静かなるブーム2019・中原淳一の世界/2019年2月更新

adds by google

ads by google
Pocket

静かなるブーム2019・中原淳一の世界

昭和の一時代を風靡したクリエーターの世界が、平成の時代を経て、更なるたかみに向かって支持を広げようとしています。ご紹介します「静かなるブーム2019・中原淳一の世界」です。

≪インデックス≫

1「出生と縁戚」

2「生涯の活動」

3「至近な関連ニュース」

①「のんポスターカレンダー2019

②「日比谷シャンテイベント」

③「コシノヒロコ」

4「関連情報」

①「雑誌ソレイユ」

②「それいゆショップ」

③「中原淳一記念館」

5「関連出版物」

―参考サイト一覧―

中原淳一公式サイト:http://www.junichi-nakahara.com/
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E6%B7%B3%E4%B8%80
参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%82%86
参考サイト:https://www.facebook.com/pg/JUNICHI.NAKAHARA.OFFICIAL/photos/?ref=page_internal
参考サイト:https://books.rakuten.co.jp/rb/6005572/
参考サイト:https://www.yomitaya.co.jp/?p=31739
参考サイト:https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=172147479

1「出生と縁戚」

出生情報:以下参照

大正2年/1913216日香川県大川郡白鳥町(現・東かがわ市)生まれ。

昭和58年/脳血栓の闘病生活11年を経て1983419日没。享年70

出典元http://www.junichi-nakahara.com/wp-content/uploads/2010/03/nakahara0111.jpg

概略インフォメーション:(公式サイトより)昭和初期、少女雑誌「少女の友」の人気画家として一世を風靡。戦後1年目の1946年、独自の女性誌「それいゆ」を創刊、続いて「ひまわり」「ジュニアそれいゆ」などを発刊し、夢を忘れがちな時代の中で女性達に暮しもファッションも心も「美しくあれ」と幸せに生きる道筋を示してカリスマ的な憧れの存在となった。活躍の場は雑誌にとどまらず、日本のファッション、イラストレーション、ヘアメイク、ドールアート、インテリアなど幅広い分野で時代をリードし、先駆的な存在となる。そのセンスとメッセージは現代を生きる人たちの心を捉え、新たな人気を呼んでいる。 妻は、宝塚歌劇の創世記を担った男役トップスターで、戦後映画テレビで活躍した葦原邦子。


2「生涯の活動」

インフォメーション:以下参照

幼少の時より絵や造形に才能を示していた淳一は、 1928年(昭和3年)15歳の時、上京して私立日本美術学校洋画家に入学。絵画研究所にも通い始めます。17歳になると、在学中にもかかわらず 上野広小路の高級洋品店にオーダー服のファッションデザイナーとして迎えられます その後1932年(昭和7年)19歳の時、銀座松屋にて『中原淳一・第一回フランス・リリック人形展覧会』を開催し、新聞雑誌にて絶賛され、一躍有名になり『少女の友』と専属契約を結びます。翌年には『少女の友』の付録を手掛け売り上げが倍増するほどの人気が巻き起こります。中原淳一は『女学生服装帖』というファッション・ページを担当していました(19375月号~19405月号までその企画コーナーを担当)。 その年、日本美術学校を卒業し、22歳になると『少女の友』の表紙絵の担当が始まります。 少女の友は少女画報と同様、宝塚、外国映画スターなどをふんだんに取り上げ、また投稿作品や投書を大量に紹介し投書欄では独特の「キミ・ボク言葉」が使われるなど、当時のモダン文化の推進者でもありました。そのため地方の女学校では少女の友への投稿が不良扱いされることがあったと言います。また、その交流盛んな投稿欄では読者同士のコミュニティーが生まれ、雑誌を飛び出し、愛読者大会までが開かれたそうです。(*1938の大会には400人が集まったそうです)。

