昭和のトレンドスポット・東京首都圏


昭和のトレンドスポット・東京首都圏

メガロポリス東京には昭和の一時期、一世を風靡した懐かしいスポットがあります。形を変え現存するものもあれば、記憶の彼方に消え去ったものも。そこでご紹介します「昭和のトレンドスポット・東京首都圏」です。「日比谷アメリカンファーマシー」「銀座モトキ」「麻布ニコラス」「狸穴キャンティ」「銀座アシベ」「銀座銀巴里」「原宿コープオリンピア」「新宿アートシアター/蠍座」「新宿風月堂」「新宿ピットイン」「青山ユアーズ」「原宿レオン」「原宿マコビス」「赤坂ムゲン」「春日川口マンション」「赤坂リキマンション」「銀座マクドナルド三越店」。

「日比谷アメリカンファーマシー」

出典元:http://scontent.cdninstagram.com/t51.2885-15/s480x480/e35/15803502_216853695440588_2853093044691927040_n.jpg?ig_cache_key=MTQyMTQ2ODg1OTU1NDk3ODAxMg%3D%3D.2

出典元:http://www.us-vocal-school.com/weblog/music_life/archives/images/2007/10/071001_16.jpg

出典元:http://www.us-vocal-school.com/weblog/music_life/archives/images/2007/10/071001_02.jpg

出典元:http://www.geocities.jp/suzog21/image/rakugaki01/S1809.jpg

「かつての店舗」出典元:http://d.hatena.ne.jp/images/diary/o/osamuharada/2008-01-20.jpg

「現在の丸の内店」出典元:http://www.tomods.jp/company/img/ap_06.jpg

インフォメーション:ペニンシュラ東京が建つ以前、この場所には「日比谷パークビル(日活国際会館)」という建物がありました。映画会社の日活によって昭和271952)年4月1日に竣工したビルであり、その洗練されたデザインと竹中工務店による画期的な潜函(=ケーソン)工法から、昭和26年の日本建築学会作品賞を受賞しました。地上9階、地下4階建てのこのビルには日活本社だけではなく多くの賃貸オフィスが入居していました。竣工と時を同じくした昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効、すぐそばの第一生命ビルにあった連合軍総司令部(GHQ)もその役割を終えたばかりでしたが、場所がら米軍相手のお店が多かったようでドラッグストア「アメリカン・ファーマシー」も入居していましたこの店はちょっと日本離れした雰囲気の空間だったようで当時のしゃれ者の買い物スポットになりました特に「AMERICAN FARMACYのロゴ入り紙袋は人気でした。(現在はトモズグループにより運営されており、詳細は以下のサイトから確認できますのでご参照ください)

現在の公式サイト:http://www.tomods.jp/company/ap.php

現在の店舗の所在地:東京都千代田区丸の内2-4-1丸の内ビルディング B1F

現在の問合せ先:03-5220-7716

参考サイト:http://www.us-vocal-school.com/weblog/music_life/archives/000670.html

参考サイト:http://www.tomods.jp/company/ap.php

参考サイト:http://d.hatena.ne.jp/osamuharada/20080120

参考サイト:http://www.pictaram.com/tag/Americanpharmacy

参考サイト:http://www.geocities.jp/suzog21/rakugaki01.html


「銀座モトキ」

出典元:http://www.ginza-motoki.co.jp//wp-content/uploads/2016/05/about_img_06.jpg

出典元:http://www.ginza-motoki.co.jp//wp-content/uploads/2016/05/about_img_05.jpg

出典元:http://vansite.net/kamibukurotate2.gif

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出典元:http://www.ginza-motoki.co.jp//wp-content/uploads/2016/05/about_img_04.jpg

「現店舗」出典元:http://www.ginza-motoki.co.jp//wp-content/uploads/2016/05/about_img_10.jpg

インフォメーション:『銀座モトキ』の紙袋当時ロゴが入ったペーパーバッグを持っていることが、男性若者のステータスとなっていた時代がありました。当時は「VAN」のブランドと競い合っていると言っても過言ではありませんでした。VANブランドが全国区だっただけに、MOTOKIブランドの方が「東京ローカル的」だったかもしれません。

MOTOKI公式サイト:http://www.ginza-motoki.co.jp/info/

現在の店舗所在地:東京都中央区銀座4-6-17 

現在の問合せ先:03-3535-3307

現在の店舗所在地:

現在の問合せ先:

参考サイト:http://vansite.net/graphicdesign5.htm


「麻布ニコラス」

「創業者ニコラスザペッティ氏」出典元:http://farm6.static.flickr.com/5076/5876455252_2f82d79ded.jpg

「開店時の横田店」出典元:http://pizza-nicola.com/img/about/nicolas_fussa.jpg

インフォメーション:日本にピザが普及した歴史を振り返る時、イタリア系アメリカ人「ニコラス・ザペッティ(通称ニック)」の名を抜きに語ることはできないでしょう。ニックは1930年代に世界を覆った恐慌時代、イタリア系アメリカ人としてニューヨークで生まれました。1946年、海兵隊を除隊後、日本でGHQ(連合国軍総司令部の略)の仕事に関わったのち、様々なビジネスに携わり、そのひとつがアメリカンスタイルのピザレストランの経営。店の名前は「ニコラス」でした。1956(昭和31)に「ニコラス」がオープンしたその場所は、当時まだその後の繁栄を想像すらできない、閑散とした住宅街の街「六本木」でした。ニックの始めた「ニコラス」には数多くの顧客が訪れ、あっという間に店を拡張する勢いでした。エリザベス・テーラーなどの有名な外国人や、天皇陛下となられた皇太子とフィアンセの美智子様をはじめ、多くの著名人がピザを食べるために訪れ、その店名は復興を遂げる東京の話題の中心のひとつとなったほどです。1959年(昭和34年)、ニコラス横田店(現在の「ニコラ横田本店」)がオープン。横田基地の兵隊が家族、恋人などを連れて連日のように訪れる名所となりました。六本木の「ニコラス」はその後、他社に譲渡しましたが、ニックは日本名「ニコラ」として日本国籍を取得後、横田店を本店とし、店名も「ニコラ」に変えて、ピザの味を守り続けています。

公式サイト:http://www.nicolas-pizzahouse.com/

現在の店舗所在地:106-0041東京都港区麻布台1-4-3エグゼクティブタワー 麻布台

現在の問合せ先:3-3583-4712

参考サイト:http://pizza-nicola.com/about.html


「狸穴キャンティ」

出典元:http://www.chianti-1960.com/common/images/pic_top_history01.jpg

出典元:http://www.chianti-1960.com/common/images/pic_history01.jpg

出典元:http://www.chianti-1960.com/common/images/pic_history_main.jpg

「バジリコ」出典元:https://tabelog.ssl.k-img.com/restaurant/images/Rvw/13567/640x640_rect_13567557.jpg

インフォメーション:19604月、川添夫妻は六本木のはずれ、麻布飯倉片町8番地(現麻布台3丁目)にイタリアンレストラン「キャンティ」を開店しました。発案者は妻の梶子で、日本には本格的なイタリアンレストランがまだないから自分達で作ってしまおうという理由でした。梶子は建築家村田豊の協力をえて店の内装をデザインし、シェフやコックたちに調理法を伝授します。人気メニューのスパゲッティ・バジリコは生バジルが簡単に入手できないため自宅の庭で栽培し、日本人の口に合うよう大葉パセリを混ぜて工夫しました。裏メニューとして金曜日のみ注文できるブイヤベースも好評でした。のちに改築にともない地下1階から2階にも店を広げ、1階ではブティック「ベビードール」、2階はフランス料理、3階では会員制「キャンティシモ」の営業を開始。社交界でも著名で、またデザイナーとして島津貴子グループ・サウンズの衣装も手がけました。キャンティは午前3時まで営業しており、遅い夕食をとる放送・芸能関係者から、客である政財界人に連れられて来る赤坂銀座のホステスまでが来店して深夜に賑わう独特の店でした。店内にはヨーロッパのサロンのような自由闊達な雰囲気があり(夫の浩史は「西洋のおでん屋」と表現した)、川添夫妻の人脈を介して映画監督、作家、音楽家、デザイナーなど各界の文化人が交流しました。また開店当時、六本木には在日米軍兵舎があり(現在も「麻布米軍ヘリ基地」赤坂プレスセンターがある)、アメリカ文化に惹かれる若者(六本木族)が集まるようになり、キャンティをはじめ、シシリア、ニコラス、ザ・ハンバーガー・イン、レオスといった料理店が彼等の溜まり場となりました。キャンティのモットーは「子供の心をもつ大人たちと、大人の心をもつ子供たちのために作られた場所」。国籍・年齢・性別の異なる人々が集い、若者が大人の世界に触れ、一流の所作を学ぶ場となります。は浩史を「パパ」、梶子を「タンタン」(イタリア語で「おばさん」)と呼んで慕いました。梶子は自立した女性のシンボルとして加賀まりこ安井かずみらの憧れとなり、ベビードールではグループ・サウンズや人気歌手(布施明森進一など)の衣装デザインを引き受けました(「岩元梶子」名でザ・スパイダースの英語カバー曲の訳詞もした)。彼はファッション・音楽など1960年代サブカルチャーの先端をゆく「キャンティ族」として有名になり、キャンティは背伸びしたい年頃の若者が一度は訪れてみたい「伝説のレストラン」となりました

