「日本の洋画家の系譜」/2016年3月25日修正更新版


「日本の洋画家の系譜」

 

浅井忠

出典元:https://upload.wikimedia.org/

東京生まれ。洋画家。父は佐倉藩士。明治8年(1875)国沢新九郎に師事し、翌年工部美術学校に入学、フォンタネージに師事する。22年(1889)日本初の洋画団体、明治美術会を創立。31年(1898)東京美術学校教授に就任。33年(1900)フランスに2年間留学。帰国後京都高等工芸学校教授に就任し、関西美術院を創立。渡欧後は印象派の画風を取り入れ、また水彩画にも多くの佳作を残した。門下に安井曾太郎、梅原龍三郎らがいる。代表作に「春畝」「収穫」「グレーの秋」など。

生年月日:安政3年(1856年)6月21日・明治40年(1907年)12月16日没

出身地:東京生まれ

代表作/所蔵:

「春畝」(東京国立博物館所蔵)

「収穫」(東京芸術大学大学美術館所蔵)

「グレーの秋」(東京国立博物館所蔵)

「収穫」概要:

パリの南東に位置するバルビゾン村の風景や農村を描いたバルビゾン派の画家たち。その代表的な画家であるミレーが、名作『落ち穂拾い』を描いたのは1857年のこと。それからほぼ20年後の1876年、武家に生まれた男がその作品を目にします。その作品は激動の時代をくぐり抜けた男に大きな感動を与え、日本の洋画の世界に夜明けをもたらしました。描かれているのは絶景と呼ばれるものではなく、どこにでもあるような普通の田舎の風景。豊かな実りを前に、一家総出で仕事をしています。母はわらを束ね、娘は米をふるい分け、父は脱穀する。土の匂いまで伝わってきそうな迫真性は、油絵だからこそ表現できた重厚な時間と空間。この絵が描かれた当時、日本の洋画界にはようやく日が当たり始めた頃でした。しかし、この作品にはまさにバルビゾン派のミレーの後継者としての技術と趣があります。浅井忠は黒田清輝とともに日本近代洋画界の先駆者と呼ばれ、その存在がなければ日本の洋画の歴史は確実に遅れていたと言われています。

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「縫物・1902年」出典元:https://upload.wikimedia.org/

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「グレーの洗濯場」出典元:http://www.bridgestone-museum.gr.jp/


黒田清輝

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出典元:https://upload.wikimedia.org/

黒田清輝(1866~1924)は、近代日本の美術に大きな足跡を残した画家であり、教育者であり、美術行政家であったと言えます。ことに明治中期の洋画界を革新していった功績は大きく、その影響は広く文芸界全般に及びました。現在の鹿児島県鹿児島市に生まれた黒田は、幼少時に上京、伯父黒田清綱(きよつな)の養嫡子となりました。17歳で、法律の勉学を目的にフランスに留学しましたが、二年後には絵画に転向し、フランス人画家ラファエル・コラン(Louis-Joseph-Raphael Collin)に師事しました。九年間にわたる留学中、アカデミックな教育を基礎に、明るい外光をとりいれた印象派的な視覚を学びました。明治26(1893)年に帰国し、日本にそれまで知られていなかった外光表現をもたらし、その背後のリベラルな精神と思想とともに大きな影響を与えました。明治29(1896)年には、美術団体白馬会(はくばかい)を結成、またこの年創設された東京美術学校(The Tokyo Art School)の西洋画科の指導者となりました。以後、黒田は、この白馬会と東京美術学校において、多くの新しい才能を育てるとともに、やがて美術界の中枢となりました。また、画家としても、外光表現だけではなく、「智・感・情」(Wisdom,Impression,Sentiment)、「昔語り」(Talk on Ancient Romance)など、アカデミズムとしての「構想画」(grand composition)の制作をこころみるなど、本格的な西洋絵画の移植につとめました。後年には、絵画制作のかたわら、貴族院議員や帝国美術院長を歴任し、美術行政家として活躍しました。

生年月日:1866年8月9日

出身地:鹿児島郡鹿児島城下東千石馬場町

代表作/所蔵:

読書(1892年、東京国立博物館)

湖畔(1897年、黒田記念館、重要文化財)

智・感・情(1899年、東京国立博物館黒田記念館、重要文化財)

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「読書」出典元:http://www.tobunken.go.jp/

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「湖畔」出典元:http://www.tobunken.go.jp/kuroda/


