現代版画の鬼才・一原有徳


現代版画の鬼才・一原有徳

40歳を過ぎて絵をはじめ、数年後に抽象版画で世の注目を集めた一人の版画作家。その後も精力的に創作に励み、2010100歳で生涯を閉じた一原有徳の軌跡を辿ります。

「生い立ちと就学」

出典元:http://www.artfront.co.jp/dat/news/20170526/m_1.jpeg?20170721153348JST

出生情報:1910年(明治43年)823日徳島県生まれ。

没年情報:2010年(平成22年)101日小樽市にて没。享年100

一原有徳は1910(明治43)年823日、徳島県那賀郡平島村(現、阿南市那賀川町)に生まれました。3歳の時、伯父が開拓者として移り住んでいた北海道虻田郡真狩村阿波団体(現、真狩村富里)に父母とともに移住します。さらに23年小樽に移住し、同年から小樽実修商科学校(夜間)に通学し、そこで書道教師だった小林露竹(俳号、露石)の句会に参加し、これが俳句創作のきっかけとなります。1927(昭和2)年16歳で、逓信省小樽貯金支局(現、小樽貯金事務センター)に入局し、以後43年間勤務することとなります。一方この頃から本格的に俳句創作に携わり、句誌に投句を始めます。また、31年には休暇を利用しての登山も始めます。44年になると月寒(札幌)の大砲小隊に入隊し翌年、広島へ転属。その後、小樽の第五船舶輸送司令部暗号班に配属されるも終戦によって9月に除隊します。51年、復職した小樽貯金支局に勤務していた画家須田三代治から、油彩画の道具を譲られ指導を受けたことが有徳の絵画との出会いとなります。

 

 

 

「版画との出会い」

「小樽地方貯金局」出典元:http://otaru.gr.jp/wp-content/uploads/2017/05/IMG_8117.jpg

41歳の時に知人・須田三代治のすすめで油彩画をはじめた有徳は、195110月に第5回小樽市美術展に出品し初入選します。翌年の第6回同展では北海道新聞社賞、翌々年の第7回同展で文化クラブ賞を受賞します54に入ると須田の友人である国松登指導のもと、第9回全道展で「峡」が初入選。その後、第12回まで油彩画を出品し連続入選を続けますが、47歳になる頃、パレット代わりに利用していた石版の上に偶然に残ったペインティングナイフの痕跡の図像に強くひかれ、その転写を試みます。こうした偶然の賜物からモノタイプ版画の制作に手を染めていきます。モノタイプ版画は石版などの上に均一に延ばしたインクをナイフなどで削ぎ落とし、版画紙に転写するもので、版画に属するものの、一度しか印刷できないという点では通常の版画とは大きく異なる技法です。58年、有徳が送ったモノタイプの年賀状が版画家・国松登の眼にとまり、奨められた第32回国画会展にモノタイプ作品を出品し「RON」、「SRO」が初入選を果たします。このことがきっかけで、国画会の版画家河野薫から版画についての基礎知識を教わり、金属凹版作品、いわゆるエディション・シリーズの制作にも本格的に取りかかり、有徳の版画制作は一気に加速していきます。

 

 

 

「生涯の創作活動」

「再現された工房」出典元:http://otaru.gr.jp/wp-content/uploads/2017/05/IMG_8915.jpg

1959年、第27回日本版画協会展に出品した「轉」が初入選。この作品がアメリカのコレクターであるフランク・シャーマンに買い上げられたことで、当時の神奈川県立近代美術館副館長土方定一の眼にとまり、版画を始めてから3年後の1960(昭和35)年、土方の推薦によって、世界を巡回した神奈川県立近代美術館主催「現代日本の版画展」に出品し、そこで高い評価を得て、異色・異才の遅咲き版画家として本格的に注目されます。同年6月には東京画廊において初の個展を開催。その後は、勤務先の仕事の傍ら、北海道を中心に作品を発表します。この間、モノタイプや金属凹版を応用し、糸や金網、機械部品を直接プレスしたり、あるいは、丸鋸の刃やトカゲの皮、するめをそのまま版として用たりするなど様々な実験を行い、版画の持つ面白さに没頭していきます。

ZON/1960年」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/jpeg/mid/momat/S0161020.jpg

定年後の1971年、趣味の登山行で下山中に右大腿骨を骨折する遭難事故に遭遇し、その後、3年にわたって三度の手術を受けることになります。退院後の76年、札幌にあるNDA画廊の長谷川洋行から青画廊の青木彪を紹介され、再び東京での個展を開催します。これに先立って美術誌『みづゑ』10月号に谷川晃一との対談が掲載されたこともあり、ふたたび有徳は脚光を浴びることになります。翌年には、現代版画センター主催の「現代と声」展に選ばれ、企画者である北川フラムの知遇を得ます。北川フラムは、その後もいくつかの個展を企画し、89年には『ICHIHARA 一原有徳作品集』を出版します。1979年第2回北海道現代美術展に選定出品された「KIHa)」では優秀賞受賞。また同年、一原が勤務していた貯金局の建物内に市立小樽美術館が開館しますが、版画紙を複数枚つなぎ合わせたり、それを円筒形にして立体的な構造物をつくる手法の第一作となる「SONZON」が制作されたのもこの年です。

