静かなブーム・大人の大磯紀行


静かなブーム・大人の大磯紀行

神奈川県は横浜・鎌倉・箱根に次ぐ、第四の観光コアとして県内三地域を開発指定しました。大磯もその中の一つとして指定されましたが、そもそも日本の歴史とも交差する由緒ある地です。そこでご紹介します「静かなブーム・大人の大磯紀行」情報です。

「神奈川県観光認定事業とは」

「新たな観光の核候補地域PRポスター」出典元http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/image/742597.png

インフォメーション:(神奈川県公式HPより)神奈川県では横浜・箱根・鎌倉に次ぐ「新たな観光の核」候補地域として、城ヶ島・三崎地域(三浦市)、大山地域(伊勢原市、秦野市、厚木市)、大磯地域(大磯町)の3地域を認定し、海外にも強力に発信できる新たな観光の核づくりを進めています。

大磯町観光情報サイト「イソタビドットコム」:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/

大磯町観光協会公式サイト:http://www.oiso-kankou.or.jp/

大磯町観光協会FACEBOOKhttps://www.facebook.com/oisokanko/

歴史を愛でる大磯

「①旧吉田茂邸」

「旧吉田茂邸」出典元:http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/yoshidashigeruteichiku/tei1.jpg

「日本庭園」出典元:http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/yoshidashigeruteichiku/ike1.jpg

「吉田茂銅像」出典元:http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/yoshidashigeruteichiku/zo.jpg

公式サイト:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/index.html

参考サイト:http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/yoshidashigeruteichiku.html

インフォメーション:

情報①旧吉田茂邸地区公園整備事業の背景と経緯

相模湾沿岸地域一帯は明治期から別荘地・保養地を形成し、首都圏で活躍する政財界人や文化人が滞在、交流する地域として発達してきました。特に大磯中心部一帯は、旧吉田邸をはじめとして、大規模でかつ著名人が構えた住宅・庭園が連なっています。旧吉田茂邸は、吉田茂の没後、西武鉄道株式会社へ売却され、大磯プリンスホテルの別館として利用されていました。平成16年頃より地元を中心に旧吉田茂邸の保存の機運が高まり、神奈川県や大磯により近代政治史の歴史文化遺産として保全・活用が検討され、隣接する「県立大磯城山公園の拡大区域」として、県が整備する方向性が定められました。しかし、その後の計画検討の最中、平成213月、本邸が火災で焼失してしまいましたが、消失を免れた日本庭園や歴史的資源(兜門・七賢堂など)、そして大磯丘陵に連なる貴重な緑地を保存活用するため、同公園の拡大区域とすることが再確認され、平成217月には都市計画の位置付けがなされました。その後「旧吉田茂邸地区」の事業に着手し、県が公園整備を行い旧吉田茂邸は大磯町が町有施設として再建することとなりました。多くの方々の協力を得て『大磯町郷土資料館別館』として平成2941から公開がはじまります。

情報②旧吉田茂邸とは

旧吉田茂邸は、明治17年に吉田茂の養父健三が別荘として建てたもので、吉田茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした邸宅です。政界引退後も多くの政治家が「大磯参り」を行い、また、元西独首相アデナウアー氏や、当時の皇太子殿下(今上天皇)と同妃殿下などの国内外の要人が招かれました。吉田茂没後には、大平首相とカーター大統領の日米首脳会談が実施されるなど近代政治の表舞台としても利用されました。豪壮数奇屋建築風の総檜造りの本邸は、建築家吉田五十八の設計のもと、京都の宮大工により建設されました。日本庭園は、世界的作庭家中島健が設計したもので、本邸周辺部分は、日本庭園研究家の久恒秀治によって造られました。吉田茂がよく散歩をしていたといわれる庭は、心字池や築山のある日本庭園、松林、バラ園、サンルームがあり、その日本庭園にはあまり用いられないカナリーヤシが植えられるなど、海外赴任生活の長かった吉田茂の嗜好の多様性、様式にとらわれない人間性が色濃く反映された庭園となっています。

所在地:259-0111 神奈川県 中郡大磯町国府本郷551-1

問合せ:0463-61-0355(大磯城山公園 管理事務所)

開館時間:午前9時から午後430分まで

休館日:月曜日・毎月1日・年末年始(1229日~14日)

関連料金:一般500中・高校生200


「②鴫立庵」

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/%E9%B4%AB%E7%AB%8B%E5%BA%B54.jpg

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/%E9%B4%AB%E7%AB%8B%E5%BA%B52.jpg

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/%E9%B4%AB%E7%AB%8B%E5%BA%B56.jpg

参考サイト:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/meisyo/shigitatsuan.html

