現代日本画の巨星たち/2016年3月28日修正更新版


現代日本画の巨星たち

これまで「日本画の画家系譜」「浮世絵師の系譜」と言うシリーズをご紹介しましたがシリーズ最終版としてご案内します、「現代日本画の巨星たち」です。

 

伊東深水

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出典元:https://www.adachi-museum.or.jp/

生年月日・出生地:明治31年2月4日東京生まれ。

プロフィール:

日本画家、版画家。東京・深川の商家に生まれ、本名は一(はじめ)。1911年(明治44)鏑木清方に入門、翌年から巽画会、日本美術院展に出品、入選する。16年(大正5)版元渡辺庄三郎の主唱する画家・彫師・摺師三者分業の「新版画」運動に参加、当時流行の創作版画運動とは別に、浮世絵以来の木版画の伝統を創造的に継承してみせた。『対鏡』(1916)、『新美人十二姿の内』(1922~23)などの美人版画のほか、風景版画にも『近江八景』(1917)のような傑作を生んでいる。また、日本画においては、好子夫人をモデルに描いた『指』(1922)、『湯気』(1924)により美人画家としての声価を定着、昭和期に入って、帝展、日展の中心画家として活躍した。第11回帝展(1930)出品の『浄晨(じょうしん)』(目黒雅叙園蔵)、第6回日展(1950)出品の『聞香(もんこう)』(東京国立近代美術館)など、つねに時代の推移を反映した現代風俗の美人画を追求、58年(昭和33)日本芸術院会員となる。

代表作:

『対鏡』 木版(1916年) 東京国立近代美術館所蔵

『遊女』 木版(1916年) 東京国立近代美術館所蔵

『明石の曙』 木版(1916年) 東京国立近代美術館所蔵

『聞香』 絹本着色 (1950年) 東京国立近代美術館所蔵

『清方先生像』 絹本着色 (1951年) 東京国立近代美術館所蔵

『姿見』 絹本着色 城西大学水田美術館所蔵

『大島婦女図』 紙本着色 熊本県立美術館所蔵

『月夜図』 紙本着色 熊本県立美術館所蔵 など

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「夢多き頃」出典元:https://www.adachi-museum.or.jp/


岩橋英遠

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出典元:http://www.city.takikawa.hokkaido.jp/

生年月日・出生地:明治36年1月12日北海道生まれ。

プロフィール:

日本画家。北海道出身。本名英遠(ひでとお)。1924年(大正13)山内多門に師事。34年(昭和9)院展に初入選、37年に日本美術院院友に推挙された。45年(昭和20)に改めて安田靫彦(ゆきひこ)の門に入り、50年、51年と続けて日本美術院賞を受賞、53年同人に推された。自然の壮大な景観や現象を幻想的に表出する画風は独特のもので、59年の院展で文部大臣賞を受けた『蝕』をはじめ『神々とファラオ』『暎(えい)』『彩雲』『虹輪』などがよく知られている。58年から70年まで東京芸術大学で教鞭をとり、72年日本芸術院賞を受賞した。東京芸術大学名誉教授。94年(平成6)文化勲章受章。

代表作:

『壁』(1955年、東京国立近代美術館蔵)

『蝕』(1959年、東京国立近代美術館蔵)

『鴇』(1960年、東京国立近代美術館蔵)

『道産子追憶之巻』(1978-82年、北海道立近代美術館蔵)

『懸泉』(1972年、山種美術館蔵)

『双狗』(1976年、山種美術館蔵)

『カムイヌプリ』(1977年、山種美術館蔵)

『暎』(1977年、山種美術館蔵)

『彩雲』(1979年、北海道立釧路芸術館蔵)

『北の海(氷)/(陽)』(1980年、山種美術館蔵)

『翔鶴』(1980年、メナード美術館)

『雲のある溪谷』(1986年、山種美術館蔵)

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「暁雲2」出典元:http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/

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「暁雲1」出典元:http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/

iwahashi_05[1]

「記録1」出典元:http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/


加山又造

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出典元:http://itpack.week.co.jp/

生年月日・出生地:昭和2年9月24日京都生まれ。

プロフィール:

日本画家。1949年(昭和24)東京美術学校を卒業、山本丘人(きゅうじん)に師事。創造美術展、続いて新制作展に出品し、53年から3年連続して新作家賞を受賞、56年に新制作協会会員になる。58年にグッゲンハイム美術賞展で受賞。73年には日本芸術大賞を受けた。翌年、創画会創立に加わって会員に。また1966年から多摩美術大学教授、88年からは東京芸術大学教授として後進を指導した。自然や動物を装飾化して心象をにじませる作風から出発し、現代的な女性美、光琳風の構成美など「現代の琳派」と称され、新たな表現を求めて変貌を重ねた。また、水墨画にも意欲を示し、1984年山梨県・身延山久遠寺大本堂に天井画『墨龍』と水鳴楼の襖絵16面を、97年(平成9)には京都市・天龍寺法堂に天井画『雲龍』を完成させた。同年文化功労者、2003年文化勲章受章。東京芸術大学名誉教授。平成16年4月6日死去。

