「尾張大根が京都淀で品種改良され丸くなったとも言われている」)と間違われますが、聖護院かぶらは、白く、きめが細かく、甘味があり大変美味しいかぶらです。

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出典元:http://www.maff.go.jp/


「京野菜」すぐき菜

すぐき菜は、京都市北区上賀茂に伝承する在来のかぶの一種で、漬物となったとき特有の風味のある酸味(乳酸発酵)から「すぐき」と名付けられました。すぐきの歴史は古く、起源は桃山時代ともいわれ、近世初期から宮中や公家向けの贈答品や自家用として、上賀茂神社の神官の屋敷内で栽培、加工されていたものが、上賀茂地域の農家によって受け継がれてきたものです。余談ですが、上賀茂の東隣りの松ヶ崎は、菜の花の産地ですが、すぐき菜と交配してしまうのを避けるため、今でも上賀茂一帯では菜の花は作ってはいけないことになっているそうです。

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使用写真:http://www.pref.kyoto.jp/


「京野菜」辛味大根

京の伝統野菜に認定され、京都市が原種の保存をしているのが辛味大根です。京都市北区大北山(原谷)が原産とされ、約300年前から鷹峯地区で作られてきたと言われています。主に蕎麦の薬味として用いられ、年越し蕎麦には欠かせないと言われてきましたが、時代の流れの中で京都から蕎麦屋が減り、蕎麦以外に用途が限られるこの大根を栽培する農家も激減し、今日では数えるほどの生産者しか残っていません。出荷される大根もその多くが料亭などの飲食店に納められ、京都市内の極僅かなお店でしか手に入らなくなっています。その分価格も高く、この小さな一個が150~250円もします。

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出典元:http://www.city.kyoto.lg.jp/


「京野菜」堀川ごぼう

京都の伝統野菜のひとつで、400年ほど前から作られてきたとされています。いわれとして伝えられる話は、豊臣秀吉が築いた聚楽第の堀跡へ埋めたゴミの中に,食べ残しのごぼうが捨てられていたものが年越して大きく育ったことから年越ごぼうの栽培が始められたと言われており,この事が堀川ごぼうの起源とも言われています。耕作法は滝野川系ごぼうを斜めに植えつける栽培方法で作られます。長さ50cm前後、直径は6~9cmにもなり中に空洞ができます。収穫できるまで2年以上かかり、希少価値が非常に高い食材で、品質も優れているので主に料亭などで使われています。空洞を利用し、詰め物をした料理などに使われます。価格も一般的なゴボウとは比べ物にならないくらい高価で、1本700円前後しています。

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出典元:http://www.maff.go.jp/


「京野菜」万願寺とうがらし

大正末期に当時貿易港として栄えていた舞鶴で、従来から京都で栽培されていた在来種の伏見とうがらしと、ピーマンの一種カリフォルニア・ワンダーが交配して出来たとされています。舞鶴の万願寺地区でそれ以降、地元消費用に作り続けてこられたので、この地区名をとって「万願寺とうがらし」と呼ばれるようになりました。地元では「万願寺甘」と呼ばれているそうです。ピーマン系の品種との交配種らしく、その果肉は大きくて厚みがあり、ピーマンと肉質が似ていて、同じように種も少なく食べやすいです。違いはその形で、唐辛子らしく細長く、そして肩の部分がくびれているのが大きな特徴です。また、柔らかくほんのりと甘味があり、ピーマンのような青臭みが少ないのも特徴で、その大きさから「とうがらしの王様」とも呼ばれています。

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出典元:http://www.maff.go.jp/


「京野菜」加茂なす

賀茂なすは京都の北区上賀茂で古くから作られてきた丸なすの一種で、「京の伝統野菜」の一つに認定されています。肉質は硬くしまっており甘味があって美味しいです。賀茂なすは風で葉が触れるだけで傷が入ってしまいやすく、かん水や排水等のタイミングがずれるとを間違える表面の色艶がボケてしまいます。さらに葉が大きく、その陰になった部分は果色が薄くなってしまうため摘葉が欠かせないことなど、栽培には非常に手間がかかります。ほとんどが露地栽培されているので、出回る時期も限られており、京都での収穫時期は6月中旬頃から10月中旬頃となっています。

