日本の写真家その二「戦場カメラマンたち」2016.5.28更新


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日本の写真家その二「戦場カメラマンたち」

こう言うジャンルが正式に存在する訳ではありませんが、巷間、世界の紛争地帯に報道目的で赴くカメラマンが実存します。そんな人たちを世間では「戦場カメラマン」と称します。これまで幾多の命が失われてきましたが、フォトジャナーナリストの遺志は脈々と受け継がれています。ご紹介します、日本の写真家その二「戦場カメラマンたち」です。(是非「報道カメラマンたち」もご参照ください)

 

酒井淑夫

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出典元:http://showa-g.org/

生年月日・出身地:1940年3月31日東京都生まれ。

プロフィール:

1940年3月31日に東京都で誕生。明治大学に入学し、1961年にPANA(現在の時事通信社)で勤務し、1965年にアメリカ合衆国通信社UPIで勤務するようになった。この頃からカメラを扱うようになり、2年後の1967年にベトナムホーチミン市に赴く。そこで第二次インドシナ戦争関係の写真を撮影し、写真集「より良きころの夢」を出版した。出版した写真集「より良きころの夢」が評価され、1968年にアメリカ合衆国の報道賞ピューリッツァー賞特集写真部門を受賞した。この受賞は、特集写真部門の第1号受賞だった。その後、1971年にアメリカ軍によるラオス侵攻を取材し、1974年にはフィリピンでモロ民族解放戦線などを取材した。1976年にUPI通信社を退社し、フランス通信社でも活動していたが1989年に退社した。1999年11月21日に神奈川県鎌倉市で死去。享年59歳。

ナショナルジオグラフィック日本版サイト:http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120118/296593/?P=3

関連サイト:http://showa-g.org/men/view/289

作品:「より良きころの夢」1968年ピュリツァー賞を受賞

所属先:UPI・フランス系通信社・フリーランス

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「静かな雨、静かな時」出典元:http://natgeo.nikkeibp.co.jp/


石川文洋

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出典元http://tabi-bunyo.com/i

生年月日・出身地:1938年3月10日那覇生まれ。

プロフィール:

沖縄県那覇市生まれ。5歳の時に家族で沖縄から本土へ移る。千葉県育ち。東京都立両国高等学校定時制卒業後、毎日映画社に勤務。26歳の時、世界無銭旅行を夢見て沖縄から貨物船に乗り香港に上陸したものの、泊まる宿も仕事もない状態であった。江頭数馬毎日新聞香港支局長の手配したアパートにて数日間の保護を受けた後、同氏の骨折りによりファーカススタジオに紹介を受け勤務。1965~68年、ベトナム共和国の首都サイゴン(当時)に滞在し、フリーでベトナム共和国軍、アメリカ軍に従軍し、戦場取材をおこなった。1969年から朝日新聞社出版局写真部勤務。1984年から再度フリーに。ベトナム戦争の従軍取材による多数の報道写真で知られるが、撮影対象のジャンルは広範囲に渡り、各国の紛争地帯での撮影のほか、人びとの日常生活、肖像写真、舞台芸能(琉球舞踊)の写真なども撮影している。ベトナムのホーチミン市戦争証跡博物館には、ベトナム戦争を中心とする約250点の写真を寄贈したことを契機として、1998年9月より2階に石川の写真常設展示コーナーが設けられている。

公式サイト:http://www6.plala.or.jp/zassoan/index.html

関連サイト:https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/140617/

作品(著作):

『沖縄わが故郷』

『戦場カメラマン』

『ベトナム 戦争と平和』

『日本縦断 徒歩の旅―65歳の挑戦』など

所属先:米軍従軍記者・フリーランス

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「大人の戦争を見つめる少女の瞳」1966年・出典元:http://cdn.mainichi.jp/

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「ベトナム戦争取材」出典元:https://www.cataloghouse.co.jp/

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「ベトナム戦争取材」出典元:https://www.cataloghouse.co.jp/


一ノ瀬泰造

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出典元:http://www.teamokuyama.com/

生年月日・出身地:1947年11月1日生まれ。

プロフィール:

日本の報道写真家。1972年3月、ベトナム戦争が飛び火し、戦いが激化するカンボジアに入国。以後ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材、『アサヒグラフ』や『ワシントン・ポスト』など国内外のマスコミで活動し、「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞した。カンボジア入国以後、共産主義勢力クメール・ルージュの支配下に有ったアンコールワット遺跡への単独での一番乗りを目指しており、1973年11月、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」と友人宛に手紙を残し、単身アンコールワットへ潜入し、消息を絶つ。

9年後の1982年、一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから14km離れた、アンコールワット北東部に位置するプラダック村にて遺体が発見され、両親によってその死亡が確認された。その後、1973年11月22日もしくは23日にクメール・ルージュに捕らえられ、処刑されていたことが判明した。

公式サイト:http://taizo.photographer.jp/Home.html

関連サイト:http://www.angkor-ruins.com/taizo/index.htm

作品:「安全へのダイブ」

所属先:フリーランス

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「カンボジア内戦取材」出典元:http://b1.rimg.tw/

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「ベトナムで被弾したカメラ」出典元:http://www.murabayashitakao.com/

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「カンボジアの墓所」出典元:https://cambodia.sketch-travel.com/


広河隆一

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出典元:http://static.wixstatic.com/

生年月日・出身地:1943年9月5日中国・天津市生まれ。

プロフィール:

