富士山名画列伝


富士山名画列伝

日本を代表するシンボルの富士山を、これまで多くの画家が描いています。そこでご紹介します。新旧の「富士山名画列伝」情報です。「葛飾北斎・凱風快晴」「歌川広重・神奈川沖浪裏」「谷文晁・富士山図屏風」「川瀬巴水・忍野の富士」「横山大観・雨けむる」「前田青邨・富士」「竹内栖鳳・富嶽」「梅原龍三郎・朝陽」「片岡球子・山」「平山郁夫・富士山」「東山魁夷・秋富士」「草間彌生・赤富士」。

「葛飾北斎・凱風快晴」

出典元:http://www.k-hokusai.com/images/post/002.jpg

出典元:http://www.tokyo385.com/gazou/hokusai.jpg

出典元:http://www.museum.or.jp/uploads/imdb/file//museum/00002428/00002428.jpg

参考サイト:http://www.k-hokusai.com/%E5%87%B1%E9%A2%A8%E5%BF%AB%E6%99%B4/

参考サイト:http://www.tokyo385.com/hokusai

参考サイト:http://www.museum.or.jp/modules/im_museum/?controller=museum&input%5Bid%5D=2428

作者インフォメーション:以下参照

北斎は宝暦10(1760)、江戸本所に生まれ、安永8(1779)、勝川春朗の画号をもって浮世絵画壇に登場しました。以降約15年間、役者似顔絵、肉筆美人画の名手・勝川春章の下で役者絵や美人画、戯作の挿絵などに筆を揮いました。北斎75歳の天保5(1834)、風景絵本の傑作「富嶽百景」初編を上梓します。この書中に画狂老人卍と署し、百有十歳までの長寿と、それに伴う作画への情熱を跋文で表明しています。北斎はこれ以降、木版画界では絵本や絵手本を除き、錦絵の分野から急速に遠ざかり、最晩年の精力を、動植物や宗教的題材、あるいは和漢の故事古典に基づく歴史画や物語絵など、肉筆画の分野に注ぎました。

作品インフォメーション:以下参照

凱風とは南風のこと。夏から秋にかけての晴れた早朝に、富士が山全体を赤く染めて輝くことがありますこの現象を捉え、大胆にも画面いっぱいに大きくとらえられた富士が、青空を背景にまっ赤に染め上げられています。「赤富士」とも呼ばれ「山下白雨」「神奈川沖浪裏」とともに冨嶽三十六景のシリーズの三役のひとつに数えられています

制作年度:天保13年頃(183032年頃)

所蔵者:東京富士美術館・MOA美術館等

作品備考:木版多色刷 横大判錦絵 24.1×37.2cm

東京富士美術館住所:192-0016東京都八王子市谷野町492-1

問合せ:042-691-4511


「歌川広重・名所江戸百景/目黒新富士」

出典元:http://www.nippon.com/ja/files/d00021_ph10-300×447.jpg

出典元:http://www.ndl.go.jp/landmarks/artists/images/utagawa-hiroshige-1.jpg

出典元:http://www.museum.or.jp/uploads/imdb/file//museum/00002428/00002428.jpg

参考サイト:http://www.nippon.com/ja/currents/d00021/?pnum=2

参考サイト:http://www.museum.or.jp/modules/im_museum/?controller=museum&input%5Bid%5D=2428

参考サイト:http://www.ndl.go.jp/landmarks/artists/utagawa-hiroshige-1/

作者インフォメーション:以下参照

広重の『名所江戸百景』は広重の描いた118点の「名所」に、彼の死後別人の手になる1点を加え、表紙絵とあわせて計120点の「揃い物」として販売されており、そのなかの19点の作品に富士の姿がはっきりと描ています。例えば春夏秋冬の4部に分類されたこのシリーズの冒頭を飾る「日本橋雪晴」の図では、清冽な雪に覆われた日本橋の情景の彼方に、白く輝く富士の姿いてます。江戸下町の中心であった日本橋は、富士を仰ぎ見る絶好の場所とされており、特に年頭の正月3日、この橋の上から「初富士」を拝することは、江戸の人々にとっては重要な年中行事のひとつでた。また同じ『百景』のなかの「する賀てふ(するがちょう)」の図では、西欧的遠近法を利用して画面手前から奥へずっと続く町並みのちょうど真上に、町を保護する巨大な笠のような雄大な富士の姿を描いています。「駿河町」という地名が富士山のある駿河の国(現在の静岡県)に由来することは言うまでもありませんが、そのほか、「駿河台」とか「富士見町」など現在も残る富士山に因んだ町名が多く江戸の町に見られることは、富士がきわめて身近な存在であったことをよく物語っています

