江戸三大蕎麦名店巡り

Pocket

江戸三大蕎麦名店巡り

「砂場」「更科」「藪」と言った老舗そば処の歴史とともに、代表的なそば処をご紹介します。「江戸三大蕎麦名店巡り」情報です。

≪インデックス≫

1「江戸三大蕎麦処とその歴史」

2「砂場系列老舗そば処」

  21大阪屋砂場本店/虎の門

  22砂場総本店/南千住

  23巴町砂場/虎の門

3「更科系列老舗そば処」

  31総本家更科堀井本店/麻布十番

  32布屋太兵衛麻布総本店/麻布十番

  33麻布永坂更科本店/麻布十番

4「藪系列老舗そば処」

  41池之端藪蕎麦/上野

  42並木藪蕎麦/浅草

  43かんだやぶそば/淡路町


1「江戸三大蕎麦処とその歴史」

≪砂場≫

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%A0%B4_(%E8%95%8E%E9%BA%A6%E5%B1%8B)

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/Sunaba_izumiya.jpg/220px-Sunaba_izumiya.jpg

インフォメーション:「江戸=東京はそば 上方=関西はうどん」というのが現代の常識ですが江戸初期には事情が異なり江戸の庶民はうどんを食べていましたそばがいつ頃から広まったかについては正確な経緯は定かではありませんが 江戸そば三大系譜のうち砂場のルーツが大阪であることは確かです大阪城築城の際に資材置き場だった砂場の近くに2軒のそば屋がありました「津国屋」と「和泉屋」という屋号でしたが通称「砂場」の方が使われていたそうですその砂場の系統の店時期はわかりませんが江戸に進出しました寛延4年(1751年)の「蕎麦全書」には薬研堀(現在の東京都中央区東日本橋12丁目辺り)に 「大和屋大阪砂場そば」という店が紹介されています大阪の砂場との関係は明らかではありませんが、そばはその後江戸の町人文化によって進化を遂げて広まっていきました。

≪更科≫

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E7%A7%91_(%E8%95%8E%E9%BA%A6%E5%B1%8B)

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Sarashina_Horii10.jpg/180px-Sarashina_Horii10.jpg

インフォメーション:寛政元年(1789年)代々そば打ち上手としてしられた信州の反物商・布屋太兵衛は領主・保科兵部少輔の助言によりそば屋に転向し、江戸武家屋敷「保科」家に逗留し、世話になりながら江戸の町に「蕎麦切り」を広めたことに由来します。麻布永坂高稲荷下の地に「信州更科蕎麦処」として看板を揚げましたが当時までは蕎麦粉をただこねただけの「そばがき」のようなものが主流であったのに対し、そばを薄く延ばして細く切って食べる「蕎麦切り」は瞬く間に広がっていきました。江戸城や大名家に出入を許され、そば好きの江戸っ子にも親しまれ、通称「更科」と呼ばれる様になりました。なお「保科」家に敬意を表して「更級」の「級」を「保科」の「科」に変えて「更科」蕎麦と言ったことから、「更科蕎麦」が始まりました。特徴は蕎麦の実の芯のみを使用しているため、他の蕎麦と比べると真っ白いのが特徴です。更科は明治10年代まで暖簾分けなどを一切しておらず (旧)布屋太兵衛の一軒の営業でしたが、現在では東京都港区麻布十番にある3件の更科のほかにも 都内の芝大門・神田錦町・有楽町などに暖簾分けをした更科のお店があります


≪藪≫

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA_(%E8%95%8E%E9%BA%A6%E5%B1%8B)

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ac/Kanda_Yabusoba12.jpg/220px-Kanda_Yabusoba12.jpg

インフォメーション:薮で一番古いのは雑司ヶ谷にあった「爺がそば(じじがそば)」 と言われています。店の周りに竹藪があった為いつのまにか店名よりも通称の「薮」が使われるようになり寛政年間には「薮」を名乗るそば屋が増えてきましたたくさんあった薮そばの中で現在につながるのが台東区・団子坂にあった「蔦谷」で 通称「団子坂薮蕎麦」ですこの店は「かんだやぶそば」として現在も健在です親戚にあたる「並木薮蕎麦」「池の端薮蕎麦」と合わせて 「薮御三家」と呼ばれています他にも明治時代に暖簾分けされた「上野やぶそば」「浜町薮そば」があります。江戸の粋な蕎麦の食べ方として、つゆをちょっとしかつけない食べ方が流行っていました。これは「藪蕎麦」のつゆが非常に塩辛いことから来ています。落語の枕に、江戸っ子が「最後に蕎麦をちゃんと汁に浸して食べたかった」と言ってこと切れる話は、あまりに有名です。


