「日本の洋画家の系譜」パートⅡ/2016.4.16修正更新


「日本の洋画家の系譜」パートⅡ

好評にお応えして、洋画家の系譜・続編をお届けします。初回掲載の際、最後までリストに残した方々を続編としてご紹介します。

 荻須高徳

出典元:https://upload.wikimedia.org/

洋画家。愛知県生まれ。川端画学校に学び、1927年(昭和2)東京美術学校西洋画科を卒業してフランスへ留学する。その後、佐伯祐三に師事。31年からサロン・ドートンヌ(のち会員となる)、サロン・デ・チュイルリー、サロン・デ・ザンデパンダンに出品を始めました。各地に制作旅行し、個展を開き、フランス政府に作品を買い上げられました。40年パリ陥落後に帰国し、新制作派協会の会員となり、滞欧作を特陳。48年(昭和23)、第二次世界大戦後初めて日本人画家としてフランスに再入国し、翌年モナコ賞展で大賞を受けました。サロン・ド・メに毎年招待出品しています。53年ポピュリスト絵画賞、翌年毎日美術賞(特別賞)、56年レジオン・ドヌール勲章を受けています。パリやベネチアなどの風景画で知られ、81年文化功労者、86年文化勲章追贈されました。

生年月日:1901.11.30.

出身地:愛知県生れ

主な作品/所蔵:

『サン・タンドレ・デザール広場』(1938)(ポンピドゥーセンター所蔵)

『モンマルトル裏』(1940)(東京国立近代美術館収蔵)

「モンマルトル裏」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/jpeg/momat/s0003038.jpg

須田国太郎

洋画家。明治24年6月6日京都に生まれる。第三高等学校時代から油絵と謡曲を習い、京都帝国大学では美学美術史を専攻して「写実主義」を卒論とし、大学院では「絵画の理論と技巧」を研究テーマとするほか、関西美術院に通いました。1919年(大正8)インド滞在を経てマドリードに至り、以後おもにプラド美術館で巨匠たちの作品を模写するほか、ヨーロッパの各地を巡遊する。23年帰国後は、母校京都帝大ほかで美術史を講じるかたわら油絵の制作、発表に励み、34年(昭和9)独立美術協会の会員となり、『法観寺塔婆』ほかを出品。40年の『歩む鷲(わし)』は文部省買上げとなる。東西美術の融合を求め、独自の明暗法による近代油彩画境を開拓し、47年(昭和22)日本芸術院会員に推されました。50年京都市立美術大学教授、学長代理として後進の指導にあたりながら、独立展ほかにも発表を続け、『犬』などにみる神秘感を秘めた深い写実画境に達した。56年ベネチア・ビエンナーレ展に出品して好評を博し、59年毎日美術賞を受けています。昭和36年12月16日没。

生年月日:明治24年6月6日

出身地:京都

関連URL:http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=4591

関連URL:http://kubohachiman.com/default.htm

関連URL:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/j_0903/p1.html

主な作品/所蔵:

『工場地帯』 1936年、油彩、布、130.5×212.2cm、兵庫県立美術館蔵

「法観寺塔婆」1932年  東京国立近代美術館蔵

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「窪八幡」出典元:http://kubohachiman.com/images/kubohachiman.jpg

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「工場地帯」出典元:http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/j_0903/image/p1_p03.jpg

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「法観寺塔婆」出典元:http://search.artmuseums.go.jp/jpeg/mid/momat/s0128027.jpg

東郷青児

出典元:http://www.sjnk-museum.org/wp/wp-content/uploads/2014/08/togo.jpg

洋画家。明治30年4月28日鹿児島市に生まれる。本名鉄春。青山学院中学部を卒業後、有島生馬(ありしまいくま)に師事し、また作曲家の山田耕筰からヨーロッパの新芸術思想を啓示され、1916年(大正5)二科展に未来派風の『パラソルさせる女』を初出品、二科賞を受ける。1921~1928年(昭和3)フランスに留学。帰国した1928年の二科展に『サルタンバンク』ほかの滞欧作を特陳して昭和洋画奨励賞を受け、1931年に二科会会員となる。1957年(昭和32)日本芸術院賞を受け、同年と1959年の日本国際美術展で大衆賞を受賞。1960年日本芸術院会員となり、翌年二科会の会長に就任しました。1976年には東京新宿に東郷青児美術館が開館。未来派ないしキュビスムを叙情化した甘美な装飾的作風の女性像で知られる。昭和53年4月25日旅行先の熊本市で没。

生年月日:明治30年4月28日

出身地:鹿児島市

関連URL:http://www.sjnk-museum.org/collection/togo

主な作品/所蔵:

「パラソルさせる女」1916年 一般財団法人陽山美術館蔵

「超現実派の散歩」1929年 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館蔵

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出典元:http://www.sjnk-museum.org/wp/wp-content/uploads/2014/08/art_togo1.jpg

