日本のマイルストーン「ブルネロ・クチネリ」エピソード

adds by google

ads by google
Pocket

日本のマイルストーン「ブルネロ・クチネリ」エピソード

私達は今、消費社会という構図の中で、未体験の危機に晒されているかも知れません。高齢化社会が加速する中で「地方創生」「デフレ脱却」「地産地消」「高付加価値生産の実現」と言った様々な問題を抱えています。背筋が寒くなる閉塞感に襲われますが、世界にはそんな現実を直視しながら、見事な起業に成功したエピソードが存在します。イタリアの片田舎で具現化された小さなサクセスストーリー。今や世界のハイブランドの仲間入りした「ブルネロ・クチネリ」のお話です。現代日本人が何を読み、何を見届けるべきか、取材・資料収集した情報をもとに「ブルネロ・クチネリ」エピソードをご紹介したいと思います。ご一読ください。

参考サイト(ブルネロクチネリ公式サイト):http://www.brunellocucinelli.com/ja/home.html
参考サイト:https://www.afpbb.com/articles/marieclairestylejp/3059308?utm_source=antenna
参考サイト:https://antenna.jp/articles/1743182
参考サイト:https://mataiku.com/articles/UnyCK
参考サイト:http://hpplus.jp/spur/clip/2177417/
参考サイト:https://kagayakelife.com/2018/04/10/post-2393/
参考サイト:https://howtospendit.ft.com/watches-jewellery/205617-brunello-cucinelli-s-favourite-watch

「イタリア・ウンブリア州ソロメオ村」

出典元:https://staticx.antenna.jp/article_images/7357411_wide_fdc610ab-0d00-4ca2-8cb8-6df6797803de_.jpeg

ソロメオ村は、12世紀の終わりから13世紀前半にかけて建立された村です。そこには以前ヴィッラ・ソロメイと呼ばれていた集落があり、麓に広がる平野の開墾に携わる人々の活動の拠点となっていました。

1361年のヴィッラ・ソロメイは、邸宅、共同住宅、家12軒、農家2軒、そして聖バルトロメオ教会から成り立っていました。1391年の春、地域の騒乱に備え、住民はこの集落の防備を固めることを決め、最も大きな邸宅の所有者であったメオ・ヨハネス・コールが城の建設資金を提供し、要塞を彼の邸宅の前に建設しはじめました。城は14世紀末に完成する予定でしたが、その後しばらく居住施設の増築が続けられ、最終的には「ヴィッラ(邸宅)」の形となりました。約70年後の1430年の記録に初めてソロメオ城についての記載が残っています。やがて16世紀に入るとソロメイ村は人口の増加により、居住区は城壁の外へと広がっていきました。

出典元:http://www.brunellocucinelli.com/on/demandware.static/-/Library-Sites-SiteGenesisSharedLibrary/default/dw68b458f7/Corporate/solomeo/Solomeo-02-stemma_n.jpg

長い時が流れ、経済的に疲弊したソロメオ村は、ある日、目覚めます。歴史的な建物に新しい命を吹き込むことは容易ではありません。元々の魅力を永遠に失ってしまうリスクが常につきまとうからです。そこでヒトは、人間が古くから持ち続けているシンプルな価値基準に着目することを思いつきま。それは「人間性」と「技術」です。この地の人々は祖先から受け継いだ手工芸の伝統と技を大切にしており、ウンブリアの土地への愛と融合させて見事な仕事を仕上げます。そして、その事を熟知するある一人の男が立ち上がり、同時にこの場所の歴史も取り戻して行くのです。


「大いなる帰巣本能」

出典元:https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/8/f/1024x/img_8f10eb29e2c44aa9674a5ddf9a22137d432239.jpg

「都市国家の時代」として知られるイタリアの歴史上重要な時代遺産が「ウンブリアの風景」です。この景観を占めるのは「城塞に囲まれた魅力的な村」「完璧な状態で保存されている城」「フレスコ画のある教会」「緑あふれる平原や丘の上に点在する塔」といった中世の遺産です。その男はこのウンブリアの風景資産に魅了され、文化的アイデンティティーを確立することをも目指します。この地、ウンブリア州ロメオロ村を再生させる一人の男。その男こそがロメオロ村に隣接するペルージャ生まれの「ブルネロ・クチネリ」です。