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出典元:http://www.jakyoto.com/


「加賀野菜」源助だいこん

金沢で栽培される“源助大根”は、打木だいこん(練馬系)の太さとやわらかさを、源助総太(宮重系)の甘みを活かして自然交配を行い、系統選抜によって作りあげたもの。昭和7年、打木町の松本佐一郎氏が、愛知県在住の井上源助氏より種子を導入し、他の品種と交配、系統選抜を重ねて昭和17年に完成させました。すいかの裏作として栽培されることが多く収穫時期をはずすとスが入りやすくなり、表面がやわらかく、たわし等でゴシゴシ洗えないなどの難しさがあります。毎年、8月中旬~下旬に種播き。ウイルスに弱いので、発芽してから25日前後は寒冷沙をかぶせます。市場へ広く出回るようになったのは昭和30年代からであり、昭和40年代が出荷の最盛期。当時は100軒近くの農家により、300haで栽培され、関西市場に入荷されるほとんどの大根が打木源助大根で占められていたほどの隆盛を誇りました。長期間の連作障害、ス入りや変形、尻割れの多さ(つまり栽培の難しさ)が嫌われ、減少傾向となりました。平成6年には生産量わずか60トン・栽培面積1haにまで落ち込んでいます。しばらくは3軒のみの栽培でしたが、根強い需要と、ここ数年の加賀野菜見直しの機運に乗り、再び上昇気配となっています。

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出典元:http://www.maruka-ishikawa.co.jp/


「加賀野菜」加賀太きゅうり

藩政時代にシベリア大陸から渡来したと言われています。昭和11年、有松の青果商人、鶴来六三郎氏が美濃地区から種を持ち帰り、久安町の生産者・森栄吉氏が種をもらい、作ったのが始まり。昭和27年に「金沢きゅうり」と命名され昭和45年頃から打木町でビニールハウス栽培を行い早期出荷を始めたところ好評で、その後普及し、金沢市場以外にも関東、関西の市場へ出荷されるようになりました。以前は自家採種であったため、栽培者によって色、形に違いがあり、これを克服するために共同採種や優良種子の確保に努力した結果、形質の安定化が図れるように。最初は黄色ががった瓜のような形でしたが、地元の節成きゅうりと自然交配をしたものが現在の緑色のものです。

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出典元:http://www.shijou.city.osaka.jp


「加賀野菜」金時菜

金時菜の来歴には諸説あり、平賀源内の「物類品」によると宝暦9年(1759年)にオランダから入ったとされてますが、また一説には中国・台湾から九州に入ったとも言われています。当初、スイゼンソウと呼ばれており、熊本市の水前寺地方が湧き水を利用して栽培するようになり、水前寺菜と呼ばれました。加賀地方での導入時期にも藩政時代説と昭和初期説の2つの説があります。いずれにせよ、金沢の農家が熊本から持ち帰り、自家用に栽培したのが始まりです。昭和25年頃から地元金沢市場へ出荷されるようになりましたが、当時の金沢では決まった呼称がなく、「葉の色が金時(きんとき)色をしているから金時草(きんじそう)にしよう。」ということになりました。名付け親は市場の競り人です。どんなところでも栽培できる強い作物だが、夏、昼夜の温度差があり、日差しの強くない場所で栽培するのに適しています。種子がほとんどできないので挿し木で増やしていき、6月から霜のおりる11月まで収穫するのが一般的なスタイル。気温が30℃を超すと鮮やかな紫色が出ないというデリケートさを持ちます。

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出典元:http://www.maruka-ishikawa.co.jp/


