蓬春モダニズムによる新日本画の世界/山口蓬春


蓬春モダニズムによる新日本画の世界/山口蓬春

日本画を現代に大きく転換させた一人の画家がいます。その画家が抱いたモダニズムの神髄をたどります。ご案内します「蓬春モダニズムによる新日本画の世界/山口蓬春」です。

出生没年情報≫

出生:19831015日北海道・松前生まれ

没年:1971531日葉山にて没・享年77

出典元:http://www.hoshun.jp/image/img1609-07.jpg

プロフィール概要≫

北海道生まれの日本画家で本名は三郎。1914年(大正3)東京美術学校西洋画科に入学、のち日本画科に転じて23年に卒業。大和絵技法の研究を志して松岡映丘に師事、映丘を指導者とする新興大和絵会に加わってその運動を推進した。官展に出品し、色調や空間表現に洋風を取り入れた斬新な画風が注目され、26年第7回帝展で「三熊野の那智の御山」が特選、宮内省買上げとなり、続いて翌年の「緑庭」も特選となって地歩を固めた。30年(昭和5)に中村岳陵、福田平八郎らと研究団体六潮会を結成。32年第13回帝展に出品の「市場」も政府買上げとなった。50年(昭和25)日本芸術院会員。65年文化勲章を受章。68年には新宮殿の壁画を制作。そのほかの代表作に「秋影」「夏の印象」など。1971年神奈川県葉山にて没、享年77歳でした。


生い立ち~絵画との出会い≫

「三熊野の那智の御山」出典元:http://www.hoshun.jp/works1_4.jpg

山口蓬春(本名・山口三郎)は、明治261015日北海道に生まれ幼少期を当地で過ごしました。父親の勤務に伴い明治36年に上京、中学校在学中には白馬会研究所で洋画を学びます。大正4年東京美術学校西洋画科に入学してから、二科会において2度の入選を果たしますが、君の絵は日本画の材料が合うのではないかと評され悩んだ末、日本画科に転科します。大正12年に首席で卒業しますが、その間、蓬春の指導に当たるのが当時文展で活躍していた松岡映丘でした。当時山口家は経済的に苦しく、蓬春は京都や奈良の名所絵を描いて生計を立てていました。生まれて初めて見る古都の風景に新鮮な感動を覚えた蓬春は「晩秋(深草) 」「秋二題」など、叙情的な作風を見せる。その後、第5回、第6回帝展への入選を経て、大正15年第7回帝展では「三熊野の那智の御山」が特選となり、帝国美術院賞をも受賞、作品は皇室買い上げという三重の栄誉を受けた蓬春は画壇への華々しいデビューを飾ります。また第8回帝展出品「緑庭」や第10回新興大和絵会出品「扇面流し」では、当時の大和絵が失っていた鮮烈な色調を復活させ、大和絵に近代的な命を与えたと評されました。


生涯の創作活動≫

「春汀」出典元:http://www.hoshun.jp/works2_7.jpg

「大和絵の形式を今日の感情や思想に一致させる事は困難だと思う」と自ら述べ、蓬春は新興大和絵会の活動に徐々に限界を感じ始め、昭和5年、六潮会に参加します。3人の日本画家と3人の洋画家、そして美術記者・批評家の8名から成り、流派を超えた自由な雰囲気の中、お互いが学び合うと言う当会は、蓬春にとってはこの上ない研鑽の場となり、ここでの活動は以後10年間続きます。そんな折り、蓬春は画壇の派閥の板挟みとなり、昭和10年に六潮会以外の全ての団体と訣別し、古典の模写に励みながら、昭和11年には初めての個展を開きます。大和絵の形式を取り払った蓬春は、馥郁たる自然を描いた「竹林の図 」や、江戸琳派の研究の跡が見られる「春汀」、隙の無いまとまりのある構成と衒いのない素直な描写によって表現された「泰山木」など、生き生きとした自然観照の姿勢を見せ、一人の自由人として、ひたすら自己の創作活動の醇化に邁進していきます。蓬春は省略や強調の手法を交えた新しい日本画を追求に開眼し、戦後における蓬春モダニズムの萌芽を迎えます。

