個人を顕彰した記念美術館/東京編


個人を顕彰した記念美術館/東京編

有力画家は死後、顕彰の意を込めて記念館を設立されています。都内にもそのような記念美術館が数多くございます。そこでご紹介します「個人を顕彰した記念美術館/東京編」です。「青梅市・玉堂美術館」「世田谷区・村井正誠記念美術館」「世田谷区・宮本三郎記念美術館」「世田谷区・向井潤吉アトリエ館」「杉並区・小野忠重版画館」「港区・岡本太郎記念館」「新宿区・佐伯祐三アトリエ記念館」「台東区・横山大観記念館」「台東区・黒田記念館」「品川区・久米美術館」「江東区・田河水泡のらくろ館」「荒川区・蔦谷喜一ぬりえ美術館」。

「青梅市・玉堂美術館」

出典元:http://www.gyokudo.jp/04timeline/img/g_s00.jpg

施設インフォメーション:玉堂美術館は日本画壇の巨匠・川合玉堂が昭和19年から昭和32年に亡くなるまでの10余年を青梅市御岳で過ごしたのを記念して建てられました。自然を愛し、人を愛した玉堂の人柄は土地の人々からも慕われ、玉堂の愛してやまなかった御岳渓谷に美術館を建てよう、との声が上がり、皇后陛下をはじめ諸団体、地元有志、全国の玉堂ファンより多大の寄付が集まり、没後4年の昭和365月に早くも美術館が開館しました。玉堂は伝統的な日本画の本質を守り、清澄にして気品のある独自な作風を展開しつつ、明治・大正・昭和の三代にわたって、日本学術文化の振興に貢献されました。展示作品は、15歳ごろの写生から84歳の絶筆まで幅広く展示されます。展示替は年7回行われ、その季節に見合った作品が展示されています。

公式サイト:http://www.gyokudo.jp/

所在地:198-0174 東京都青梅市御岳1丁目75−1

問合せ:0428-78-8335

運営:財団法人玉堂会

開館時間:10001700

休館日:月曜日

通常入館料:大人500円・大高中校生400円・小学生200

出典元:http://www.gyokudo.jp/img/g_top06.jpg

「彩雨・東京国立近代美術館蔵」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/jpeg/mid/momat/S0123024.jpg

川合玉堂プロフィール情報:近代日本画壇の巨匠、川合玉堂は日本の自然をこよなく愛し、数多くの風景画を描きました。明治6年愛知県に生まれ、14歳で京都の日本画家、望月玉泉、のちに円山派の幸野楳嶺に師事し天分を大きく伸ばしました。23歳で東京画壇に転じ、橋本雅邦に学び狩野派を極め、円山・四条派と狩野派を見事に融和させ、日本の四季が織りなす美しい自然の風物詩を情趣豊かで写実的に描く独自の境地を開きました。東京美術学校教授、帝国芸術院会員など歴任し、昭和15年文化勲章を受章しました。昭和32630日没、勲一等旭日大綬章を受賞。


「世田谷区・村井正誠記念美術館」

出典元:http://www.muraimasanari.com/image/portrait.jpg

施設インフォメーション:東急大井町線等々力駅の西,徒歩5分。「日本の抽象絵画のパイオニア的存在」と評価される村井正誠のデッサンや油絵などの作品を展示する個人美術館。建物は村井正誠の住宅を改装したもので内部にアトリエをそのまま残して、それを覆う鞘堂のような形で設計されています。館内はアトリエと作品とが一体になった形で展示されており、不思議な落ち着きのあるモダンな空間を作り出しています。設計は隈研吾氏で、村井正誠生誕100年にあたる平成17年(2005年)にオープンしました。村井氏の作品のほかにはモダンアートの小川孝子の作品も展示しており、美術館の前には、村井正誠の愛車が置かれています。村井正誠の作品だけでなく彼の生きた空間もあわせて鑑賞できる個性的な美術館です。HPより)2017年は引続き作品などの整理のため休館いたします。誠に申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください。なお入館は従来、予約制です。往復はがきに来館者の氏名・住所・電話番号・来館希望日時を明記のうえ下記宛先まで来館望日の2週間前までにご郵送ください。