作品インフォメーション:以下参照

江戸の人々の富士山に対する思い入れの深さは、江戸の町のなかに「富士塚」と呼ばれる小型の富士山そのものをいくつも造り上げてしまったことにもよく表れています。富士信仰の高まりとともに、江戸時代にはさまざまなかたちで富士登山が盛んに行われるようになりましたが、実際に登山できない人のために、町の中に築いたいわばミニアチュアの富士が「富士塚」で。ミニアチュアといっても例えば広重の『名所江戸百景』のなかの「目黒新富士」の図に描かれている富士塚は、高さが15メートルほどもあり、麓には鳥居を配し、山頂に仙元宮(浅間神社)を祭ってきちんと参道まで整備し、実際に登れるようにできていた事が判ります広重作品には有名な「神奈川沖浪裏」等がありますが、生活と密着した情景描写を代表する作品としてこの富士塚にちなむ「目黒新富士」を忘れることができません。

制作年度:安政44

所蔵者:江戸東京博物館

関連住所:130-0015 東京都墨田区横網1丁目41

問合せ:03-3626-9974


「谷文晁・富士山図屏風」

出典元:http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/collection/symphony/fukei/imgs/pt1_13_01.jpg

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/%E8%B0%B7%E6%96%87%E6%99%81_%E8%BF%91%E4%B8%96%E5%90%8D%E5%AE%B6%E8%82%96%E5%83%8F.jpg/200px-%E8%B0%B7%E6%96%87%E6%99%81_%E8%BF%91%E4%B8%96%E5%90%8D%E5%AE%B6%E8%82%96%E5%83%8F.jpg

出典元:http://kidsart-shizuoka.com/home/assets/uploads/2013/10/spmoa_gaikan2-320×214.jpg

参考サイト:http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/collection/symphony/fukei/pt1_13.php

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%96%87%E6%99%81

参考サイト:http://kidsart-shizuoka.com/museum/spmoa

作者インフォメーション:以下参照

谷文晁(17631840)は江戸南画(文人画)の中心的画人。江戸時代後期、独学で当時の日本で見ることの出来る絵画から独自で技術を学び、中国風の山水画から西洋画、風景だけでなく、仏画や人物画まで、ありとあらゆるジャンルの画を描いた画家です。 その腕前を買ったのが、寛政の改革を行った松平定信でした。緊縮と文武の奨励を唱えた定信の下で、風景や美術品を「記録」として描きました。ただただ忠実に対象を写し取るよう命を受けます。定信のおかげで巨万の富と名声を得、渡辺崋山などの多くの弟子を持った文晁でしたが定信の死後、70代になって描いたのが「富士山図屏風」です。

作品インフォメーション:以下参照

この作品のモチーフは文晁が晩年に到達した心象風景であり、富士山とその周辺の景が混沌と描かれています。富士山の形は秀麗で美しく、勢いある筆の線と柔らかな墨の面、さらに稜線につけられた一条の群青の効果があいまって、江戸風の洒脱な趣きを醸し出していると評されています。

制作年度:天保6年(1835年)

所蔵者:静岡県立美術館

作品備考:紙本墨画群青引、六曲一隻屏風 163.1×363.2cm

関連住所:422-8002 静岡市駿河区谷田53-2 

問合せ:054-263-5755


「川瀬巴水・忍野の富士」

出典元:http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/images/B0000075.jpg

出典元:https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/originals/ce/61/6a/ce616a05bed1cf4ced22380d73878ff2.jpg

出典元:http://www.city.fuji.shizuoka.jp/kyouiku/c0405/fmervo000000d269-img/fmervo000000d28d.jpg