「南嶋薄暮・1940年」出典元:http://www.hoshun.jp/works3_1.jpg

昭和13年以来、蓬春は美術展の審査員として毎年のように台湾や中国、南方の各地に赴き、初めて目にする異国風景は蓬春にとって新たな創作力の源となっていきます。「南嶋薄暮」を取材した淡水(台湾の海港)について「その建築の持つ絵画的な美しさは、西欧の南仏か伊太利あたりの感じがあるのではないでしょうか」と述べており、南方の各地に見られる鮮やかな色彩に大いなる感銘を受けます。一方、昭和10年代初頭の古典の学習以来、「フォルムの単純化」と言われる画風変化を見せていた蓬春は、戦後「蓬春モダニズム」と評価される造形形成の過程を、この当時の作品「残寒」に見出せます。省略や強調の手法を交えた、装飾的な画面は、終戦を待つことなく一気に開花していきます。この頃、多くの画家が戦争に協力するよう求められており、蓬春も昭和17年、陸軍省から南方に派遣され、戦争画を描くことになりますが、実際のところ、彼が心に抱いていたのは「今だ見ざる南方の新天地に対する思慕の念と憧憬」であったと言われています。

「山湖・1947年作」出典元:http://www.hoshun.jp/works4_1.jpg

昭和22年、蓬春は疎開先の山形・赤湯から帰り、葉山に転居します。さらに1年半後には現在の記念館となっている一色海岸近くに待望の新居を構えます。ちなみにこの画室は28年に同窓の建築家吉田五十八が設計したモダンな内装です。以後、海に近いこの画室から夏の葉山の海岸を思わせるモチーフがたびたび登場することになります。戦後の発表の舞台は日展が中心となり、第3回日展に出品した「山湖」が始まりになります。一方、昭和20年代に入り日本画滅亡論が唱えられると、日本画は急速に西欧近代絵画を吸収するトレンドが勃興します。そのなかで蓬春は19世紀の以後のフランスを中心とした絵画に接近し、新しい日本画を積極的にめざし、時代の思考や感覚をもとに近代の造形性を消化した表現を具体化していきます。漫然とした概念的な自然描写を排した表現や「もっと明るく、もっと複雑な、もっと強い、もっとリズミカルな」と言う蓬春の色感は、新鮮な画面を生み出していきます。独特の造形感覚とともに、「望郷」にみられるような卓抜した感性は、蓬春芸術のみせる大きな魅力となっていきます。こうした蓬春の作品は発表のたびに話題となり、明るく近代的な造形の追求は、蓬春モダニズムとよばれる世界を創り出していきました。

「望郷・1953年作」出典元:http://www.hoshun.jp/works4_6.jpg

「山湖」から始まる実験的な風景画と、「夏の印象」などの構成的な静物画の近代的な形態と色彩による一連の作品は「望郷」が区切りとなります。その後の昭和30年代前半の一時期、蓬春は冷徹なリアリズムをめざす静物画制作に没頭します。「すべて写実が基盤になる、即ち写実主義/リアリズムの基盤に立つのである」とのちに蓬春は記述しています。≪自然観照から発想せよ≫という蓬春の日常に向ける眼力を感じさせ、なおかつそれが日本画として充分に消化されていることに驚かされます。広がりをもたらす光の存在と、隈取りのように表現されている陰影が特徴であり、西欧的な静物画への傾斜も予感させます。蓬春は画塾のような形態を採用しませんが、大山忠作、加藤東一、加倉井和夫、浦田正夫らが師事しており、のちに戦後日本画壇を改革する若い原動力・一采社の作家たちに大きな影響を与えたことも特筆されます。

「月明・1967年作」出典元:http://www.hoshun.jp/works6_2.jpg

西洋画、古典大和絵から出発し、時代に即した日本画の創造を目指した蓬春ですが、その画業における最終的な課題は『和洋の真の融和』であったと言えます。かつては大和絵の文学的抒情性から抜け出すために、人物や動物は画面から消し去られていました。蓬春は『新日本画の技法』の中で「構図の為に殊更に鳥を配置するようなことはせず、たとえ鳥が無くても、自然感の出るものは、強いて鳥を配する必要はない」「従来の花鳥画には、無理に不自然な鳥を配するような悪習慣がある」と述べています。それが晩年「春」「夏」「秋」「冬」の連作を描き始めてから、再び登場する小鳥の姿には、伝統的日本画の画題にあえて挑戦する蓬春の円熟した境地が窺えます。現代の視点によって再び捕らえ直された花鳥画。同じモチーフにより繰り返し描かれた静物画。テーマを絞り込んだ晩年の作品では、岩絵具の清澄な色彩はますます深みを増し、洗練された構図と共に、近代的な明るさに満ちていきます。それこそ画家・蓬春が独自に到達した『新日本画の姿』と見ることができます。「誰かが蓬春のレベルを維持しなくてはならない」、蓬春死後、美術評論家河北倫明氏はそう語りましたが、蓬春芸術は西洋画、日本画を超えた近代日本美術の一つの頂点とも言えるのではないでしょうか。


