一人のラガーマンに捧ぐ/平尾誠二その生き方・生きざま・2019年10月21日更新

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5「代表監督時代」

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19972月、平尾誠二は日本代表監督に34歳という史上最年少の若さで就任します。平尾は就任後すぐに、ラグビーの競技人口が減少している背景を憂え、「平尾プロジェクト」なるものを立ち上げます。素質はありながらも所属チームが無名なため埋もれた逸材や、ラグビー経験がなくとも他のスポーツで優秀な成績を収めている選手を取り込む目的を掲げ、育成し将来その中から日本代表選手を発掘するという意味合いがあったのですが、結果的に大きな成果は挙げられませんでした。またパシフィック・リム選手権はカナダに3231と逆転勝利 (1997518日、秩父宮)した以外は全敗し15敗の最下位に終わります。

「アンドリュー・マコーミック」出典元:https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_uu/jws825-jpp00587928.jpg

1998、日本代表としては史上初めて外国籍選手のアンドリュー・マコーミック主将に指名します4回ワールドカップのアジア予選の壮行試合となったアルゼンチン44-29で勝利。シンガポールで行われたW杯アジア予選でも優勝し、4大会連続のW杯出場を決めます1999パシフィック・リム選手権で、フィジー以外の5か国に勝ち、初優勝を果たします。この時の日本代表には、グレアム・バショップジェイミー・ジョセフ(*現・日本代表監督)といった、オールブラックスの選手としても活躍をした選手が入っていたことから、「チェリーブラックス」と、海外列強のマスコミから揶揄するような報道をされました。出場したラグビーワールドカップ19994戦全敗に終わり、予選プール敗退となりましたが、パシフィック・リム選手権での実績を評価して、日本ラグビーフットボール協会は平尾体制を継続していくことを決めます。しかし2000のパシフィック・リム選手権では4戦全敗となり最下位。その後のカナダ、アイルランドの各遠征でもテストマッチで大敗を喫します。事ここに至り、その年の1125日、協会は自身で申し出た平尾の監督辞任を了承しますが、実態は解任に近いものでした。これを最後に「ミスターラグビー平尾」が、フルタイムで日本ラグビーの将来を担うようなポストに就くことはありませんでした。もちろん日本ラグビーに関わる様々な役職を乞われ、日本ラグビー協会の理事に二度にわたって起用され、日本開催の2019年ワールドカップ組織委員会理事なども務めていました。平尾の監督就任期間はわずか3年という短い期間でしたが、現在のような「国際化されたラグビー」の礎を築いた平尾の功績は2019年の現在、大きく花開いています。しかし、その後、日本ラグビーは混迷の時代に迷い込んでいくのでした


6「その後」

出典元:https://www.yomiuri.co.jp/rugbyworldcup/assets/images/hiraobosaisympo-314×400.jpg

その後の平尾は、日本代表や神戸製を裏から支える存在となり、20161020日、志半ばの53歳という若さで、この世を去ります。平尾の現役時代から指導者に至る時期は、ちょうど世界のラグビー界にとっても大きな転換期でした。日本代表としてプレーした頃の1987年には、ラグビー・ユニオンとして初めてのワールドカップ開催され、日本代表大惨敗を喫し、平尾はその現場にいました。その一方で、ラグビーユニオンは1995年のワールドカップを境に、国際的にプロ化容認していきますしかしプロ化の素地が存在しない日本は、プロ化していくラグビーの世界水準から、大きく水を開けられることになっていきます。そんな状態で平尾は、代表監督を任されたのでした。顧みると奇しきくも、平尾のキャプテン時代に日本代表監督だった宿沢広朗も若くして亡くなっています。平尾や宿沢が日本代表の中枢として活躍していれば、日本代表の姿も今とは違った形になっていたかも知れない。そう感じるラグビーファンは数多いかもしれません。でも、違うんですよねラグビーの基本精神は、監督にも選手にも国境なんかありはしない。多分、平尾もそう言ってるはずです・・・・。


7「その死・その家族・その友人」

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20161020日午前716分、平尾誠二は入院先の病院で胆管細胞がんのため家族に見守られ、静かに息を引き取ります。実は2015912日未明、体調が芳しくなかった平尾は自宅で吐血しました。検査を受けると、その日のうちに胆管細胞がんが判明し「余命3か月」と告げられていました。

平尾は翌日、山中伸弥教授に家族以外では最初に病状を打ち明け、治療の相談を持ちかけます。病院に駆けつけた山中は、CT(コンピュータ断層撮影)を見て、親友の深刻な病状にショックを受けました。がんは進行し、すでに肝臓の中に広がっていました。「こんなにも進んでいるのかと、愕然としました。手術もできない状況で、医師によってはターミナルケア(終末医療)を勧める方もおられるくらいの状態でした」と述懐されます。

