近代数寄屋の巨匠・平田雅哉

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近代数寄屋の巨匠・平田雅哉

明治から大正・昭和にかけて活躍した名工は多数にのぼります。木村清兵衛、笛吹嘉一郎、中村外二、そして、平田雅哉。彼の軌跡を追います。ご紹介します「近代数寄屋の巨匠・平田雅哉」です。

≪インデックス≫

1「その人となり」

2「平田雅哉の代表作品」

   2-A.城崎/旅館西村屋平田館

   2-B.大阪/吉兆高麗橋本店

   2-C.熱海/大観荘

   2-D.和歌山/紀州料亭安愚楽

   2-E.東近江/招福楼本店

3「関連著作」


1「その人となり」

参考サイト:http://blog.livedoor.jp/beermywitch/archives/77089979.html

出典元:http://livedoor.blogimg.jp/beermywitch/imgs/1/d/1d34595c.jpg

明治33年(1900年)~昭和55年(1980年)
大阪の堺に生れ生涯で400にも上る建築を手掛け、数寄屋建築の名工としてその名を馳せました。藤原新三郎の下で修業し、後に事実上の後継者になりました。また大工技術を生かした彫り物や製図にも堪能で、その作品も数多く残しており、昭和の左甚五郎と謳われました。平田雅哉が語り、内田克己によって聞き書きされた「工匠談義」が、「大阪手帖」に5年にわたり連載され、それを書籍化した『大工一代』(昭和36年=1961年/発行:池田書店)も大評判になって、『大工太平記』(昭和40年=1965年/制作:東宝/主演:森繁久弥)として映画化されました。
書籍に、『数寄屋建築・平田雅哉作品集』(昭和43年=1968年/発行:創元社)、『数寄屋造り・平田雅哉作品集』(昭和47年=1972年/発行:毎日新聞社)、『床の間図集』(昭和50年=1975年/発行:創元社)、『数奇屋建築の技法 平田雅哉から平田建設へ』(昭和60年=1985年/編集:和風建築社)などがあります。


2「平田雅哉の代表作品」

概要:主な建築作品に、旅館「つるや」(芦原)、旅館「西村屋」(兵庫)、料亭「吉兆」高麗橋本店(大阪)、旅館「大観荘」(熱海)、料亭「雲月」(京都)、料亭「招福楼」(八日市)、西南院(高野山)、料亭「錦戸」(大阪)、料亭「洗心亭」(大阪)、朝香宮邸茶室「光華」(東京)、茶室「如意庵」(大徳寺)、茶室「松籟亭」(広島)、「万里荘」(大阪)、料亭「なか川」、料亭「わか松」、料亭「相生」、料亭「現長」、料亭「青雲」、旅館「福田」、川上神社茶室、源生寺、川端康成の常宿だった金森旅館、ほか。

2-A.城崎/旅館西村屋平田館

出典元:http://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/hiratakan/images/img_intro.jpg

公式サイト:https://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/hiratakan/

所在地:669-6101兵庫県豊岡市城崎町湯島469

問合せ:0796-32-2211

基本情報:(HPより)以下参照

別棟の「平田館」や露天風呂付特別室「蓬莱の間」は、昭和35年、数寄屋建築の巨匠・平田雅哉氏により建てられたもので、平田氏の代表作の一つと言われています。天井や意匠に、その卓越した技を垣間見ることができ、今なお清新で創意に満ちた「平田数寄屋」の神髄をご覧いただけます。凛とした和の趣をたたえる木造空間で過ごす憩いの滞在。心地よい静けさに身を浸す、穏やか時間を過ごすことができます。当時としては斬新な材料を使い、モダン数寄屋とも言えるつくりは40年以上の時間を経た現在も、その輝きを失っておらず、平田作品の神髄を見ることができます。館内では四方柾の柱や天井の造作など、棟梁こだわりの材と技をじっくりと見ていただくことができ、日本人の心の琴線にふれることと思われます。またいたる所に調度品が配されており、また季節によって展示が変更され、小さな美術館のような館内を楽しむことができます。

ギャラリー:以下参照

出典元:http://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/hiratakan/images/img_hiratakan01.jpg

「蓬莱の間」出典元:http://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/hiratakan/images/img_hourai.jpg

「観月の間」出典元:http://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/hiratakan/images/img_kangetsu.jpg

「特別室・松の間」出典元:http://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/rooms/images/matsu/img_intro.jpg