代表作品ガイド≫

出典元:http://www.hoshun.jp/works1_4.jpg

作品名:「三熊野の那智の御山」

制作年:1926

所蔵先:宮内庁三の丸尚蔵館

インフォメーション:絹本着色/軸装 243.0×135.0

出典元:http://www.hoshun.jp/image/img1609-01.jpg

作品名:「緑庭」

制作年:1927

所蔵先:山口蓬春記念館

インフォメーション:絹本着色/軸装 196.0×166.0

出典元:http://www.hoshun.jp/2005winter03.jpg

作品名:「市場」

制作年:1932

所蔵先:東京芸術大学

インフォメーション:紙本着色/二曲一隻屛風 156.0×156.0

出典元:http://www.hoshun.jp/works2_5.jpg

作品名:「竹林の図」

制作年:1935

所蔵先:たけはら美術館

インフォメーション:裏箔墨彩/二曲一双屛風 171.0×170.0

出典元:http://www.hoshun.jp/works2_7.jpg

作品名:「春汀」

制作年:1937年頃

所蔵先:山口蓬春記念館

インフォメーション:紙本着色/額装 56.9×92.9

出典元:http://www.hoshun.jp/works3_2.jpg

作品名:「九龍碼頭」

制作年:1943

所蔵先:神奈川県立美術館

インフォメーション:素描(水彩絵具、ペン、鉛筆45.5×60.5

出典元:http://www.hoshun.jp/works4_2.jpg

作品名:「夏の印象」

制作年:1950

所蔵先:個人所蔵

インフォメーション:紙本着色/額装 90.0× 90.0


略歴≫

明治261015日北海道松前市に生る
大正3年東京美術学校西洋画科入学
昭和4年第2回二科展入選
昭和5年第3回二科展入選
昭和7年東京美術学校日本画科に転向
昭和12年同校日本画科卒業
昭和13年「秋二題」第5回帝展
昭和14年「神苑春雨」第6回帝展
昭和15年「三熊野の那智の御山」(特選・帝国美術院賞、政府買上、御物)第7回帝展
昭和2年「緑庭」(特選)第8回帝展
昭和3年「潮音」(推薦)第9回帝展
昭和4年帝展審査員
昭和6年「波野」第12回帝展
昭和7年「市場」第13回帝展(政府買上、東京芸大蔵)
昭和9年「岩倉大使欧米派遣之図」明治神宮絵画館壁画揮毫
昭和10年帝国美術院改組に際し参与となる
昭和14年「秋影」第3回文展出品。審査員となる
昭和22年「山湖」第3回日展
昭和23年「濤」第4回日展(政府買上、東京国立近美蔵)
昭和24年「榻上の花」第5回日展(政府買上、東京国立近美蔵)
昭和25年日本芸術院会員となる。「夏の印象」回日展
昭和29年日展常任理事となる
昭和318月、北京に於て開催された「雪舟等楊」逝世四百五十年記念式典に日本代表として参列
昭和385月、自選展開催 朝日新聞社主催(銀座、松屋)
昭和39年「春夏秋冬」四部作(昭和36年第4回新日展出品「秋」より四年間をもって完成。東京国立近代美術館蔵)
昭和40年文化勲章受領
昭和43年新宮殿壁画完成
昭和45年神奈川県文化財委員会と朝日新聞社主催にて横浜高島屋にて喜寿記念展開催
昭和46531日病没


参考サイト一覧≫

参考サイト:http://www.hoshun.jp/

参考サイト:http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9341.html

参考サイト:http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1007

参考サイト:http://www.sankei.com/region/news/160131/rgn1601310012-n1.html

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