代表作:

「春秋波濤」(1966) 東京国立近代美術館

「雪」「月」「花」(1978) 東京国立近代美術館

「黄山霖雨・黄山湧雲」(1982) 京都国立近代美術館

「横たわる裸婦 ’84(黒衣)」(1984)

「墨龍」 身延山久遠寺大本堂天井画

「濤と鶴」 ブリティッシュ・エアウェイズワールドイメージ尾翼デザイン

「雲龍図」霊亀山天龍資聖禅寺(天龍寺)法堂天井画(1997)

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「千羽鶴」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/

S0161031[1]

「月と犀」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/

S0011020[1]S0011021[1]

「春秋波濤」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/


小倉遊亀

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出典元:http://image.rakuten.co.jp/

生年月日・出生地:明治28年3月1日滋賀県生まれ。

プロフィール:

日本画家。旧姓溝上。滋賀県大津に生まれる。1917年(大正6)奈良女子高等師範学校国語漢文部を卒業後、しばらく教壇に立ったのち、安田靫彦に師事する。1926年第13回院展に『胡瓜』が初入選、28年(昭和3)に日本美術院院友、32年同人に推された。38年小倉鉄樹と結婚したが44年に死別した。古典を基礎に、大胆でおおらかな構成と、さわやかな情感がにじむ画風を築いて今日に至っている。初期では『浴女』、第二次世界大戦後では『O夫人坐像』『月』『良夜』『越(コー)ちゃんの休日』『舞妓』『姉妹』などがよく知られている。1976年(昭和51)女性では上村松園に次いで日本芸術院会員に推された。80年に文化勲章を受章。90~96年日本美術院理事長。晩年、一時体調を崩したものの、105歳で亡くなるまで制作を続けた。

代表作:

「浴女」(1938年、東京国立近代美術館蔵)

「受洗を謳う」(1936年、滋賀県立近代美術館蔵)

「観世音菩薩」(1941年、滋賀県立近代美術館蔵)

「舞妓」(1969年、京都国立近代美術館蔵)

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出典元:http://archive.momat.go.jp/

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「浴女」出典元:http://archive.momat.go.jp/


工藤甲人

生年月日・出生地:大正4年7月30日青森県生まれ。

プロフィール:

日本画家。1934年(昭和9)に上京し、川端画学校で学んだ。1939年、第2回新美術人協会展に出品、福田豊四郎らが組織する研究会に加わり、その指導を受けた。1940年に応召、1945年に復員。1950年(昭和25)の創造美術展に入選し、翌年と1956年の新制作展で新作家賞を受賞。1964年の現代日本美術展で『地の手と目』が優秀賞を受けた。この年、新制作協会会員となり、1974年創画会の結成に加わった。1971年東京芸術大学助教授、1978年教授となり、1983年同校を退官。風景を幻想味豊かに描き、画面に心象ののぞく作風は独特である。

代表作:

「地の手と目」1964年

「蝶の階段」1967年平塚市美術館

「残憬図」1986年平塚市美術館

「示現」 紙本・彩色・額(1面)116.5×79.9cm 1976年 など

D[1]

「秋の蝶」出典元:http://www.aomori-museum.jp/

A[1]

「夢と覚醒」出典元:http://www.aomori-museum.jp/

B[1]

「北海のアフロディーテ」出典元:http://www.aomori-museum.jp/


杉山寧

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出典元:http://www.holbein-artistnavi.com/

生年月日・出生地:明治42年10月20日東京生まれ。

プロフィール:

日本画家。東京生まれ。1933年(昭和8)東京美術学校日本画科を卒業。松岡映丘に師事する。在学中から頭角を現し、32年の帝展に出品した『磯』が特選になった。34年、映丘門下の山本丘人らと瑠爽(るそう)画社を結成して研究を積むが、38年の同社解散のころから結核に悩み、第二次世界大戦後まで活動を控えなければならなかった。51年(昭和26)日展の委嘱となってふたたび活動を始め、57年には前年の日展の『孔雀』によって日本芸術院賞を受賞した。翌58年、社団法人に改まった日展の評議員。62年から翌年にかけてエジプト、ヨーロッパを巡歴し、64年の新日展にその成果『穹(きゅう)』を発表した。70年に日本芸術院会員にあげられ、74年には文化勲章を受章。理知的な構図と清新な色調を特色とする。

代表作:

「磯」(1932年)

「野(の)」(1933年)(東京藝術大学大学美術館)

「穹(きゅう)」(1964年)(東京国立近代美術館)

「孔雀」(1957年)

「洸(こう)」(1992年)(ポーラ美術館)

杉山寧『孔雀』[1]

「孔雀」出典元:https://www.art-information.ne.jp/

杉山寧『水』[1]

「水」出典元:https://www.art-information.ne.jp/

 

≪次ページ・パート2.もご覧ください≫

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