現代日本画の巨星たち/2018年7月更新

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千住博

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出典元:http://www.senju-museum.jp/

生年月日・出生地:1958年1月7日東京生まれ。

プロフィール:

1958年1月7日東京都杉並区和泉町で、工学博士の千住鎮雄と、エッセイストの千住文子の長男として生まれる。当時、父が学位論文を書き終えたときだったので、博士の博をとって名付けられた。3、4歳の頃から家中の壁や襖をキャンバスにして絵を描いていた。幼稚園の頃はピアノを習い、また小学校受験勉強として塾で絵の勉強を始める。1970年慶應義塾普通部(中学)に進学。美術部、水泳部などに所属。絵は好きだったが、当時は画家やマンガ家になるつもりはなく、その気持ちは高校に進学してからも変わらなかった。慶應義塾高等学校時代のある日、所属していた美術部の部室に先輩が持ち込んだデザイン雑誌を目にし、永井一正、田中一光など日本発のグラフィックデザインに衝撃を受ける。同時期、建築の世界にも興味を持ち始め、美術系の大学へ進学することを決意する。1978年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に入学。1982年東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。

同大学院へと進み、1984年、修士課程修了作品「回帰の街」が首席で大学の買上げとなり、どんな苦労をしても画家としてやっていこうと心に誓う。同大学院博士課程へと進み、稗田一穂に師事。博士課程修了作品が東京大学買上げとなる。 卒業とともに作品を精力的に発表し始める。この時期、筆一本で生活できるようになるまで河合塾で予備校の講師をしていた。大学卒業後の80年代後半は、主として風景をモチーフにして絵を描く。1998年、大徳寺聚光院別院全襖絵の制作を大徳寺聚光院から依頼される。どんなに時間がかかってもいいから、と三十代のまだ若い作家に依頼する聚光院の姿勢に恐れ入ったと語っている。2003年、大徳寺聚光院別院のために描いた襖絵が「大徳寺聚光院の襖絵展」として東京国立博物館で日本で公開された。制作の様子はNHKテレビ「77面の宇宙」として放映された。2011年、軽井沢千住博美術館がオープン。

代表作:

『ウォーターフォール』1995年 ヴェネツィア・ビエンナーレ出品

『大徳寺聚光院伊東別院襖絵』(計77面) 2002年

『石橋』「ザ・フォールズ」2006年

『空の庭』2009年 家プロジェクト

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「ナイトフォール」出典元:http://images.hiroshisenju.com/


高山辰雄

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出典元:http://www.city.oita.oita.jp/

生年月日・出生地:明治45年6月26日大分県生まれ。

プロフィール:

日本画家。大分市生まれ。東京美術学校で松岡映丘に学び、1936年(昭和11)に卒業。37年に瑠爽(るそう)社、41年に一采(いっさい)社を結成する。46年の『浴室』、49年の『少女』で日展特選。以後も日展に出品を続け、53年から審査員、評議員、理事を経て、75年に日展理事長となる。60年に『白翳(はくえい)』で日本芸術院賞、70年には日本芸術大賞を受賞。72年芸術院会員となる。73年、日月星辰(じつげつせいしん)展を開催。79年文化功労者となり、82年には文化勲章を受章した。

代表作:

「砂丘」(1936)(東京藝術大学)

「浴室」(1946)(大分県立芸術会館)

「食べる」(1973)(大分県立芸術会館)

「日」(六曲屏風)(1985)

「月」(六曲屏風)(1985)(成川美術館)

「赤い服の少女」(1997)(康耀堂美術館)

「二人」(1997)(康耀堂美術館)

「草原の朝」(2001)(康耀堂美術館)

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「朝」出典元:http://www.city.oita.oita.jp/

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「夜明け」出典元:http://www.city.oita.oita.jp/


東山魁夷

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出典元:http://www2.plala.or.jp/

生年月日・出生地:明治41年7月8日横浜生まれ。

プロフィール:

日本画家。明治41年7月8日横浜に生まれる。本名新吉。1931年(昭和6)東京美術学校を卒業して研究科に進み、33年から35年までドイツに留学。47年(昭和22)の第3回日展で『残照』が特選。50年から審査員となり、第11回日展出品作『光昏(こうこん)』で56年に日本芸術院賞を受ける。65年には日本芸術院会員、日展理事となり、69年に文化勲章を受章。74年に日展理事長となった。この間、60年に東宮御所壁画『日月四季図』、68年には皇居新宮殿壁画『朝明けの潮』を完成させ、翌年毎日芸術大賞を受ける。また73年から唐招提寺御影堂障壁画の制作に携わり、81年にこれを完成させた。87年に所蔵していた自作を長野県に寄贈。90年(平成2)には、同県にそれらを所蔵した長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館した。文章をよくし、『わが遍歴の山河』『風景との対話』など著書多数があります。平成11年5月6日死去。

代表作:

『残照』(1947年、東京国立近代美術館収蔵)

『道』(1950年、東京国立近代美術館収蔵)