2「砂場系列老舗そば処」

21虎ノ門大阪屋砂場/虎ノ門

参考サイト:http://www.kibati-kai.net/02kamei/kameiten/toranomon_sunaba/index.html

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%83%8E%E9%96%80%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%B1%8B%E7%A0%82%E5%A0%B4

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13002143/

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/90005/320x320_rect_90005717.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/94351/320x320_rect_94351769.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/63660/320x320_rect_63660823.jpg

創業年:1872年(明治5年)

創業者:稲垣音次郎

基本情報:1872明治5年)、尾張国(現・名古屋地方)出身の稲垣音次郎が、そば屋で砂場本家「糀谷七丁目砂場藤吉」の暖簾分けにより、琴平町(現・虎ノ門一丁目)に「琴平町砂場(後の虎ノ門大坂屋砂場)」を創業したのが始まり。稲垣音次郎の妻・よそは、徳川家と縁の深かった武家・刈谷家の娘で、父は鍋島藩剣術指南役だったが、御前試合で負けた相手から逆恨みされ闇討ちにあい命を落とし、その時、養女として「糀町七丁目砂場藤吉」に預けられた。「琴平町砂場」の店舗は、旧大名家・阿部氏の敷地の一部を譲り受けるなど、武家との縁が深かった。創業当初は、幕末、明治の剣術家山岡鉄舟高橋泥舟勝海舟の三舟らにひいきにされ、書が残されている。現在の店舗は、1923大正12年)の関東大震災直前に建てられた建物である。「砂場」の名は、豊臣秀吉大坂城を築いたとき、大坂の和泉屋という菓子屋が、資材の砂置き場に蕎麦屋を開店し、「砂場」と呼ばれていたのに始まる。徳川家康江戸城を築くときは、江戸に進出し糀町(現・麹町)に店を構えた。「虎ノ門大坂屋砂場」の「大坂屋」は、本店からもらった屋号である。

参考予算:「もり」720円・「ごぜんそば」800円・「海苔掛けそば」770円など

店舗所在地:105-0001 東京都港区虎ノ門1106

問合せ:0335019961

営業時間:11002000(土曜は~1500まで)

定休日:日曜祝祭日・第三土曜日

席数:80


22砂場総本店/南千住

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8D%83%E4%BD%8F%E7%A0%82%E5%A0%B4

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1324/A132401/13012279/

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/76559/320x320_rect_76559712.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/71248/320x320_rect_71248973.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/24927/320x320_rect_24927255.jpg

創業年:1912年(大正元年)*麹町より南千住に移転開業

創業者:長岡紋次郎

基本情報:嘉永元年(1848)、江戸名物のひとつとまで評価された「糀町七丁目砂場藤吉(現・南千住砂場)」は、幕末維新当時の当主は十一代目・長岡保で、動乱の時代にも暖簾を守り続け「本石町砂場(現・室町砂場)」と「琴平砂場(現・虎ノ門大坂屋砂場)」の、2軒の名店を輩出している。「糀町七丁目砂場藤吉」は「巴町砂場」とともに江戸時代から続く老舗で、江戸・東京を代表する「砂場」の暖簾である。1889明治22年)、菩提寺である常仙寺で保管されていた過去帳が紛失、「糀町七丁目砂場藤吉」の店暦を物語る資料を散逸したため、現在に至るまで十四代を重ねたことは明らかだが、創業年は不明である。江戸時代の「糀町七丁目砂場藤吉」の場所、麹町七丁目は現在の麹町四丁目で、嘉永期(18481854)の切絵図によれば、麹町一帯はほとんど大名屋敷や旗本屋敷の武家地であった。「久保町すなば」同様、容易にそば屋が開業できる場所ではなく、「糀町七丁目砂場藤吉」にも相当の後ろ盾がついていたのだろう。1912大正元年)、十二代目・高岡紋治郎のとき、現在の荒川区南千住一丁目に移転した。江戸時代の千住は江戸四宿のひとつの千住宿で、奥州日光水戸の三街道が通る東京の北の玄関口だった。「砂場」の名は、豊臣秀吉大坂を築いたとき、大坂の和泉屋という菓子屋が、資材の砂置き場に蕎麦屋を開店し、「砂場」と呼ばれていたのに始まる。徳川家康江戸城を築くときは、江戸に進出し糀町(現・麹町)に店を構えた。

