岸恵子その生き方その生きざま

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岸恵子その生き方その生きざま

昭和の時代を一世風靡した女優・岸恵子。その生き方と生きざまには彼女流の強いものを感じます。そこでここまでの彼女の人生の軌跡を辿りたいと思います。ご案内します「岸恵子その生き方 その生きざま」です。

≪インデックス≫

岸恵子に関する概要

1「横浜での時間」

2「長崎での時間」

3「パリでの時間」

4「女優の時間」

5「作家の時間」


岸恵子に関する概要

出典元:https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/img/photo/150514.jpg

基本概要:岸恵子は、1932年生まれの87歳(*2019年現在)。有馬稲子や久我美子など、戦後活躍した映画女優の中でも特別な存在です。岸恵子の代表作といえば、1953年から1954年にかけ、3部作で公開された松竹映画「君の名は」です。電話もメールもない時代、お互いに逢いたくても何度もすれ違いを繰り返す、古き良き時代の王道ラブストーリーでした。当時は、岸恵子演じるヒロインが巻くストールの巻き方が「真知子巻き」として大流行しました。また岸恵子は、1956年にフランス・日本合作映画「忘れえぬ慕情」に出演しこの映画の出演がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚。以後は、パリに居を構え、フランスと日本をまたにかけて女優を続けました。 岸恵子は数年前「徹子の部屋」に出演しました。最近、テレビの創成期を飾った同世代の業界人が立て続けに亡くなる中、黒柳徹子の年齢不詳の若さは注目を集めてきましたが、さすがに最近は、歩くのにも苦労されているようで、滑舌も聞き取りにくく、トークにもキレがあまりありません。その黒柳徹子より1つ年上。背筋を伸ばした岸恵子のその神々しいまでの美しさは、黒柳徹子を圧倒していました。


1「横浜での時間」

出生年月日:1932811日横浜市神奈川区に一人娘として生まれました。本名「岸恵子」。

1930年当時の平沼高女」出典元:https://yokohamahiranuma-h.pen-kanagawa.ed.jp/album/s5shyukuga30anniv.jpg

女優デビューまでの流れ:以下参照

12歳の時、19455月の横浜大空襲で実家が被災。濡れた布団を被って火の海の中を逃げた記憶と周囲に断末魔の声をあげて焼け死んで行く人がたくさんいたと述懐しています。また戦闘機の機銃掃射を受けたこともあり、奇跡的に弾が当たらなかったと言います。被災後、横浜市南区に移り、1955年頃まで家族と居住し、その後、同市神奈川区妙蓮寺に転居。高校在学中には小牧バレエ団に通い、現・神奈川県立横浜平沼高校(当時は俗称「平沼高女」という公立女子高)卒業します もともと文学少女の志向が強く、作家志望で川端康成を耽読していました。高校時代に観たジャン・コクトー監督のフランス映画 『美女と野獣』に魅せられ、映画に興味を持ち、田中敦子(後の女優・小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎にスカウトされ、いったんはりますが「本物の女学生が欲しい」と頼まれて1本だけの約束で、1951に大学入学までという条件松竹に入社します。出演した映画『我が家は楽しデビュー作となりますが、映画はヒットし、結局そのまま女優にならざるを得なくなります ちなみに岸が卒業した「平沼高女」には前後する学年に草笛光子などの女優が数多く輩出しています。

「(左から二番目)」出典元:http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/wp-content/uploads/2012/03/E6-98-A0-E7-94-BB-E3-82-B7-E3-83-BC-E3-83-B326-300×210.jpg

1952には『坊ちゃん重役』で鶴田浩二佐田啓二の相手役を務め、その年の5月、松竹の看板スターであった鶴田が、戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立します。その第1作として、新東宝配給『弥太郎笠』の制作にあたり、鶴田の相手役のヒロインとして岸にオファーを出しますが、松竹が拒否したため岸は会社に辞表を出します。このオファーには結局、松竹が折れて、岸は映画に出演します。続いて新生プロの第二作『ハワイの夜』でも鶴田と共演し、連続ヒットとなり、この頃には鶴田との恋愛関係が取り沙汰され報道マスコミを賑わしましたが、松竹に強引に別れさせられた、と言われています。

