百歳画家/青いケシを描く入江一子


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百歳画家/青いケシを描く入江一子

百歳を越えた孤高の画家がエネルギッシュに創作に励まれています。ご紹介します「百歳画家/青いケシの入江一子」です。展覧会の訪問の一助になれば幸いです。

入江一子シルクロード記念館FACEBOOKhttps://www.facebook.com/iriekazukomuseum/

参考サイト:http://iriekazuko.com/6/
参考サイト:http://iriekazuko.com/index.html
参考サイト:http://www.tomosha.com/mado/7904
参考サイト:http://www.franchise-ken.co.jp/wp/beauty/%E5%85%A5%E6%B1%9F%E5%92%8C%E5%AD%90%E3%80%80%E3%80%80%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%90%E6%AD%B3%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%B1%95%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AB%E9%AD%85/

①「入江一子の出生と修学」

出典元:http://www.tomosha.com/Media/Default/images/mado/201701-January/irie-talkevent/irie.jpg

出生情報:1916年・大正5515日朝鮮大邱生まれ

入江家は毛利藩士の家系で父は貿易商を営んでいましたが、彼女が幼い頃に亡くなります。しかし十分な資産があり生活に困ることはなく、母親フミノは芸術的天文の豊かな人で、特に手芸に堪能だったと言います。この血を受け継ぎ、入江一子は幼少から異様なまでに描くことが好きでした。1929年、大邱公立高等女学校に進学し5年生のとき、第12回朝鮮美術展に2点入作します。昭和9年(1934)、女子美術専門学校師範西洋画部に入学します。当寺はここ以外に女子が学べる美術学校はありませんでした。上京して美校に学び「日本の風景が箱庭のようで驚きました。本当に美しい国だと思いました」「私は父親の仕事の関係で大邱で育ちました。その影響でしょうか、大陸の土の匂い、荒野に咲く花々、市場の雑踏や聞こえてくる民族楽器の調べにとても郷愁を感じるのです」と語っています。  

 

 

②「創作活動の序章~エポック」

女子美を卒業後一旦朝鮮に帰国し、丸善のソウル支店に勤務し、ショーウインドーを担当し、生涯の師となる林武氏と出会い、その後、生涯師事。昭和13年独立美術協会展に初入選し、28年「かぼちゃ」などで独立賞受賞、32年会員となります。21年女流画家協会結成に参加し、2831年協会賞を受賞。その後もシルクロードを描き続け、平成12年入江一子シルクロード記念館を設立しました。

③「生涯の創作のテーマと創作活動の姿勢」

出典元:http://iriekazuko.com/4/images/30_bd.gif

入江一子はこれまで数多くのインタビューを受けていますが、その中で画家入江一子のコンセプトともいえる心象に触れた言葉がありますので、その部分を紹介記載してみます。

・「満州の空は、抜けるような青色です。ノンコウという川に行ってみると、川面は血を流したように夕日で真っ赤に染まり、そこにジャンクのような舟が一隻浮かんでいます。その風景は生涯、忘れることができないほど、たいへん感動的なものでした」(昭和16年当時を振り返った談話より抜粋。この色彩との出逢いが後年のシルクロードへの傾斜に繋がったと言われています。)

・「絵を描く基本として一般的には、まず素描を基にして絵を描きますが、私は素描することより物を描写するとき、描く対象を目にしたとき、色彩の占める割合が圧倒的に大きいと思います。先ず色彩に心を奪われ、描く意欲が起こるということではないでしょうか」

・「シルクロードを写生旅行すると、太陽の光が素晴らしい。川面は真っ赤に染まる。日本の太陽とは全然違う。衣装も色が素晴らしい。色彩にあこがれます」

また、百歳を越えた現在の心境を、まるで少女のように瞳を輝かせながらインタビューにこう答えられています。

・「40年間にわたる30カ国もの写生旅行で集めて来たパステルや水彩で描いたスケッチと、録音機に残る砂漠の風やシルクロードの街並みのざわめきをアトリエで聴きながら、あふれ出るモチーフを200号もの大作に描き、残すことに挑んでいます」

・「今が一番絵が分かる」今が一番幸せ」

入江一子画伯は目も耳も言葉も何の不自由も無く、一人で自活されています、ホームヘルパーに世話にはなられますが食事も自分で作るそうです。7歳の時に肺炎で死ぬほどの大病をしたけれど、それからは病気にかかったことはないと言われます。何よりも驚かされるのは、明晰な頭脳であること。一枚一枚の絵をいつどこで写生したかを克明に記憶しておられ、絨毯や人形までも入手した時のことを克明に話されます。

④「代表作に関するメモ」

「イスタンブールの夜明け」

出典元:http://www.franchise-ken.co.jp/wp/beauty/wp-content/uploads/sites/4/2017/02/img196-300×249.jpg

制作年度:1975

作品説明:長年、チチハルのノンコウに血潮を流したような景色がずっと目に焼き付いていたのですが、この時、ノンコウの面影とボスボラス湾の朝焼けを重ね合せることができたのです。ボスボラス湾の刻々と変わりゆく自然の美しさを作品にしょうと、スケッチブックに色を重ねていきました。この絵を描くことで、シルクロードへの憧れをより深くすることができると思ったのです。そこには、いつも心の中に焼き付いていたノンコウの美しさと同じ色彩がありました。ノンコウは夕陽でしたが、この朝焼けの真っ赤な色彩に運命的に出会ったことで、この作品を描くことができました。(色彩自在シルクロードを描きつづけてより抜粋

所蔵先:入江一子シルクロード記念館

「敦煌飛天」

出典元:http://www.franchise-ken.co.jp/wp/beauty/wp-content/uploads/sites/4/2017/02/img197-300×249.jpg