公式サイト:http://www.muraimasanari.com/

所在地:158-0091東京都世田谷区中町1612

問合せ:0337049588

開館時間:毎週金曜日・日曜日11:00-13:0014:00-16:00

休館日:上記参照(12月・1月・2月は冬期休館いたします

通常入館料:一般 800 小中学生 200

出典元:http://www.muraimasanari.com/image/facade.jpg

「ピレウスの港」出典元:http://www.muraimasanari.com/image/piraeus.jpg

村井正誠プロフィール情報:1905年に岐阜県大垣市に生まれるが、育ったのは和歌山県新宮市である。1928年に文化学院美術科を卒業し渡仏。32年に帰国。34年に「新時代洋画展」の創立メンバーとなり37年にはそれを発展させて「自由美術家協会を創設。しかし50年に仲間とともに同会を脱退して「モダンアート協会」を創立する。62年に第5回現代日本美術展最優秀賞を受ける。73年に神奈川県立近代美術館、79年和歌山県立近代美術館、93年世田谷美術館(他巡回展)そして95年神奈川県立近代美術館(他巡回展)で回顧展を開催。95年に93歳で他界。


「世田谷区・宮本三郎記念美術館」

出典元:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/image/saburo/portrait2.jpg

施設インフォメーション:1998年、世田谷区は洋画家・宮本三郎のご遺族より、油彩、水彩・素描合わせて4,000点近くの膨大な作品群と10,000冊を超える旧蔵書をはじめとする資料、居住していた土地の寄贈を受けました。宮本三郎記念美術館は宮本三郎が1935年から1974年に亡くなるまで長きにわたり制作の拠点とした、その世田谷区奥沢の地に、世田谷区が新たに建設し、20044月に開館した美術館です。2階に展示室(155㎡)、1階に講座室(72㎡)を設け、展覧会だけではなく創作活動や各種講座を開催、生活の中により豊かな彩りが添えられるプログラムを実施しています。

公式サイト:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/

所在地:158-0083 東京都世田谷区奥沢5丁目3813

問合せ:03-5483-3836

開館時間:10001800

休館日:月曜日

通常入館料:一般200円・大高生150円・中小学生100

「家族像・1956年」出典元:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/image/exhibition/H29_1/kazokuzou.jpg

「生・1974年」出典元:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/image/exhibition/H29_1/sei.jpg

宮本三郎プロフィール情報:宮本三郎(みやもと・さぶろう)は、1905523日、現在の石川県小松市松崎町に生まれ、19357月より世田谷区奥沢にアトリエを構えた、昭和を代表する世田谷区ゆかりの洋画家です。川端画学校で富永勝重、藤島武二、また個人的には安井曾太郎に指導を受け、戦前は二科展を中心に発表を行いながら、雑誌の挿絵や表紙絵の制作でも活躍。戦時中は従軍画家として藤田嗣治、小磯良平らとともにマレー半島、タイ、シンガポールなどに渡り、第2回帝国芸術院賞受賞作品《山下、パーシバル両司令官会見図》(1942年)をはじめ、数々の戦争記録画を制作しました。戦後は、熊谷守一、田村考之介、正宗得三郎らと第二紀会を設立。生来の素描力を土台に、さまざまに画風を変えながらも、人物を主たるテーマとして制作、晩年は花と裸婦を主題にした豪華絢爛な絵画世界を構築します。獅子文六の小説「大番」の挿絵や、高峰秀子や雪村いづみなど女優や歌手を描いた作品でも人気を博しました。19741013日、腸閉塞による心臓衰弱のため、69歳で他界。生涯、画家として活躍するだけではなく、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)、多摩美術大学でも教鞭をとり、二紀会では理事長にも就任するなど、後進の育成にも尽力しました。


「世田谷区・向井潤吉アトリエ館」

出典元:http://www.mukaijunkichi-annex.jp/image_j/portrait.jpg

施設インフォメーション:向井潤吉アトリエ館は、向井先生とそのご家族が昭和8年より住まわれてきた、世田谷区・弦巻の閑静な住宅地に位置しています。クヌギ・コナラ・ケヤキなど、武蔵野の面影を今に残す樹木に囲まれたアトリエ館は、まさに向井先生の制作の息づかいを伝え、瀟洒な雰囲気を醸し出し、来館者にとって潤いのある憩いの場となっています。アトリエ館は昭和37年に建てられたアトリエと住まいを兼ねた建築と、昭和44年に岩手県一関より移築された土蔵によって構成されています。