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それでも平尾は余命宣告から6日後、2015919日に起きた「ブライトンの奇跡」と呼ばれるスポーツ史上屈指の番狂わせのワールドカップ南ア戦に勇気づけられ、「俺もこれから、ますます忙しくなるぞ」と、W杯日本大会への意欲をみなぎらせていたと言います。しかし発病から亡くなるまでの約一年、闘病しながら様々な活動を淡々と続ける平尾の姿はマスメディアにも報道され、かつての平尾とは激変していく様子を目の当たりにしました。そこには、あのバンビのような瞳は影を潜め、遠くを眼光鋭いまなざしで仰ぎ見るような姿がありました。当時の画像が数多くございますが、平尾が平尾でなくなっていく日々の画像は遠慮させていただきます。故平尾誠二の「感謝の集い」は翌年の210日、神戸市中央区の神戸ポートピアホテルで行われ、式典にはラグビー界・スポーツ界、神戸製鋼所関係者を含め約800人が参集しました。

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式典では黙祷が捧げられた後、平尾を映像で紹介。森喜朗氏、岡田武史氏、辻芳樹氏、山中伸弥氏、山口良治氏が追悼の言葉を述べました。感謝の集いの発起人を代表して神戸製鋼所の川崎博也会長兼社長、長男の平尾昂大氏がお礼の挨拶を述べ、その後、献花が行われました。特に、平尾の闘病生活に寄り添、ラグビーを通じて親交を深めた京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授の弔辞は印象的でした。「君を治せなくてごめんなさい」と、笑顔の平尾の遺影お詫びされました。

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神戸大医学部時代にラグビーに打ち込んだ山中教授は、平尾と知己を得てからは同学年として酒を酌み交わし、ゴルフを楽しむ仲になっていました。そんなとき、病魔が襲ったのです。胆管細胞がんを患った平尾に、山中教授はできる限りの最新医療を紹介したと言います。ある治験を提案したとき、「世界でもやったことない治療。どんな副作用が有るか分からない」と言うと、「心配するどころか顔がパッと明るくなって『世界初のことやるんや』。そんなふうに言いました」。山中教授はそう語られます。また弔辞では、平尾が亡くなる前日の病室を回想されました。「なかなか声が出せず聞き取れなかったが、(長女早紀さんが結婚し)『平尾さん、もうすぐおじいちゃんやな』と言ったら、はっきり分かる声で『まだまだですわ』と。はにかみながらも、うれしそうでした」。それが、人の最後の会話でした。

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*―以下、山中伸弥教授の感動的な弔辞全文をご紹介します―

『平尾さん、久しぶり。相変わらずかっこいいですね。僕は君と同じ年です。高校生のときからずっと君に憧れてきました。出会ってからは君のことが大好きになり、そしてものすごく尊敬しています。君は病気が分かってからさらにかっこよく立派でした。君の病気が分かったとき、ずいぶん進行していて、普通の人だったらぼうぜんとして、何もできない、そんな状態でした。でも平尾さん、君は最後の瞬間まで病気と闘いました。いろんな治療を試したね。あるとき、「平尾さん、この治療は世界で初。やったことない治療だから、ごめん、どんな副作用が有るか分からない」と言いました。すると君は心配するどころか顔がぱっと明るくなって「そうか先生、世界初なんか。けいちゃん(妻恵子さん)聞いたか、俺ら世界初のことやってるんや」。そんな風に言いました。あるとき、僕が病室を訪れた後、君はこう言ったらしいですね。「なんか先生元気なかったなあ。大丈夫かなあ」。君のことが心配だったんです。僕が君を励まし、勇気づけなければならないのに、逆にいつも僕が平尾さんに励まされていました。君が亡くなる前の日、病室でお会いしました。声がなかなか出せず、聞き取ることができませんでした。でも僕が「平尾さん、もうすぐおじいちゃんやな」といったら、はっきり分かる声で「まだまだですわ」と、はにかみながら、しかし、とってもうれしそうに言いました。それが君との最後の会話になりました。でも、最後の会話がそんな内容でうれしかったです。君が元気なとき一緒に飲みに行って、いっぱいいろんなことを教えてもらいました。一番心に残っているのは、「人を叱るときの4つの心得」。亡くなってから思い出しました。「プレーは叱っても人格は責めない」「あとで必ずフォローする」。ところが何ということでしょう。二つしか思い出せません。あとの二つが共通の友人に聞いても分からない。平尾さんが「なんや先生忘れたんか。本当に(ノーベル)賞もうたんか」と言っている声が聞こえてきます。でも2、3日前、ふと「もしかしたらメールにも書いてくれたんちゃうか」と思いました。たくさんもらった君からのメールを一つ一つ読み返しました。そしたら書いてくれていました。あとの二つは「他人と比較しない」「長時間叱らない」。君のようなリーダーと一緒にプレーでき、一緒に働けた仲間は本当に幸せです。僕も君と一緒に過ごせて本当に幸せでした。平尾さん、ありがとう、そして君のことを治すことができなくてごめんなさい。また、会えると信じています。そのときまでしばらく。また会おうな、平尾さん。