日本のジャーナリスト。イスラエル、パレスチナの双方に多くの個人と知己を持ち、パレスチナ問題を取材し続けている。立教大学において非常勤講師を勤める。かつて講談社「月刊誌DAYS JAPAN」に、イスラエルのビジネスマン・アイゼンバーグに関する記事や、ダイヤモンド取引の裏側の取材、チェルノブイリの現状、731部隊などに関する報道、ルポ写真などを掲載。福島第一原発事故の後は、主に日本の原発や放射能に関する諸問題を取材するかたわら、福島の子どもの救援活動を行っている。福島の子ども保養プロジェクト「NPO法人 沖縄・球美の里」理事長。

関連サイト:http://www.hirokawaryuichi.net/

作品:

『パレスチナ幻の国境』草思社1976年

『破断層』講談社1987年

『チェルノブイリ報告』岩波書店(2011/06発売)

『ニーナ先生と子どもたち』小学館1992年

『パレスチナ 新版』岩波新書(2002/05発売)

『写真記録 パレスチナ1 激動の中東35年』日本図書センター(2002年10月)

『岩波フォト・ドキュメンタリー世界の戦場から 反テロ戦争の犠牲者たち』 岩波書店(2003/07発売)

『岩波フォト・ドキュメンタリー世界の戦場から 戦争とフォト・ジャーナリズム』 岩波書店(2004/08発売)

『暴走する原発―チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと』 小学館(2011/05発売)

『福島 原発と人びと』 岩波書店(2011/08発売)

『新・人間の戦場』 デイズジャパン、2012年。

所属先:フリーランス

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「パレスチナ取材」出典元:https://www.city.ome.tokyo.jp/

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「アフガン戦争取材」出典元:http://imgsv.nikon-image.com/

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「パレスチナ取材」出典元:http://img-cdn.jg.jugem.jp/


吉田尚弘

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出典元:http://www.jotatu.jp/

生年月日・出身地:1991年7月17日愛知県生まれ。

プロフィール:

愛知県、名城大学付属高等学校に入学をしたが、精神疾患を発病し病療生活が始まる。そのな生活の中、DVDの「深夜特急」を見た事をきっかけに、海外一人旅に出る事を決意。高校を中退。その後は、合計2年間を費やし東南アジアをローカルな乗り物のみを利用して、大陸の横断をする。同時にクラーク国際記念高等学校に通い、20歳で高校を卒業する。高校に通っていた19歳の時に、名古屋を拠点に活動をする難民支援NGOに若くからの海外経験を評価され、契約カメラマンとして現・ミャンマーの軍圧により隣国タイに逃げてきた「ビルマ難民」を、現地の学校に住み込みを行い取材をした。難民取材をNGOの契約カメラマンとして終えた後は、フリーランスの報道写真家になる。またフリーランスデビューと同時に、インターネットラジオのMCの年間契約を結び、現地の情報を発信してきた。初の撮影写真が記載された媒体は、デビュ一年目に地元の新聞社発行の『中日新聞』である。その後も、取材に行く度に中日新聞の中日ジュニア新聞のコーナーに写真を提供している。2013年の21歳当時、「世界で最も危険な場所」と呼ばれるシリアを潜入取材。現地の情報は、NHKのラジオや学生団体の主催する講演会等で語った。今までのジャーナリストという固い知的な年配をイメージさせる職柄に縛られる事も無く、どんどん新しい事には挑戦をしたいという。ちなみに、今挑戦をしてみたい事には、海外に引率をするスタディーツアーや、タレントとしての活動にも興味が有るそうだ。

公式サイト:http://takahiro-yoshida.flips.jp/

所属先:フリーランス

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「シリア取材」出典元:http://alternas.jp/

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「スラム取材」出典元:http://tabippo.net/


野中章弘

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出典元:http://spork.jp/

生年月日・出身地:1953年兵庫県生まれ。

プロフィール:

関西学院大学経済学部卒業。1978年よりフリーのフォトジャーナリストとして活動を始める。1990年代からはビデオによるドキュメンタリー制作に取り組み、新聞、雑誌からテレビ、ネットまで、さまざまな媒体で仕事を行っている。 現在までにインドシナ難民、アフガニスタン内戦、エチオピアの飢餓、台湾人元日本兵、カンボジア紛争、ビルマの少数民族問題、タイのエイズ問題、チベット、東ティモール独立闘争、朝鮮半島問題、アフガニスタン空爆、イラク戦争、日系アメリカ人問題などを取材。第3回「放送人グランプリ特別賞」受賞。200本以上のテレビ番組を製作、発表。最近は「ガーダ〜パレスチナの詩」「ぼくたちは見た〜ガザ・サムニ家の子どもたち」(古居みずえ監督)、「隣る人」(刀川和也監督)などのドキュメンタリー映画をプロデュース。現在、早稲田大学などでジャーナリスト養成教育に力を注ぎ、京都精華大学、東京芸術大学、東京大学、東洋大学、日本大学、目白大学、などで講師を勤めてきた。元立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2007年末からはBS11のニュース番組『INsideOUT』内の「Inside ASIA」というコーナーで司会を務めている。

関連サイト:http://asiapress.org/archives/2008/09/10162422.html

関連サイト:http://spork.jp/?p=804

作品:

『沈黙と微笑』(創樹社、1981年)

『粋と絆 神田っ子の昭和史』(神田ルネッサンス出版部、1989年)

『ビデオジャーナリズム入門―8ミリビデオがメディアをかえる』(はる書房、1996年)

所属先:アジアプレス・インターナショナル代表

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「カブール取材」出典元:http://www.asiapress.org/

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「東ティモール取材」出典元:http://www.asiapress.org/

 

≪次ページ・パート2.もご覧ください≫

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