参考サイト:http://www.oiso-kankou.or.jp/entry.html?id=20445

FACEBOOKhttps://ja-jp.facebook.com/shigitatsuan/

インフォメーション:西行法師の歌で名高い鴫立沢に、寛文4(1664)年、小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりで元禄8(1695)年、俳人の大淀三千風が入庵し、第1世庵主となりました。現在は京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つと言われています。

なお毎年3月の最終日曜日に西行祭が行われます。

所在地:大磯町大磯1289

問合せ:0463-61-6926

開館時間:9:00-17:00

休館日:年末年始(12/29-1/3)

関連料金:<町内の方>大人100円小人50円<町内外の方>大人300円小人150


「③旧島崎藤村邸」

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%97%A4%E6%9D%91%E9%82%B81.jpg

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%97%A4%E6%9D%91%E9%82%B84.jpg

「藤村・朝子夫妻」出典元:http://5.pro.tok2.com/~ms8/image19.jpg

参考サイト:http://www.oiso-kankou.or.jp/

参考サイト:http://5.pro.tok2.com/~ms8/touson.html

インフォメーション:明治5年(1872)島崎藤村(本名:春樹)は長野県木曽郡山口村字馬籠で父正樹、母ぬいの四男として生まれます。生家は馬籠宿の本陣・庄屋を兼ねる旧家でした。小学生の時に上京、明治25年には明治女学校の教師となります。北村透谷らと文芸雑誌「文学界」を創刊、明治30年に刊行した第一詩集「若菜集」によって名声を得ます。 昭和16114日「左義長」を見に来磯した藤村は、温暖なこの地が非常に気に入り、春には台町のこの家に住むようになり、71歳で永眠するまでの2年余この地で過ごしました。昭和18822日、大磯の地で永眠。毎年命日には藤村を偲び、藤村夫妻の眠る地福寺にて藤村忌が行われています。大磯移住の理由や地福寺埋葬の経緯などについては諸説あるが、研究者の間でもナゾの部分が多いとされています

所在地:大磯町東小磯88-9

問合せ:0463-61-3300大磯観光協会

開館時間:900-1600

休館日:月曜日(祝日の場合は開場) / 年末年始(12/29-1/3)

関連料金:入館無料


「④澤田美喜記念館」

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/%E6%BE%A4%E7%94%B0%E7%BE%8E%E5%96%9C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A81.jpg

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/P1000777.jpg

出典元:http://mitte-x-img.phj.jp/oisokankou/photo/middle/P1000773.jpg

出典元:http://www.sawadamiki-kinenkan.com/05_chapter3-4.jpg

澤田美喜記念館公式サイト:http://www.sawadamiki-kinenkan.com/

参考サイト:http://www.oiso-kankou.or.jp/

インフォメーション:(HPより)「澤田美喜記念館」は198712月に創設され29余年が経ちました。当館では生前に美喜が蒐集した世界各国の十字架や、国内で手に入れる事の出来た歴史的に貴重な「隠れキリシタン」の遺物など数多くの展示品を公開してまいりました。隠れキリシタンの強く熱い祈りを伝えるとともに、神への信仰の下にエリザベス・サンダース・ホームを生み育てた澤田美喜のメモリアルとしてこれまで運営してまいりました。昨今の地震多発により、展示品の安全対策や劣化への対応の必要性が求められております。これを機に当館でも展示品保護のため、安全面を配慮した保存箱での収納、地震時の揺れの影響を考慮した展示方法を取り入れる運びとなりました。更に専門家のご協力を得て、展示品にわかり易い説明書きを添えて様々な展示レイアウトを工夫いたしました。大磯町郷土資料館館長に委員に加わって頂き、大学研究室の方々と共に準備を進め、2014323日にリニューアルオープンしました。「隠れキリシタンの信仰」と「澤田美喜の混血孤児達を守り育てようとした祈り」を主要なコンセプトとして、テーマを設け、今後少しずつ展示替えを行う予定です。

所在地:大磯町大磯1152

問合せ:0463-61-4888

開館時間:10001600

休館日:月曜日・年末年始

関連料金:一般500円(中学生以下無料)高校生・大学生40065歳以上400


「⑤旧木下家別邸(営業店名称:大磯迎賓館)」

出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/ekimaeyoukanshomen.jpg

出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/ekimaeyoukanmiage.jpg

出典元:http://www.oisogeihinkan.com/intro/history/img/img_02_01.jpg

大磯迎賓館公式サイト:http://www.oisogeihinkan.com/about/

参考サイト:http://www.oiso-kankou.or.jp/

インフォメーション:(『大磯建物語 大磯駅前洋館(木下家別邸)』より一部抜粋

「旧木下家別邸」は住民から「三角屋敷」と呼ばれ親しまれてきた、大正モダンの建物です。当時流行していた、ツーバイフォー工法で、輸入材ではなく国産材でつくられた住宅としては、国内最古のものと考えられています。この洋館の建物の特徴として、屋根は切妻造ストレート葺で、左右の屋根上に大きなドーマー窓を開けたシンメトリックな形状と、外壁は南京下見板張、各部屋には採光性に優れたベイウウィンド(出窓)を設置し、正面中央の玄関ポーチの上に2階バルコニーを乗せたデザインの外観が、往年の別荘時代を彷彿とさせます。こうした、歴史的・景観上重要な資産を後世に継承すべく、平成24年に「国登録有形文化財」に登録され、景観法による「景観重要建造物」にしていされました。