「近江野菜」下田なす

下田なすは、滋賀県の南西部下田地区で明治時代以前より栽培されている野菜のひとつで本体は柔らかく、漬物にすると大変おいしいなすです。形は、小振りで10cm程度の卵形をしています。手に持つと柔らかくしっとりと吸い付くような独特の感触があり、皮はうすく実がとても柔らかく、たくさんの水分を含んでいます。色は、私たちがなすとして知っている色に比べて薄く、特に額のところは、白くほんのり緑色をしています。下田なすは、日光にあたらなければ、薄緑色をしており、葉の陰に隠れていれば白いままです。へたのところには、毎日成長した分色が少しずつ変わることから、輪っか状の模様があります。漬物にすると特においしく、ぬか漬けなどにして食べると、皮が柔らかく甘みのあるおいしいなすです。漬けもののほかにも、天ぷら、素揚げをつゆで食べても、柔らかくおいしくたべられます。

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出典元:http://www.tsukemono-japan.org/shiga/


「近江野菜」伊吹大根

1697年に出版された日本最古の農書『農業全書』に名前が記載されている「伊吹大根」。古くから近江の野菜として認知されているこの大根は、海抜280メートルから300メートルにある米原市大久保地区(旧伊吹町)の畑で、300年以上前から今日まで適地適作で栽培されてます。平成21年、滋賀県が地産地消を推進する「おいしがうれしが」キャンペーンに生産者が伊吹大根を出展したところ、参加者の人気を呼びました。それ以降、旬彩の森が独自に種を取り無料で生産者に配布。生産拡大に取組んだ結果、米原市の学校給食、そば店、ホテル等に出荷するほどに。平成21年に10名だった生産者が平成22年には20名と倍増しています。

 


「近江野菜」あいがな(鮎河菜)

鮎河菜/あいがなは滋賀県甲賀市土山町鮎河集落で古くから自家用として栽培されてきた野菜で、アブラナ科の菜花の一種です。一説によると平安時代にはすでに栽培されていたとも言われており、近江の伝統野菜となっています。食用となるのは、とう立ちし始めた花芽で、菜花のように葉、茎、蕾を収穫します。食べると、茎は歯ざわりがよく、ほんのり甘味が感じられ、葉は柔らかく、アクが少なく生でも食べることが出来ます。サッと茹でて食べてみると、菜の花のような苦味はほとんどなく、クセもない上、茎に甘みがあって色々な料理に合わせられそうです。鮎河菜は現在はJA甲賀の直売所花野果市や「道の駅」あいの土山などで収穫時期に販売されています。

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出典元:http://www.maff.go.jp/


「日向野菜」黒皮かぼちゃ

カボチャの品種は、日本カボチャ・西洋(栗)カボチャ・ポンキン(ペポカボチャ)の三種類があり、日本カボチャにも菊座・黒皮・ちりめん・会津早生・白菊座の五グループに分けられます。黒皮カボチャは、腰高で肩張りが強く、やや大きめで凸凹が多く、濃黒緑色で見た目にも美しく、果肉も厚く、西洋カボチャに比べ独特の風味があり、高級料理用としてよく用いられ、早出し用の代表的品種です。宮崎の黒皮カボチャは、宮崎早生1号、2号があり、宮崎で生まれ育った歴史ある、宮崎特産の黒皮カボチャで、全国に「日向カボチャ」の名前で、賞味されています。

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出典元:http://www.maru-miya.co.jp/


「日向野菜」佐土原ナス

ナスは江戸時代から盛んに栽培されていた野菜です。佐土原ナスは、長なすの一種で戦前から宮崎県では露地栽培で盛んに栽培されていました。 九州では熊本県の「赤ナス」九州以外にも焼ナスとして最高の肉質が評価され、新潟県の「鉛筆ナス」「久保ナス」「ヤキナス」などといった地方在来種のルーツといわれています。この佐土原ナスの名称については、江戸時代から薩摩島津氏の流れをくむ佐土原藩があったところから藩の名前が付いたものと思われます。宮崎県では戦後までの品種はほとんどが「佐土原ナス」であったと思われ、戦後はF1種の紫黒色の収穫量の優れる品種が主流となり昭和55年ころに現場から姿を消した幻の赤ナスです。

 