参考予算:「かけ」650円・「もり」650円・「ざる」800

店舗所在地:116-0003 東京都荒川区南千住1丁目276

問合せ:0338915408

営業時間:10302000

定休日:木曜日

席数:34


23巴町砂場/虎ノ門

20176月末閉店廃業≫

参考サイト:http://www.kibati-kai.net/02kamei/kameiten/tomoe_sunaba/index.html

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130704/13001485/

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/28215/320x320_rect_28215862.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/6208/320x320_rect_6208606.jpg

創業年:1839年(天保10年)

創業者:大阪屋長吉

基本情報:砂場は大阪城築城時の砂置き場から発した商店街の総称で、その中心的店舗として大規模なそば店が有り「砂場のそば」と言う通称が出来ました。その後に江戸に進出し現代に至るそば文化を形成する一端を担ってまいりました。当店は天保10年にこの地で初代大坂屋長吉が創業し現在に至っております。大名屋敷と寺院に囲まれた地ですので創業時より1番粉の細打ちそばとうす味のつゆを特徴として参りました。吟味された材料のつゆと国内の産地にこだわったそばをご賞味下さい。
また、伝統の味を継承しつつも新しい味と材料の研究も惜しみなく続けております。季節により変わる食材を用いたそばとご予約でお楽しみ頂ける創作料理などをご用意しております。

参考予算:「せいろ」756円・「かけ」756円・「ざる」864

店舗所在地:東京都港区虎ノ門31113サヴァックスビル1

問合せ:0334311220

営業時間:1100143017002000

定休日:土日祝祭日

席数:50


3「更科系列老舗そば処」

31総本家更科堀井本店/麻布十番

公式サイト:http://www.sarashina-horii.com/

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13001226/

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/47056/320x320_rect_47056272.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/9286/320x320_rect_9286428.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/63069/320x320_rect_63069962.jpg

創業年:1789

創業者:布屋太兵衛

基本情報:寛政元年(一七八九年)そば打ち上手として知られた信州の反物商、布屋太兵衛は、領主 保科兵部少輔の助言でそば屋に転向。麻布永坂高稲荷下に「信州更科蕎麦処」を開店いたしました。明治八年(一八七五年)名字必称の令により先業にちなんだ屋号「布屋」改め「堀井」を名のり、五代目より堀井太兵衛として伝統の更科そばを今日に伝えております。更科そばはその上品な風味ゆえに古くは江戸城や大名屋敷にも出入りを許され、御前に供する名誉も賜り、そば好きの江戸っ子達にも親しまれてまいりました。また通人に好まれる当店自慢の「色変わりそば」はさらしなそばに旬の素材を打ち込み、四季折々の味と香りを堪能させるそばでございます。創業から230年、変わらぬ伝統の味を八代目堀井太兵衛の「総本家更科堀井」でお楽しみ下さい。

参考予算:「もり」830円・「さらしな」930円・「太打ち」930

店舗所在地:106-0046 東京都港区元麻布3丁目114

問合せ:0334033401

営業時間:11302030

定休日:11,2,3日/730日〜82

席数:70


32布屋太兵衛麻布総本店/麻布十番

公式サイト:http://www.nagasakasarasina.co.jp/shop/tokyo/azabu.html

出典元:http://www.nagasakasarasina.co.jp/common/images/menu/menu1_ph01.png

出典元:http://www.nagasakasarasina.co.jp/shop/tokyo/images/azabu_img.jpg

出典元:http://www.nagasakasarasina.co.jp/shop/tokyo/images/azabu_ph3_L.jpg

創業年:1789年(寛政元年)

創業者:初代布屋太兵衛

基本情報:(HPより)弊社、永坂更科布屋太兵衛は約220余年前の寛政のはじめ。初代布屋太兵衛が江戸麻布永坂に「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」の看板を掲げましたのが始まりです。これより以前、元禄の初め(約300年前)太物商としての布屋清助が、領主保科兵部少輔に招かれて江戸屋敷内(当時の麻布十番長屋)に住まうようになりました。代々、蕎麦打に長じていたことから八代目清右衛(初代布屋太兵衛)は領主のすすめで故郷の更級郡の「更」と領主保科家の「科」を賜り、それに永坂の地名をつけ加え『永坂更科』と命名されたのが当社屋号のゆかりでございます。