出典元:https://shop.r10s.jp/book/cabinet/7561/9784408107561.jpg

当時の淳一は竹久夢二に強い影響を受け、若い頃は神田神保町で夢二の本を買い集めたと言います。1939年(昭和14年)26時には 麹町に淳一グッズの店『ひまわり』を開店。洋服・バッグ・人形・便箋等を販売し女学生の人気を得て通信販売も始めます。翌年1940年には軍当局の干渉により6月号を最後に少女の友を降板する一方、初のスタイルブック「きものノ絵本」刊行。11月には宝塚のトップスター葦原邦子と結婚。 公私に多忙を極めます。太平洋戦争も終末期の1945年(昭和20年)32歳時の3月、召集され横須賀海兵隊に入隊しますがすぐに終戦を迎え、8月に復員し出版の準備をすぐに始めます。終戦の翌年1946年、婦人雑誌「ソレイユ」(のちに「それいゆ」)を創刊し「ヒマワリ社」(のちに「ひまわり社」)を会社組織化します。その後1947年には戦後少女雑誌の原点といわれる 月刊少女雑誌「ひまわり」を創刊します。

出典元:https://www.yomitaya.co.jp/newHomepage/wp-content/uploads/2016/05/91710.jpg

太平洋戦争後は、女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になってほしいとの理想に燃え、自分の雑誌『それいゆ』(1946年)や『ひまわり』(1947年)や『ジュニアそれいゆ』(1954年)、『女の部屋』(1970年)を相次いで創刊。編集長として女性誌の基礎を作っただけでなく画家、ファッションデザイナースタイリストインテリアデザイナー、人形作家など多彩な才能を発揮し、その全ての分野において現代につながる先駆的な存在となっていきました。1948年(昭和23年)35時には 「ひまわり音楽と舞踏のつどい」を開催。プロデュース・演出・衣装を手掛け、好評のため、以降この企画は恒例化しました。 さらに1950年(昭和25年)日本初の本格派ミュージカル「ファニー」を開催。プロデュース・演出・衣装を手掛け、話題を呼びます。 1951年(昭和26年)38歳に渡仏、「それいゆ」「ひまわり」のほか新聞やラジオにパリ便りを寄せる活動も行います。 1952年(昭和27年)39歳になると 帰国。帰朝第一回ファッションショーを開催しました。

出典元:https://www.kosho.or.jp/upload/save_image/12032160/20171216224245755139_710781b83ca9dcfc77304f9a449b1249.jpg

1958年(昭和33年)45歳時、テレビ番組「中原淳一のおしゃれおしゃべり」の収録中、心筋梗塞で倒れ入退院。それでも1959年になるとテレビ番組「花の日記帳」の脚本を担当、バラエティ番組のはしりとなりますが、脳溢血で倒れ入退院を繰り返したのち自宅療養となります1960年自宅で心臓発作を起こし入院、仕事の禁止と5年間の安静を宣言されてしまいますその後、退院し千葉県館山市塩見にて本格的な療養を始め少しずつ元気になり、人形作りや執筆活動を開始します1970年(昭和45年)57歳になると 新しい月刊誌「女の部屋」を創刊。しかしこの年、病で3度倒れ、創刊5号をもって廃刊になります長期闘病をしますが、その甲斐もなく1983年(昭和58年)419日、70永眠します結局1958(昭和33年)半ばより、中原自身が病に蝕まれるようになり、198370歳にて逝去するまで療養と闘病を繰り返しながらの芸術家活動でした。2000(平成12年)に山梨県河口湖に中原淳一美術館が開館(2005に閉館)。2004(平成16年)7月には、東京・広尾に遺族が運営する中原淳一グッズ専門店「それいゆ」がオープンします。現在、中原淳一の著作権は株式会社ひまわりやが管理し、定期的に原画展などが行われ多くのファン楽しませています。その一方、淳一のクリエイティビティに対して、新たな世代の関心はとどまることはなく、数多くの「中原淳一企画」が今後も世界中で計画されると思われます。


3「至近な関連ニュース」

①「のんポスターカレンダー2019

のん公式サイト:https://nondesu.jp/

参考サイト:http://popscene.jp/foundit/041370.html

出典元:http://popscene.jp/foundit/img/noncal2019_20181016.jpg

 インフォメーション:株式会社スピーディが、2019年ののんカレンダーを昭和初期に少女雑誌の人気画家

として一世を風靡し今なお愛され続けいてる中原淳一とのコラボで、20181124日より一般販売開

始することを発表しました。今回は中原淳一デザインによる洋服をのんが着用し、その世界観を表現。

中原淳一ライセンス商品化窓口である「株式会社ひまわりや」の協力を得て貴重な復刻デザインの洋服

を着用しています。衣装・ヘアメイクはもちろん、動きにもこだわったカレンダーに仕上がっています。

ぜひ、表紙・各月・ボーナスページ等、のんが表現した中原淳一の世界観をお楽しみ下さい。

「株式会社ひまわりや」http://www.junichi-nakahara.com


②「日比谷シャンテイベント」

参考サイト:http://www.junichi-nakahara.com/archives/4439

参考サイト:https://www.hmv.co.jp/news/article/1810190014/

出典元:https://img.hmv.co.jp/store/hbc/nakaharaj.jpg

  

