謎めく写真家メアリー・ラッセル噺

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謎めく写真家メアリー・ラッセル噺

その作品が有名なのに、ご本人のプロフィールが殆ど判らない写真家がいます。たまたま、ご本人に関する情報が判明しましたので記事にいたしました。ご紹介します「謎めく写真家メアリー・ラッセル噺」です。

≪インデックス≫

1「概要」

2「メアリーを知らしめた作品群」

3「メアリー・ラッセルの半生」

―*参考サイト―

参考サイト:https://www.nytimes.com/2015/03/25/t-magazine/mary-russell-photos.html
参考サイト:http://ands-magazine.seesaa.net/article/216176425.html
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%94
参考サイト:http://www.25ans.jp/wedding/celeb/lord_snowdon_17_0126/
参考サイト:https://stuffetconline.wordpress.com/tag/fashion-style/
*アイキャッチ画像出典元:https://stuffetconline.files.wordpress.com/2012/04/mary-russell.jpg?w=500&h=343

1「概要」

インフォメーション:1960年代70年代にかけ、パリを拠点にファッション記者・写真家として活動し、デザイナーや写真家音楽家俳優芸術家貴族出身者といった、当時のヨーロッパ文化人の世界を文章にしたり、印象的な写真に残していたフォトジャーナリストです彼女は35ミリの白黒フィルムを使い、自然光の下の飾らない姿を好んで撮影しました。撮影場所に選ぶのは相手の私邸や庭園。庶民にはのぞき見ることのできない隔絶された世界の内側メアリー独特のアングルで撮影し続けましたモデルとなった彼等は有名で裕福で、写真を撮られること多い人々でしたが、メアリーが撮ったすべての作品から気取りのない親密さが感じられますそんなモノクロフォト作品は、被写体となった本人の代表的プロフィール写真として現在も多くの人の 目に触れています。フォトジャーナリスト、メアリー・ラッセルの知られざる人となりをご紹介します。


2「メアリーを知らしめた作品群」

作品「カール・ラガーフェルド」

出典元:https://static01.nyt.com/images/2015/03/29/t-magazine/29design-well-russell-slide-M1L5/29design-well-russell-slide-M1L5-superJumbo.jpg?quality=90&auto=webp

メアリー評:「カールの気前のよさは有名でした。一匹狼で、すごい蔵書家で、シャネルのデザイナーになる前のクロエ時代は、イヴ・サンローランとの競争に熱心でした。彼はいつだってファッションの天才

作品「キャンディス・バーゲン」

出典元:https://static01.nyt.com/images/2015/03/29/t-magazine/29design-well-russell-slide-F1XT/29design-well-russell-slide-F1XT-superJumbo.jpg?quality=90&auto=webp

メアリー評:「ニューヨーク州のモントークにあった写真家ピーター・ビアードの古い家が焼ける前に、その家で撮った写真。ピーターにはたくさんの有名な女性たちが夢中になったわ。キャンディスもそのひとり。」

作品「ヘルムート・ニュートン&シャーロット・ランプリング」

出典元:https://static01.nyt.com/images/2015/03/29/t-magazine/29design-well-russell-slide-23S1/29design-well-russell-slide-23S1-superJumbo.jpg?quality=90&auto=webp

メアリー評:「『ヴォーグ』の仕事でカンヌを見下ろす丘の上の邸宅へ行き、女優のシャーロット・ランプリングを撮影したときの写真。シャーロットは当時、男性二人との三角関係でスキャンダルの渦中にいた。ヘルムートは彼女の上品で控えめな物腰にいたく感心すると同時に、この後、彼女の官能のとりこになってしまった。

作品「イヴサンローラン」

出典元:https://static01.nyt.com/images/2015/03/29/t-magazine/29design-well-russell-slide-PLEM/29design-well-russell-slide-PLEM-superJumbo.jpg?quality=90&auto=webp

メアリー評:「ベネチア映画祭の開催中、リド島にあったジョヴァンニ・ヴォルピのキャビンで撮ったイヴのスナップ。彼は私がこれまでにつき合ったなかで最もちゃめっ気がある友人のひとり。とてもやんちゃで可愛げがあって、感受性の強い人だった」

作品「ジェーン・バーキン」

出典元:https://static01.nyt.com/images/2015/03/29/t-magazine/29design-well-russell-slide-YG70/29design-well-russell-slide-YG70-superJumbo.jpg?quality=90&auto=webp

メアリー評:「この頃のジェーン・バーキンは、旬の女性としてフランスから熱い視線を集めていました。彼女の高く儚い声と独特の英国なまりがフランス人を魅了したの。夫ゲンズブールのピアノに向かった彼女が着ているのは、当時誰もが一着は持っていたアニエスベーのジャンプスーツ。足もとには彼女がどこへでも持ち歩き、トレードマークとなっていたかごが置いてある。