「飛鳥の間」出典元:http://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/rooms/images/asuka/img_asuka01.jpg

「初音の間」出典元:http://www.nishimuraya.ne.jp/honkan/rooms/images/hatsune/img_intro.jpg

2-B.大阪/吉兆高麗橋本店

出典元:https://i0.wp.com/hommachi.osakan-space.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0563.jpg?resize=1024%2C719

公式サイト:http://koraibashi-kitcho.com/

参考サイト:http://hommachi.osakan-space.com/hommachi_news/20180626-1098

参考サイト:http://hitsujinomeru.blog113.fc2.com/blog-entry-3296.html

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%85%86

所在地:541-0043 大阪府大阪市中央区高麗橋2丁目67

問合せ:06-6231-1937

営業時間:1130140017002100

定休日:日曜日

本情報:創業者・湯木貞一神戸の料理屋「中現長」の息子でしたが家を出て、19301121日、大阪市西区新町にて「御鯛茶處吉兆」を開業しました。「吉兆」とは、西宮神社今宮戎神社などで毎年110日を挟んで前後3日間に行われる十日戎(とおかえびす)に授与される福笹につける子宝のことで、また福笹自体も吉兆笹と呼ばれており、店名はそれに由来します。湯木貞一と縁故のあった画家須磨対水により縁起を担いで付けられたと言います。当初は「きっきょう」というルビがふられていましたが、お客が「きっちょう」と読んだためにその呼称となた。間口一間二分五厘、奥行き六間の狭いごく小さな店舗ながら、料理の良さはもちろん、店のしつらえも食器の類も洒落た小料理店でた。開店日には一人も客が入らなかったという逸話もあり、そこから現在の吉兆を築いた背景には湯木の商才があったと言われえいます戦後の194623日に大阪平野町店を開店。19482月、京都嵯峨店を開店(児嶋嘉助の元別邸)。翌19494月に児島嘉助の店舗兼本邸を購入して、大阪市高麗橋本店を開きました。関西の茶人・財界人の引き立てを受けて名声を高め、来阪する内外の要人をもてなすのに欠かせない高級料亭となっていきました。 吉兆高麗橋本店は間口7間、奥行20間、表屋造りの数奇屋風町家で、著名な茶道具商・児島嘉助の店舗兼本邸として建てられたものです。施工は大阪の棟梁で数奇屋造りの第一人者、平田雅哉です。工期は10ヶ月の期間が費やされました。施主の児島は当時改悪された建築法規に違反する純木造の町家を建てさせようとしたのですが、児島がクビにした前の大工によって大阪府に密告され、やむ終えず一部RC造となったそうです。しかし外観は典型的な表屋造りの大店建築となっています。戦後、児島嘉助の顧客でもあった懐石料理の湯木貞一が買い取り、吉兆高麗橋本店として使用しました。湯木は従来、有閑数奇者が個人的に茶室で供した茶懐石を初めて商業ベースに乗せて成功し、日本料理界を代表する人物にのし上がりました。ちなみに湯木の収集した茶道具は近くの湯木美術館で展示されています。建物の内装は平田自身によって戦後、料理屋向けに改装されており、室内には能舞台までありましたが、一見お断わりの料亭なので紹介者がいないと入店できませんでした。

営業関連情報:「高麗橋吉兆本店」は、2018331日に建て替えのため一時閉店。営業再開は2019年春頃を予定していました。敷地の8割を売却するということでしたが、売却された敷地が「ホテルリソルトリニティ」になるようです。なお吉兆高麗橋本店は令和元年726日、フルリニューアルオープンしています。

ギャラリー:以下参照

出典元:https://blog-imgs-88-origin.fc2.com/h/i/t/hitsujinomeru/201601210.jpg

出典元:https://blog-imgs-88-origin.fc2.com/h/i/t/hitsujinomeru/201601212.jpg

出典元:https://blog-imgs-88-origin.fc2.com/h/i/t/hitsujinomeru/201601222.jpg

出典元:https://blog-imgs-88-origin.fc2.com/h/i/t/hitsujinomeru/201601223.jpg

「新店舗」出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Koraibashi_Kiccho.JPG/800px-Koraibashi_Kiccho.JPG

2-C.熱海/大観荘

出典元:https://cdn.jalan.jp/jalan/images/pict3L/Y6/Y326876/Y326876697.jpg

公式サイト:https://www.atami-taikanso.com/

参考サイト:https://www.jalan.net/yad326876/photo/?screenId=UWW3001&yadNo=326876&smlCd=210202&distCd=01

