大衆娯楽の殿堂遺産/現存する地方劇場


「相生座(美濃歌舞伎博物館相生座)」

出典元:http://www.nakasendou.jp/aioiza/history/img/img05.jpg

出典元:http://nakasendou.jp/aioiza/img/pic2.jpg

現況:芝居小屋

公式サイト:http://www.nakasendou.jp/aioiza/

インフォメーション:相生座は明治20から30年頃に建築された芝居小屋を移築した施設です。舞台部分は岐阜県恵那郡明智町(現・恵那市)にあった「常盤座」、客席部分は岐阜県益田郡下呂町(現・下呂市)にあった「相生座」のを移築復元しています。一方、地域の伝統文化を保存する目的の一つとして1971年に美濃歌舞伎保存会が発足。1976年から二つの芝居小屋を移築合併させた「相生座」を拠点に活動しており、2011年で40周年を迎えています

使用料:未確認

所在地:岐阜県瑞浪市日吉町8004-25

問合せ:0572692126

開館時間:10301600

休館日:金曜日

入館料:施設協力費100

席数:未確認


「明治座」

出典元:http://meijiza.jp/images/gaikan2-crop-u2255.jpg?crc=220201642

現況:芝居小屋/観光施設

公式サイト:http://meijiza.jp/

参考サイト:http://www.kankou-gifu.jp/spot/3076/

インフォメーション:明治20年代は村芝居の全盛期で、岐阜県東濃地方、特に木曽川・飛騨川・南北街道に囲まれた一帯では、明治座のような劇場形式の芝居小屋が60棟以上も建てられました。その多くがやがては取り壊されていきましたが、明治座はそうした芝居小屋の最も発達した姿を、今に伝える貴重な存在です。現在、明治座では、ガイドの話を聞きながら普段は見ることができない舞台裏や楽屋、廻り舞台、奈落などをご覧いただけます。 (要予約。地歌舞伎公演、その他イベント期間中は見学不可)

所在地:508-0421 岐阜県中津川市加子母47932

問合せ:0573793611

営業時間:10001600

定休日:月曜日

見学ツアー参加料:1500


「旧共楽館(日立武道館)」

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/9/93/Hitachi-Budoukan1.JPG/300px-Hitachi-Budoukan1.JPG

現況:武道館施設

公式サイト:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%A5%BD%E9%A4%A8

インフォメーション:旧共楽館は、明治末期から大正期にかけて日立鉱山の発展に伴い、鉱業都市の商業中心地として栄えた地区の中心に位置しており、「共に楽しむ」の命名のごとく、日立鉱山従業員や地域住民の厚生・慰安施設として日立鉱山により建築されました。設計は日立鉱山の設計技師で、東京・歌舞伎座の構造を模して造られ、西欧の構造力学を応用し幅22mの大スパンを実現しています。また唐破風の屋根や格天井などには伝統的日本建築の意匠が見られます。当時階は長椅子席、階は畳席で、回り舞台や花道があり、約1,800人が入場できたと言います(内部の椅子席や畳席、舞台、花道などは武道館への改修時に取り去られています)。共楽館では、歌舞伎・歌謡ショー・映画会などが開かれ、当時の日立地方において、文化の向上と娯楽の場として果たした役割は大きいものでした。しかし戦後のテレビの普及や新しい娯楽の出現とともに、昭和30年後半には芸能の興業や映画などが打ち切られ、その後町内会や学校の集会、講習会などに使用されてきました。昭和42101日に日本鉱業株式会社から日立市に建物が寄贈され、内部を一部改装し、現在に至るまで日立武道館として市民に利用されています。

使用料:未確認

所在地:日立市白銀町2-21-15

問合せ:0293015449茨城県教育庁 総務企画部文化財担当)


「康楽館」

出典元:http://kosaka-mco.com/files/libs/56/201402241215262420.JPG?1469773082

出典元:http://kosaka-mco.com/files/libs/147/s/201402241215391878.JPG?1469773266

現況:芝居小屋/観光施設

公式サイト:http://kosaka-mco.com/

インフォメーション:明治43年、康楽館は秋田県の小坂鉱山の厚生施設として誕生しました。和洋折衷の造りが特徴の康楽館は、現在も常設公演・歌舞伎大芝居など生きた芝居小屋として多くの方々にお楽しみいただいています。建物は国の重要文化財で旧金毘羅大芝居や永楽館とともに、日本最古級の劇場の一つとして知られています2011年に指定管理者制度を導入し、町の直営から第三セクター企業小坂まちづくり株式会社の管理に移行しました。

