広重の再来と称された天才光線画師・井上安治

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広重の再来と称された天才光線画師・井上安治

明治初期、都会の風景を心象的に描いた光線画の世界で、類い稀な才能を発揮した絵師がいました。ご紹介します「広重の再来と称された天才光線画師・井上安治」です。

≪インデックス≫

概略

1「その生い立ち」

2「生涯の絵師活動」

3「代表作ガイド」

4「関連著作」

参考サイト:http://www.gasmuseum.jp/mnw/?cat=9

参考サイト:http://blog.kenfru.xyz/entry/2018/05/09/%E6%97%A5%E6%9B%9C%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%80%8C%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%A2%A8%E6%99%AF%EF%BD%9E%E5%A4%AD%E6%8A%98%EF%BC%88%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%9B%E3%81%A4%EF%BC%89%E3%81%AE%E7%B5%B5

参考サイト:http://hajimaru.info/2015/06/%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5%E5%B8%AB%E3%80%80%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%AE%89%E6%B2%BB%EF%BC%88%E6%8E%A2%E6%99%AF%EF%BC%89/


概略

「師・小林清親」出典元:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tanazashi/20180513/20180513182759.png

師と言われた小林清親(1847-1915)は光を西洋の新しい感覚で捉え「光線画」と称される様式の風景画を残した絵師として明治に活躍しました。明治9年から14年にかけた活動後は天才と言われた弟子の井上安治(1864-1889)に譲り、光線画は江戸の風情を思わせる懐古的な風景画や風刺画として展開されていきました。その後、井上安治は「光線画」を正式に引き継ぎ、担い手としての評価を得ました。


1「その生い立ち」

生年没年情報:1864年浅草生まれ・1889914日没・享年26

幼年期:以下参照

井上清七の長男として浅草並木町(今の雷門二丁目)で誕生。父は川越鍛冶町(現・幸町)にあった高麗屋という錦織問屋(太物仲買商)に生まれましたが、江戸に出て浅草駒形町にあった丸屋呉服店に勤め、のちに一番番頭となります。安治には姉と弟がおり13歳の時、父が亡くなってからは母の手ひとつで育てられました。幼児より病弱で絵を好み、少年の頃、一時は月岡芳年に弟子入りしていましたが15歳の時に、後に師と仰ぐ小林清親に弟子入りします。安治にとって弟弟子にあたる土屋光逸の述懐によると、ある雪の日、清親が向島に出かけ、綾瀬川の土手の上から隅田川沿岸の雪景色をスケッチをしていると、安治はそれを二時間余りも見守り続け、その余りの熱心さに清親が話しかけたのが入門の切っ掛けになったと言われています。また清親の5哥津は後に、安治は清親の画を見て、画が持っている心を慕って自ら弟子になったが、自分の心象は「清親の門人というより友人であったと語っています。安治は清親についてよく写生に出かけ、後の「探景」の号はそうしたことから取られたとも言われています


2「生涯の絵師活動」

「浅草橋夕景」出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-002.jpg

インフォメーション:安治の本格的な制作活動の発端は明治13年(1880)頃、浅草並木町六番地に移り住み、同年の6月、版元福田熊治郎から「浅草橋夕景」を、版元松木平吉より「新吉原夜桜之景」「代官町之景」の3点の風景画を発表して版画家としてデビューした頃になります。作品欄外には清親の名が添えられており、清親が安治の才能を認め、後見人として少年絵師の前途を祝す意図があるものと考えられます。翌年「蛎殻町川辺の図」「富士見渡シ之景」「浅草橋雨中の景」「枕橋の図」「霊岸島高橋の景」(全て横大錦)などを、明治15年(1882)になると「銀座商店の夜景」といった作品を発表、清親が明治14年(1881年)以降光線画を描かなくなると、事実上これを引き継いでいきます。この光線画シリーズ「東京名所絵」(正式な名はない。「東京真画名所図解」とも称されます)は安治の代表作となり、亡くなる年まで描き続けました。安治の風景画は詩情に富み、しばしば師の清親にもせまるものがあります。また同じ明治14年から最晩年にわたって葉書版の「東京名所絵」シリーズを刊行しており、清親の原図によるもの、その一部を変更したもの及び安治独自のものを合わせておよそ154枚に達しています。その後、明治17年(1884年)版元松木から受けた井上探景と画号を改め、光線画の他に、開化絵風俗画相撲絵戯作挿絵等も手掛けるようになります。明治18年(1885年)から翌年にかけては、清親や芳年などの人気絵師と伍して「教導立志基」のような教訓絵を多く描いています。同20年代に入ると版元が増え三枚組の仕事が多くなり、皇室関係や憲法発布を題材とした時事報道の時局絵を発表します。しかしこれらは安治の絵の特色である詩情が後退して、他の明治錦絵に近いものになり絵自体もひ弱な印象を受け光線画に比べると評価されていません

「墓所・川越行伝寺」出典元:http://hajimaru.info/wp-content/uploads/2015/06/%E6%B3%95%E5%96%84%E5%AF%BA%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%AE%89%E6%B2%BB.jpg

