女流画家ラグーザ玉伝


女流画家ラグーザ玉伝

独特な画風の女流画家・ラグーザ玉の愛好家がかなりいらっしゃいます。おそらく彼女の生き方を知ると、その作品世界が際立ってくるからかも知れません。そこでご紹介します「女流画家ラグーザ玉伝」です。

出典元:http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/person_img/099raguza.jpg

生年月日:1861年(文久元年)610日江戸生まれ

没年月日:1939年昭和1446日東京にて没

≪出生~就学≫

1861 (文久1) 年、江戸芝新堀 (現在の東京都港区) に清原定吉の二女として、清原玉は生まれます。本名清原多代。小学校入学の頃から横浜絵を描いていた画家小林栄洲に学び、永寿の号を受けます。実家は芝新堀で園芸を営み芝増上寺の差配をしていたので多くの地所を所有していました。1872年(明治5)に金杉橋のそばにできた龍和小学校に入学。1877 (明治10幼い頃から絵が好きだった16才の玉は、いつものように庭で絵を描いていました。その玉に和服姿で鬚を生やした異国人が声をかけてきました。明治9年日本政府の依頼で来日したヴィンチェンツオ・ラグ-サです。彼ははいわゆる「おやとい」として三田四国町の工部美術学校勤め36歳の美術教師(専門は彫刻)でした。当時、日本は開国したばかり軍事、医学、芸術など分野で西洋の水準に追いつく為、海外から多くの専門家を招いており、ラグーザもその一人でした。玉の絵の才能に感心したラグーザは西洋技法を教えることします。玉はある日「彫刻のモデルになってほしい」と頼まれます。当時「写真を撮られると魂が抜かれる」という迷信を信じる人が多かった時代です。父の定吉から「近所で何と言われているか知っておるのか?ラシャメン(洋妾) だぞ 」猛反対されますが、玉は何度も父親に懇願し彫刻のモデルになることを許してもらます。

出典元:https://iwano.biz/web/uploaded/items/30.jpg

≪創作活動とイタリアでの結婚生活≫

出典元:http://www.giapponeinitalia.org/wp-content/uploads/2011/11/otama-209×300.jpg

やがて2人に愛が芽生え 両親の許しを得たのち1880年(明治13年)お玉22才の年にラグ-サの故郷イタリア、シシリ-島パレルモのカトリック寺院でスカレニア公爵婦人の仲介で挙式をあげ、エレオノラ・ラグ-サと改名しました。国際結婚など、ほとんどない時代でした。ラグーザは若い頃、カセリバルディ将軍の元で義勇兵に参加した経験があり、将軍の死の知らせを受け、1882年に玉を伴いイタリアへ帰国。日本から船でイタリア南部のシチリア島の北西部にある港湾都市バレルモまで2ヶ月もかかったそうです。

シチリアに渡ったラグーザ玉はパレルモ大学サルバトーレ・ロ・フオルテに師事しながら絵筆を執りますが子供の頃から画才に恵まれていたため、やがて南欧と日本の美を融合した独自の画風で知られるようになり、1892年のイタリア全国博覧会 油絵女性部門出品した「小鳥」という作品が銀賞を受賞します。これをきっかけに Otama Kiyohara の名前がヨーロッパで広く知られるようになります。お玉の作品の特徴は女性らしい優しい視点と、東洋と西洋が交わるエキゾチックな画風でした。西洋女性が和服を着たものも多く、当時フランスやイタリアを中心に「ジャポニズム」が流行っていた事と大いに関係していました。浮世絵を初めとして日本の絵画・工芸品が西洋美術の幅広い分野に影響を与えていた時代でした。「自然と人間が調和した世界が、日本ではまだ続いているのだ」というロマンティックな日本のイメージを欧米人たちが持っていた時代した

「1884年エレノア・ラグーザ自画像」出典元:http://www.grifasi-sicilia.com/kiyoharaautoritratto.jpg

一方、1884年(明治17年)にラグーザ夫妻は私立の工芸学校を創立し、ラグーザが校長と彫刻を教え、お玉は副校長として日本画を教えていました。しかし設立・運営費の多額な借金返済の為、玉は絵を描いて売り続けました。3年という約束でイタリア行きを許されていた玉は、帰国すべきか悩みますが、ラグーザ2度目のプロポーズで、結局、玉はイタリアに残ることを決意した経緯があります