出典元:http://www.junichi-nakahara.com/wp-content/uploads/2018/10/IMG_0270-300×225.jpg

インフォメーション:20181027()から1128()まで、日比谷シャンテ3階、HMV&BOOKS

 HIBIYA COTTAGEのイベントスペースにてポップアップショップ<中原淳一の美しい暮らし>を開催

  致しました。 「女性のための本屋」と銘打って今年3月にオープンした日比谷コテージは、日比谷の

  劇場街のなかにあり、ミッドタウンにも隣接しているので、日々、女性はもちろん男性も立ち止まる人気

  のスポットとなっています。日比谷では初めての中原淳一ポップアップショップは「中原淳一の美しい

  暮らし」をテーマに、クリアファイル、レターセット、マウスパッド、付箋など机周りのものから、人気の

ま口シリーズ、トートバッグ、てぬぐい、額入り複製画など、あなたの美しい暮らしを彩る淳一グッズの数

 々を揃えてお待ちしています。高級感のある額入り複製画も人気の高い表紙絵のものが揃っているので、プ

レゼントにも最適です。


③「コシノヒロコ」

参考サイト:http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/10/kh.html

出典元:http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/assets_c/2018/10/1539679767967-thumb-400xauto-64074.jpg

インフォメーション:ヒロココシノのKHギャラリー銀座は2018114日まで、企画展「コシノヒロコ 中原

淳一へのオマージュ」を開催しました。 同展はコシノからの長年のラブコールで実現しました。 9

に開かれたオープニングレセプションでコシノは、「中学1年生の入学式で、母が中原先生の雑誌を

見て作ったヒマワリ柄の洋服を着たことで“ヒマワリっ子”って呼ばれたことが思い出になっている。実

は私は裁縫が苦手で、母のようなファッションデザイナーではなく、絵描きになりたいと思っていたが、

『それいゆ』のスタイルブックを見て、“私の好きなイラストをファッションに生かすことができるので

ないか”と、中原先生の作品から教えてもらった」と思いを語っていました


4「関連情報」

①「雑誌それいゆ」

参考サイト:http://www.junichi-nakahara.com/soleil70/

出典元:http://www.junichi-nakahara.com/soleil70/images/soleil_no40.gif

出典元:http://www.junichi-nakahara.com/soleil70/images/soleil31.gif

インフォメーション:それいゆはかつて存在した日本の女性誌で中原淳一が昭和218月に第1号を発刊

した季刊・隔月刊誌です。昭和358月(秋の号)まで、全63冊が発行されました。それいゆはフラ

ンス語で太陽の意で、創刊号の表記は『Soleilとなっていますがが、のち『ソレイユ』も使われ9

号以降は『それいゆ』となっていますそれいゆは中原淳一の表紙絵の印象が強いのですが、じつは

創刊当初は木部清(第1号)、藤田嗣治(第2号)、長沢節(第4号)、岩田専太郎(第5号)、宮本

三郎(第6号)、木下孝則英語版)(第8号)と言った、後に名をはせた錚々たるメンバー表紙画

描いています。中原淳一は、3号、7号、9号から60号までを描いており、61号から63号(最終号)

