夭折の画家たち・Vol.2


夭折の画家たち・Vol.2

夭折した現代作家たちが数多くいます。そこでご紹介します「夭折の画家たち・Vol.2」です。「石田徹也」「野村昭嘉」「神田日勝」「小野元衛」「山田かまち」「沼祐一」「小野幸吉」「菊池怜司」「犬塚勉」「正木隆」「金山康喜」「須藤康花」。

「石田徹也」

「飛べなくなった人」出典元:http://www.img.tetsuyaishida.jp/member/07184301/tobenakunattahitos01.jpg?imgts=

「トイレに逃げ込む人」出典元:http://www.img.tetsuyaishida.jp/member/07184301/toires01.jpg?imgts=1491095719399

出典元:http://www.img.at-ml.jp/member/07184301/tetsuya_ishida_profile1_middle.png?l=0&r=1464980494

公式サイト:http://www.tetsuyaishida.jp/

出身・生没年月日(享年):以下参照

1973616焼津市生まれ・2005523町田市にて没・享年32

画家プロフィール:( 石田徹也公式サイトより)

石田徹也は1973年に静岡県焼津市に生まれ、静岡県立焼津中央高校を経て、武蔵野美術大学を卒業後、東京にて精力的に絵画の発表を続けてきた。20055月に東京の町田付近にて踏切事故にあい不帰の人となった。NHK「新日曜美術館」にて紹介後、多くの鑑賞者に衝撃を与えることとなった。石田徹也の作品はキャンバスに石田個人の実生活からイメージした世界を描くが、描かれた世界は非現実な世界のように見える。けれども自らが選んだ自画像とも思える描写は日本の社会における個人の人権の尊さ、学校教育の問題、管理された日本の社会構造を痛切に批判し、人々の心の問題を表現している。少年の犯罪や児童殺害事件が社会問題になっている今日、石田徹也は弱者である少年や児童の心のよりどころを自己の問題として捉えて、絵画によって表現することで、現代人の心の奥底に潜む「痛みや悲しみ」を描いた。

作品インフォメーション:「飛べなくなった人(静岡県立美術館蔵)」

「飛べなくなった人」は古びた飛行機と一体化した人を描いています。両脚を広げ、飛び立とうとしますがその顔は、決して飛び立てないことを知っているかのように悲しげ。寡黙で社会的な人付き合いが苦手、絵を描き続けることだけを望み、「描かないと僕じゃないような」と語っていた石田徹也。 彼は生涯、一貫して社会のシステムに翻弄される人を描き続けました。絵には、必ず悲しげな顔の男が登場。それは自画像だと言われています。世の中に押しつぶされそうな自分自身の姿。 描かれているのは、あなた自身の姿だと絵の人物は訴えるのです。

静岡県立美術館住所:422-8002静岡県静岡市駿河区谷田532

問合せ:054-263-5755


「野村昭嘉」

Oeret」出典元:http://www1.saga-s.co.jp/var/rev1/0159/5078/SP2012012799000041.-.-.CI0002.jpg

「雲の製造2」出典元:http://www1.saga-s.co.jp/var/rev1/0159/5076/SP2012012799000040.-.-.CI0002.jpg

「野村昭喜と友人(立川美術学院同窓)西原氏」出典元:http://img01.sagafan.jp/usr/s/a/g/sagaprefbunka/poster-20130907koenkai.jpg

公式サイト:http://www1.saga-s.co.jp/news/machi-wadai.0.2123118.article.html

参考サイト:http://sagaprefbunka.sagafan.jp/e622349.html

出身・生没年月日(享年):1964年佐賀市生まれ・1991年立川市にて没。享年26

画家プロフィール:以下参照

佐賀市諸富町に生まれ、高校卒業後に上京、東京芸術専門学校等で絵画を学びました。太古の遺跡の壁画を思わせる乾いた絵肌と、そこに浮かぶ生物と機械が融合したような不思議な物体に代表される彼の創造性豊かな作品は、早くから高い評価を得、JACAイラストレーション展やリキテックス・ビエンナーレといった数々の展覧会に入選を果たしました。彼は次代を担う若手画家として将来を嘱望されましたが、平成33立川市の工事現場のクレーン横転事故26歳という若さで生涯を閉じましたが、現在も野村の絵画は新鮮な魅力を放ち、若い世代をはじめとした多くの人々の心を惹きつけています。作品インフォメーション:以下参照