1885年になると当時「悪魔の病」と恐れられたコレラがシチリア島で猛威を振るいます。毎日のように何百人もが倒れる中、お玉は絵を描いては売り、日本から持ってきた着物や浮世絵も売り払い匿名で疫病対策に寄付します。また自ら感染することも恐れずに、近所の家を一軒ずつ回り、体の不自由な老人や小さな子供の世話をするなど救護活動も行いました。近くのサンタントニーノ教会にはサンタロザリア像を描き寄付。このような玉の功績がイタリア政府に認められ、1888年外国人としては異例の功労大銅賞を授かりました。

出典元:http://www.geocities.jp/marco4321ice/10history/History4/1231.mpg_002322024.jpg

1927年「もう一度 日本に行きたかった」という言葉を残しラグーザが死去。1931 (昭和6) 1月、パレルモで玉と出会った作家の木村毅が伝記として小説化したものを、大阪毎日新聞と東京日日新聞が「ラグーザお玉」という題で連載小説を新聞紙上に掲載を開始。やがて「ラグーザお玉」の名前が日本中に広まり、お玉は絶縁状態だった実家の家族とも連絡を取り合うようになりました。日本への帰国を決意し日本大使館を訪れます。しかし「イタリア人と結婚したアナタは、もはや日本人ではない。日本人ではない者に、ここでは世話を出来ない。お引き取りを」と言い放たれ大きなショックを受け帰国する気力を無くしてしまいます。そんな失意の折、玉の姉の孫である16才の清原初枝がシチリアに玉を迎えに来ました。新聞紙上に掲載された経緯もある上、1933年(昭和8年)1022日、新聞各紙がお玉の帰国を事前報道していたこともあって、横浜港には歓迎の人々が多く詰めかけました。以後は新堀のアトリエや軽井沢でも絵筆をとりイタリアとの親善にも尽くしましたが193946日永眠(死因:脳溢血)、享年78歳。墓と記念碑が清原家菩提寺の長玄寺(現麻布3丁目)に残されています。ラグーザ玉の作品は彼女の帰国とともに殆ど日本に持ち帰られましたが、第2次世界大戦の空爆などでその多くが消失したと言われています。

「長玄寺のお玉碑」出典元:http://1.bp.blogspot.com/-pDA2G7Qc1Gw/UK6SJY5ZcvI/AAAAAAAAJhk/X4frXQ0NRaY/s200/P1020255.jpg

キーワード①「ヴィンチェンツォ・ラグーナ」

生年月日:184178日パレルモ生まれ

没年月日:1927313日没

出典元:http://www.giapponeinitalia.org/wp-content/uploads/2011/11/Ragusa.jpg

ヴィンチェンツォ・ラグーザ(Vincenzo Ragusa)はイタリア彫刻家シチリア島パレルモ郊外パルタンナ・モンデルロに生まれました。幼いころより絵画に興味をもち、1865に本格的に彫刻をはじめます。1872ミラノで開かれた全イタリア美術展に石膏作品「装飾暖炉」を出品、最高賞である「ウンベルト殿下賞」に輝きました。またラグーザは日本にはじめて西洋彫刻を伝えた彫刻家でもあります。明治9年に新政府が溜池に開校した工部美術学校に招かれましたが西南戦争後の財政難で、明治15年学校は閉鎖されます。学校の閉校にともない明治15年に帰国しますが、その間日本でも積極的に制作し日本近代彫刻の基礎を作りました。それだけ重要な作家であるにもかかわらず、これまでにラグーザの回顧的展覧会は開催されたことがありません。東京藝術大学にはラグーザ没後の昭和8年に玉夫人から寄贈された16点の作品を軸としたラグーザ作品のコレクションがあります。教え子に大熊氏廣1856-1934年)や藤田文蔵(1861-1934年)があげられます。