『光昏』(1955年、日本芸術院収蔵)

『青響』(1960年、東京国立近代美術館収蔵)

『曙』(1968年、財団法人北澤美術館収蔵)

『年暮る』(1968年、山種美術館収蔵)

『花明り』(1968年、個人所蔵)

『白馬の森』(1972年、長野県信濃美術館・東山魁夷館収蔵)

『濤声』『山雲』『黄山暁雲』(1975年、唐招提寺障壁画)

『朝明けの潮』(1968年、皇居新宮殿壁画)

『夕星』(1999年、長野県信濃美術館東山魁夷館蔵) 絶筆

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「道」出典元:http://www.city.ichikawa.lg.jp/

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「月篁(習作)」出典元:http://www.npsam.com/

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「緑響く(ピエゾグラフ)」出典元:http://www.city.ichikawa.lg.jp/


平山郁夫

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出典元:https://www.adachi-museum.or.jp/

生年月日・出生地:昭和5年6月15日広島生まれ。

プロフィール:

日本画家。広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)に生まれる。1952年(昭和27)東京美術学校を卒業。以後前田青邨に師事する。翌年第38回院展で初入選。1964年日本美術院同人となる。1970年同院評議員、1981年同理事、1996年(平成8)理事長となる。また、1973年(昭和48)に東京芸術大学教授となり、1989年(平成1)から同大学学長を2期務める。仏教伝来の淵源を求め、さらに東西文明交流の跡を訪ねて中国、インドから中近東にまで足を伸ばし、その成果を端整で幻想的な一連の作品群として発表し続けている。法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画の再現模写などにも携わった。1998年文化勲章受章。2000年奈良・薬師寺玄奘三蔵院に『大唐西域壁画』を完成させた。壁画は約30年かけて制作、7場面13面で高さ2.2メートル、長さ49メートルに及ぶ。1997年瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館した。

代表作:

『仏教伝来』(1959)(佐久市立近代美術館蔵)

『入涅槃幻想』(1961)(東京国立近代美術館蔵)

『大唐西域壁画』(2000)(薬師寺玄奘三蔵院壁画)

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「求法高僧東帰図」出典元:http://hirayama-museum.or.jp/

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「アンコールワットの月」出典元:http://hirayama-museum.or.jp/


福田平八郎

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出典元:http://www.yamatane-museum.jp/

生年月日・出生地:明治25年2月28日大分生まれ。

プロフィール:

日本画家。大分県生まれ。素僊(そせん)、九州と号す。しばしば作品に「馬安」の印を押すが、これは父の馬太郎、母の安の名にちなむもの。京都市立美術工芸学校を経て1918年(大正7)京都市立絵画専門学校を卒業。翌年第1回帝展に『雪』が入選し、以来官展への出品を続ける。21年『鯉』、翌22年『鶴』が特選となり、画壇での地位を確立する。以後しばしば審査員を務める一方、30年(昭和5)中村岳陵、山口蓬春らと六潮会を創立した。第二次世界大戦後は日展で活躍、47年(昭和22)芸術院会員、61年文化勲章受章。作品は初め徹底した写生に基づく緻密な作風を示したが、しだいに装飾的傾向を強め、その明快で大胆な色面構成による画面は、近代日本画のなかで独自の地位をもつ。代表作に『牡丹』(東京・山種美術館)、『漣』『新雪』『雨』(いずれも東京国立近代美術館)がある。

代表作:

「漣」大阪市立近代美術館建設準備室所蔵

「雨」東京国立近代美術館所蔵

「筍」山種美術館所蔵

「新雪」

「鸚哥(いんこ)」

「花の習作」京都国立近代美術館所蔵

「牡丹」山種美術館所蔵

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「漣」出典元:http://www.city.osaka.lg.jp/

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「牡丹」出典元:http://www.yamatane-museum.jp/

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「雨」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/


山本丘人

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出典元:http://www.wbs.ne.jp/

生年月日・出生地:明治33年4月15日東京生まれ。

プロフィール:

日本画家。本名正義。1924年(大正13)に東京美術学校を卒業。松岡映丘に師事し、28年(昭和3)第9回帝展で初入選。以後帝展、新文展に出品し、第二次世界大戦後は日展に出品、審査員を務めるが、48年(昭和23)上村松篁、吉岡堅二らと創造美術を結成。51年新制作協会、74年からは創画会へと一貫した出品を続け、64年『入る日』で日本芸術院賞、77年には文化勲章を受けた。代表作に『夕焼山水』『狭霧野』など。44年から51年まで東京芸術大学助教授を務めた。

代表作:

『 少女 』1923年東京芸術大学大学美術館

『 白菊 』1924年東京藝術大学大学美術館

『 到春 』1942年東京国立近代美術館

『 山麓 』1943年東京藝術大学大学美術館

『 北涛 』1955年東京国立近代美術館

『 狭霧野 』1970年東京国立近代美術館

『 残春 』1982年 メナード美術館

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