天空のハンター「山岳カメラマン列伝」2016.5.28.更新


天空のハンター「山岳カメラマン列伝」

冬山の本格的シーズンがやってきました。冠雪する峰々は素晴らしい景色を繰り広げてくれますが、冬山登山をしない人にも、その臨場感を感じさせてくれる人がいます。ご紹介します、日本を代表する「山岳カメラマン」の方々です。

 

田淵行男

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「田淵行男」出典元:https://www.city.azumino.nagano.jp/

生年月日:1905年6月4日 鳥取県日野郡黒坂村(現日野町生まれ。

プロフィール:田淵行男(1905-89)は46歳の時に山岳写真家として華々しくデビューし、山の存在感・重量感をみごとに表現した数々の傑作を発表しました。

関連サイト:http://azumino-bunka.com/facility/tabuchi-museum/

関連サイト:

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「作品」出典元:http://azumino-bunka.com/img/facility/tabuchi-museum/img5.png

昆虫の生態研究家でもある田淵行男は自然を愛し、生涯にわたって自然保護の大切さを提唱し続けました。 自然を単なる被写体としてではなく、実に気の遠くなるような時間をかけて観察していました。1989年5月30日、入院先の豊科病院において死去。

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「撮影中の田淵氏」出典元:http://azumino-bunka.com/img/facility/tabuchi-museum/img4.png

作品集:

「高山蝶」1959年(朋文堂)刊行。

「わが山旅」1952年(誠文堂新光社)刊行

「ヒメギフチョウ」1957年(誠文堂新光社)刊行

「山の紋章雪形」1981年(学習研究社)

「安曇野の蝶」1983年(講談社)刊行

「山のアルバム」1985年(講談社)刊行

「黄色いテント」1985年(実業之日本社)刊行

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「田淵行男が愛した安曇野」出典元:http://azumino-artline.net/


依田孝喜

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映画「マナスルに立つ」パンフレット出典元:http://ecx.images-amazon.com/images/I/51pDqyYaDdL.jpg

生年月日:1917年生まれ。1998年没。

プロフィール:毎日新聞社の写真部員で「カメラ毎日」の編集長でした。1953(S28)年の第一次マナスル登山隊に参加、日本人初の登頂成功の記録写真「ヒマラヤひだ」が話題を呼びました。

関連サイト:http://manaslu-60th.com/about-manaslu/

関連サイト:

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%86%99%E7%9C%9F%E9%9B%86%E2%80%951952-56-1956%E5%B9%B4-%E4%BE%9D%E7%94%B0-%E5%AD%9D%E5%96%9C/dp/B000JB1SQ0

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「マナスル写真集」出典元:http://ecx.images-amazon.com/images/I/41-6zmJeDGL._SX349_BO1,204,203,200_.jpg

作品集:映画「マナスルに立つ」1956年作:

標高8125米、世界第八位のヒマラヤの処女峰マナスルは槙有恒を隊長とする第三次日本登山隊によって、ついにその絶頂がきわめられた。このマナスル登頂の輝かしい記録は、隊員の一人で第一次及び第二次登山隊にも参加、第二次登山の際「白き神々の座」を撮影した依田孝喜(毎日新聞写真部員)により三万呎のイーストマン・カラー・フィルムに収められました。本映画はこのフィルムから毎日映画社と映配が共同で製作(製作担当者は映配社長の塩次秀雄と毎日映画社社長の対馬好武)編集及び構成は映画監督のヴェテラン山本嘉次郎が当り、約八千呎の作品にまとめ上げられました。

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「マナスル写真集」内・出典元:http://manaslu-60th.com/wp/wp-content/themes/manaslu/img/about-manaslu/news3.jpg


白旗史郎

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「白旗史郎」出典元:http://www.shiro-shirahata.net/img/item/shiro-shirohata.jpg

生年月日:1933年2月23日 山梨県北都留郡広里村(現大月市)に生まれ。

プロフィール:ヒマラヤを始めとする世界の峰、日本国内の名峰を四季にわたって数多く撮影し、発表してきた。特にライフワークとして南アルプスの写真を多く撮影している。1948年(昭和23年)3月大月東中学校を卒業。進学希望はあったが家庭の事情で高校には進学せず家事を手伝う。1951年写真家・岡田紅陽に師事、5年間内弟子として過ごした。この5年間で自主的な山行を生まれ故郷付近の低山を対象に日帰りで何度も繰り返した。1958年(昭和33年) フリーランスの写真家として独立。しかし対人関係に疎く、騙されることも多く、何度も職を変えた。1962年(昭和37年)4月15日 山岳写真家として独立。金と時間が許す限りがむしゃらに入山し、1963年までの入山日数は独立前の10年間の入山日数を超える入山237日となった。この後は1980年まで少ない年でも130日、多い年は200日、平均150日前後程度入山した。1966年(昭和41年)8月6日 コー・イ・セフェに初登頂。その後も日本を代表する山岳写真家として、高い評価を受けている。山岳写真のほか、風景写真などを中心に活動を続け、写真集などの刊行物を多数出版している。

公式サイト:http://www.shiro-shirahata.net/

関連サイト:http://www.natual.com/sirahata/index3.htm

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写真集「富士百景」出典元:http://ecx.images-amazon.com/