藤島武二

出典元:https://upload.wikimedia.org/

洋画家。慶応(けいおう)3年9月18日鹿児島生まれ。中学時代から日本画を学び、上京して川端玉章(ぎょくしょう)の門に入る。のち洋画に転じ、曽山幸彦(そやまゆきひこ)、松岡寿(ひさし)、山本芳翠(ほうすい)らの指導を受け、1891年(明治24)明治美術会の会員となる。96年東京美術学校西洋画科助教授および白馬会会員となり、黒田清輝(せいき)の外光派の影響を受けるが、やがて浪漫(ろうまん)主義に移って『蝶(ちよう)』などを発表。1905年、文部省の留学生として渡仏し、パリの国立美術学校でコルモンの指導を受け、さらにローマに転学する。留学時代の代表作に『黒扇(こくせん)』(重文)、『チョチャラ』などがある。10年に帰国して白馬会展に滞欧作27点を発表のほか、東京美術学校教授に進み、以後三十余年を西洋画科学生の指導に尽くした。また本郷洋画研究所、川端画学校でも指導にあたる。13年(大正2)文展に『うつつ』を出品して三等賞。文展、帝展の審査員となる。『芳(ほうけい)』などに装飾画風を示したのち、昭和時代には海や山に多く取材し、『東海旭光(とうかいきよくこう)』『耕到天(こうとうてん)』などに豪放で華麗な近代油彩画境を完成した。24年帝国美術院会員、34年(昭和9)帝室技芸員となり、37年には第1回文化勲章を受け、帝国芸術院会員となった。昭和18年3月19日脳溢血(のういっけつ)により東京で死去。

生年月日:1867年10月15日

出身地:鹿児島県 鹿児島市

代表作/所蔵:

『蝶』1904年(明治37年)個人蔵

『黒扇』 1909年(明治42年 )ブリヂストン美術館所蔵

『芳蕙』(1926年)個人蔵

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「黒扇」出典元:http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

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「耕倒天」出典元:http://www.ohara.or.jp/


青木繁

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出典元:https://upload.wikimedia.org/

明治の天才的な洋画家・青木繁は明治15年(1882)久留米市荘島町の生まれ。同級生の坂本繁二郎とともに九州を代表する画家として有名です。明治36年(1903)の東京美術学校(現・東京芸大)時代には、「黄泉比良坂」他の作品が第8回白馬会展の白馬賞を受賞。名作「海の幸」に続く「わだつみのいろこの宮」も、文豪・夏目漱石が小説・「それから」の中で称賛するなど、華々しいデビューをしますが、 中央画壇の権威主義を嫌い、父親の死をきっかけに九州に戻ります。そして、そのまま中央画壇には復帰する事もなく、孤独と失意の中で28年間の人生を閉じました。

「海の幸」概要:明治37年、友人の画家・坂本繁二郎、森田恒友、恋人の福田たねとの1ヶ月半の千葉県布良海岸滞在中に描かれた青木の代表作です。この作品が第9回白馬会展に出品されるや、詩人の蒲原有明をはじめ浪漫派の文学者などが共鳴し、青木は一躍時の人となりました。

生年月日:1882年7月13日

出身地:福岡県 久留米市

代表作/所蔵:

自画像(1904年)(東京藝術大学)

天平時代(1904年)(ブリヂストン美術館)

海の幸(1904年)(重要文化財、石橋美術館)

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「海の幸」出典元:http://www.bridgestone-museum.gr.jp/


岡田三郎助

出典元:http://saga-museum.jp/museum/images/%E3%81%AF%E3%81%8C%E3%81%8D%E8%A1%A8.jpg

日本を代表する洋画家。明治2年1月12日佐賀県に生まれ。初め曽山幸彦(そやまゆきひこ)につき、のち黒田清輝(せいき)に外光派の技法を学ぶ。1896年(明治29)白馬会の創立に参加し、新設の東京美術学校西洋画科の助教授となりました。翌年フランスに留学してラファエル・コランに師事、ヨーロッパ各国を見学して、1902年(明治35)帰国し東京美術学校教授となってます。1907年東京勧業博覧会で『某夫人像』が一等賞となり、また第1回文展から審査員を務める。12年、藤島武二(たけじ)と本郷洋画研究所を設立、のち帝国美術院会員、帝室技芸員となり、37年(昭和12)には第1回文化勲章を受けました。1930年の第2回欧州旅行の目的は美術工芸の視察でしたが、早くから工芸、図案などの発展に尽くしていますが、外光主義の風景画と、装飾的女性像に典雅な日本情趣を示しました。代表作『ヨネ桃の林』『あやめの衣』『婦人半身像』ほかがあります。昭和14年9月23日没。夫人の岡田八千代(小山内薫(おさないかおる)の妹)は小説家、劇作家として知られます。