Branding」出典元:http://www.artfrontgallery.com/artists/upload/9bc5b2ac1cfa2233c7bacbf0042da4ac06866fa9.jpg

この時期には金属を熱して焼き付ける「Branding」シリーズ、ステンレスの鏡面を歪ませた「SUM」シリーズなどといったオブジェ作品を多数制作していきます。また1983年「無題」(川崎市営競輪場外壁)、1984年「炎」(小樽花園公園)・「炎II」(銭函駅前)とモニュメント作品も制作していきます。その後も奔放な制作活動をつづけ、各地で精力的に個展を開きます。主な個展は1988年「現代版画の鬼才一原有徳の世界」展(神奈川県立近代美術館別館)、1997年「イチハラ・ステンレス・オブジェ」(市立小樽美術館)、1998年「一原有徳・版の世界 生成するマチエール」(徳島県立近代美術館、北海道立近代美術館)、2002年「所蔵作品お披露目展その四・一原有徳展」(武蔵野市立吉祥寺美術館)、2012年「追悼・一原有徳 ヒラケゴマ」(同)などです。

SR1/1989年」出典元:http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/SR1_S.jpg

遅咲きのデビューに加え、登山中の遭難事故やプレス機に指をはさむ事故などにも見舞われた一原有徳でしたがその制作意欲は衰えるところを知らず、高齢となってからも独創的な腐食版・紙以外の版画・オブジェなど新しい表現に次々と挑戦しましたが、2010(平成22)年10月、100歳の生涯を閉じました。まさに「人のやらない事をやる」実験的で挑戦的な試みから生まれた一原有徳作品は、他では見られない特異な画風で「版画」の概念を飛び越えてきたと言って良いないでしょうか。

 

 

 