所在地:255-0003 神奈川県中郡大磯町大磯1007

問合せ:050-3385-0013

営業時間:ランチ11301400/ディナー17302000

休館日:水曜日


「⑥海水浴発祥の地」

「岩倉使節団」出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/img-kaisuiyoku08.jpg

「松本順氏」出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/img-kaisuiyoku09.jpg

「明治期の海水浴場」出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/img-kaisuiyoku02.jpg

「海内第一避暑地の碑」出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/hisyotinohi.jpg

「照ケ崎海水浴場の碑」出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/miru-terugasaki-hi01.JPG

参考サイト:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/miryoku/hassyou/kaisuiyoku.html

インフォメーション:大磯は ”海水浴場発祥の地 ”です。

1872(明治5)年、明治新政府により派遣された岩倉使節団が英国のブライトンを訪ずれました。団には後に大磯に海水浴場を開設する松本順氏の実弟林董(はやしただす)も随行。帰国後の1885(明治18)順天堂を開いた佐藤泰然氏の次子松本順氏により大磯海水浴場開設されました。当時の海水浴は、潮流で身体に刺激を与え海辺の清涼な空気を吸うことでした。 泳ぐというのではなく、岩の所々に差してある鉄棒につかまり、海水につかっているだけで、いわば潮湯治のようでした。松本氏は貧しい人たちの衛生法と,日本人の健康を高めて薬の使用を抑える方法を考えていました。異母姉の夫林洞海が翻訳した蘭書に「海水浴」のことがあったのを長崎で勉強した際、師のポンペから「欧州で海水浴ということは言われているが好適な海岸がない為あまり普及していないが,日本は四面海であるから適当な地方もあろう」と言われ、その時から海水浴のことが頭の中に宿ったのだそうだ。また,兄の惣三郎が虚弱体質であったのを、父の泰然が体質改善のため品川や大森の海岸で魚や貝取りの遊びをさせてついに健康体にしたという事実もあり、海水浴への興味は深まっていったと言われています。「大磯照ヶ崎海水浴場の碑」は大磯に別荘を構えた海軍・陸軍軍人、政治家である樺山資紀氏の筆によります。

問合せ:0463-61-4100(内線:334産業環境部 産業観光課 観光推進係


「⑦大磯海岸の歴史」

①出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/koyorugunohama.jpg

②出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/sazareishi1.jpg

③出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/haahirogao1.JPG

「投げ釣りのメッカ」出典元:http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/18/nageturi.jpg

参考サイト:http://www.oiso-kankou.or.jp/

インフォメーション:万葉の時代から和歌集の中で使われる言葉「こゆるぎ」の美しい景勝を思わせる、大磯らいしい優雅でゆったりとして非日常性を感じることができるエリアです。

①「こゆるぎ浜」

古代から「よろぎ(ゆるぎ、こゆるぎ、こよろぎ)の磯」と呼ばれ、万葉・古今・新古今などの歌にも多く詠まれています。明治期以降は政財界の重鎮や文豪たちがこの浜沿いに別荘を構えたほどのやすらぎの浜になっています。北浜海岸とは対照的に静かで素朴な風景が広がっています。さざれ石の産地としても有名です。

②「さざれ石」

「さざれ石」というと、『君が代』を思い出す人が多いのではないでしょうか。
大磯のさざれ石は、大磯海岸一帯で産出する目の揃った玉砂利のことをいい、さまざまな色をしていることから後年、さざれ石と呼ばれるようになりました。 地名にもなっています。江戸時代、大磯宿本陣当主「小島才三郎」は和歌山藩御用として大磯海岸産出の砂利の採取を命じられました。 才三郎以外は一俵の砂利を採ることも許されず、才三郎の専売特許となり、小島家は東海道を通行する諸大名などに献上品の一つとしてこの大磯産出の玉砂利を用いていました。

③「はまひるがお」

政財界の重鎮や文豪が愛し歩いた静かな落ち着いたこゆるぎの浜で、はまひるがおが訪れる人の目と心を和ませてくれます。また投釣や地曳網を楽しんだり、ゆっくり散歩をしたりと人々のやすらぎの場として親しまれています。花期は5月中旬~6頃です。

問合せ:0463-61-4100(内線:334産業環境部 産業観光課 観光推進係

≪次ページパート2.≫もご覧ください

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