現代彫刻家列伝


現代彫刻家列伝

高村光太郎、イサムノグチと言った巨匠の軌跡をたどる彫刻家がいます。ご紹介します「現代彫刻家列伝」です。「流政之」「安田侃」「新宮晋」「長沢英俊」「澄川喜一」「松田重仁」「遠藤利克」「小堤良一」「小畑多丘」「三島喜代美「奥村信之」「酒井恒太」。

「流政之」

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出典元:http://akabirakankoukyoukai.jp/imgs/sightseeing/cho-koku_park/main_photo.jpg

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「雲の砦」出典元:http://www.sankei.com/images/news/150604/lif1506040011-p1.jpg

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「サキヤマ」出典元:http://akabirakankoukyoukai.jp/imgs/sightseeing/cho-koku_park/item01.jpg

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「アトヤマ」出典元:http://akabirakankoukyoukai.jp/imgs/sightseeing/cho-koku_park/item02.jpg

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「ピリカ」出典元:http://akabirakankoukyoukai.jp/imgs/sightseeing/cho-koku_park/item10.jpg

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出身地・生年月日:長崎県長崎市/1923214日生まれ

プロフィール:

1923長崎県に生まれ、幼少時代は東京で過ごす。1936年京都に移り、1942立命館大学法文学部へ進学。その後中退し、海軍予備学生出身の零戦搭乗員として終戦を迎えます。13歳の頃、京都の町方で父である中川小十郎のもとで教育を受け、剣法、古流武道を教え込まれました。それがきっかけで後に刀鍛冶の門を叩き、彫刻の道へとつながったと言えます。1943年には海軍飛行科予備学生としてゼロ戦パイロットとなりますが、戦後は敗戦の日本の姿を確かめるため東京から下関まで倒れた墓を起こしながら放浪を続けました。アカデミズムと権力主義をことさら嫌い、日本芸術大賞さえもなかなか受け取らなかったエピソードも残っています。

流政之は日本よりも海外で早くから認められた彫刻家です。米国で活躍した世界的建築家、エーロ・サーリネンや著名な富豪が流の作品を購入。作品はニューヨーク近代美術館にコレクションされました。1964年からアメリカで本格的に始動すると“サムライアーティスト”と呼ばれ人気を得ました。2001年の米中枢同時テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル前広場にあった「雲の砦」(75年)は代表作として知られています。ツインタワーと呼応する双子のピラミッド状の造形で、幅10メートル、重さ約250トンもの大作は当時世界最大級の石の彫刻でした。ビル崩壊後も作品は奇跡的に無事だったのですが、救助活動の重機を運び込むために壊されまた。それでも「創作者は常に前向きにならなければならない」と流はいう。2004年、札幌市の北海道立近代美術館にオリジナルの半分のサイズの「雲の砦Jr.」を設置。本展では、それよりも一段と小さい幅40センチの小品が展示されました。黒御影石製で、シャープな線の強さの中にも空に飛翔するような軽やかさを持ち、厳しさとしなやかさ、そしてエロチック。展示された作品群はいまだに多様なイメージを喚起させてくれます

代表作(所蔵):

「鳥追い」1960年東京文化会館

「さび地蔵」1960サンディエゴ美術館

「はためき」1961年サンディエゴ美術館

「伝心」1965年サンフランシスコ美術館

「均」1965ロサンゼルス美術館

「前進」1967ミネソタ美術館

「バチ」1973年サンディエゴ美術館

「風の城」1974年国立国際美術館

「南蛮えびす」1977十八銀行長崎本店(長崎県長崎市)

「風の旗」1980ケルン東亜美術館ドイツ

「サキモリ」1993ホノルルアカデミーオブアーツ

「バチ」2006セントルイス大学

受賞歴:

日本建築学会賞(作品)1962「大分県庁舎」

日本芸術大賞1974

中原悌二郎賞1978

吉田五十八賞1983

長野野外彫刻賞1994

鳥取県景観大賞1995


「安田侃」

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出典元:http://www.kan-yasuda.co.jp/profile/img/profile_img.jpg

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「意心帰・洞爺湖畔」出典元:http://www.kan-yasuda.co.jp/works/public/img/007_00.jpg

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「回生・洞爺湖畔」出典元:http://www.kan-yasuda.co.jp/works/public/img/005_00.jpg

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「相響・札幌」出典元:http://www.kan-yasuda.co.jp/works/public/img/020_00.jpg

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「ガラチーコ・スペイン」出典元:http://www.kan-yasuda.co.jp/works/public/img/030_00.jpg

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「多光・イタリア」出典元:http://www.kan-yasuda.co.jp/works/public/img/032_00.jpg

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出身地・生年月日:美唄市/1945年生まれ

プロフィール:

1945年北海道美唄市生まれ。東京芸術大学大学院彫刻科修了後、70年イタリア政府招へい留学生として渡伊。ローマ・アカデミア美術学校でペリクレ・ファッツィーニ氏に師事。以降、大理石の産地として知られる北イタリアのピエトラサンタにアトリエを構え、大理石とブロンズによる彫刻の創作活動を続けている。大理石ブロンズによる彫刻を中心とした作品が多く、特に野外彫刻作品は緩やかな曲線と量感のある形態をもち、北海道はもとより、東京酒田市イタリアミラノフィレンツェオーストラリアイギリスなどに設置されている。現在イタリアを主に活動中。出身地である美唄市にもアトリエを持つ。美唄市の野外彫刻公園「アルテピアッツァ美唄」では、閉山になった炭鉱の学校跡地に大理石やブロンズの作品が展示されています

代表作(所蔵):

「妙夢」「天泉」「意心帰」など多数

受賞歴:

1992 42回芸術術選奨文部大臣新人賞
1994 国際彫刻展賞(イタリア)
1995 世界のピエトラサンタ賞(イタリア)
2001 プッチーニ財団、プッチーニ特別賞(イタリア)
2002 第九回 井上靖文化賞
第十五回 村野藤吾賞(対象作品アルテピアッツァ美唄) 
詩のアルピ・アプアーネ特別賞(イタリア)
2003 トスカーナ州特別賞(イタリア)
2006 イタリア連帯の星勲章、コッメンダトーレ章(イタリア)
2009 伊日財団主催、Japan Awards
2010 64回 北海道新聞文化賞 (社会部門)
プッチーニ財団、ジャコモ・プッチーニ賞(イタリア)
平成22年度文化庁長官表彰
2013 北海道文化賞
2015 北海道功労賞

「新宮晋」

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出典元:http://susumushingu.com/img/prof/pho_susumu-1.jpg

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「風の贈り物1985」出典元:http://susumushingu.com/img/work/1985_s.jpg

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「生命の響き1999」出典元:http://susumushingu.com/img/work/1999_s.jpg

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「太陽の木2006」出典元:http://susumushingu.com/img/work/2006_s.jpg

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「遠い空2012」出典元:http://susumushingu.com/img/work/2012_s.jpg

公式サイト:http://susumushingu.com/

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出身地・生年月日:豊中市/1937713生まれ

プロフィール:

新宮 晋(しんぐう すすむ )は風や水で動く彫刻で世界的に知られる日本の彫刻家。イタリア滞在中に絵画からレリーフ作品、さらに立体作品へと分野を変えたが、帰国後の作風は「動く立体作品」で一貫している。高さ数メートルのスチール製の彫刻も多く、屋外に展示されているものも多い。風や水で動いたり、光を巧みに取り入れることで、自然との一体感を生む作品に特徴がある。「空気の専門家」の異名がある。近年では「キッピスと仲間たち」や「ウィンドキャラバン」など、地球のすばらしさや大切さを表現する企画に熱心に取り組む。舞台演出、絵本の執筆など多彩な活動を行っている。

代表作(所蔵):

「遠い空」ニューヨーク、メルセデス・ハウス

「星のコンパス」美ヶ原高原美術館

「水の木・星の立像」青野ダムサイト公園

「波の翼」尾道市島ごと美術館

「風景の記憶」仙台市

「太陽の木」フランス

受賞歴:

4回吉田五十八賞(建築関連美術の部)(1979年)

8回現代日本彫刻展で国立国際美術館賞(1979年)

8回長野市野外彫刻賞(1980年)

18日本芸術大賞1986年)

6回ヘンリー・ムーア大賞展特別優秀賞(1989年)

兵庫県文化賞(1994年)

大阪芸術賞1995年)

43毎日芸術賞特別賞(2002年)

紫綬褒章2002年)

20回現代日本彫刻展大賞(2003年)

4回円空大賞(2007年)

旭日小綬章2010年)


「長沢英俊」

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出典元:http://logo-imagecluster.img.mixi.jp/photo/comm/15/89/671589_240.jpg

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「李白の家・1982」出典元:http://open-air-museum.org/wp/wp-content/uploads/2013/05/5f81b65d9abc81e94a7b3c5b5167dfb8-400×430.jpg

H.Nagasawa, "Albero di farfalle", 2008

「蝶の木・2009」出典元:http://www.ar-ri-vi.org/programmazione/immagini/20090204/01.jpg

公式サイト:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考サイト:http://mixi.jp/view_community.pl?id=671589

参考サイト:http://open-air-museum.org/inside_art_works/inside_art_works-780

参考サイト:http://www.ar-ri-vi.org/programmazione/archivio/20090204.html

出身地・生年月日:中華人民共和国牡丹江市19401030日生まれ

プロフィール:

父親が日本軍の軍医として勤務していた満州国牡丹江省東寧(トウネイ―現在の中国吉林省東寧・トンニン)で生まれました。1945の敗戦時、ソ連軍が満州に侵攻してきたため、長澤と家族は、突然の引揚げを余儀なくされました。助産婦だった母親の実家のある埼玉県比企郡川島郷三保谷村(現在の川島町)に定住した長澤は、県立川越高校時代に数学と絵画に傾倒し、多摩美術大学に進学してからは1963の卒業まで、建築とインテリア・デザインを学ぶかたわら、空手と徒歩旅行に打ち込みます。その間、東京上野で毎年開催されていた読売アンデパンダン展などをとおして「グタイ」、「ネオダダ」など当時最先端の前衛動向に親しく接し、芸術の本質が物質・物体に記録されなくても行為と精神に宿るものであることを理解しました。1966、半年前に結婚したばかりの長澤は、世界的視野の中で芸術家になることを決意し、500ドルと自転車のみをもって単身、ユーラシア横断の旅に出ますタイシンガポールインドパキスタンアフガニスタンイランイラクシリア等、アジア中近東の諸地域でさまざまな文化遺産、習俗、宗教、生活との接触を重ねた末、トルコにたどり着き、たまたまラジオから流れるモーツァルトの音楽を耳にしたとき、自分がすでに西洋的な文物への親近感をどれほど多く身に着けていたかを実感したと述懐しています。それはまた、文化や宗教の多様性を尊重しつつも、相接する民族と文化の間では相違よりも類似の方が大きいとみる、のちのちまで持続する信念を彼に刻み込んだ体験でもありました。その後、ギリシャを経てブリンディジからイタリアに入った長澤は、各地の美術館や名跡をしらみつぶしに見て回り、19678月、ミラノにたどり着いた時点で旅の中断を余儀なくされ、またその地の世態人情に感じるところもあって、ヨーロッパの最西端まで行くはずの計画に終止符を打ちます。満州からの引揚げ以来、学生時代の徒歩による日本国内行脚から、ミラノまでの伝説的なユーラシア横断行へと、長澤の幼年期・青年期を彩った旅は、それ自体が時間と空間に生きる自身の存在の意味に対する彼の絶えざる問いかけの行動であったと思われますが、旅はまた、芸術することの意味を掘り下げて止まない彼の作品行為の一つ一つに刻まれて、その後の制作を色濃く性格づけることになりました。

ほどなくミラノ郊外のセスト・サン・ジョヴァンニのアパートに拠点を得た長澤は、その地でエンリコ・カステッラーニ、ルチアーノ・ファブロ、マリオ・ニグロ、アントニオ・トロッタら優れた芸術家たちと知的・芸術的な交友関係を結び、日本から呼び寄せた妻公子との間に2児(竜馬、妙)をもうけました。とりわけファブロとは、評論家で美術史家のヨーレ・デ・サンナも交えて、1979にミラノ市内に若い芸術家たちの交流・研鑽の場となる「芸術家の家」を共同で設立するなど、長澤がミラノ中心部のブラマンテ通りに居を移した後も、生涯の交わりを持ちました。長澤がミラノに定着した1967年からの数年間、イタリアは政治的動揺のさなかにあり、美術界ではファブロもその一員に数えられるアルテ・ポーヴェラの動向が国際的な注目を集めた時期でした。しかし、長澤はその動向の至近距離に位置していながらも、いかなる党派、運動にも加担せず、単独で自身の芸術的課題を掘り下げてゆき、多くの個展・グループ展参加をイタリアとヨーロッパ各地で展開。1990年から2002年まで、ミラノのヌオーヴァ・アッカデミア・ディ・ベッレ・アルティ(NABA)で諸外国からやってくる芸術志望の若者たちを熱心に指導しました。また2004からはミラノの国立ブレラ美術アカデミーと東京の多摩美術大学で客員教授を務めています

代表作(恒久設置作品):

~海外~

金の舟の部屋≫ (1989年、シチリア島)

イッペルウラーニオ≫(1996年、チェレ)

銀梅花の庭≫(1997年、トルトーリ)

エーベの庭≫(2000年、ブリジゲッラ)

茶室の庭≫(2001年、チェルタルド)

平和のための庭≫(2006年、カザラーノ)

反転の庭≫(2008年、クァッラータ)

~日本国内~

つくばセンタービル前庭の≪樹≫(1983年)

新宿アイランドの≪プレアデス≫(1994年)

東京ビッグサイトの≪七つの泉≫(1995年)

東京・足立区役所の≪オーロラの向う所≫(1996年)

長野市南長野運動公園の≪稲妻≫(2004年)

宇部市常盤公園の≪メリッサの部屋≫(2005年、のち市内真締公園に移設)

多摩美術大学八王子キャンパスの≪ティンダリ≫(2007年)

≪次ページパート2.≫もご覧ください

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