公式サイト:http://www.mukaijunkichi-annex.jp/

所在地:154-0016 東京都世田谷区弦巻2-5-1

問合せ:03-5450-9581

開館時間:10001800

休館日:月曜日

通常入館料:一般200円・大高生150円・中小学生100

出典元:http://www.mukaijunkichi-annex.jp/outside1.jpg

「春泥の道/北海道留萌1951年」出典元:http://www.mukaijunkichi-annex.jp/exhibition/H29_1/shundeinomichi.jpg

向井潤吉プロフィール情報:向井潤吉は京都の宮大工の家系に生まれ、10代半ばで絵画の道へと進みました。日本近代洋画の先駆者、浅井忠が創設した関西美術院に通い、徹底した写実表現の基礎を学びます。また25歳で単身渡欧し、2年余りのパリ生活で同時代の美術の潮流にもふれるとともに、ルーヴル美術館での古典絵画の摸写を重ね、油彩画の技法を研究しました。帰国後、戦時中には従軍画家として中国、フィリピン、ビルマに赴き、作戦記録画の制作に従事します。戦地のただ中で、向井は現地の自然風景や、休息する兵士達の姿などもスケッチに残しました。終戦間際、戦地から戻った向井は、自宅の防空壕に持ちこんだ蔵書のなかから、民俗学者の柳田國男、今和次郎らが手がけた『民家図集』(緑草会編、大塚巧藝社、1930-31年)を手にし戦災で失われる家々を描き残しておきたいという思いを抱くようになりました。そして終戦後まもない1945年の秋、長女の疎開先だった新潟県越後川口町での制作を皮切りとして、全国各地の民家を描きはじめました。「私の民家への思慕執着は益々強まって、終生この仕事に打ちこみたいと念願している」(向井潤吉『民家と風土』美術出版社、1957年)と語った、その言葉どおり彼の民家を巡る旅は、生涯にわたって続きました。


「杉並区・小野忠重版画館」

出典元:https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=150×1024:format=jpg/path/s5dfcf63cc337820b/image/i43c9078c56685f28/version/1288066634/image.jpg

施設インフォメーション:JR阿佐ヶ谷駅の北西,徒歩8分。版画家・版画史研究家として戦前から戦後にかけて活躍した小野忠重の作品を展示するミニ美術館です。小野忠重の旧宅を子息が美術館として開設したもので,小野忠重の木版画700点と素描1500点を収蔵し,年に数回のテーマ別企画展を開催して展示しています

参考サイト:https://www.artmovement.jp/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%81%8B%E5%8B%95/%E7%89%88%E7%94%BB%E5%AE%B6-%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%BF%A0%E9%87%8D%E3%82%92%E6%83%B3%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A9/

参考サイト:http://www.portaltokyo.com/guide_23/contents/c15025ono2.htm

参考サイト:http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201202030300.html

所在地:東京都杉並区阿佐谷北2-25-16

問合せ:03-3338-9282

開館時間:10:3017:00

休館日:月~水曜日、展示替えの期間、年末年始

通常入館料:一般500円・中学生以下無料

出典元:http://www.portaltokyo.com/guide_23/contents/images/c15025ono2.jpg

出典元:「隅田川ノ橋・1933年」出典元:http://www.asahicom.jp/culture/news_culture/images/TKY201202030297.jpg