雲間に静かに漂うもの、飛行船、あるいは潜水艦のように泳ぎ続ける「何か」―佐賀に生まれ、わずか26歳で没した画家野村昭嘉(1964-1991)の作品は常に、太古と未来、ノスタルジーと新しさが同居する不思議な魅力をたたえたさくひんとなっています。

佐賀県立美術館住所:佐賀市城内1-15-23

問合せ:0952-24-3947


「神田日勝」

「馬」出典元:http://kandanissho.com/works/img/works_79.jpg

「牛」出典元:http://kandanissho.com/works/img/works_06.jpg

出典元:http://kandanissho.com/life/img/life_01.jpg

公式サイト:http://kandanissho.com/

出身・生没年月日(享年):1937年練馬生まれ・1970年没。享年32

画家プロフィール:以下参照

「農民である。画家である」と明確に語った神田日勝。『結局、どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている。』(25周年記念全道展帯広巡回展目録より)彼の生涯を貫いた画家としての姿勢です。神田日勝は1937(昭和12)年、東京・練馬に、父神田要一、母ハナの二男として誕生。日本の敗戦色濃くなった1945(昭和20)8月、拓北農兵隊(戦災者集団帰農計画)に応募し北海道へ向かう。東京・疎開者は全く農業の経験もない中、素手同然での開拓を強いられ、その殆どが5年を待たず脱落した。 だが、神田一家は定着します1953(昭和28)年、中学を卒業すると営農を継ぎ、地域の青年団の中で演劇や相撲、釣りなどに積極的に取り組む快活な青年として成長。その頃兄一明は東京芸大に進学します。元々絵に興味のあった日勝は兄の影響を受け本格的に油絵に取り組むようになります1956(昭和31)年、初めて帯広の公募展(平原社美術協会展)に【痩馬】を出品し入賞。 その後、札幌の全道美術協会展、東京の独立美術協会展と発表の場を広げていきます19726月下旬、春先から体調が優れなく8月からだの不調が続き、新得の医院へ入院。病名不明のまま悪化し清水赤十字病院に転院したが、腎盂炎による敗血症で死亡。825日永眠。

作品インフォメーション:「馬」「牛」

「馬」中学を卒業した日勝は、営農に勤しむ傍ら油彩画の制作に励みました。この作品は、同様の主題で平原社展に初出品・初入賞した「痩馬」に続いて発表され最高賞である協会賞を受賞しました。ここに描かれた馬は日勝と生活をともにした農耕馬であると思われ、その姿を通して戦後開拓生活の一端を偲ぶことができます。これ以降日勝は生涯を通して馬を描きつづけました。

「牛」石床の上に敷かれた筵の上に折り曲げられた足を鎖で縛られ腹を切り裂かれた牛が横たわる光景。永遠の眠りについた牛の穏やかな表情とは対照的に、切り裂かれた赤い腹部の鮮烈さに目が惹かれます。赤や青、白の色が部分的に取り入れられ、これ以降日勝作品に色彩が用いられるようになります。

神田日勝記念美術館住所:北海道河東郡鹿追町東町3-2

問合せ:0156-66-1555


「小野元衛」

「朱の仏・個人蔵」出典元:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2012/onomotoe/img/w07.jpg

「ニコライ堂・神奈川県立美術館蔵」出典元:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2012/onomotoe/img/w04.jpg

出典元:https://pbs.twimg.com/media/CGPaQJsVIAAoi04.jpg

参考サイト:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2012/onomotoe/

参考サイト:https://twitter.com/fukumi_shimura/status/614999471055749121

出身・生没年月日(享年):1919年生まれ・1947年没。享年28

画家プロフィール:以下参照

1919年、大阪で生まれた小野元衞は1926年に昭和学園に入園し寺子屋式の特殊な環境で教育を受け、幼い頃から絵を描くことが好きでした。18歳の時、陶芸家の富本憲吉に相談して京都市立第二工業学校陶磁器科に進み、卒業後は陶器試験所に入所しますが、絵画への思いは断ちがたく1940年に東京御茶ノ水の文化学院美術部に入学しました。生来、身体が弱く、つねに病と闘い続ける日々を送った元衞が「童顔如来」と名付けた仏像をはじめて描いたのは、中学を出たばかりの頃でした。そこには穏やかな家族との日々と母の深い信仰心に裏打ちされた清らかな世界がありました。しかしその後、戦争の時代に入ると文化学院は閉鎖され、その頃、家族を襲ったいくつかの不幸は、彼に「童顔如来」を描くことを拒ませて、主題は近江や京都、東京の教会や仏塔などの建築物、あるいは人形になりました。 そうした心身ともに疲弊しながらも絵筆を取り続けましたが、194728歳という若さでこの世を去りました。紬織の人間国宝・志村ふくみは実の妹にあたります。

