タイムスリップ荻窪巡り

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タイムスリップ荻窪巡り

杉並の高級住宅街の歴史を映し出す街、荻窪。そこには様々な生活文化の息吹が宿ります。ご案内します「タイムスリップ荻窪巡り」です。

≪インデックス≫

-荻窪文化―

1「杉並メダカ」

2「中島飛行機東京工場」

3「旅館西郊」

4「レコード月光社」

5「善福寺の貴重木」

6「太田黒公園」

―荻窪伝統カフェ―

7「名曲喫茶ミニヨン」

8「邪宗門」

9「カフェピエロ」

10「ブックカフェ六次元」

―荻窪流グルメ―

11「坊千代」

12「本むら庵」

13「鳥もと」


-荻窪文化―

1「杉並メダカ」

参考サイト:https://www.suginamigaku.org/2012/06/suginami-medaka.html

参考サイト:http://sas2005.eco.coocan.jp/24_biodiv/24biodiv.html

出典元:http://sas2005.eco.coocan.jp/24_biodiv/medaka/smedaka150504.jpg

出典元:http://sas2005.eco.coocan.jp/24_biodiv/medaka/sikeniwa.jpg

出典元:http://sas2005.eco.coocan.jp/24_biodiv/medaka/mrsuda.jpg

インフォメーション:以下参照

東京で生息していた絶滅危惧種の野生のメダカが、東京都杉並区の民家の池で飼育されていることが分かりました。2008東京都杉並区は、区内では絶滅したと思われていた野生のメダカが、同区南荻窪4丁目の元中学校教諭宅に生息していたと発表しました。飼育していたのは元中学校理科教員で、東京大学総合研究博物館の協力研究員を務めている須田孫七氏(当時76歳)。須田氏が12歳の頃、同区の井草川に近い水田で採取し、以来60年以上、トンボを観察するためのヤゴの餌として飼育してきたそうです。須田が中学生のころ、自宅周辺は川が流れ、水田が広がっていました。そこから第次大戦中、防火用水のボウフラ退治にとメダカをとっていたそうですが自宅にはトンボを育てるための小さな池があり、そこにメダカを入れていました。その後、周辺の川は地下水路となり、水田も住宅地に変わ「昔の杉並にいたメダカは絶滅した」。須田の自宅近くの区立公園の解説板にはそう記されていました。しかし須田氏がヤゴの餌として飼育してきたメダカのDNA鑑定を東京都が200712に行ったところ、かつて東京都内にも多く生息していた東日本型1型と分かりました。飼育中に別の型のメダカとは隔離されており純粋な“江戸っ子メダカ”とみられます。須田によると区内では昭和30年代に水田はほぼなくなりメダカも見かけなくなり、現在、公園の池などにいるメダカは改良品種で、区は地元の野生種は絶滅したとみていました。現在いるメダカは十数匹。須田は「貴重なメダカと分かっていれば、餌になんかしなかった。今後は大事に飼って増やし、採取した付近の学校に配りたい」と話している。という記事が大変な話題となりました。2018年現在、杉並メダカは国の管理下で飼育され一般に公開はされていません。また須田孫七氏は2018410お亡くなりになられています。なお生前このメダカに関する須田氏の取材記事を閲覧することができます。以下の参考サイトをご参照ください。

参考閲覧資料:https://www.suginamigaku.org/2012/05/magoshichi-suda-interview.html


2「中島飛行機東京工場」

参考サイト:https://gazoo.com/article/car_history/141017_1.html

「東京工場本館」出典元:https://gazoo.com/pages/contents/article/car_history/141017_1/06.jpg

「東京工場建屋」出典元:https://gazoo.com/pages/contents/article/car_history/141017_1/08.jpg

「跡地公園」出典元:https://gazoo.com/pages/contents/article/car_history/141017_1/01.jpg

インフォメーション:以下参照

19441124日、マリアナ諸島を飛び立ったアメリカ軍のB29部隊は、ターゲットナンバー90.17-357を目指しました。爆撃のターゲットは東京都北多摩郡武蔵野町にあった中島飛行機武蔵製作所です。半年ほど前にアメリカ軍はサイパン島を陥落させ、日本を爆撃する基地を築いていました。東京はB29の航続距離の中に収まることになり、それ以降激しい空襲が続くことになり東京は焦土と化していきました。武蔵製作所は194588日まで計9回にわたって爆撃され、壊滅的打撃を受けます。爆撃機数はのべ505機に及び、投下された爆弾は2602.5トンという凄まじさでした。中島飛行機が戦略爆撃の目標となったのは、日本の戦力を奪うのに最も効果的だったからです。第2次世界大戦では航空機による戦闘が最も大きな意義を持つようになっており、制空権を得た側が圧倒的に有利な戦いを進めることができました。中島飛行機武蔵製作所では戦闘機や爆撃機のエンジンと機体を組み立てていて、生産能力を奪ってしまえば日本の戦力は大幅にダウンします。日本で1927年から1945年までに生産された3578機の戦闘機のうち、半数以上の16763機が中島飛行機で作られており、アメリカ軍が爆撃の第1目標にしたのは当然でした。戦争の時代に創業し兵器となる航空機を生産した中島飛行機がその中で培った技術力は戦後に平和な産業で大きく花開くことになります1953年に誕生した富士重工業は中島飛行機が離合集散を重ねた末にたどり着いた姿でした。スバルは戦後の日本自動車史の中で重要な位置を占め、水平対向エンジンと四輪駆動を組み合わせたユニークなパワートレインを持つことで世界に知られていきます。その後、富士重工業(現・スバル)の主力生産拠点は群馬県太田市に移され、跡地がURに土地売却され工場が取り壊された後は再開発で新しい集合住宅群やスーパーマーケットが建設され、東側は「桃井原っぱ広場」という公園になっています。また残りの土地はエリアの防災公園として整備が進められました。