現在の公式サイト:http://www.chianti-1960.com/index.html

現在の店舗所在地:東京都港区麻布台3-1-7

現在の問合せ先:03-3583-7546

参考サイト:https://matome.naver.jp/odai/2137906043342266201

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13002786/dtlrvwlst/B141038664/


「銀座ACB(アシベ)」

出典元:http://www.ne.jp/asahi/hideto/club/ginzaacb.jpg

出典元:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/002/615/95/N000/000/000/img20070623.jpg

出典元:http://www.ne.jp/asahi/hideto/club/kox-g.acb.jpg

インフォメーション:以下参照

銀座ACB(アシベ)は、19571972年まで東京都中央区・銀座7丁目にあったジャズ喫茶で。満州国からの引揚者・谷富次郎が銀座に料亭「あしべ」を妻の谷和子とともに開業。妻の人柄が政治家の三木武夫、中曽根康弘、鈴木善幸、園田直や、実業家の安西浩に愛され、安西が経営する東京ガス本社地下に、ジャズ喫茶を開店したのがACBの始まりです300席を擁し、店内中央に高い迫りによる回転ステージを設けるなど、国内最大規模のジャズ喫茶としての開業でたが、客足が伸び悩んでいたところに平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎らのロカビリーブームが起き、女学生が長蛇の列をなすようになります。当時、学生だった橋幸夫や大宅映子も常連客であったと言います。常連客は大半が演奏を聴く目的で来店していたため、喫茶店でありながらメニューはアイスコーヒーのみでた。19601224日、平尾昌晃の誕生日には大混雑し、女子高生数名の負傷事故が起きています。ロカビリーブーム終焉後は森山加代子、坂本九、橋幸夫、水原弘、ザ・スパイダース、ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・ジャガーズ、ザ・ゴールデン・カップス、オックスらが舞台に立ち、女学生などから変わらぬ声援を受け続けましたが、本格的なテレビ時代の到来とグループサウンズブームの終焉ともに1969年の秋に入ると急速に下火になり始め、その役目を終えたかのように1972年閉店しました。

当時の店舗所在地:銀座7丁目1番地ガスホール

当時の問合せ先:571-12761277

参考サイト:http://matiere.at.webry.info/200710/article_5.html

参考サイト:http://www.ne.jp/asahi/hideto/club/jazz.htm


「銀座銀巴里」

出典元:http://www.tapthepop.net/wp/wp-content/uploads/2015/03/a34e6ac7e8783e946732c803cd57e234-640×360.jpg

出典元:http://www.geocities.jp/thitosh/nikki/2006/60103.jpg

インフォメーション: 以下参照

銀巴里は、19511990年まで東京銀座七丁目にあった日本初のシャンソン喫茶店。「東の銀巴里、西のラ・ベル・エポック武蔵野市吉祥寺20091031閉店)」とも呼ばれた有名店です美輪明宏戸川昌子クミコ仲マサコ金子由香利戸山英二大木康子長谷川きよしらを輩出し、三島由紀夫なかにし礼吉行淳之介寺山修司中原淳一らが集い、演出に尽力しました。閉店日には銀巴里の名が記されたコーヒーカップや食器類が、すべて常連客によって持ち帰られました。現在、跡地の銀座7丁目911号付近に石碑が立っています

現在の公式サイト:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時の店舗所在地:東京都中央区銀座7丁目910中央信託銀行地下

参考サイト:http://www.geocities.jp/thitosh/nikki/2006/0601.html

参考サイト:http://www.tapthepop.net/song/27193

≪次ページパート2.≫もご覧ください

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