出典元:http://www.brunellocucinelli.com/on/demandware.static/-/Library-Sites-SiteGenesisSharedLibrary/default/dw7612a26b/Corporate/my-creed/il-mio-credo-04.jpg

当時、世界のファッションは70年代をきっかけとして「多様化」と「バリエーション」の時代に突入し、同じ方角を向いた画一的ファッション傾向は姿を消していきました。極端に言うとそれは「従来型トレンドの消失」です。そして徐々に「スタイルの時代」へとシフトしていきます。また70年代から80年代にかけては「ミラノ」「ニューヨークのファッションが成長しました。ミラノではジョルジオ・アルマーニジャンフランコフェレヴェルサーチなどが活躍し、有用性と装飾性を兼ね備えたファッションで確固たる地を確立します。アルマーニはレディースウェアの柔らかさをメンズウェアに取り入れ、また逆に、メンズウェアの機能性をレディースウェアにも応用させて、支持を集めますニューヨークではラルフ・ローレンカルバン・クラインダナ・キャランなどがスタイルを打ち出したファッションで活躍する時代に突入していきす。クチネリが参入した当時のファッションの世界は、そんな新しい付加価値が交錯する時代でもありました。


「何処にもない上質のカシミア」

出典元:http://www.brunellocucinelli.com/on/demandware.static/-/Library-Sites-SiteGenesisSharedLibrary/default/dwb64f6321/Corporate/cashmere/4T6A5258.jpg

現代のマーケティングで必要不可欠な最大要素は「着想」と「アイデア」と言われます。クチネリが考えた着想とアイデアは地元にインフラのある「付加価値の高いマテリアル発掘」と「それらをアレンジする発想」でした。1978年に一人の男クチネリがニットウェアビジネスという魅力的な冒険に飛び込むことを決意した時、ペルージャは既にニット生産の中心地の1つで、13000人以上の人々がこの分野で働いていました。起業の意を決したクチネリは50万リラの融資を受け、工房を立ち上げると、すぐにカラフルなカシミヤセーターのサンプルを5着作りました。そのカシミヤセーターには早速、買い手が現れ、トントン拍子にドイツ市場進出が実現しました。これを契機にクチネリのニット事業はたちまちのうちに成長を遂げ、すぐに重要な決断をすべき時がやってきます。

出典元:http://www.brunellocucinelli.com/on/demandware.static/-/Library-Sites-SiteGenesisSharedLibrary/default/dwe6a972a5/Corporate/the-origins/le-origini-05-cashmere.jpg

急成長のはざまでクチネリに課された命題は「多くの優良企業の1つのままでいるのか?」、それとも思い切って製品を1つに絞って「カテゴリーナンバーワンを目指すのか?」その決断でした。最終的にクチネリはナンバーワンを目指す目的で、カシミアに注目します。それは極めて特殊な素材製品のアイデアがクチネリにひらめいたからです。カシミア生産に使用されるのは、そもそも動物の首の下部にある非常に小さな部分の細い毛だけです。クチネリはその貴重な素材の価値を高めるために、地元に伝わる染色工芸の技術に注目し、 そのアイデアが功を奏し、結果的に革新の時が到来します。「カシミアの現代化」つまりカシミアをカラフルに染め上げることで伝統的なアイテムをファッショナブルにし、レディースウェアの素材としても活用することに成功するのです。

出典元:https://cdn.clipkit.co/tenants/195/item_instagram_directs/images/000/002/880/medium/3b0485e3-f315-49a7-90db-900ebb7076a4.jpg?1544253368

クチネリは言います。「女性がカシミアが好きなことは知っていました。クローゼットから兄弟やご主人の大きなセーターをこっそり取り出しては、袖をまくり上げて、ひざ丈ほどのチュニックのように着ていました。それがゆったりとボディーを包みこみ、女性らしさを際立たせていました。でも我々は初めから女性のためのセーターを作って、女性が真の意味でカシミアセーターを着こなせるようにしたかったのです。」このことこそが、クチネリの着想とアイデアが結実した第一歩でした。