跡地所在地:東京都杉並区桃井三丁目


3「旅館西郊(西郊ロッジヂング)」

Wikipediaサイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%8A%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%82%E3%83%B3%E3%82%B0

「西郊本館」出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/Seikou_Honkan_%28Suginami_Tokyo%29.JPG/1024px-Seikou_Honkan_%28Suginami_Tokyo%29.JPG

「新館」出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6f/Seikou_lodge_%28Suginami_Tokyo%29.JPG/800px-Seikou_lodge_%28Suginami_Tokyo%29.JPG

インフォメーション:以下参照

西郊ロッヂング(せいこうロッヂング)は東京都杉並区荻窪にある歴史的建造物です。1938(昭和13年)建築の洋風建築ですが、2001(平成13年)の改修後は賃貸住宅となっています。なお、西郊ロッヂングは当初は本館のみで後に新館が増築されており、現在では新館のみが西郊ロッヂングと呼ばれ、本館は「西郊」という旅館として営業しています元々1916(大正5年)3月、東京都文京区本郷下宿屋として創業。1923(大正12年)に発生した関東大震災を契機に、1931(昭和6年)に荻窪に本館を新築して移転し「西郊ロッヂング」を開き、1938(昭和13年)には新館を増築しました。本館、新館ともに、当時は珍しいかった全室洋間の高級下宿でた。1948(昭和23年)に、本館を旅館「西郊」に転業。新館は従業員の宿舎等としても使用されました。2001(平成13年)には、新館が改築されて賃貸アパートとして生まれ変わりました。なお、本館は現在も旅館として営業しています本館は1931(昭和6年)築で木造2階建、スレート一部鉄板及び桟瓦葺、建築面積473m21階は玄関・広間・厨房で2階には宿泊室があり、ベージュ色のモルタル仕上げの外観です。新館は1938(昭和13年)築で敷地の北西角に沿うようにL字形に建ちます。木造2階建、建築面積145m2で部屋数13の集合住宅ベージュの外壁に上部には銅板葺ドーム屋根を載せています。どちらも歴史的建造物であることから、200911月、「旅館西郊本館」及び「西郊ロッヂング」として、国の登録有形文化財に登録されました。

旅館所在地:東京都杉並区荻窪3389

問合せ:以下参照

参考宿泊料金:一泊朝食付お一人様6000円~8500

宿泊プラン:以下参照

予約等問合せ先:https://www.ryokan.or.jp/inn/contact/28600


4「レコード月光社」

インフォメーション:以下参照

昭和の香り豊かな北口荻窪銀座の誕生当初からあり、昔懐かしいLP SP、レコード、CD販売されています。国内外を問わずオールジャンルを取り扱っており、思わぬ掘り出し物が見つかるかもしれません。小さいお店ですが並んでいるレコードを見ているだけで感激しますね。こちらのお勧め理由は意外なものが安価で買えてしまうという専門店ではあり得ないような値付けで売られている事が多いです。クラッシクファンの方の間では特に有名なお店でCDも置いてますが交響曲なんかのレコードを探している方にはお薦めです

店舗所在地:167-0043 東京都杉並区上荻1丁目411

問合せ:0333982092

営業時間:11002030

定休日:水曜日


5「善福寺の貴重木」

参考サイト:https://www.suginamigaku.org/2015/07/valuable-evergreen-tree-2.html

「アトラススギ」出典元:https://www.suginamigaku.org/assets_c/2015/07/nat_tokyozyoshidai_02-thumb-600xauto-3310.jpg

「クロガネモチ」出典元:https://www.suginamigaku.org/photo/nat_tokyozyoshidai_01.jpg

「ゴヨウマツ」出典元:https://www.suginamigaku.org/assets_c/2015/07/nat_tokyozyoshidai_03-thumb-600xauto-3311.jpg

インフォメーション:杉並区には「保護樹木」という制度があります。貴重な庭木、サイズの大きい木については、「保護樹木」とし、その中でも特に貴重なものについては「特別保護樹木=貴重木」を指定しています。貴重木は杉並区内に現在約40本ほどです。その中で東京女子大学内に三本の貴重木があります。

①:樹木名「クロガネモチ」(科目:モチノキ科)