作品インフォメーション:以下参照

「童顔如来」と名付けられた一連の童子の仏の絵は実に可愛らしく夢を感じさせます。「木喰上人」シリーズのモノクロの仏画は深い闇に包まれて、二作品の間には落差を感じますが、その一方でこれは一体なんだろうと魅きつけられてしまいます。『民家の屋根』や『市役所』の黄色い背景、『市外風景』や『朱の仏』の強烈な赤の背景、そして歪んだ線と激しい筆痕には画家の短い一生思いを印象付けられてしまいます

神奈川県立美術館鎌倉別館住所:2480005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-8-1

問合せ:0467-22-7718(代表)


「山田かまち」

「青い自画像」出典元:http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2015052200061/files/aoijigazou.jpg

「逃げる女」出典元:http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2015052200061/files/nigeruonna1.jpg

出典元:http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2015050700075/files/portrait.jpg

公式サイト:http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2014040100192/

出身・生没年月日(享年):1960721日生まれ・1977810日没。享年17

画家プロフィール:以下参照

幼少より絵画の才能を発揮する。小学校3年生のとき、東京芸術大学出身の竹内俊雄(後に新島学園高校の美術科非常勤講師)がクラスの担任になり、冬休みの宿題で動物の絵(約30枚)を1時間あまりで書き上げ、その作品は竹内によって保管され、貴重な作品として「高崎市山田かまち美術館」に残された。中学3年生の頃からビートルズなどのロックに傾倒。同級生であり後にミュージシャンとして活躍する氷室京介松井恒松とバンドを組んだこともあった。16歳の1年を浪人し、前橋市の英数学館に通う(当時の群馬県では、高崎高校前橋高校といった難関県立高校を目指して中学浪人をする者がいた)。1977年、群馬県立高崎高等学校に入学。友人数人と、学園祭で映画を作成し出演する。同高校1年生の17歳の8月、自宅でエレキギターを練習している最中に死亡。このエレキギターは17歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものであった。死因は感電事故。死後に遺作となった絵画が発見され、それらを収めた『悩みはイバラのようにふりそそぐ山田かまち詩画集』がきっかけで世に広く知られるようになった

作品インフォメーション:「青い自画像」「逃げる女」

「青い自画像」かまちの水彩絵具による自画像には独特の表現が見られます。身体を覆うように気がゆらめき立ち、若さの持つエネルギーととまどいとを同時に表しています。かまちが幼少時から好んでいた青色が基調となっているところに、自分自身の強い投影感じられます

「逃げる女」女性の姿がシンボリックにとらえられ、青と緑の色調と傾斜する構図が画面に緊張感を与えています。背景に描かれる風景は、かまち好きだったSF小説に登場しており彼の近未来をも予感させる作品と言えます

山田かまち美術館住所:370-0862 群馬県高崎市片岡町3丁目235

問合せ:027-321-0077


「沼祐一」

「どうぶつ」出典元:http://www.yawatagakuen.or.jp/friends/img/img1028h1240_1.jpg

出典元:http://www.roadsiders.com/backnumbers/images/og95.jpg

出典元:http://www.yawatagakuen.or.jp/friends/img/03.jpg

八幡学園公式サイト:http://www.yawatagakuen.or.jp/friends/

参考サイト:http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=95

出身・生没年月日(享年):1925年生まれ・1943年没。享年18

画家プロフィール:以下参照

10歳のとき重度知的障害で対応に困るとのことで他施設より八幡学園に入園します。衣服を裂いたり、ボタンを引きちぎったり、時には爆発的に憤怒し、無意味な語を連発したり、人を呼び何か執拗に要請したりという症状を呈します。入園当時この祐一に絵が描けるなどとは誰も想像しませんでした。その野生ぶりは依然変化しなかったのですが、クレヨンや色紙をちぎって絵を描き始めます。面白いもので、祐一の絵には原始芸術の風格があり、ある意味では山下清以上の、その何倍も不思議な感覚を表現していました。

八幡学園住所:272-0816 千葉県市川市本北方3丁目1311

問合せ:047-338-3763

 

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