出典元:http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/7/c/7cd0d_211_b0e9013f_2f749ed8.jpg

1953から1954にかけて佐田啓二と共演した映画『君の名は3部作が未曾有の大ヒットし、主人公・氏家真知子のストールの巻き方を「真知子巻き」と呼んでマネる女性が、全国に出現するブームが巻き起こります。(*ちなみに「真知子巻き」は撮影中の北海道のあまりの寒さに、私物のストールを使用した岸のアドリブであると言われています)。しかしその後、岸恵子自身は『君の名は』ばかりが長期間話題にされることを疎ましく感じ続けたと後年語っています。この大ヒット作以降、岸恵子は名実ともに松竹の看板女優となります。そして1954には有馬稲子久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立し、自分の意に沿った映画出演に腐心するようになっていきましたそして1956年、岸恵子は運命の映画に出会うことになります。


2「長崎での時間」

基本情報:岸恵子を語るうえで重要な映画作品があります。一般的には彼女を一躍人気女優に押し上げた「君の名は」という事になるでしょうが、彼女の人生を顧みたとき、一本の日仏合作作品が挙げられます。この作品はその舞台が長崎ということもあり、長期にわたり長崎で撮影が行われました。

【人生の転機となった一本の映画「忘れえぬ慕情」】

出典元:https://green.ap.teacup.com/ledoyen/timg/middle_1405642894.jpg

出典元:https://green.ap.teacup.com/ledoyen/timg/middle_1405642956.jpg

制作年度: 1956年日本・フランス合作

監督:イヴ・シャンピ

脚本:イヴ・シャンピ、ジャン=シャルル・タケラ、松山善三、アネット・ヴァドマン

撮影監督:アンリ・アルカン、アンリ・ティッケ、中島信雄

出演者:以下参照

「櫻井乃里子岸恵子」呉服屋の女主人。かつてはフランス文学を学んでいた。亡くなった両親に代わって店
  を切り盛りし、妹と弟の面倒をみている。
フランソワーズ・ファーブルダニエル・ダリュー」:フランス人女流作家。
ピエール・マルサックジャン・マレー」:長崎の造船所に赴任して来たフランス人技師。
カルル・リッテルゲルト・フレーベ」:乃里子のフランス語教師。ドイツ系スイス人。元柔道選手。妻は
  慶子。慶子の実家である日本家屋で日本式の暮らしをしている。
山村聡」:造船所の技師長。フランス語が堪能でピエールの話し相手。
櫻井冴子野添ひとみ」:乃里子の妹。結婚間近。
慶子・リッテル浅茅しのぶ」:リッテルの妻。乃里子の友人。
藤田浦辺粂子」:乃里子の店で乃里子の親の代から働く女性。

初公開:195726(フランス)

映画のストーリー:以下参照

長崎の造船所に赴任して来たフランス人技師ピエール・マルサックは、呉服屋の女主人・乃里子と出会い、2人は愛し合います。そんなある日、ピエールの元恋人フランソワーズが取材のために長崎にやって来ます。乃里子を愛しつつも、フランソワーズが忘れられないピエールは、大阪出張について来たフランソワーズと、乃里子に嘘をついて2人切りで過ごしました。しかし、フランソワーズのために誂えた呉服をホテルに届けた際に、フランソワーズが大阪に行ったことを知っていた乃里子はピエールの嘘に気付いてしまいます。傷心の乃里子は長崎に戻ったピエールに別れを告げます。フランソワーズとよりを戻した形になったピエールでしたが、自分のキャリアを捨ててでもピエールとともにいたいというフランソワーズに戸惑います。そこに巨大台風が長崎を襲います。フランソワーズと避難所に避難したピエールは乃里子の身を案じ、引き止めるフランソワーズを残して、乃里子の家に向かいます。激しい暴風雨の中をやっとの思いで乃里子の家にたどり着いたピエールを乃里子は受け入れ、2人は改めて愛を確認しあいます。ところが乃里子は崩れ落ちて来た梁の下敷きとなり、ピエールの腕の中で亡くなります。ピエールは愛する乃里子との想い出の地・長崎に留まることを決め、フランソワーズはフランスに帰国します