1878年ラグーザ玉像」出典元:http://img-cdn.jg.jugem.jp/96b/3336557/20160923_1847293.jpg

「ラグーザ制作・正義(ライオン)」出典元:http://uenonorenkai.com/book-img/book201011-2-1.jpg

キーワード②「木村毅」

出典元:http://www.kibiji.or.jp/images/stories/literarys_photo/kimura_ki.jpg

生年月日:1894212日岡山生まれ

没年月日:1979918日没

作家評論家、明治文化史の研究家。岡山県勝南群勝間田村に生まれる。少年時代から文士を志し『少年世界』『文章世界』に投稿。1917早稲田大学英文科を卒業。隆文館、春秋社の編集者をしながら評論、翻訳を精力的に行います。また明治文化研究会同人(のち第3代会長)となったほか、円本の企画にも参加しました。1928年ヨーロッパへ渡り、デュマの遺跡などを探訪しました。小説、実録、評論のほか、明治文化・文学を研究し多数の著。多くの作を残す一方、日本フェビアン協会労農党参加。社会運動にも挺身しました。1978菊池寛賞受賞。昭和3年から2年間ヨーロッパに滞在。その後、新聞連載小説『ラグーザお玉』を発表し、大衆文学に新しい領域を開拓した。その後発行されたインタビュー資料「ラグーザ玉自叙伝」(昭和14年刊)の作者。

 

≪代表作品≫

1912年「春」出典元:http://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/03/eleonora_ragusa1-thumb-120×187-9205.jp

193339年「蘭図・香雪記念資料館蔵」出典元:http://www.yamatane-museum.jp/exh/image/img1504_06.jpg

「昇天祭の夜」出典元:http://art.xtone.jp/artist/assets_c/2011/03/eleonora_ragusa2-thumb-200×158-9207.jpg

明治年代制作「エロスとサイケ」出典元:http://www.tnm.jp/uploads/fckeditor/exhibition/regular/201206joseigaka_chart/uid000068_2012052417560633b4f770.jpg

「山羊の乳しぼり」出典元:http://www.ikedaart.jp/img/collection08.jpg

「薔薇」出典元:http://www.ikedaart.jp/img/collection07.jpg

「薔薇」出典元:http://www.aojc.co.jp/img/artists/profile/raguza_tama.jpg

「薔薇・韮崎大村美術館蔵」出典元:https://www.joshibi.net/museum/jam/13/nirasaki/img/01.jpg

「詳細不明/パレルモにおける作品」出典元:http://www.askart.com/photos/2015/MAJ20150213_89872/47.jpg

「詳細不明/パレルモにおける作品」出典元:https://cdn.globalauctionplatform.com/9edde12c-cfac-41ab-b06c-a564009e488c/4cac0caa-d4c5-4dfe-a1a9-1717b1169b60/540×360.jpg

ラグーザ玉関連出版物

出典元:http://www1.e-hon.ne.jp/images/syoseki/ac/69/01242269.jpg

「ラグーザお玉自叙伝」1980年(初版1939年改造社刊・昭和14年)再刊・木村毅/恒文社

出典元:http://www.php.co.jp/atch/books/ISBN4-569-58762-3.gif

「異郷にさいたなでしこの花・イタリアに渡った日本人初の女流洋画家ラグーザ玉」中尾明/PHP出版

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/510MtcWRBmL._SX348_BO1,204,203,200_.jpg

「ラグーザ玉・女流洋画家第一号の生涯」NHKブックス

参考サイト:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1500
出典元:http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8502.html
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B6%E7%8E%89
参考サイト:http://www.geocities.jp/marco4321ice/10history/072meiji2.html
参考サイト:http://www.ikedaart.jp/outline/collection
参考サイト:http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/man-detail.cgi?id=99&CGISESSID=ab9a30aadeac4fa6fa010354e21cb979
参考サイト:http://art.xtone.jp/artist/archives/eleonora-ragusa.html
参考サイト:http://uenonorenkai.com/book201011-2.htm
参考サイト:http://bibou726-49.jugem.jp/?eid=76
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B6
参考サイト:http://www.grifasi-sicilia.com/kiyohara.html
参考サイト:http://www.giapponeinitalia.org/vincenzo-ragusa-e-o%E2%80%99tama-kiyohara-l%E2%80%99incontro-tra-sicilia-e-giappone/
参考サイト:https://www.the-saleroom.com/en-gb/auction-catalogues/galeria-sarno/catalogue-id-srgal10002/lot-3803fcdd-2ae5-4f4d-8e0e-a564009eae01
参考サイト:http://www.artearti.net/magazine/articolo/il-museo-tra-storia-e-costume/
参考サイト:https://www.joshibi.net/museum/jam/13/nirasaki/artist.html
参考サイト:http://www.yamatane-museum.jp/exh/2015/-140.html
参考サイト:https://iwano.biz/picture/picture-ra/post_51.html
参考サイト:http://www.kibiji.or.jp/literary-database/6-category-fiction-story/65-kimura-ki.html
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