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「セシルカット」出典元:http://www.sjnk-museum.org/wp/wp-content/uploads/2015/08/20151121_art02.jpg

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「赤いベルト」出典元:http://www.sjnk-museum.org/wp/wp-content/uploads/2015/08/20151121_art01.jpg

中川一政

top-side[1]

出典元:http://www.nakagawamuseum.jp/images/top-side.png

洋画家。明治26年2月14日東京に生まれる。錦城中学校卒業。油絵を独習し、1915年岸田劉生と知り合い、巽(たつみ)画会に出品して二等賞を受け、草土社の結成に際し同人となる。また二科会にも出品し、21年の『静物』で二科賞を受賞、翌年春陽会の創立に参加。尾崎士郎の『人生劇場』ほかの新聞挿絵で広く知られる。新文展の審査員を務め、53~54年(昭和28~29)南米とヨーロッパ各国を巡遊、のち中国、ヨーロッパへたびたび旅行しています。75年文化勲章を受章。風景や花に取材し、油彩画、日本画、陶芸、書などに奔放な文人画境を示す。また文筆に優れ、『美術の眺め』『腹の虫』ほか多くの著書があります。代表作『監獄の横』(1917)、『少年像』(1942)など。

生年月日:明治26年2月14日

出身地:東京

関連URL:http://www.nakagawamuseum.jp/

主な作品/所蔵:

「椅子の女」1941年 平塚市美術館

「薔薇」制作年度不明 平塚市美術館

「福浦突堤」1966年 中川一政美術館

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「監獄の横」出典元:http://www.nakagawamuseum.jp/sys/photos/Y112.jpg

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「薔薇」出典元:http://www.nakagawamuseum.jp/sys/photos/62.jpg

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「福浦突堤」出典元:http://www.nakagawamuseum.jp/sys/photos/Y98.jpg

宮本三郎

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出典元:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/image/saburo/portrait2.jpg

洋画家。石川県生まれ。1920年(大正9)上京して川端画学校に入り、藤島武二の指導を受ける。のち安井曽太郎(そうたろう)に師事し、27年(昭和2)から二科展に毎回出品、36年二科会の会員となる。38~39年パリのアカデミー・ランソンに学ぶほか、ヨーロッパ各地を巡遊。42年太平洋戦争下の南方へ従軍して『山下・パーシバル両司令官会見図』を制作、翌年帝国芸術院賞を受ける。44年朝日文化賞を受賞。第二次世界大戦後、47年(昭和22)同志と二紀会を創立し、のち理事長となっています。66年日本芸術院会員。晩年には『妻と私』のほか、的確な写実力と華麗な色彩による舞妓(まいこ)、裸婦の連作で注目されました。80年には生地の小松市松崎町に宮本三郎記念美術館が開館。2000年(平成12)同市小馬出町(こんまでまち)に市立宮本三郎美術館が開館、記念美術館はその分館宮本三郎ふるさと館として2001年に新たに開館しました。

生年月日:明治38年5月23日生まれ

出身地:石川県

関連URL:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/index.htm

主な作品/所蔵:

「山下、パーシバル両司令官会見図」昭和17年作 東京国立近代美術館所蔵

「若き妊婦」(1964年)所蔵:宮本三郎記念美術館

aoishikimono[1]

「青い敷物」出典元:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/image/exhibition/H28_1/aoishikimono.jpg

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「郊外の町」出典元:http://www.miyamotosaburo-annex.jp/image/exhibition/H28_1/kougai.jpg

村山槐多

洋画家、詩人。明治29年9月15日、横浜市に生まれる。高知を経て4歳で京都へ一家と移り、府立第一中学校時代に従兄(いとこ)の山本鼎(かなえ)の強い感化を受け、回覧雑誌を発行し、文学と美術に早熟の異才を発揮する。1914年中学を卒業して上京、小杉未醒(みせい)の勧めで再興日本美術院洋画部の研究生になるほか、第1回二科展に『庭園の少女』(水彩)ほかを出品。翌年第2回日本美術院展覧会に『カンナと少女』(水彩)を出品、院賞を受賞した。17年日本美術院試作展覧会で『湖水と女』(油彩)、素描『コスチュームの娘』により奨励賞を受け、院友となる。また小説、詩を書き、失恋、放浪し、デカダン生活のなかで肺結核を病む。19年院試作展に『松と榎(えのき)』(油彩)ほかを出品し、美術院賞乙賞を受けたのち、2月20日満22歳で没。詩集『槐多の歌へる』が没後刊行(1928)されました。

生年月日:明治29年9月15日

出身地:横浜市

主な作品/所蔵:

「バラと少女」1917年、東京国立近代美術館

「湖水と女」1917年、ポーラ美術館

「自画像」1918年、大阪市立美術館

 

≪次ページ・パート2.もご覧ください≫

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