撮影は全て日本で行われ、ダリュー、マレー、フレーベ、アルカンらも来日。日本公開の翌195726日、パリで公開。同年213日、フランス全国33都市で公開。ほか、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスでも公開。製作費は当時の48千万円。

 

「人生の転機とは・・・」:以下参照

出典元:https://sites.google.com/site/wasureenubojo/_/rsrc/1316221057439/home/about/%E6%A4%8D%E6%A8%B9%E5%BC%8F.bmp?height=356&width=533

昭和314月から5月にかけて約40日間、桜馬場、大浦、新大工町、大波止、花月、爆心地公園、長崎駅、三菱造船所などで大規模な長崎ロケが行われ撮影には長崎県、長崎市が全面バックアップしました。また造船所長役で、当時の西岡竹次郎県知事出演しましたなお長崎ロケ期間を含み出演者は約3か月間、日本に滞在していました。この長期にわたる撮影期間、長崎のロケでは撮影クルー・出演者は県庁そばの旧長崎グランドホテル(*当時は孫文も食事をしたことでも有名な「精洋亭」が屋号でした)にほぼ全員が逗留していました。当時、岸恵子はすでに人気のトップ女優であり、長崎の映画ファンは連日、ホテルの周辺に鈴なりで出待ちをしていたといいます。今回この記事を作成する過程で、そんな当時の状況を知る方から貴重なエピソードを聞くことができました。

共演者のジャン・マレー、ダニエル・ダリューは当時のフランス映画を代表する美男・美女で、連日、長崎の町を二人でめぐっていた状況を多くの人が目撃していました。ある日、ジャン・マレーが市内で手にいれた「メジロ」をかごに入れてタクシーでホテルに帰還し、車が車寄せに着くなりホテルからダニエル・ダリューが飛び出してきて、メジロを見ると大騒ぎになります。その様を二階のテラスから岸恵子とシャンピ監督が見つめて、4人で丁々発止のやり取りをしていたといいます。また、その状況をカメラで撮影するファンもいたそうですが、現在なら、写真週刊誌やワイドショ-が放ってはおかないでしょう・・・。そんな撮影の日々を過ごした後、岸恵子とイヴ・シャンピは突然、結婚を発表します。映画も成功をおさめ人気絶頂の中、岸恵子はパリへと旅立っていきました。


3「パリでの時間」

【パリでの結婚生活】

「パリに発つ岸恵子」出典元:https://www.atpress.ne.jp/releases/128186/img_128186_3.jpg

「シャントコックにて」出典元:https://www.atpress.ne.jp/releases/128186/img_128186_6.jpg

出典元:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/cdn.luupy.net/production/imgs/images/000/049/303/original.jpg?1529224336

『忘れえぬ慕情』の撮影がきっかけで、岸恵子は 11歳年上のフランス人の映画監督イヴ・シャンピと電撃的に結婚します。挙式はフランスで行われ、川端康成が立会人となりました。以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と評されました。この頃に、ジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワールアンドレ・マルロージャン・コクトーら当時のフランスを代表する文化人との親交を持ちました。また1963年には1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ(Delphine Ciampi) を出産します。 パリ在住のまま1972年には映画『約束』で萩原健一と共演。プライベートでも、萩原と交際したと言われており、『約束』は岸恵子の代表作ともなります。一方、私生活面では夫・イヴの母が世界的なバイオリニストだった影響により、「女性は手を大事にしなければならない」という理由で夫から料理をするのを禁じられ、ノイローゼになってしまいますそんな中、夫イヴ・シャンピの浮気もあり197316年間連れ添ったイヴ・シャンピと離婚。娘の親権は岸が持ちました。岸恵子41歳のことでした。