3「メアリー・ラッセルの半生」

インフォメーション:メアリー・ラッセルはマサチューセッツ州マーブルヘッドに住む軍人家庭に生まれまし5人兄弟の3番目でした。父親はアメリカ海軍大佐で艦長職、母親はファッションとアートが大好きな専業主婦でした。少女時代に家族で父親の駐留先のフランス・ニースへ引っ越し、エコール国立高等装飾美術学校で2年間、美術とデザインを学びました

1950年代になるとメアリーは結婚し、ニューヨークへ転居します。そこで、母親の友人からファッションメディアの最右翼「ハーパースバザー」誌の編集長ディアナ・ヴリーランドに紹介される機会に恵まれます。

「1963年版ハーパーズバザー誌」出典元:http://www.davidjacobssculpture.com/CMS/wp-content/uploads/15-HARPERS-BAZAAR-COVER-August-1963.jpg

インフォメーション:当時の気持ちをメアリー自身も「服とファッションが大好きで、仕事をするならこのファッション誌の業界しかないと思っていた」と語っています。そこで彼女は自分をアピールするお洒落で身を固め、フランス語は喋れるし、何ならお金はいらない!  とにかくファッション誌の世界に身を置きたいと言う熱い思いをメアリーは伝えたのでした。

こうしてアメリカのファッションジャーナリズムに身を投じたメアリーは1960年代半ばになると、パリ(ブルボン宮広場近隣)に小さな雑誌社を創ります。経営は芳しくありませんでしたが、自身が大好きなモノクロームの服をまとい、しっかりグルーミングに気配りする日々は彼女なりに充実した貴重な時間でした。

「初代スノードン卿」出典元:http://img.25ans.jp/var/25ansjp/storage/images/wedding/celeb/lord_snowdon_17_0126/node_70199/1166634-1-jpn-JP/_1_image_630_x.jpg

このパリ進出から30年間メアリー・ラッセルの華麗な仕事が展開されていきます。「タクシー」と言う小さな雑誌の編集業務も行いますが、彼女が依頼される仕事の中枢は当時のヨーロッパのフォトジャーナリズムを彩る人々に対するフォトアテンドで、仕上がったフォト素材に社交界・上流社会に関する記事を寄稿するのがメアリーのスタイルでした。アテンドの相手はデビッドベイリー、ヘルムートニュートン、スノードン卿、スティーブンマイゼルと言った当時の錚々たる一流写真家ばかりでした。

「ヴォルピ仕様のフェラーリ」出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/05/1961_Ferrari_250_TR_61_Spyder_Fantuzzi_34_left_2.jpg/250px-1961_Ferrari_250_TR_61_Spyder_Fantuzzi_34_left_2.jpg

その間、メアリーはプライベートな時間を奔放に過ごします。浮名を流した相手は、ベネチア映画祭創設者で資産家の父を持つイタリアのレーシングチームオーナの、ジョヴァンニ・ヴォルピ・ディ・ミスラタ伯爵、ブリジット・バルドーと結婚する前のプレイボーイ王、ギュンター・ザックスなどがいました。曰く「60~70年代のヨーロッパには、華やかで羽振りのいい独り身の男性がたくさんいて、そのうちの何人かと知り合ったわ・・・」ラッセルは淡々とした口調で述懐しています。しかし、メアリーが本当に心酔したのは華麗な人との親交などではなく、「カメラと一緒に動くリアル・パリ・ライフ」でした。実際、当時のパリはまるでブームタウンと言った様で、人はみだらで、情事にふけり、シャンパン片手に自由を謳歌していました。メアリーも一見、その渦中にあって同じ輩に見えるのでしたが実際はカメラを持ったクールなジャーナリストでした。そんな自分が誇らしげなジャーナリストだったと言ったほうが当たっているかも知れません。

「90年代ヴォーグ」出典元:http://ands-magazine.up.n.seesaa.net/ands-magazine/image/P1010673-thumbnail2.jpg?d=a1

その後もメアリーは『ヴォーグ』や『エル』『ウィメンズ・ウェア・デイリー』『グラマー』『ヘラルド・トリビューン』『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に記事を書き続けました。その一方で、私生活でも仕事と同様の情熱を注いで取材相手たちと交流し、時には生活をともにして行きます。このような自身の活動や暮らしの過程で手に入れた数々のオートクチュールは、のちにニューヨーク・メトロポリタン美術館やパリのピエール・ベルジェ、イヴ・サンローラン財団に寄贈されています。メアリー・ラッセルは今、彼女自身の言葉を借りれば「70がらみ」の「孫に大甘なおばあちゃん」としてパリとマイアミを行き来しながら、相変わらず写真を撮っています