生家を継ぐため実家の親戚・印藤ますとの結婚が決まっていましたが、明治22年(1889年)に脚気衝心のため26歳で死去しました。法名は釈慈仁信士。墓所は最初浅草の顕美院(所在地不明)にありましたが、甥の代になって父の出身地川越に移され、現在は川越市末広町の行伝寺に葬られています。残した作品数は「東京名所絵」を除くと、大錦判5373点。師・清親はその早すぎる死を悼み「つえ折れて ちからなき身や 萩の枝」という手向けの句を霊前に供えました。のちに清親の娘哥津は直接安治に会ったことはないが父が安治を描いた肖像スケッチを見て「面影は、青白い、髪の毛の房々と、初年ふうに分けたのがよく似合ふ美しい若者だった」と追想しています。実は安治の人となりについては、余り記録に残っていません。鶯亭金升は自著『明治のおもかげ』収録の「六本指」で「風景は天才で真面目に好く描いたが、他の絵は粗忽で笑われる事があった。人物の指を六本描いたり、正月の試筆に去年の干支を描いたりした。或年浅草で湯に入っていたら火事だと言われ、慌てて石鹸を顔一面に塗ったまま衣服を着て帰宅して笑われた事もあり、時々滑稽を演じた」と、その人柄を回想しつつ安治の早すぎる死を惜しんでいます。なお、杉浦日向子の漫画「YASUJI東京」は、安治の絵をモチーフとした作品として知られています。


3「代表作ガイド」

概要:井上安治の代表作品は、初期のものは版元から受注した作品になりますが、後年、制作に傾注した「東京真画名所図解」「東京名所絵シリーズ」の限られた作品だけです。17歳にデビューし、26歳で亡くなっていますので9年間で制作され残された作品数には限りがあります。また東京という都会の原風景を描写した作品がほとんどで、その意味では現存するロケーションや建物とシュミレーションすることが可能で、都市資産としても価値のある作品といえます。以下その照合作品をご案内します。

作品:「吾妻橋」

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E5%A6%BB%E6%A9%8B

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/Sumida_Riverside_at_Azuma_Bridge_in_2007.jpg/240px-Sumida_Riverside_at_Azuma_Bridge_in_2007.jpg

出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-004.jpg

インフォメーション:1887(明治20)年に鉄橋に改架された吾妻橋を描いています。橋上は車道と人道に分けられており、橋上には夜間の照明としてガス燈が8基設けられていました。

所蔵先:江戸東京博物館

作品:「上野ステーション」

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%A7%85

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/41/Ueno_Station_Main_Building.jpg/250px-Ueno_Station_Main_Building.jpg

出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-008.jpg

インフォメーション:1885(明治18)年に落成した上野駅を描いています。上野駅を発着する鉄道はこれ以前に仮開業しており、熊谷までが1883(明治16)年に、高崎まで開通して開業式が催されたのは1884(明治17)年のことで煉瓦造りの駅舎の完成は翌年のことになります。

所蔵先:江戸東京博物館

作品:「銀座通り夜景」

参考サイト:http://www.kodokei.com/ch_013_d.html

出典元:http://www.kodokei.com/d1_img/d1_hat52s.jpg

出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-016.jpg

インフォメーション:夜の銀座の煉瓦街。絵の中心に時計塔が高くそびえています。通りにはレールが敷かれ鉄道馬車が走っていました。

所蔵先:江戸東京博物館

作品:「国会議事堂」

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E5%A0%82

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/Diet_of_Japan_Kokkai_2009.jpg/300px-Diet_of_Japan_Kokkai_2009.jpg

出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-041.jpg

インフォメーション:作品名には「国会仮議事堂」とありますが作品が描かれた時には計画中の建物でした。煉瓦造りの建物で描かれている姿は、2年後の1890(明治23)年に実際に完成した木造の建物と比べるとその違いにおどろかされます。

所蔵先:江戸東京博物館

作品:「谷中天王寺」

参考サイト:http://www.ndl.go.jp/scenery/data/312/index.html

出典元:http://www.ndl.go.jp/scenery/tokyo/images/S/40007926/00000/0064.jpg

出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-034.jpg

インフォメーション:感応寺(現天王寺)境内では毎年159月の11日に富くじ興業が行われました。五重塔で知られ明治になって幸田露伴の小説の題材にもされましたが放火され昭和32年に焼失しました。寺が多かったため「谷中は墓と富くじ」と言われ、明治に入って谷中霊園が整備されました。

所蔵先:江戸東京博物館

作品:「上野動物園」

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3a/Ueno_Zoo_2012.JPG/300px-Ueno_Zoo_2012.JPG

出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-009.jpg

インフォメーション:1882(明治15)年に上野の山に開園した日本初の動物園を描いています。当初の設置目的が、国内の物産を広く人々に紹介するためで、開園直後の園内の動物たちは、日本各地の動物たちが集められました。

所蔵先:江戸東京博物館

作品:「永代橋日本銀行」

参考サイト:http://www.ehagaki.org/category/shopping/weja/page/69/

出典元:http://www.ehagaki.org/wp-content/uploads/2017/02/1e60a9eccbd8f8e4a271d4aa93f0a000-768×487.jpg

出典元:http://www.gasmuseum.jp/mnw/wp-content/uploads/Yasuji-012.jpg

インフォメーション:1881(明治14)年にジョサイヤ・コンドル設計による煉瓦造りの建物は当初は旧北海道開拓使出張所(開拓使物産売捌所)として利用されました。1883(明治16)年からは日本銀行本店の建物となりましたが本店移転後も永代橋際に残っていたものの、関東大震災で焼失してしまいました。

所蔵先:江戸東京博物館


4「関連著作」

YASUJI東京」

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51EGQ3WRDNL.jpg

著者:杉浦日向子

発行年:200031

出版社:筑摩書房

書価:2500円(アマゾン価格)

インフォメーション:安治は東京に何を見たのだろうか。明治の東京と昭和の東京を自在に往き来しつつ、夭折の画家井上安治の見た風景を追い、清親との不思議な師弟関係を描く静謐な世界。他に単行本未収録作品を併録。

オンラインショッピング:https://www.amazon.co.jp/YASUJI%E6%9D%B1%E4%BA%AC-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%89%E6%B5%A6-%E6%97%A5%E5%90%91%E5%AD%90/dp/4480035575

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