「黒姫野菜」黒姫人参

黒姫人参が栽培されているのは、黒姫山(標高891メートル)の中腹、高柳町磯之辺地区の標高約450メートルあたりの一角で、平坦地の少ない磯之辺地区では、最も耕地がまとまっているところ。黒い色をした火山性灰土は畑作に適し、高原のような気候を生かして、昔からにんじんやトマトなどを作っています。黒姫人参は、高柳町でも磯之辺地域だけで栽培されていて、越冬野菜として大正時代の出荷記録も残っています。日持ちがする、味や香りが強い、煮崩れしないという特徴があり、煮れば煮るほど赤い色が鮮やかになります。黒姫人参は「柏崎伝統野菜」に認定されています。

出典元:https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/


「黒姫野菜」黒姫もちもろこし

明治時代、北海道にカナダや北米から導入された北方フリント種が、北関東を経由して県内各地に広まったものと思われます。完熟したものを乾燥させ、粉にしてたものを小麦粉をつなぎにしてダンゴとして食したり、未熟果を茹でたり焼いたりして食べます。北方フリント種の特性を引き継いだものであり、実の長さが15cm程度、輪切りにしたときの粒の列数が8列です。粒色は黒に近い紫や緑色を呈しており、白黒や黄色も混在します。食感は、スイートコーンに比べ甘味はなく淡白、もちもちしています。

出典元:http://www.shinano-machi.com/


「黒姫野菜」黒姫ネマガリタケ

長野県北信地方と新潟県上越地方の 山間部では、根曲竹(長野県側の呼称)または筍(新潟県側の呼称)と呼ばれるチシマザサの新芽が採れる時期(=5月から6月にかけて)に、サバ(鯖)の水煮の缶詰と一緒に味噌汁として食べる習慣があります。作り方や材料は各家庭によって違うが、基本は沸騰した鍋の中に、チシマザサと、缶詰から取り出した鯖を入れ、しばらくしてから地元特産の信州味噌あるいは越後味噌を入れ、ひと煮立ちさせて完成。 この味噌汁は、当該地域では春の特産として風物詩として親しまれています。


「萩野菜」田屋なす

明治維新発祥の地である萩市には、それぞれの時代にかかわる多くの文化財が残っています。そして長門市から伝えられた「田屋なす」もまた、この市(街)の数戸の農家によって受け継がれてきた文化財的存在です。他に類のない大きさを持つ「田屋なす」。初めて見る人は必ずその姿を見て「たまげ」ます。(山口県の方言で「びっくりする」ことを「たまげる」といいます。)種の入る寸前まで樹上で成熟させた「田屋なす」は、その見た目とはうらはらに果肉は非常に柔らかく、一度食べると病みつきになるようなナス本来の深い味わいを持っています。『萩たまげなす』とは、「田屋なす」のうち、500g以上の大きな果実に与えられた商品名です。

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出典元:http://www.yc.zennoh.or.jp/


「萩野菜」白おくら

アクがなく生で食べられることから「サラダオクラ」とも呼ばれています。三隅地区で50年以上栽培が続いています。やわらかくクセがないのが特徴で、通常のオクラよりねばりが多いです。ねばりのあるものは夏バテ予防にいいと言いますが、白おくらはまさに夏の野菜です。この白おくらは、有機肥料を中心に土づくりに力を入れ、土の力でグングン育ち、病気にも負けません。

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出典元:http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/


「萩野菜」萩ごぼう

「伝統野菜を復活させること」をきっかけに、農業、観光業、外食産業、商業などを同時に盛り上げていこうと、市民と行政が一丸となった取り組みが萩市で始まりました。流通の途絶えた5種の伝統野菜の栽培を開始。萩でしか味わえない新たな食材づくりとその流通に挑戦されています。特に力を入れ出したのが、「萩ごぼう」です。一般的なごぼうより収穫時期が早く、香りのよいアクが少ない品種。小振りで、出始めの頃は、茎もふきのように食べることができます。

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出典元:http://www.ja-yamaguchi.jp/

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