「日本洋画の印象主義」概要:

この新風は,96年,東京美術学校に西洋画科が設けられて黒田がその主任となり,またそれまでの明治美術会に対して黒田を中心とする白馬会が結成されるに及んで大きな力となり,従来の旧派,脂(やに)派に対して,新派,紫派と呼ばれ,その後の日本洋画の中心的傾向となりました。この傾向は,黒田の弟子の岡田三郎助,和田英作(1874‐1959),湯浅一郎(1868‐1931),中沢弘光(1874‐1964),藤島武二らに受け継がれ,青木繁も,一時印象派風の海浜風景を描いています。明治末年になると,南薫(1883‐1950),有島生馬,山下新太郎(1881‐1966)らの新帰朝者たちによってさらに刺激が与えられ,明るい色彩,大きな筆触を特色とする印象派風の外光表現は,日本洋画の確固とした一つの流れとなりました。

生年月日:1869年1月12日・1939年9月23日没(70歳)

出身地:佐賀県

代表作/所蔵:

『矢調べ』1893年(佐賀県立美術館蔵)

『あやめの衣』1927年(ポーラ美術館蔵)

『裸婦』1935年(佐賀県立美術館蔵)

参考サイト:http://saga-museum.jp/museum/

参考サイト:http://www1.saga-s.co.jp/news/saga.0.2652995.article.html

参考サイト:http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3b02.html

「イタリアの少女」出典元http://www.ohara.or.jp/201001/jp/img/C/img_c3/works_c3b_02.gif

岸田劉生

出典元:http://showa-g.org/

大正から昭和初期にかけて活躍した近代日本を代表する洋画家。様々な表現様式を会得しながら辿り着いた、無骨な写実的描写によって対象に宿る深い精神性を鋭く見抜き表現する独自の絵画様式を確立し、『道路と土手と塀(切通しの写生)』や『麗子微笑(青果持テル)』など後に重要文化財となる作品を始めとした西洋式絵画を手がけています。1891年6月23日、明治時代を代表する新聞記者・教育者・実業家のひとりである岸田吟香と妻の勝子の第九子(四男)として銀座で出生。東京高等師範学校付属の小学校・中学校に通いながら中学時代から独自で絵画を学びました。1905年の父の死をきっかけに、翌年キリスト教に入信し洗礼を受け、熱心な信者となっています。このキリスト教への入信は画家の作品に少なくない影響を与えたと言えます。1908年、本格的に絵画を学ぶ為に白馬会葵橋洋画研究所に入り、当時画壇を先導していた洋画家・黒田清輝に師事しながら外光派の表現を会得。この頃、刊行された文芸誌・美術雑誌『白樺』を1911年から愛読し始め、翌年には白樺派の武者小路実篤や柳宗悦、英国の陶芸家バーナード・リーチらと交友を重ねています。この『白樺』と周辺の人物達との出会いは画家の表現を劇的に変化させる最も大きな要因となり、後期印象派(ポスト印象派)の画家たち、特にポール・セザンヌやフィンセント・ファン・ゴッホに絶大な影響を受け、この頃の作品は、むしろ模倣に近いものでした(画家自身、「露骨にそのような描き方をした」と述べている)。1912年、詩人・高村光太郎、画家の萬鉄五郎らとヒュウザン会を結成、同年におこなわれたヒュウザン会主催の展示会に自身の作品を14点、翌年の展示会に19点の作品を出品。1913年、同会の解散や小林蓁との婚姻を経て、ルネサンス芸術やバロック様式などの絵画、特にドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーの表現手法に感化され、翌年に手がけた作品には写実的表現への傾倒が顕著に示されています。以後、(画家自身の言葉によると)古典的絵画表現の影響を受けながら自身の様式を模索・形成していきました。また1918年(大正7年)に娘・麗子をモデルとした最初の作品『麗子五歳之像(麗子肖像)』を完成させています。1929年(昭和4年)、生涯一度の海外(大連・奉天・ハルビン)へ旅立つものの、帰国後に滞在先の(田島一郎の教理)山口県徳山で胃潰瘍と尿毒症を併発、同地で死去。享年38歳。

生年月日:1891年6月23日

出身地:東京都

代表作/所蔵:

「道路と土手と塀(切通之写生)」(1915年東京国立近代美術館)(重要文化財)

「麗子微笑」(1921年東京国立博物館)(重要文化財)

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「道路と土手と塀」出典元:http://www.momat.go.jp/

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「麗子像」出典元:http://www.tnm.jp/

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「童女舞姿」出典元:http://www.ohara.or.jp/

 

≪次ページ・パート2.もご覧ください≫

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