作品集:

『写真集 白籏史郎 富士山』 (山梨日日新聞社 1999年12月)

『北アルプス礼讃白籏史朗写真集』(新日本出版社 2001年1月)

『白籏史朗の百一名山』 (山と溪谷社 2001年4月)

『富士山風光200景 日々刻々と変化する富士山の撮影ポイントとガイド』(日本カメラ社 2003年4月)

『日本と世界の名峰を讃う』(日本カメラ社 2003年8月)

『山、わが生きる力』(新日本出版社 2003年8月)

『富士四季讃歌』(朝日新聞社 2005年1月)

『魅せられし山々』(新日本出版社 2006年9月)

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「作品」出典元:http://www.natual.com/sirahata/002.jpg


白川義員

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「白川義員」出典元:http://www.yoshikazu-shirakawa.com/images/profile_image.jpg

生年月日:昭和10年1月28日愛媛県宇摩郡金生村(現四国中央市)生まれ。

プロフィール:1957年(昭和32)日本大学芸術学部写真学科を卒業後、ニッポン放送に入社、文芸部プロデューサーとして勤務。59年フジテレビに移籍。62年同社を一時休職し、中日新聞社の特派員として8か月間世界一周の写真取材を行う。同年12月退社し、フリーランスの写真家として活動を始める。以後精力的に世界中を取材し、写真集『ヒマラヤ』(1971)により毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞する。その後、地球がもつ美や神秘、荘厳さを追い求めた、「地球再発見による人間性の回復へ」と題するシリーズを展開。

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写真集「アメリカ大陸」出典元:http://ecx.images-amazon.com/

また、全米の41地域を取材した「アメリカ大陸」、聖書に登場する重要な場所251か所を取材した「新約聖書の世界」「旧約聖書の世界」、足かけ4年に及び取材した「中国大陸」、83日間を要して南極大陸を一周し取材した「南極大陸」などのテーマ、シリーズに取り組む。79年から80年にかけての三部作「聖書の世界」(「新約聖書の世界」「旧約聖書の世界」「キリストの生涯」)により81年全米写真家協会最高写真家賞を日本人として初めて受賞する。88年菊池寛賞受賞。

公式サイト:http://www.yoshikazu-shirakawa.com/

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「南極大陸」出典元http://nature.travel.coocan.jp/

93年(平成5)南極大陸一周に成功し、そこで撮影した作品をまとめ『南極大陸』(1994)として出版。同作品で翌95年日本芸術大賞受賞。97年以降は世界の山岳関係者が選定した「世界百名山」プロジェクトに着手。2001~02年、世界の名峰127座をカメラに収め、『世界百名山』を刊行。

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「マチャプチャリと月」出典元:http://www.yoshikazu-shirakawa.com/works/images/himalayas_image_05.jpg

作品集:

『アルプス』(1969・講談社)

『アメリカ大陸』(1975・講談社)

『白川義員山岳写真全集』全6巻(1982~83・小学館)

『中国大陸』上下(1984・小学館)

『神々の原風景』(1985・学習研究社)

『仏教伝来』全3巻(1986~87・学習研究社)

『南極大陸』上下(1994・小学館)

『白川義員作品集 世界百名山』全3巻(2001~02・小学館)

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「世界百名山」内出典元:http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ZuMjxvbmL.jpg


水越武

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「水越武」出典元:http://www.geocities.jp/mizukoshi0501/images/prof01.jpg

生年月日:昭和13年5月1日愛知県豊橋市生まれ。

プロフィール:昭和後期-平成時代に活躍する北海道川上郡弟子屈町在住の写真家。映画の撮影助手から写真家をこころざし,昭和40年から田淵行男に師事。46年初の個展「穂高」開催を機にフリーとなり,山と森林の写真をとりつづける。54年カラコルム五大氷河学術踏査隊に参加。平成21年「知床 残された原始」などで芸術選奨文部科学大臣賞。愛知県出身。東京農大中退。本名は武久。写真集に「日本の原生林」「HIMALAYA」「森林列島」など。

公式サイト:http://www.geocities.jp/mizukoshi0501/

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出典元:http://www.geocities.jp/mizukoshi0501/images/Top01.jpg

作品集:

「槍・穂高」 1975年 山と溪谷社

「白馬岳」 1976年 山と溪谷社

「穂高 光と風」1986年 グラフィック社

「森林限界」 1986年 山と溪谷社

「雷鳥 日本アルプスに生きる」 1991年 平凡社

「ブナ VIRGIN FOREST」 1991年 講談社

「夜明け」 1992年 丸善

「HIMALAYA」 1993年 講談社

「カムイの森」 1996年 北海道新聞社

「水越武写真集 森林列島」(小野有五 解説) 1998年 岩波書店

「水越武写真集 熱帯雨林」 2001年 岩波書店

「世界遺産屋久島 多様性の回廊」2003年 講談社

「知床 残された原始」2008年 岩波書店

「熱帯の氷河」2009年 山と渓谷社

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「屋久島」出典元:http://www.geocities.jp/mizukoshi0501/Works/thumb/yaku-05.jpg

 

≪次ページ・パート2.もご覧ください≫

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