8「2019初秋」

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201910月上旬現在、2019ラグビーワールドカップ東京大会は日本各地で開催され、ここまで予選三連勝の日本代表チームは次の予選最終戦・スコットランド戦を控え、日本中のラグビーファンが沸き立っています。そんな中、ネット上の一つのニュースに目が止まりました。京都大学iPS研究所長・山中伸弥教授がワールドカップ開催の報告を兼ね、かねてより計画していた平尾の墓参りをしたという記事でした。記事にはこう記載されていました。

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『平尾誠二の墓はJR新神戸駅近くの広い霊園の中に立つ。今年の春、山中伸弥は妻と二人で足を運んだ。平尾が眠る場所は、事前に聞いていた。すぐに分かる、と高をくくっていたら、なかなか見つからなかった。急な坂道を上り下りし、長い時間探し歩いた。ようやくたどり着いた時、山中は完全に我を忘れた。「あぁ、ここや――と思ったら、墓石に抱きついていたんです。自分でもびっくりしました。墓石に抱きつくなんて、生まれて初めてだし、たぶん最後だと思います。なんだか久しぶりに平尾さんと会えた感じがして、うれしくて」平尾自筆の「自由自在」という文字が刻まれた墓は、霊園の中でもとりわけ見晴らしのいい場所にある。神戸の街並みに連なり、ヨーロッパやアジアなどの港と定期航路で結ばれている神戸港も見渡せる。神戸製鋼のヒーローで、地元をこよなく愛する一方、ラグビーを通して常に世界を見ていた平尾にふさわしいロケーションといえるだろう。「あれだけ神戸の街が一望できる場所は、なかなかありません。(平尾の妻の)恵子さんが一生懸命、探されたんだと思います。変な言い方ですが、彼を待っていたような所です」墓が建立された今年1月には、家族や親しい友人らが集まって、納骨の会も催された。山中が墓参りしたのは、それから数か月がたってからのことだ。すぐにでも手を合わせに行きたかったところを自重した。「僕が平尾さんと一緒に過ごしたのは、亡くなるまでの最後の数年だけなんです。まずお墓に行くべきは、彼と一緒にラグビーをやっていた仲間だと思いました。私はそういう皆さんが墓参りに行かれてからにしようと。それで、遅くなりました」山中の慎み深い人柄と、相手やその周りの人を互いに思いやって築いた平尾との仲を象徴するような振る舞いだ。在りし日の平尾もまた、山中がノーベル生理学・医学賞を受賞した2012年、すぐに連絡するのは控え、大騒ぎが一段落した頃を見計らって祝いの言葉を贈っている。


9「あとがき」

「平尾誠二ファミリー」出典元:https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/9/6/500/img_966b2b9ad50e81a993ce15617c89470c5927946.jpg

墓石に刻まれた「自由自在」という言葉は、平尾誠二が貫いたラグビーのプレー精神を彷彿とさせるもので、彼の人生に似合ったものだと感心します。そして最後に僭越ながら、一人のファンとして平尾誠二という天才プレイヤーにこのメッセージを捧げます。「No Style, No Rugby」。

同志社大学の岡部長ではありませんが、平尾は日本のラグビーをおもろくした最初で最後のスターだと思います。センスの塊みたいなモノを持ったプレーヤーは今までにも何人もいました。でも、そのセンスを凝縮させ、ラグビースタイルにまで昇華させることができたのは平尾誠二、唯一人です。多分、今、開催されているワールドカップの強豪チーム、ニュージーランド・オーストラリア・アイルランドの各チームには必ず、確固たるスタイルを有するキーマンが存在します。そして各強豪チームのフィフティーンはこのキーマンの考えるラグビーに共感し、理解し、ゴールを目指して競います。今となっては無理な話ですが、本当に、本当に、平尾のスタイルで展開されるおもろいラグビーを観戦してみたかったと思っています。

参考サイト一覧―

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