「主な代表作」

「銅のメモ」より・モノタイプ銅板1975年制作・神奈川県立近代美術館所蔵

SR11989年制作・武蔵野市立吉祥寺美術館所蔵

RMLc)」1974年制作・美術館所蔵未確認

ZON1960年制作・東京都現代美術館所蔵

ZON1982年制作・一原有徳記念ホール所蔵

「銅のメモ」より・モノタイプ銅板1976年制作・神奈川県立近代美術館所蔵

「滴2」トタン板腐蝕1981年制作・神奈川県立近代美術館所蔵

THM」腐蝕銅板1982年制作・神奈川県立近代美術館所蔵

RU10」腐蝕銅板1988年制作・神奈川県立近代美術館所蔵

RS-19b」腐蝕銅板1989年制作・神奈川県立近代美術館所蔵

F(nor)321988年制作・武蔵野市立吉祥寺美術館所蔵

HIR21968年制作・武蔵野市立吉祥寺美術館所蔵

「略歴」

1910(明治43)年 823日、徳島県那賀郡平島村(現・阿南市)に生まれる。
1913(大正2)年 北海道虻田郡真狩村に、家族とともに移住。
1923(大正12)年 真狩尋常小学校卒業後、父母妹とともに小樽に移住。北海道逓信社に入社。この頃中江吉雄(筆名良夫、後の劇作家)と出会い、生涯の友情を結ぶ。小樽高等実修商科学校(夜間)に、中江とともに約5年間修学。
1927(昭和2)年 郵政省小樽地方貯金局に少年事務員として入局。以後43年間勤務。
1931(昭和6)年 勤務先の休暇を利用して登山を始める。
1940(昭和15)年 8月、橋本貴久江と結婚。
1941(昭和16)年 9月、長男、正明誕生。
1944(昭和19)年 6月、札幌月寒の大隊砲小隊に入隊。1か月余りの軍事訓練の後、日高胆振沿岸の築地の稔部隊に編成替される。
1945(昭和20)年 3月、広島市宇品の陸軍船舶輸送指令部、暁部隊の暗号教育部隊に転属。1か月後、小樽の第五船舶輸送指令部暗号班に配属され、9月除隊。世にいう「ポツダム上等兵」。8月、妻 貴久江死去。
1948(昭和23)年 7月、寺中マツエと再婚。
1951(昭和26)年 裸童社に学んだ画家、須田三代治(小樽地方貯金局勤務)に指導を受ける。市展入展。
1957(昭和32)年 この頃より石版モノタイプを始める。
1958(昭和33)年 年賀状にモノタイプを使用、これを認めた国松登の薦めで国画会展に出品、初入選する。プレス機を購入し本格的に制作を始める。
1959(昭和34)年 6月、北海道版画協会の結成に参加。
1960(昭和35)年 朝日選抜秀作展に選定出品される。全道展会友推薦。
1961(昭和36)年 「現代日本の版画展」出品。全道展会員推薦。
1962(昭和37)年 東京国際版画ビエンナーレに招待出品。
1970(昭和45)年 郵政省小樽地方貯金局を定年退職する。職場のロビー、廊下を利用し、退職記念展開催。文芸同人誌「楡」に創作「乙部岳」を発表し、同年の太宰治賞候補となる。添削して、翌年の「北方文芸」1月号に再発表する。
1971(昭和46)年 夕張山脈峰に登った後、下山中にスキーが脱落して骨折、遭難。救出され入院したが手術の失敗で再入院、後遺症のため、以後3年間に3度の手術を受ける。
1972(昭47)年 登山事故の影響により、一切の展覧会出品なし。
1978(昭和53)年 1回北海道現代美術展。
1979(昭和54)年 北海道現代美術展優秀賞受賞。
1980(昭和55)年 小樽市教育文化功労者に選ばれる。
1981(昭和56)年 北海道現代美術展に選定出品、北海道立近代美術館賞受賞。小樽市功労者(教育文化)として表彰される。
1984(昭和59)年 小樽公園と銭函駅前広場のモニュメントを制作する。
1985(昭和60)年 和歌山版画ビエンナーレ展(和歌山県立美術館)に出品、佳作賞受賞。
1987(昭和62)年 8月、プレス機を使っての制作中に左手を巻き込まれ、左中指の先を失う。「一原有徳展」(市立小樽美術館)開催。
1988(昭和63)年 「現代版画の鬼才・一原有徳展」(神奈川県立近代美術館)開催。
1989(平成1)年 「一原有徳・博物誌的版の世界」(GALLERY SANYO)開催。作品集「ICHIHARA」(正木基編集)が現代企画室より刊行される。
1990(平成2)年 北海道文化賞受賞。
1992(平成4)年 「コミュニケーションワールド’92 北海道2000(コム博)」に出品。映画「アンモナイトのささやきを聞いた」(山田勇男監督)に出演。
1993(平成5)年 「一原有徳展」(カリフォルニア州トライトン美術館)開催。
1994(平成6)年 恵比寿ガーデンプレイスタワー(東京)1階エントランスロビー壁レリーフを制作。真狩村開基100年記念モニュメント<翔>を設置。
1995(平成7)年 小樽市民センター正面玄関壁レリーフを制作。8月から9月の間、大腸がんのため入院。
1996(平成8)年 地域文化功労者の文部大臣表彰に選ばれる。
1998(平成10)年 「一原有徳・版の世界 生成するマチエール展」(徳島県立近代美術館・北海道立近代美術館)開催。「土曜美の朝―版にならないモノはない―版画家 一原有徳」(NHK札幌放送局制作)に出演。
2001(平成13)年 2月から4月の間、心筋梗塞のため入院するが間もなく退院し、小樽市の自宅で制作を再開する。「一原有徳/新世紀へ」(市立小樽美術館・市立小樽文学館)開催。

札幌ドームにステンレス作品を制作。

2009(平成21)年 北海道版画協会 創立50周年記念展(北海道立近代美術館)に出品。
2010(平成22)年 「一原有徳・版の冒険」(光岡幸治著)がミュージアム新書より刊行される。101日、100歳で逝去。

「関連著作物」

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/A1Bjb1Pg2iL.jpg

ICHIHARA・一原有徳作品集」一原有徳著・1989年現代企画室刊

書価:19440円(アマゾン価格)

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出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81NplAG9qqL.jpg

「一原有徳・版の冒険(ミュージアム新書)」著・2010年北海道新聞社刊

書価:1188円(アマゾン価格)

オンラインショッピング:https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E5%8E%9F%E6%9C%89%E5%BE%B3_%E7%89%88%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BA-%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%85%89%E5%B2%A1-%E5%B9%B8%E6%B2%BB/dp/4894535432/ref=pd_bxgy_14_img_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=S3C57H9279CFEJ8D9P83

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%8E%9F%E6%9C%89%E5%BE%B3
参考サイト:https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/artmuseum/ichihara.html
参考サイト:https://otaru.gr.jp/tourist/%EF%BD%A2%E4%B8%80%E5%8E%9F%E6%9C%89%E5%BE%B3%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BD%A3%E3%81%A7%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E9%91%91%E8%B3%9E%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%81%A7
参考サイト:http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2012/06/post-100.html
参考サイト:http://www.artfront.co.jp/jp/news/20170526/#20170526
参考サイト:http://search.artmuseums.go.jp/sakuhin_list.php?sakka=321&page_from=detail
参考サイト:http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28511.html
参考サイト:http://www.artfrontgallery.com/artists/post_1.html
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