人生の巡礼画家・堀文子


人生の巡礼画家・堀文子

20176月現在、98歳。挑戦する姿勢を失わない一所不在の日本画家がいます。ご紹介します「人生の巡礼画家・堀文子」です。(*甥御内海信彦氏のFACEBOOK内容に感激された方が多数に上り、筆者も堀文子氏の生きざまを熟知し、その思いに共感いたします。「満州っ子平和をうたう」より堀文子氏の近影として下記の画像を使用させていただきました。)

「生い立ちと就学」

出典元:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/011/959/50/N000/000/013/138959176674582043226_hori4.jpg

出生:191872日旧麴町区平河町生まれ。

永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高等学校)、女子美術専門学校師範科日本画部(現・女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)を卒業。美術系に進学したことを顧みて、堀はインタビューに以下のように語っています。

東京府立第五高女の2年の時、私は自立したかったので何かの仕事で生きていこうと思いました。男女差別のひどい時代でしたから、なりたかった科学者を目指そうとしても、大学に入れなかった時代です。どんなに専門的なことをしようと思っても「女子」と名のつくところじゃないと入れない。そんな時代に育ちましたが、美に関する分野のものはだれにも害を与えないで生きていけると思いました。それで美の周辺で生きようと考えました。≫

また、その決断をした経緯については、

私は重大なことは親に相談したりしません。人のいいなりになると、その後で人のせいにしてしまうからです。自分で分析し、私流に縦軸と横軸をつくって、小学校のときから学校でどういうことが好きだったか、そして、努力をしたかどうかという軸をつくったんです。その結果、いく通りの分析をしても、絵が残りました。私には努力したら、絵を描く能力があるかもしれないと気がついたのは、そうやって自分を分析したからなんです。

「絵画との出会い」1936年~1960

「女子美術大学1935年」出典元:http://www.joshibi.ac.jp/sites/default/files/images/static/history1935_ph01.png

女子美術専門学校に入学し、本格的に絵に取り組み始めた当初から、当時の先鋭的な日本画の動向を受容しながら、身近な動植物や風景を対象に独自の世界を築いて行きます。女子美術専門学校在学中の1938年に第2回新美術人協会展入選。1940年に女子美術専門学校を卒業し新美術人協会会員。『キンダーブック』(フレーベル館)、『ふたば』などで挿画や装幀を描き生計を立て始め、194629歳の時に外交官と結婚するも43歳のときに夫と死別します

「海外への留学」1961年~1966

「仮面と老婆」出典元:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/img/img07.jpg

1961年から1963年にかけ世界放浪の旅へ出、旅の中でアンフォルメルシュルレアリスムの影響を離れ、日本画の持つ色彩や顔料の美しさに回帰することになります。1961年に初めてヨーロッパに渡った堀は、西洋の風土や歴史を見聞する中で、自らの原点が日本の風土にあることを実感します。メキシコでは素朴な生活や風土に共感しつつも自己の立ち位置を確信、従来の日本画にはない表現を模索し独創的な作品を描きます。

「大磯時代」1967年~1978

「夏」出典元:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/img/img08.jpg

ものを創る人間は都市に住んではいけないと感じた堀は、絵画制作に真摯に向き合うべく大磯移住を決意します。周囲の豊かな自然や、親密で身近な対象を、豊かな色彩と力強い造形で描き出しました。さらに1974創画会の結成に参画しています同じく1974年に多摩美術大学日本画科教授に就任。その後、多摩美術大学客員教授として日本画の指導を行います

「軽井沢時代」1979年~1986

1979年軽井沢にアトリエを持ち、大磯と往き来する生活を始めた堀は、浅間山を正面から見渡せるアトリエで、雄大な自然を対象とした風景画の大作を発表しました。70年代から80年代にかけては日本の移ろいゆく四季の表情を端正で繊細な筆致で描写した、風景画の名作が数多く生まれています。

「トスカーナ時代」1987年~1992

「トスカーナの花野」出典元:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/img/img12.jpg

日本での「浮き足だったバブル景気に嫌気がさし」て堀は単身イタリア、トスカーナ地方の都市アレッツォ近郊にアトリエを構えることを決意します。画家68歳の年でした。イタリアでの制作は堀の絵画表現の可能性を更に拡げることとなります。イタリアの風物を色鮮やかに描いた一連の作品からは、何にもとらわれない、画家の自由な精神を見てとることができます。トスカーナ移住を振返ってインタビューで次のような堀らしいコメントを出しています。

亡命しようと思ったんです。でも現地の言葉も話せなければ、よその国で食べてはいけないじゃないですか。日本からお金をいただかなくては動けない。亡命はできなかったので、3カ月ごとに日本に帰ってきて、5年くらい向こうの家庭で暮らしました。70歳近くになって私だけの時間ができました。イタリアの農村を歩き回って、田園の中に一日座り込んで、5年間スケッチをしました。

ふだん日本では見慣れない生活ですから、何もかも描きたくなりました。中世そのままの風景で、向こうからレオナルド・ダビンチが馬に乗ってやってきてもちっともおかしくないような田園がそのままあるんです。イタリアの人たちは、苦難のなかでも自分たちの国土をめちゃくちゃにはしなかったんですね。

「世界流浪時代」1992年~

「ユートピア」出典元:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/img/img17.jpg

1992年、イタリアのアトリエを引き払った堀は、新たな出会いを求め、旅を重ねます。アマゾンの熱帯雨林、メキシコのタスコやマヤ遺跡、ヒマラヤ、ペルーのインカ遺跡などを旅し、旅先での発見や驚きを作品に残しています。