参考予算:「御前そば」992円・「太兵衛ざる」992

店舗所在地:106-0045 東京都港区麻布十番1丁目87

問合せ:0335851676

営業時間:11002130

定休日:年中無休

席数:100


33麻布永坂更科本店/麻布十番

公式サイト:http://www.sarashina-honten.com/

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130702/13015155/

出典元:http://www.sarashina-honten.com/oshinagaki/images/osoba/img001.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/66454/320x320_rect_66454710.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/28759/320x320_rect_28759648.jpg

創業年:1950年(昭和25年)

創業者:馬場繁太郎

基本情報:「麻布永坂更科本店」の屋号は、江戸の麻布永坂町で、布屋太兵衛が、更科そば屋「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を開業したことによる。この布屋太兵衛の本名は堀井清右衛門といい、現在の「更科堀井」の初代である。関東大震災昭和初期の国内外の恐慌等の影響を受け、1941昭和16年)に廃業となった。その後、料理屋の馬場繁太郎は、「永坂更科」の商標を取得し、1950(昭和25年) 、麻布十番一の橋に蕎麦屋「麻布永坂更科本店」が設立された。よって「更科堀井」一門とは別の経営である。

参考予算:「御膳そば」990円・「らんぎり」1320円・「おせいろ」990円・「もり・かけ」880

店舗所在地:106-0045 東京都港区麻布十番1丁目27

問合せ:0335849410

営業時間:11002200

定休日:月曜日

席数:88


4「藪系列老舗そば処」

41池之端藪蕎麦/上野

20167月閉店しました≫

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13003606/

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/41317/320x320_rect_41317755.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/39285/320x320_rect_39285718.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/14682/320x320_rect_14682480.jpg

創業年:1954年(昭和29年)

創業者:堀田鶴雄

基本情報:「池の端藪蕎麦」は、1954昭和29年)、並木藪蕎麦の初代・堀田勝三の三男・堀田鶴雄が創業した。もともと藪蕎麦は、1880明治13年)、浅草蔵前のそば屋「中砂」の四代目・堀田七兵衛が、神田連雀町(現・神田淡路)にあった「蔦屋」の支店「団子坂支店・藪蕎麦」の暖簾を譲り受け開業したのが、現在の「神田藪蕎麦(かんだやぶそば)」の始まりである。その後、1906(明治39年)、江戸から明治にかけて一世を風靡した名店「団子坂藪蕎麦・蔦屋」は、三代目・三輪伝次郎による相場の失敗により廃業に追い込まれた。廃業後の「藪蕎麦」の暖簾は、神田連雀町の「神田藪蕎麦」に受け継がれた。「神田藪蕎麦」の初代・堀田七兵衛は、長男が早死にしたため、本店を次男・堀田平二郎に継がせた。その時、既に京橋でそば屋を始めていた三男・堀田勝三には、京橋の「藪金」という当時の有名店を買い取り、その店を持たせた。その後の、1913大正2年)、京橋の店が借地だったため、地主に土地の明渡しを求められ、浅草並木町に移転し開業した店が現在の「並木藪蕎麦」である。「並木藪蕎麦」は、1945昭和20年)、第二次世界大戦により焼失したが、1950(昭和25年)、初代・堀田勝三と三男・堀田鶴雄により店を再開した。その後、長男・堀田平七郎は日本橋三越の支店を担当していたが、「並木藪蕎麦」に戻ることになり、三男・堀田鶴雄は上野池之端に店を出すことになった、「池の端藪蕎麦」の始まりである。「御三家(かんだやぶそば並木藪蕎麦、池の端藪蕎麦)」の一角を担う店として知られている。ごひいき筋から「雷門」とも呼ばれている。また、蕎麦の文化は江戸時代に始まり、江戸生まれの「藪」、大阪が起源の「砂場」、信州出身の「更科」は、老舗御三家と呼ばれていた。なお2016(平成28年) 二代目・堀田勝之が「池の端藪蕎麦」の暖簾を継いでいたが、体調を崩したため休業し療養、店を閉店した(20167月)。

参考予算:「ざる」600円・「天ぬき」1000

店舗所在地:110-0005 東京都台東区上野6丁目916

問合せ:0338314728

営業時間:11301400(日曜祝祭日は11301500)*よる営業は休止

定休日:水曜日

席数:28


42並木藪蕎麦/浅草

参考サイト:https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131102/13003650/

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/79259/320x320_rect_79259007.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/75168/320x320_rect_75168782.jpg

出典元:https://tblg.k-img.com/restaurant/images/Rvw/76798/320x320_rect_76798419.jpg

創業年:1913年(大正2年)