出典元:http://www.kishikeiko-talk2017.com/img_intro/p5.jpg

その後パリに居ながらにして、女優として市川崑映画への出演は40年にも及び、40代後半から60代後半にかけても、市川映画に出演し続けました。監督ディレクションで、83年には「ペントハウス」誌の創刊号で、後ろ姿のヌードを披露しています。また長きにわたる国際的な文化人としての活動により、1996国連人口基金親善大使に任命されています

 

【晩年のパリ横浜ライフ】

出典元:https://i1.wp.com/urara.club//wp-content/uploads/2015/07/070111.jpg?ssl=1

「サンルイ島・自宅アパルトマン」出典元:https://pds.exblog.jp/pds/1/201310/02/07/e0178307_12553826.jpg

娘のデルフィーヌ麻衣子は、名門ソルボンヌ大学を卒業後、バンド活動を行っていたそうで、オーストラリア出身の作曲家と結婚しました。 岸さんの自宅はパリの高級住宅街サン・ルイ島にある築400年以上の家で、娘夫婦と2人の孫と暮らされていました。そしてサン・ルイ島での生活の魅力を著書の中でかく語られています。『私はノートルダム大聖堂のあるシテ島の隣りの、サン・ルイ島に住んでいるんですが、パリは裏通りがいいんです。サン・ルイ島通りをノートルダムに向かってずっと端まで行って、右折して橋を渡るとパリ右岸に出ます。そこにちょっとした広場があって、古びているのにとてもモダンなカフェがあるの。名前も知らないカフェです。その横に幅の広い階段があって、その左側にある教会も素敵なんですよ。ちょっと通りの名前忘れちゃったけれど、そうした普通の裏通りにさりげなく素敵な場所があるのが、パリの魅力じゃないかしら。』

2000になると、娘デルフィーヌや2人の孫息子と暮らしたフランスを離れ、日本に戻り、横浜の実家で一人暮らしを始められました。それからは作家活動を中心とした横浜ライフを満喫される日々です。20133月、自らの恋愛経験を基にオマージュした熟年男女の恋愛小説『わりなき恋』を発表し大変な話題となりました。ストーリーは、日本とパリを行き来する、70歳を前にした女性ドキュメンタリー作家と、12歳年下の大企業重役との、5年を超える不倫愛というなかなかスキャンダルな内容で、主人公は、岸恵子自身がモデルといってもよく、その恋の相手が誰だったのか、大いに話題になりました。 巷間囁かれているのは、元トヨタ取締役かつ元デンソー副社長I氏と言われています。2014、小説『わりなき恋』を原作とし脚本も自ら書いた、一人舞台『わりなき恋』に自ら主演されました。


4「女優の時間」

基本情報:以下参照

1951年から2019年の現在まで、映画を中心にテレビドラマ等、数多くの出演作がございます。多分、岸恵子は生涯、現役女優だと思わせる日々が続いています。

【国内作品出演87作品】

【外国作品出演3作品】

岸恵子主な出演作:以下参照

タイトル・制作年度・出演者・監督:「白痴」・1951年制作・黒澤明監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「我が家は楽し」・1951年制作・中村登監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「本日休診」・1952年制作・渋谷実監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「女の園」・1954年制作・監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「君の名は第一部~第三部」・19531954年制作・大庭秀雄監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「ここに泉あり」・1955年制作・今井正監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「早春」・1956年制作・小津安二郎監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「おとうと」・1960年制作・市川崑監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「怪談」・1964年制作・小林正樹監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「約束」・1972年制作・斎藤耕一監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「化石」・1975年制作・小林正樹監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「悪魔の手毬唄」・1977年制作・市川崑監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「細雪」・1983年制作・市川崑監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「かあちゃん」・2001年制作・市川崑監督