は淳一が絵筆を持つことができない状態となり写真となりました。

②「中原淳一ショップそれいゆ」

参考サイト:http://www.junichi-nakahara.com/shopsoreiyu

出典元:http://www.junichi-nakahara.com/wp-content/uploads/2010/06/shop12.jpg

インフォメーション:(中原淳一公式サイトより)全国で唯一の中原淳一専門店「それいゆ」は、2017 7

より広尾商店街から広尾ガーデンヒルズ入り口へ移転し装いも新たにリニューアルオープンいたしま

した。住所は南麻布ですが、東京メトロ日比谷線広尾駅の4番出口から徒歩1 分です。改札口からエ

スカレータ―、エレベーターで地上へ出ていただいたら右隣にある「カフェ・デ・プレ」。の角をお店に

沿って右に曲がっていただくとカフェの隣に「それいゆ」の赤いドアが見えています。さらに、お店の左

側面の窓では、人気の高い赤いスカートの女の子の等身大パネルが皆様をお出迎え。ご来店記念の

写真スポットとしても人気です。中原淳一の世界観を伝え、暖かい気持ちでお買物していただける場

所として毎日皆様のお越しをお待ちしています。  

所在地:106-0047東京都港区南麻布5-1-27

問合せ:03-5791-2373

営業時間:11001930

定休日:火曜日(年末年始)

オンラインショッピングhttps://www.rakuten.co.jp/soleil-shop/

③「中原淳一美術館」

参考サイト:https://minkara.carview.co.jp/userid/112783/spot/45267/

出典元:https://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/images/TownInfo/45267.jpg?ct=0dd6e288b9de

インフォメーション:河口湖畔の大池公園そばにひっそりと建つ白亜の建物が中原淳一美術館です。中原淳

一の残した数々の作品や言葉、彼の才能に感化を受けた多くのアーティストたちの証言などを一堂に

集め、 それを未来へ伝承していく美術館として開館されました 200511月残念ながら閉館しまし

たが、20064月アートガイア河口湖ミュージアムとして新しい美術館として再開されています。

旧所在地:401-0302山梨県南都留郡河口湖町小立1204-2

旧問合せ:0555-72-3390


5「関連出版物」

出典元:https://shop.r10s.jp/soleil-shop/cabinet/item/books/reprint_books/30601000.jpg

著作品名:「中原淳一それいゆ復刻版セット」

著作内容:昭和21年、焼跡に女性たちの夢と希望を蘇らせようと中原淳一が創刊した戦後を代表する女性誌『それいゆ』。その全盛期の傑作号を厳選し復刻しました。「美しく生きること」をテーマに、ファッションや手芸、料理、芸能、音楽や文学まで、充実の内容。今読んでも新鮮ではっとさせられる記事ばかりです。さらに瀬戸内寂聴ら寄稿による充実した別冊を添えた豪華愛蔵版。

【内容品】以下参照
・それいゆ復刻版 全6冊
No29 (
昭和29年2月号) 春の仕度
No31 (
昭和29年8月号) 二人の幸福
No33 (
昭和30年2月号) 希望を育てる
No36 (
昭和3011月号) 暮らしとおしゃれ
No40 (
昭和31年8月号) 新しい世代
No48 (
昭和3212月号) よろこびのある暮しをつくる
・復刻版別冊

監修著者:中原蒼二監修

書価:税込30240円(楽天価格)

オンラインショッピング:https://item.rakuten.co.jp/soleil-shop/30601000/

出典元:https://shop.r10s.jp/soleil-shop/cabinet/item/books/reprint_books/30601010.jpg

著作品名:「中原淳一ジュニアそれいゆ復刻版セット」

著作内容:「十代のひとの美しい心と暮らしを育てる」をキャッチフレーズに、中原淳一が主宰した、モダンで明るく斬新な少女雑誌『ジュニアそれいゆ』。昭和30年前後の傑作号7冊を復刻しました。美しい挿絵つきの詩・小説などの読み物や、夢いっぱいの芸能ページ、ファッション・インテリア・手芸などの生活を美しく彩るページまで、非常に幅広い内容。可愛らしく手軽にできる手作りページが多く、生活に取り入れやすいのも魅力です。さらに新解説からなる別冊を添えた豪華愛蔵版。

【内容品】
・ジュニアそれいゆ復刻版 全7冊
No.5 (1955
年4月) 特集:新しい暮し
No.7 (1956
年1月) 特集:新しい年に
No.9 (1956
年5月) 特集:ジュニアの魅力
No.11 (1956
年9月) 特集:素晴らしいジュニアになろう
No.12 (1956
11) 特集:身のまわりのしあわせ
No.20
1958年3月) 特集:若い日の出発
No.22
1958年7月) 特集:充実した夏休みのために
・復刻版別冊

監修著者:中原蒼二監修

書価:税込30240円(楽天価格)

オンラインショッピングhttps://item.rakuten.co.jp/soleil-shop/30601010/