創業者:堀田勝三

基本情報:「並木藪蕎麦」は、1913大正2年)、かんだやぶそばの初代・堀田七兵衛の三男・堀田勝三が創業した。もともと藪蕎麦は、1880明治13年)、浅草蔵前のそば屋「中砂」の四代目・堀田七兵衛が、神田連雀町(現・神田淡路町)にあった「蔦屋」の支店「団子坂支店・藪蕎麦」の暖簾を譲り受け開業したのが、現在の「神田藪蕎麦(かんだやぶそば)」の始まりである。その後、1906(明治39年)、江戸から明治にかけて一世を風靡した名店「団子坂藪蕎麦・蔦屋」は、三代目・三輪伝次郎による相場の失敗により廃業に追い込まれた。廃業後の「藪蕎麦」の暖簾は、神田連雀町の「神田藪蕎麦」に受け継がれた。「神田藪蕎麦」の初代・堀田七兵衛は、長男が早死にしたため、本店を次男・堀田平二郎に継がせた。その時、既に京橋でそば屋を始めていた三男・堀田勝三には、京橋の「藪金(団子坂藪蕎麦の四天王)」という当時の有名店を譲り受け、その店を持たせた。その後の、1913大正2年)、京橋の店が借地だったため、地主に土地の明渡しを求められ、浅草並木町に移転し開業した店が現在の「並木藪蕎麦」である。「御三家(かんだやぶそば、並木藪蕎麦、池の端藪蕎麦)」の一角を担う店として知られている。ごひいき筋から「雷門」とも呼ばれている。また、蕎麦の文化は江戸時代に始まり、江戸生れの「藪」、大阪が起源の「砂場」、信州出身の「更科」は、老舗御三家と呼ばれていた。

参考予算:「ざる」750円・「かけ」750円・「のりかけ」950

店舗所在地:111-0034 東京都台東区雷門2丁目119

問合せ:0338411340

営業時間:11001930

定休日:木曜日

席数:36


43かんだやぶそば/淡路町

公式サイト:http://www.yabusoba.net/

出典元:http://www.yabusoba.net/menu/images/ph0101.jpg

出典元:http://www.yabusoba.net/shop/images/ph01.jpg

出典元:http://www.yabusoba.net/shop/images/ph02.jpg

創業年:1880年(明治13年)

創業者:堀田七兵衛

基本情報:「かんだやぶそば」は、1880明治13年)、浅草蔵前のそば屋「中砂」の四代目・堀田七兵衛が、神田連雀町(現・神田淡路町)にあった「蔦屋」の支店「団子坂支店・藪蕎麦」の暖簾を譲り受け開業したのが、現在の「神田藪蕎麦(かんだやぶそば)」の始まりである。その後、1906(明治39年)、江戸から明治にかけて一世を風靡した名店「団子坂藪蕎麦・蔦屋」は、三代目・三輪伝次郎による相場の失敗により廃業に追い込まれた。廃業後の「藪蕎麦」の暖簾は、神田連雀町の「神田藪蕎麦」に受け継がれた。「神田藪蕎麦」の初代・堀田七兵衛は、長男が早死にしたため、本店を次男・堀田平二郎に継がせた。その時、既に京橋でそば屋を始めていた三男・堀田勝三には、京橋の「藪金(団子坂藪蕎麦の四天王)」という当時の有名店を買い取り、その店を持たせた。その後の、1913大正2年)、京橋の店が借地だったため、地主に土地の明渡しを求められ、浅草並木町に移転し開業した店が現在の「並木藪蕎麦」である。「御三家(かんだやぶそば、並木藪蕎麦、池の端藪蕎麦)」の一角を担う店として知られている。また、蕎麦の文化は江戸時代に始まり、江戸生れの「藪」、大阪が起源の「砂場」、信州出身の「更科」は、老舗御三家と呼ばれていた。

参考予算:「せいろうそば」670円・「かけそば」670円・「そばとろ」1240

店舗所在地:101-0063 東京都千代田区神田淡路町2丁目10

問合せ:0332510287

営業時間:11302000

定休日:水曜日

席数:一階77席/二階20

ads by google

あなたへおすすめの記事
⇒ 東京六本木の洋菓子店【LOUANGE TOKYO】
⇒ 山梨紀行・お洒落なホテル&旅館
⇒ 軽井沢リゾートの極致
⇒  野菜を楽しむ健康サイト6選
⇒ 世界最大の旅行口コミサイト【トリップアドバイザー】
ads by google