タイトル・制作年度・出演者・監督:「たそがれ清兵衛」・2002年制作・山田洋次監督

受賞歴:以下参照

1955年:映画『亡命記

   2アジア太平洋映画祭 主演女優賞

1960年:映画『おとうと

   11ブルーリボン賞 主演女優賞

   15毎日映画コンクール 主演女優賞

・1983年:ドラマ人間模様『夕暮れて』

   20ギャラクシー賞 選奨

・1990年:第45毎日映画コンクール 田中絹代賞

・1995年:第5日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞

・2001年:映画『かあちゃん

   25山路ふみ子映画賞 山路ふ み子文化財団特別賞

   14日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞

   25日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞

・2002年:映画『たそがれ清兵衛

   26回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞

・2002年:フランス政府芸術文化勲章オフィシエ

・2004年:旭日小綬章

・2011年:フランス政府芸術文化勲章コマンドール


5「作家の時間」

「横浜自宅書斎にて」出典元:https://www.hearst.co.jp/var/hearst/storage/images/whatsnew/150501-fujingaho-actress/205664-3-jpn-JP/_1_image_large.jpg

基本情報:以下参照

元夫イヴ・シャンピは、当時映画監督であっただけでなく、フランス貴族の出身で、日本のちょっとした名士や金持ちなど及びもつかないステータスの持ち主でした。岸恵子はその環境の中で、ひとりの女性として、一人の人間としての生き方に目覚め、女優、文化人として仕事をこなし、まさに、戦後日本の自立した女のトップランナーとして走り続け、そして、老いを迎えた自立した女のお手本として、21世紀の今を生き生きと暮らしています。そして、その表現は彼女の作家活動にすべて凝縮されつつあると言っても過言ではありません。

受賞作品:以下参照

1983年「文芸大賞エッセイ賞」/巴里の空はあかね雲・新潮社刊

1993年「日本エッセイストクラブ賞」/ベラルーシの林檎・朝日新聞社刊

主な著書作品一覧:以下参照

1986年・砂の界ヘ・文藝春秋社刊

出典元:https://tshop.r10s.jp/book/cabinet/5964/9784062735964.jpg?fitin=200:300&composite-to=*,*|200:300

1999年・30年の物語・講談社刊

2003年・風が見ていた・新潮社刊

出典元:https://shop.r10s.jp/book/cabinet/7811/9784022617811.jpg

2005年・私の人生ア・ラ・カルト・講談社刊

2005年・私のパリ私のフランス・講談社刊

2013年・わりなき恋・幻冬舎刊

出典元:https://tshop.r10s.jp/book/cabinet/4269/9784873764269.jpg?fitin=200:300&composite-to=*,*|200:300

2014年・女優岸恵子(監修)・キネマ旬報社刊

出典元:https://tshop.r10s.jp/book/cabinet/7314/9784163907314.jpg?fitin=200:300&composite-to=*,*|200:300

2017年・愛のかたち・文芸春秋社刊

2019年・孤独という道づれ・幻冬舎刊

*翻訳:2008年・パリのおばさんの物語・千倉書房刊

参考サイト一覧―

参考サイト:https://books.rakuten.co.jp/rb/12520581/?l-id=c-recommend-toho-reco&rtg=c64f3a10042c0b2103c857064c059e30
参考サイト:https://books.rakuten.co.jp/rb/1575648/?l-id=c-recommend-toho-reco&rtg=c64f3a10042c0b2103c857064c059e30
参考サイト:https://books.rakuten.co.jp/rb/12799942/?l-id=c-recommend-toho-reco&rtg=c64f3a10042c0b2103c857064c059e30
参考サイト:https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150514.html
参考サイト:https://yokohamahiranuma-h.pen-kanagawa.ed.jp/album/album1.html
参考サイト:http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=536
参考サイト:http://news.livedoor.com/article/detail/14093902/
参考サイト:https://green.ap.teacup.com/ledoyen/3445.html
参考サイト:https://sites.google.com/site/wasureenubojo/home/about
参考サイト:https://books.rakuten.co.jp/rb/15113874/
参考サイト:http://www.kishikeiko-talk2017.com/
参考サイト:https://www.atpress.ne.jp/news/128186
参考サイト:https://urara.club/post-1392/
参考サイト:https://luupy.net/1712
参考サイト:https://madametosi.exblog.jp/21145698/
参考サイト:https://www.hearst.co.jp/whatsnew/150501-Fujingaho-actress