制作年度:1979

作品説明:「私は320窟の飛天の魅力にすっかり魅せられて、なんとしても画き留めたいと思いました。ここは撮影が許可されていないので、男性の通訳が外で見張りをしています。しかも中は真っ暗で、本来は、外国人には、模写はさせてもらえないのですが、懐中電灯を明かりとして、2時間かけて飛天を模写させてもらいました。3階もある莫高窟の壊れかけた木の階段をリュツクサックに画材やカメラ、テープレコーダー、懐中電灯などを持って、大変な思いをして登った私の熱心さに感激してくれたのか、女性の通訳の好意により特別に模写することができました。そうした死闘の結果、200号の「敦煌飛天」が出来上がったのです。」(色彩自在スルクロードを描きつづけてより抜粋

所蔵先:入江一子シルクロード記念館

「トルファンの祭りの日」

出典元:http://www.franchise-ken.co.jp/wp/beauty/wp-content/uploads/sites/4/2017/02/img198-300×223.jpg

制作年度:1981

作品説明:「ウルムチやトルファンはシルクロードとともに歴史を刻んだ場所です。葡萄棚の下のウイグルの人々の踊りを、どうしても絵にしたいと思っていましたので、訪ねるならば葡萄の実が成る時と決めていました。その機会に恵まれて、1980(昭和55)年87日に訪れることができたのです。スケッチは翌日ほとんど完成しました。そうして個展に出品する作品に仕上げるために、日本に帰ってからもアトリエで200号のキャンパスに描きつづけました。」(色彩自在シルクロードを描きつづけてより抜粋

所蔵先:入江一子シルクロード記念館

「四姑娘山の青いケシ」

出典元:http://www.franchise-ken.co.jp/wp/beauty/wp-content/uploads/sites/4/2017/02/img200-300×209.jpg

制作年度:1992

作品説明:中国の成都よりチベットに向かう四姑娘(シークーニヤン)山麓に青いケシの花が咲いているという話を、ずっと以前から聞いていました。青いケシを見たい一心で、遂に行く決心をしました。山登りの旅であり、四姑娘山麓のお花畑に向かっていきました。日隆の標高は3600メートル。これからベースキャンプに行ってテント生活をします。途中の山の斜面には、ヤギや羊の群れがみえて、村の子どもが世話をしています。民族衣装を着たチベット娘たちが、花が一面に咲いている高原で「四姑娘の娘」を歌いながら籠の中に草を採って歩いています。翌朝はタークーニャン4300メートルまで、いよいよ青いケシの花を訪ねて山登りになります。雨が降って霧が流れているのでUターンして帰ろうとすると、突然、青いケシの花が一面に咲いているのがみえはじめました。はるばる訪ねてきた甲斐があったと、みんな大感激でした。息苦しい4000メートルの高地に、ようやく美しいケシの群生をみることができたのです。感激を心の中にとどめながら、私は雨の降るなかを、ベースキャンプに向かって下りて行きました。(「色彩自在シルクロードを描きつづけて-より抜粋

所蔵先:入江一子シルクロード記念館

⑤略歴一覧

1916 

山口県出身 多感な少女時代を韓国・大邱(テグ)で過ごす

1928 

小学6年生のときに描いた静物画が昭和の御大典で天皇に奉納されるなど
早くから才覚を顕す

1933

女学校4年のとき朝鮮美術展の入選作「裏通り」がフランス総領事ドペールに買い上げられる

1938 

女子美術専門学校師範学科西洋画部(現・女子美術大学)卒業 
8回独立美術協会展入選 (「沼地風景」) 洋画家・林武画伯に師事

1947 

女流画家協会創立会員

1953 

女流画家協会賞 独立美術協会独立賞

1956 

女流画家協会賞

1957 

独立美術協会会員

1958 

個展(以後毎年、大阪・名古屋・山口・下関・広島・東京・神奈川ほか)

1960 

日米女流交歓展(リバーサイド美術館/ニューヨーク)出品

1962 

現代美術展出品(〜1966年)

1963 

安井賞候補展出品(〜1966年)

1964 

国際女流美術家クラブ展(パリ近代美術館)出品

1969 

東南アジア・ヨーロッパ・シルクロード写生旅行(以来30数ヵ国を訪問)

1974 

日米女流画家合同展
(パシフィックアジア美術館/カリフォルニア州パサディナ)出品

1980 

現代女流美術展(上野の森美術館)現代女流画家展(高島屋)出品(〜1999年)

1981 

作品集「シルクロードと花」出版記念展(銀座・東京セントラル絵画館)

1985 

作品集「シルクロードと花」出版記念展(銀座・東京セントラル絵画館)

1990 

作品集「シルクロードと花」出版記念展(銀座・東京セントラルアネックス)

1996 

『色彩自在/シルクロードを描きつづけて』出版記念展(渋谷・東急本店)

2000 

入江一子シルクロード記念館(東京・杉並区阿佐ヶ谷)オープン

2006 

日本の女流画家展(セーラムギャラリー /ニューヨーク)出品

2008 

日本の女流画家展(日本ギャラリー/ニューヨーク)出品

2009 

入江一子個展「シルクロード色彩自在」(日本ギャラリー/ニューヨーク)開催

 

 

現 在

独立美術協会会員/女流画家協会委員/NHK文化センター講師

 

⑥「入江一子に関する著作物」

色彩自在/シルクロードを描きつづけて・1966年 三五館刊

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/91B5wRUcEkL.jpg

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シルクロードに魅せられて入江一子百歳記念展―百彩自在―・2017年生活の友社刊

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