参考サイト:https://nakayama-foundation.jp/message/

参考サイト:http://kaiwai1.amanoya.jp/?eid=608702

参考サイト:http://mds-arch.seesaa.net/article/464114057.html

所在地:413-0031 静岡県熱海市林ガ丘町71

問合せ:0557-81-8137

基本情報:以下参照

「中山悦治」出典元:https://nakayama-foundation.jp/images/message/pho_message02.jpg

熱海大観荘は昭和13年に㈱中山製鋼所の創業者である中山悦治翁がこの地を買収、その後中山悦治翁の別荘として建てられたのがその始まりです。旅館として営業を開始したのは昭和23723日、当時は現在本館の5室と離れが1室の6室でのスタートでした。昭和31年には「政府登録国際観光旅館」として「第97号」の指定を受け、本格的な旅館としての営業形態がなされました。現在では「横山大観ゆかりの宿」として親しまれるようになりました。

「霊峰不二(大観荘所蔵)」出典元:http://img-cdn.jg.jugem.jp/c5f/2221811/20111001_1541053_t.jpg

その当時、横山大観画伯は熱海伊豆山に別荘を持ち、熱海をこよなく愛されたそうです。大観画伯と中山翁とは懇意の間柄にあり、大観画伯は大観荘を大変気に入られ、しばしば大観荘を訪れては宿泊され、時にはそこで絵筆を執られたとも聞いております。大観画伯が宿泊された部屋は現在の「大観の間」として残っており、現在でも客室として使われております。また中山翁は旅館開業にあたり、大観画伯の名前を頂戴したいとお願いしたところ、大観画伯も「ここの眺めは雄大であり、大観の名にふさわしい」と快く承諾していただき「大観荘」の名前がついたと云われております。平田雅哉氏は数寄屋造りでは第一人者と言われ、あの巨匠建築家である「村野藤吾」でさえ傾倒するほどに、建築に関してはまさに「鬼」という表現がふさわしい存在でした。建築家として製図は勿論欠くことの出来ない仕事ですが、平田氏ほど製図を書き続けた建築家はいないと言われ、大半の時間をこの製図と趣味である彫刻に費やしたと言われています。平田氏と中山翁の出会いは、中山翁が芦屋に本宅を手掛けた時に始まります。当初中山翁には、この平田雅哉という男がかなり奇異に映ったようです。たとえ施主に対しても、筋の通らぬ事は聞かず、お世辞一つ言わぬその態度は強く印象に残ったのでした。中山翁はそんな平田氏の資質を見抜き、その後も数多くの仕事を任せその中一つが熱海の別荘、即ち大観荘なのです。現在別荘時代から残っている部屋は本館の「大観の間」と「松風の間」です。今現在はございませんが「光琳の間」も平田氏の手掛けた大観荘を代表する一室でした。

ギャラリー:以下参照

「大観の間」出典元:https://cdn.jalan.jp/jalan/images/pict3L/Y6/Y326876/Y326876624.jpg

「渡廊下」出典元:http://mds-arch.up.seesaa.net/image/IMG_4947-s.jpg

「青柳の間の衝立」出典元:http://mds-arch.up.seesaa.net/image/IMG_9460-s.jpg

「階段と天井の造作」出典元:http://mds-arch.up.seesaa.net/image/IMG_4918-s.jpg

「踊り場」出典元:http://mds-arch.up.seesaa.net/image/IMG_4975-s.jpg

「踊り場」出典元:http://mds-arch.up.seesaa.net/image/IMG_4970-s.jpg

2-D.和歌山/紀州料亭安愚楽

出典元:http://www.agura.jp/images/access01.png

公式サイト:http://www.agura.jp/

所在地:640-8249 和歌山県和歌山市雑賀屋町2

問合せ:073-431-3585

営業時間:1100140017002200

定休日:日曜日

基本情報:(HPより)安愚楽の店主の祖先は、代々、現在の和歌山県橋本市高野口町九重において名主をしており、安愚楽の前身である九重館旅館の屋号はこの九重村に由来しています。歴史をたどると、九重は嵯峨天皇ゆかりの地でもあります。九重周辺には嵯峨天皇の諡号に因んで名前がつけられたと思われる地名や河川名が今も残っています。 嵯峨天皇は高野山をお大師さん(弘法大師・空海)に下賜され、ご自身も空海から灌頂を授けられたほどの空海の良き理解者でした。嵯峨天皇が高野山をご訪問される旅の途中、九重村でお休みになられたのでしょう。九重村には嵯峨天皇がご休憩されたと伝えられている嵯峨谷川にかかる嵯峨の滝もあります。