「世界一の工場」

出典元:https://kagayakelife.com/wp-content/uploads/2018/03/IMG_1596-768×576.jpg

今、ファッションに敏感なヒトならクチネリのブランドは知っています。でもクチネリの生き方を知っている人はそんなに数多くはありません。クチネリの商品は正直「なぜ?」と言いたくなるほど高い価格がついています。それは「素材が高い」からだけでなく、また「高い関税」のせいだけでもなく、「世界一の労働環境」と評される工場で生産されていることに起因します。現在、日本でも「町工場の職人の技術」が見直される気運がありますが、多くの場合、過酷な就労環境と低賃金というストレスの中で多くの企業が埋没していきます。クチネリのアイデアは、地元の人々に伝統の職人技術を発揮させる機会を提供し、着実な雇用を提供するだけでなく、その工場施設を様々な地元の資産、資源を活性させる装置として稼働させたことです。その象徴的なものが、地産地消の理念に基ずく「社員食堂」です。

出典元:https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/c/d/1024x/img_cdadd275eeb2a70372ed5d247ecbc0e9335476.jpg

広がる緑を見渡せる社員食堂では地元の素材を使用するウンブリアの郷土料理がふるまわれ、社員たちの豊かなランチタイムも大切な時間となっています。また食堂で働く人は地元の料理自慢の主婦たちです。ちなみにお値段は、すべて込みで一律400円。予測に過ぎませんがクチネリは「ファッションブランドを起業する」という理念の根本に「世界一、持続性のある、コンパクトなビジネスモデルを創ること」を組み込んでいたに違いありません。そのような環境から生まれる製品が高価になり、それでも高付加価値な使用感を評価される状況こそがクチネリの目指したものなのです。


「ヒトの技」

出典元:http://www.brunellocucinelli.com/on/demandware.static/-/Library-Sites-SiteGenesisSharedLibrary/default/dwd4e04046/Corporate/the-school/la-scuola-di-arti-e-mestieri-di-Solomeo-02.jpg

クチネリは1982年にソロメオの村に移り住み、3年後、当時荒れ果てていた古城を購入し、そこを本社とし、村の教会も修復します。さらには市場の拡大に対応すべく村の既存の工場を購入してリノベーション。その後、図書館、哲学の庭、そして野外劇場やシアターを有するアートフォーラムを設け、文化と芸術を楽しめる場を誕生させました。また、職人の手によってアートフォーラムが生まれたことを通して、職人の技術を守り、未来の世代に受け継がせたいという思いから、2013年に「ソロメオ学校(School of Craftsmanship)」を開講しました。この学校には、4つのカリキュラムがあります。ニット高度技術の中の「メンディング(修繕)とリンキング(ニット縫製)」、「裁断と縫製」、「園芸と造園」、そして「石造建築」です。この4学科のうち、最初の2つはブルネロ・クチネリの主要な事業活動に関わるものですが、残りの2つはソロメオ村とこの地域の修復に関わり、その景観をより美しくするためのものです。すべてが地域に根差した本物で、実在する、生きた物事なのです。

出典元:https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/d/7/1024x/img_d70ccf3eacb0045b0c8d17145eaa3bf4333957.jpg

出典元:http://www.brunellocucinelli.com/on/demandware.static/-/Library-Sites-SiteGenesisSharedLibrary/default/dw6b8ae1af/Corporate/the-school/la-scuola-di-arti-e-mestieri-di-Solomeo-04.jpg