参考サイト:http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/tp.php?id=81419

参考サイト:https://jp.pinterest.com/csalazarsanchez/hotel-japones/

参考サイト:http://www.city.fuji.shizuoka.jp/kyouiku/c0405/fmervo000000d269.html

作者インフォメーション:以下参照

大正から昭和にかけて活躍した版画家(18831957)。生涯、日本全国を旅し600点に及ぶ大量の風景版画を残しました。日本よりも欧米での人気が高い巴水ですが東日本大震災をきっかけに彼の郷愁を誘う風景に再び注目が集まっています。起因したのは巴水の名を世に知らしめた関東大震災のあとに東京を描いたシリーズです。被災した巴水自身がこだわって描いたのがのが震災前と変わらぬ情緒ある東京風景で、そこには失われ行く風景への独自の思いが込められています。巴水が版画と出会ったのは35歳の頃。もともと日本画を学んでいましたが芽が出ず苦しんでいた時、“新版画”と呼ばれる新しい試みに挑んでいた版画店の店主渡邊庄三郎と出会います。“新版画”は浮世絵の技法を受け継ぐ彫師、摺師の熟練した技術を用いながら、すりむらやバレン跡をそのまま生かすなど、浮世絵の常識を打ち破り、新時代の版画を生み出そうというものです。巴水は鋭いまなざしで、風景の微細な光や影の表情を捉え、浮世絵にはない新しい日本の風景を切り取って行き独特の作風で新境地を切り開きました。

作品インフォメーション:以下参照

巴水の富士を主題とした版画は昭和6(1931)よりはじまり、そのまま最晩年まで続けられます。巴水の描く富士は、前景に主題をおいた作例が多く、それと対比させて富士の大きさを示しています。富士の版画は東海道の各地や甲州側、富士五湖などあらゆる方面から画題としており、このような富士の描写には写実に基づいた実景描写が行われています。「忍野の富士」は有名な湧水地・忍野に取材した富士図です。

制作年度:昭和17

所蔵者:富士市立博物館・東京国立近代美術館など

作品備考:木版多色刷 ・縦39.8・横26.6

富士かぐや姫ミュージアム(富士市立博物館)住所:417-0061 静岡県富士市伝法662

問合せ:0545-21-3380


「横山大観・雨霽る」

出典元:https://www.adachi-museum.or.jp/admin/wp-content/uploads/2014/08/3.png

出典元:https://www.adachi-museum.or.jp/admin/wp-content/uploads/2014/08/110.jpg

出典元:https://www.adachi-museum.or.jp/admin/wp-content/uploads/2016/05/IMG_9870-312×208.jpg

参考サイト:https://www.adachi-museum.or.jp/

作者インフォメーション:以下参照

明治元年(1868)~ 昭和33年(1958茨城県に生まれ。東京美術学校第一期生として、岡倉天心や橋本雅邦の薫陶を受け明治31年、天心指導のもと日本美術院の創立に参加。新しい日本画の創造に邁進しました。大正3年に美術院を再興すると、以後院展を中心に数々の名作を発表。昭和12年には第1回文化勲章を受章し、明治・大正・昭和と日本画壇をリードし続けまし

作品インフォメーション:以下参照

昭和15年に描かれた山海二十題のうちの一幅で、大観の水墨画の中でも五指に入る名作と評されています。雨後の霧雲が晴れ上がっていく山並みの流動感が見事に表現され、その彼方には富士山が気高くそびえています。

制作年度:昭和15年(1940年)

所蔵者:足立美術館

関連住所:島根県安来市古河町320

問合せ:0854287111


「前田青邨・富士」

出典元:http://classic-imagecluster.img.mixi.jp/p/de5c6177d55de018a7b14bf7a9423dbb29395de4f7/58ddf0e4/bbs/48392642_132s.jpg

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/31/Seison_Maeda_01.jpg/250px-Seison_Maeda_01.jpg

参考サイト:http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=253191&id=48392642

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E9%9D%92%E9%82%A8

作者インフォメーション:以下参照

青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した画家として有名です。特に武者絵における鎧兜の精密な描写は有名。1955(昭和30年)に文化勲章を受章するなど、画壇・院展を代表する画家として長年活躍しました。晩年には法隆寺金堂壁画の再現模写や高松塚古墳壁画の模写等、文化財保護事業に携わり、その遺志は青邨の弟子の平山郁夫等にも引き継がれています岐阜県中津川市に青邨から寄贈された本画や下図などを展示する青邨記念館がありましたが20156月をもちまして閉館しています。

作品インフォメーション:以下参照

同市出身で名誉市民の青邨を顕彰するため66年に記念館が建設され、「富士」は開館に合わせて青邨が制作し同館に寄贈した作品ですが20091124日午前045分頃、展示用ガラスケースの中から盗難にあい、いまだ行方不明です。

制作年度:1966

所蔵者:中津川市青邨記念館(現在行方不明)

関連住所:508-0101 岐阜県中津川市苗木287112(20156月閉館)

問合せ0573-65-7170 (20156月閉館)

 

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