貴重木の種目:珍木

樹高:12.5m

幹周:258cm

直径:82cm

樹齢:不明

由来:大学自体の移転が1924年に行われましたが、その際の緑化運動の折、植樹されたとされています。樹木の見学については大学に直接お問い合わせください。連絡先は0353826317

②:樹木名「アトラススギ」(科目:マツ科)

貴重木の種目:巨木

樹高:19.5m

幹周:312cm

直径:99cm

樹齢:不明

由来:大学自体の移転が1924年に行われましたが、その際の緑化運動の折、植樹されたとされています。樹木の見学については大学に直接お問い合わせください。連絡先は0353826317

③:樹木名「ゴヨウマツ」(科目:マツ科)

貴重木の種目:珍木

樹高:15.5m

幹周:278cm

直径:88cm

樹齢:不明

由来:大学自体の移転が1924年に行われましたが、その際の緑化運動の折、植樹されたとされています。樹木の見学については大学に直接お問い合わせください。連絡先は0353826317

所在地:167-8585 東京都杉並区善福寺2丁目61

関連問合せ先:上記参照


6「太田黒公園」

公式サイト:http://www.hakone-ueki.com/sub/

出典元:http://www.hakone-ueki.com/sub/wp-content/uploads/2017/09/about1.jpg

出典元:http://www.hakone-ueki.com/sub/wp-content/uploads/2017/09/about2.jpg

出典元:http://www.hakone-ueki.com/sub/wp-content/uploads/2017/09/about8.jpg

インフォメーション:以下参照

大田黒公園の『大田黒』という名前は日本の音楽評論家の草分けとも言える、故・大田黒 元雄氏に由来しており「自宅を公園に改築して欲しい」という氏の遺志をもとに、遺族から杉並区に寄贈された土地を整備して1981(昭和56)101日に開園した公園です。東京メトロ丸の内線の終点駅であり、JR中央線と総武線で利用可能という抜群のアクセスの良さを誇る荻窪にある隠れ家的なスポットで入園は無料です。公園といっても、すべり台やブランコなどの遊具が設置された児童公園ではなく回遊式の日本庭園となっています。都会の真ん中にありながら静かで落ち着いた雰囲気が心地良く、普段は周辺住民の憩いの場所となっています。大田黒公園の広さは2700坪ほどでサッカーグラウンドより少し大きいくらい。個人の邸宅としては巨大な敷地ですが公園としては手頃な広さの大田黒公園ですが、大田黒氏の仕事場だった記念館に加え、檜の門と石畳、東屋や池など景色は変化に富んでいて、いろんな風景と季節になると紅葉が楽しめます。

所在地:167-0051 東京都杉並区荻窪3丁目3312

関連問合せ先:0333985814(公園管理事務所)

施設使用時間:9001700

休園日:1229日~11


―荻窪伝統カフェ―

7「名曲喫茶ミニヨン」

公式サイト:http://cafe-mignon.sakura.ne.jp/

「移転前」出典元:http://cafe-mignon.sakura.ne.jp/pic/2photo1.jpg

「現在の店内」出典元:http://cafe-mignon.sakura.ne.jp/pic/1photo4.jpg

「現在の店内」出典元:http://cafe-mignon.sakura.ne.jp/pic/1photo3.jpg

インフォメーション:(HPより)以下参照

昭和36年(1961年)、一軒の名曲喫茶が荻窪の北口に開店した。お店の名前はママ曰く、「小さな店で、だから”ミニヨン”ってしたんです。”ミニ”とトマ作曲のオペラの主人公”ミニヨン”をかけてね」。開店当時、ママのレコードコレクションは100枚ほどだったという。今ではこの北口ミニヨンを知る者は少なく、数少ない思い出話しを聞きつつ想像を巡らすばかりである。それから10年あまりが過ぎ、、、昭和46年(1971年)、店は現在の立地である南口のビルの2階に移転、この頃からママのレコードコレクションも知らず知らずの間に5000枚を越えて行く。レコード棚で仕切られた喫茶裏のスペースも、南口初期には音楽マニア向けの”私語禁止”鑑賞室として、現在主動しているオーディオシステムが配置され分化していた。この部屋はしばらくして、「ギャラリー人魚館」として営業を開始することになる。そして時は流れ、、、平成13年(2001年)、91歳で名物ママ(深沢千代子ママ)が引退。節目の年でもある同年7月、開店40年目にして店をリニューアルオープンした。ママの意志を継ぎ再出発した名曲喫茶ミニヨンは、喫茶・コンサート・ギャラリー(「ギャラリーミニヨン」と改名)の三本柱で、レコードがまだ高価だった時代の文化を残すべく営業を続けている。

参考予算:コーヒー450円・紅茶450円・マドレーヌ160円・クッキー200

店舗所在地:167-0051 東京都杉並区荻窪4丁目313

問合せ先:0333981758

営業時間:12002100(日曜日は11001900

定休日:水曜日

席数:約50

≪次ページパート2≫もご覧ください

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