店主の家系図には、嵯峨天皇とご縁のある家系であるということが記されています。嵯峨天皇が九重でご休憩のおり、九重の名主をしていた私どもの祖先が、村の長として嵯峨天皇ご一行のおもてなし役を引き受けたのではないかと想像しております。 時は過ぎ、明治23年。私どもの祖先は、高野山参拝に訪れた人々のために旅館、九重館旅館を開業いたしました。さまざまな人が癒しと悟りを求め、お大師さんに会うために歩く祈りの道に宿を作ること。これこそが天から与えられた使命だと、私どもの祖先が感じたに違いありません

営業関連情報:なお安愚楽は徳川御三家の一つ紀州徳川家の居城である和歌山城の前に位置しており県庁からも大変近い和歌山市の中心部に位置しております。全てが個室となっており、お部屋は数寄屋造りの巨匠、平田雅哉氏により施工されました。

ギャラリー:以下参照

出典元:http://www.agura.jp/images/restaurant13.png

出典元:http://www.agura.jp/images/restaurant15.png

出典元:http://www.agura.jp/images/restaurant24.png

出典元:http://www.agura.jp/images/restaurant11.png

出典元:http://www.agura.jp/slide/13.png

2-E.東近江/招福楼本店

出典元:https://www.shofukuro.jp/img/topMain/mainv003.jpg

公式サイト:https://www.shofukuro.jp/

所在地:527-0012 滋賀県東近江市八日市本町811

問合せ:0748-22-0003

営業時間:1200150016002200

定休日:年中無休

基本情報:(HPより)以下参照

七宝の広間をはじめ、灯の間、楽浪の間、桂の間の小間三室をあわせた四室は、かつて俳優・森繁久彌さんが演じた「大工一代」「大工太平記」のモデル、平田雅哉棟梁に造っていただいた建築です。座敷の南北に庭園があり、南側は初代と二代目の合作の池園、北側は現老主人の作庭です。北側の庭の洲浜は茶道武者小路千家家元有隣斎宗匠好の風炉先屏風と国宝平家納経の洲浜を参考に作庭しており、造園の泰斗と名高い重森三玲先生に絶賛されました。

営業関連情報:お品書きは以下から直接ご確認ください。

お品書き確認:https://www.shofukuro.jp/honten_menu

ギャラリー:以下参照

「七宝の広間」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr01_main001.jpg

「灯の間」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr02_main001.jpg

「楽浪の間」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr03_main001.jpg

「桂の間」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr04_main001.jpg

「久楽の間」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr05_main001.jpg

「瓢箪の間」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr06_main001.jpg

「茶室不識軒」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr07_main001.jpg

「茶室半庵」出典元:https://www.shofukuro.jp/img/room/hr08_main001.jpg

3「関連著作」

著書名「数寄屋建築」

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51k9Zo0-kUL.jpg

出版年・出版元:1969年刊行・創元社

著者:平田雅哉

内容:住宅、茶室、旅館、料亭を扱った123部作の2です。大判の白黒写真で構成されており
多くのアングル写真により作品が良く解ります。初版は昭和44年でほとんどが現存しない建物と推測されます。たとえ現存しても個人所有のため見学はむずかしいと思われます。いずれの作品も現在の日本ではあり得ない住宅や茶室群で、日本の数寄屋建築史上記念碑的作品群と言えます

全ページ数:205ページ

著書価格:4749円~(アマゾン価格)

オンラインショッピング:https://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B000J92QJA/ref=dp_olp_used_mbc?ie=UTF8&condition=used

著書名「大工一代」

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41Z07QAPC5L.jpg

出版年・出版元:2001年刊行・建築資料研究社

著者:内田克己

内容:棟梁として一本気に生き、独自の透視図法を編み出して「平田数寄屋」と称される作風をつくりあげた平田雅哉。「大工太平記」として映画化されたその生き様を、雅哉自身が語ります1961年池田書店刊の新版。

全ページ数:291ページ

著書価格:単行本562円(アマゾン価格)

オンラインショッピング:https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%B7%A5%E4%B8%80%E4%BB%A3-%E5%86%85%E7%94%B0-%E5%85%8B%E5%B7%B1/dp/4874606970