「絵本世界へ」2000年~

「白山吹と雑草」出典元:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/img/img20.jpg

堀文子の探求心と好奇心はとどまるところを知りません。広大な風景からミジンコなどの極小な生き物まで、堀はあらゆる対象に意欲的に挑み、独創的な世界を築いています。一つの場所、表現、対象に安住しない孤高の旅人として、堀は新たな世界を求め、歩み続けています。1950年代から70年代にかけて、堀文子は絵本をはじめ童話の挿絵などを精力的に手がけました。そこには絵本や児童書を通じて、子どもたちに最高のもの、立派なものに触れてほしいという思いが込められており、やさしい色遣いで描かれた詩情あふれる世界が繰り広げられています。絵本『くるみわりにんぎょう』は1972年、第9回イタリア・ボローニャ国際絵本原画展でグラフィック賞を受賞しました。堀文子はまた、女子美術専門学校卒業後、東京帝国大学農学部作物学研究室で約2年間記録係を務めましたが、微細に植物を観察しそれらを緻密にスケッチするという経験は、その後の制作におけるひとつの礎となったと思われます。本章では、絵本や挿絵の仕事、スケッチ等を展示し、画家堀文子のもうひとつの世界に迫ります。

「略歴」

1918年東京に生まれる
1940
年女子美術専門学校(現:女子美術大学)卒業
1952
年第2回上村松園賞受賞
1961
年エジプト・ギリシャ・ヨーロッパ・アメリカ・メキシコを巡る(~’64年)
1972
年イタリア・ボローニャの第9回国際絵本原画展で絵本『くるみ割り人形』がグラフィック賞受賞

1974年多摩美術大学教授となる。(のち客員教授。~’99)
1975
年トルコ・イラン旅行
1987
年イタリア・アレッツォ郊外にアトリエを持つ(~’92年日本とイタリアを往来)・36回神奈川県文化賞受賞
1992
年イタリア・アレッツォでピエロ・デッラ・フランチェスカ没後500年を記念した堀文子日本画展開催

1994年堀文子展(愛知・名都美術館)開催(同’02 ’06 ’12年開催)・堀文子展(箱根・成川美術館)開催(同’01 ’04 ’06 ’11年開催)
1995
年アマゾン、メキシコのタコス・マヤ遺跡の取材旅行
1998
年ペルーを取材旅行
1999
年ヒマラヤ山麓を取材旅行
2004
年堀文子展(ニューオータニ美術館)07年にも開催・雑誌『サライ』(小学館)にて「命といふもの」連載開始
2007
年高島屋堀文子展画業70年自然と共に生きて(日本橋店・京都店・大阪店・横浜店巡回)
2010
年堀文子展いつくしむ命(神戸御影・香雪美術館)開催・堀文子展(神奈川・平塚市美術館)開催
2011
年堀文子展華々しい収穫のとき(三重県立美術館、南砺市立福光美術館)開催・女子美術大学名誉博士号取得
2012
年堀文子展-命の不思議-(長野県信濃美術館)開催・-孤高の旅人-堀文子展(山形・酒田市美術館)開催
2014
年福島空港旅客ターミナルビル陶板レリーフ「ユートピア」完成・ 堀文子展(浜松市秋野不矩美術館)開催
2015
年堀文子一所不住・旅展(兵庫県立美術館)開催
2016
年「白寿記念堀文子展2016・・・現在」(ナカジマアート)
’97
年~現在まで、ほぼ毎年ナカジマアートで個展を開催している。

「主な作品一覧」

1950年「月と猫」個人所蔵

1952年「高原」中央大学所蔵

1955年「山の思い出」個人所蔵

1956年「ピップとちょうちょう」宮城県美術館所蔵

1960年「霧の野」東京国立近代美術館所蔵

1966年「仮面と老婆」個人所蔵

1967年「夏」兵庫県立西緑台高校所蔵

1988年「冬野の詩」個人所蔵

1990年「トスカーナの花野」個人所蔵

2001年「幻の花ブルーポピー」

2001年「葉切り蟻の行進」個人所蔵

2001年「ユートピア」個人所蔵

2003年「アフガンの王女」個人所蔵

2008年「幼生達の集い」個人所蔵

2010年「鶴が渡る、ヒマラヤを越えて」

2010年「花籠」

2014年「白山吹と雑草」個人所蔵

「堀文子関連著作物」

「私流に現在を生きる」出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61u8UZJCp4L.jpg

2015年中央公論社刊・97歳にしてなお新作を発表し続ける日本画家・堀文子。ただ心動かされるものだけを描いてきた来し方といまの思いを綴る。

「堀文子画文集・トスカーナの花野」出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61BDYR6GRHL.jpg

1991JTB刊・トスカーナのなだらかな丘とその頂にある村や城。丘をめぐる木々。春霞の立つ野道には、犬のふぐり、たんぽぽ、すみれ、大きなつくし。まどろむような春野は、まるで天上の花園のようであった。―田園のヴィラに暮す感動と蘇生の喜びを綴る。「花」「季」「径」に続く新境地の画文集第四集。

「堀文子画文集・命というもの第一集」出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/A1Ru9wowGTL.jpg

2007年小学館刊・サライの連載『命というもの』は、絵は勿論、堀氏の軽妙洒脱なエッセイにもファンが多い。草木、花、果実や野菜など植物の作品は優しく力強く、深い考察から生まれる随筆は簡潔で面白い。

参考サイト:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/detail.html

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%96%87%E5%AD%90

参考サイト:http://www.nakajima-art.com/ryakureki/hori.html

参考サイト:http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2601H_W2A121C1000000?channel=DF130120166049&style=1

参考サイト:http://www.joshibi.ac.jp/about/development

参考サイト:http://38300902.at.webry.info/201401/article_26.html

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