この学校の意義は、間違いなく長年温めてきた夢の実現であると同時に、ブルネロ・クチネリが作り上げた革新的な概念の実行でもあります。そこからこの学校の究極の目的が生まれたと言っても過言ではありません。職人技術の崇高さを復活させ、この専門的な仕事にふさわしい賃金を支払うこと(生徒には毎月約700ユーロ・邦貨86千円の給与が支払われます)。これが実際にソロメオ学校の長期目標なのです。若者たちが未来への確信を取り戻せるように、現代の風潮を認識させ、職人技術の再生過程をスタートさせること-それは職人技術が持つ優れた価値の実現なのです。類型する理念を現代の多くの経営者が口にしますが、実行することは現実的には実に難しいのです。


「世界への伝播」

出典元:http://img.hpplus.jp/clip/b89814d08f8d2945dd99e615f41e6b40/5tgV/91a5ee9c86c33bf2277b6c126da7da5dea1dab62_l.jpg

いかに高付加価値の製品を創り出せても「売る」能力が低ければマーケティングは破綻します。そこではまぎれもなく「ブランドマーケティング」が不可欠になり、現代ではこの戦略過程で「ブランド広報」と言われる方策をいかに行うかが最重要視されます。かつて、ミラノファッションの雄と言われたアルマーニはブランド広報のターゲットを「ハリウッド」に定め、一気に世界的ブランドに躍進したという経緯があります。クチネリの場合、幸いしたのは一枚のプレス写真でした。世界中が注目した英王室の王子誕生のニュースで、父親のウィリアム王子がさりげなく着用していセーターがクチネリだった事です。セレブの象徴とでも言う王室関係者が愛用するブランド「クチネリ」というインパクトは何物にも代えがたいブランドエクイティとなりえました。価格が高いことの必然は、「理屈で説明できる部分」と「感覚的に感じ取れる要素」の二つが必要になりますが、強力な広報素材を手に入れることでクチネリは世界戦略の環境を整えたのです。日本でも10年以上前から、一流デパート等に取り扱いがありましたが201594日銀座に日本おけるフラグシップ店を展開しています。(国内路面店としては4店目)


「クチネリのメッセージ」

出典元:https://www.ft.com/__origami/service/image/v2/images/raw/https%3A%2F%2Fs3-eu-west-1.amazonaws.com%2Fhtsi-ez-prod%2Fez%2Fimages%2F5%2F4%2F0%2F1%2F1761045-1-eng-GB%2F01-Cucinelli_DSC4576.jpg?height=930&dpr=1&format=jpg&source=htsi

ソロメオの本社内にあるクチネリの部屋の書棚には、彼が影響を受けたアリストテレス、ソクラテス、ベンヤミン、ジョン・ラスキンなどの書物や、彼らの彫像や肖像画が置かれています。それは、経営者の書斎というより、まるで学究の徒の一室のような印象です。クチネリは語ります。「経済的価値と人間的価値は両立すべきものであり、人間そのものに対する配慮に欠けた企業は、いくら収益を上げても無意味だ」と。本社、工場を垣間見て驚くのは、その豊かなスペースと清潔で明るい環境はもちろんですが、従業員たちの誇りに満ちた顔が象徴的です。リサーチ会社によると、イタリアの就業者にどの企業で最も働きたいかという調査で、84%の人が「ブルネロ クチネリ」社を選んだとい言います。まさに理想的な企業を象徴する数字と言えるのではないでしょうか

出典元:https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/b/1/1024x/img_b1bf2754f89526106c72c3c243c98c27220217.jpg

最後にHP上に記されるウチネリの「私の信条」を記載します。

私は人間主義的企業の可能性を固く信じています。最上のやりかたで、何世紀もの歳月を経て人間が作り上げてきた倫理的条件をすべて満たす会社を実現することは可能だと信じています。太古の昔にルーツをもつ人文主義の現代的解釈に根差した資本主義を夢見ています。誰に対しても無理な負担がなく尊厳を損なうこともなく利潤を生みだし、人間生活の質を具体的に向上させるため、収益の一部をあらゆる行動に活用していく資本主義です。我社の経営の基準となるのは皆で共有する恵みであり、これが慎重かつ勇敢な行動を追求していくための指針となります。私の会社では、どんな生産工程でも中心にあるのは人間です。なぜなら、人間の尊厳は高い意識の再発見を通じてのみ取り戻すことができると信じるからです。