小野忠重プロフィール情報:小野忠重は業平橋のすぐ側、墨田区小梅一丁目の角に構える酒店の一人息子として明治421910)年に誕生。中学生の頃から文学、絵画に興味を、また演劇の世界にもあこがれました。一方、商売の勉強のためにと、小野忠重の父が早稲田実業にいかせ、いずれは跡継ぎにと祖父は楽しみにしていました。昭和に入るとともに軍靴の音がますますやかましくなってきます。そのなか小野忠重は住む下町で社会運動にも参加するが、しだいに版画の世界に自分を見つけていきます。そして版画を大衆にと、仲間と「新版画集団」を結成、各地で展覧会を開催します。また創作版画誌「新版画」をグループで発行。小野はそこに下町に暮らす人々、町工場の労働者の姿を版の絵として発表連作版画「三代の死」、版画大作「将軍」が生まれます。小野の戦後の出発美術出版社の社長の好意で編集の仕事に携わること始まります。戦後の小野の版画の技法は、戦前のまるで油絵のような陽刻から、一版陰刻に変わります。小野はこの技法で戦後の傑作版画を創出「人びと」「工場」「廣島の川」「広島の子」「ヴェネチア」「ウイーンの公園」「風」「老人の海」等を発表。戦前の太い描線から戦後の細い線に、そしてさらに描線が無数となります。小野の戦後は主に風景をテーマに独自の視線によっていきいきとした作品が生まれますが、それは小野の心象風景であり、戦前からの一貫したリアリズムの精神が流れています。一方、版画史の研究家として、おおくの著書を著し、版画普及に力を注ぎました


「港区・岡本太郎記念館」

出典元:http://playtaro.com/wp-content/uploads/2017/05/colorized_waifu2x_photo_noise3_scale_tta_1.png

施設インフォメーション:(HPより)岡本太郎記念館は1996年、八十四歳で亡くなるまで岡本太郎のアトリエ兼住居だった。1954年から五十年近くも彼が生活した空間である。絵を描き、原稿を口述し、彫刻と格闘し、人と会い、万国博の太陽の塔をはじめ巨大なモニュメントや壁画など、あらゆる作品の構想を練り、制作した場所。彼のエネルギーが今も満ち満ちている。更に言えば、ここは戦前は青山高樹町三番地。岡本一平・かの子・太郎の一家が永く暮らし、一家でヨーロッパへ旅立ったのもこの地からだ。旧居は戦災で焼失した。戦後、友人の坂倉準三の設計でアトリエを建てた。ル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉は太郎の求めに応じ、ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせてユニークな建物を作った。当時話題をよんだ名建築だ。岡本太郎の作品は一人の人間の枠を超えて多彩にひろがる。そのすべてがここから閃き出た。膨大なデッサンやエスキース、彫刻、また戦後文化のうねりを伝える資料の山。これから折々に整理して、お目にかけたい。

公式サイト:http://www.taro-okamoto.or.jp/

所在地:107-0062 東京都港区南青山6丁目119

問合せ:03-3406-0801

開館時間:10001800

休館日:火曜日

通常入館料:一般620円・小学生310

出典元:http://www.taro-okamoto.or.jp/common/img/topslide02.jpg

出典元:http://www.taro-okamoto.or.jp/common/img/topslide04.jpg

岡本太郎プロフィール情報:1911.2.26.東京生まれ・1996.1.7.東京にて没。岡本一平,岡本かの子の一子。1929年東京美術学校に入学,同年末両親とともに渡欧,11年間パリに滞在。 31年ピカソの作品に感化されてサロン・デ・シュルアンデパンダンに『傷ましき腕』 (1936) を出品,37年まで抽象美術のグループ「アブストラクシオン・クレアシオン」に参加。 36年神秘主義と政治革命を目指す「社会学研究所」に加わる。この間パリ大学で哲学,社会学,民族学を修め 39年卒業。 40年に2次世界大戦の戦局悪化のためパリを逃れて帰国。 41年二科会に入り (61年脱退) 42年応召,中国で転戦。戦後は前衛派の主流として花田清輝,野間宏らと前衛芸術を推進し,原色図形などによる作品を発表。 60年代以後,各国の国際展に出品して海外でも評価を得る。また,評論家としても活躍するほか,舞台装置,モニュメントの制作,メダル,織物,家具のデザインを手がけ,70年の日本万国博覧会ではテーマ展示プロデューサーをつとめ,『太陽の塔』を設計し話題となった。その他の主要作品はパリ国際センター会議場の大壁画 (75) 。主著『日本再発見』 (58) ,『忘れられた日本』 (61) ,『美の呪力』 (71) など。

 

≪次ページパート2.≫もご覧ください

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