建築年:1910年(明治43年)813日落成・木造二階建て

所在地: 017-0202 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山松ノ下2

問合せ:0186293732

開館時間:9001700

休館日:年末年始

料金:次下のサイトから確認できます

確認サイト:http://kosaka-mco.com/publics/index/223/#page223

席数:607


「旧広瀬座」

出典元:http://www.city.fukushima.fukushima.jp/bunka-bunkazai/kanko/bunka/bunkazai/bunka1/bunka4/images/5722.jpg

現況:観光民家園

公式サイト:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考サイト:http://www.city.fukushima.fukushima.jp/bunka-bunkazai/kanko/bunka/bunkazai/bunka1/bunka4/bunka142.html

インフォメーション:建築は明治20年(1887)と推定されています。大衆娯楽施設として広瀬川の近くに町民有志によって建てられました。舞台中央の回り舞台や奈落、花道といった舞台装置や桟敷席などが備えられており、裏手は楽屋になっています(壁には当時の役者の落書きが残されている)。しかし奈落が花道部分に無かったため、完成直後に出演者の通路を確保するため下手廊下が増築されました。和風の外観でが、小屋組みは建築当時の流行であった洋風の真束組みが採用されています。芝居小屋として建設されましたが、大正時代にかけ映画館としての役割が大きくなり、昭和50年代まで映画館として親しまれました。戦時中は軍需工場にも転用され、戦後、昭和32年(1957)の時点では、梁川町内の映画館は広瀬座と梁川映画劇場の館しかありませんでした1986858.5水害により広瀬川が氾濫し、河川改修のため移転されることとなり、1990年解体、1994年福島市民家園に移築され、1998、国の重要文化財に指定されました。

所在地:福島市上名倉字大石前地内(福島市民家園内)

問合せ:0245253785教育委員会事務局文化課文化財係


「*大国座」

出典元:http://asiya.kasajizo.com/img/annai-3-2/48/asiya-48.JPG

現況:現存しません

参考サイト:http://asiya.kasajizo.com/NewFiles/48daikokuza.html

参考サイト:http://www.town.ashiya.lg.jp/navigate/public/mu1/bin/view.rbz?pnp=118&pnp=210&pnp=229&ik=1&nd=229&cd=3103

インフォメーション:(芦屋町HPより)

明治331900)年、芦屋に大国座が建てられました。周辺では、筑豊の飯塚・養老館、直方・日若座に次ぐ古いものでした。筑豊は約一世紀の間、全国出炭量の約半分におよぶ石炭を産出し続けた日本最大の炭田地帯でした。その最盛期には35万もの人々が昼夜の別なく働いていました。宵越しの金は持たないことを誇った銭離れのいい坑夫とその家族たちの慰安ということで、劇場設立の動きが高まったのでした。芝居鑑賞は、事故防止、風紀上からも大変良いことだと鉱業主たちが勧めたのも劇場増の要因となったようです。劇場は、炭坑夫やその家族たちの娯楽の場として欠かすことのできない存在となっていきました。そこにはまた都市文化とは異なった炭鉱地帯特有の芸能文化圏が形づくられて、地方文化に強い影響を与えていきました。筑豊に特別、劇場が多かった理由は炭田にあったわけですが、芦屋の大国座に関していえば、始めから炭坑夫や川ひらたの船頭たちを対象としていたものではなかったようです。炭鉱景気以前、古くから商業都市、貿易中継港として発展した歴史がありました。芦屋は、芦屋歌舞伎役者の伝統を持ち地方中核都市としての力を持っていたがゆえに娯楽装置としての劇場を持つに至ったようです。しかし、残念ながら、昭和191944)年312日夜、大国座は火災により全焼しました。その後長野政八の出資によって大国座が再建されたのは昭和23年(19483月でした。二階建てでしたが規模は小さく、建坪は814.26平方メートル、観客定員は500でした。引きつづき芝居や映画が興行されていましたが、昭和41年(19668月芦屋町は敷地と共に大国座を買い受け、これを解体しました。(芦屋町誌より現在その一部に幸町公民館が建ち、残りは幸町児童公園となっています

所在地:福岡県遠賀郡芦屋町幸町児童公園

問合せ:未確認

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