日本の技「伝統の織物生地」/2018年12月更新

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日本の技「伝統の織物生地」

今、ファッションの世界でジャパンテクノロジーが注目を集めています。デザインだけでなく素材開発の技術が評価されての結果です。ところで織物のことをどれだけご存知でしょうか?実は脈々と受け継がれている織物の技術が日本にはたくさんありますが、実態は「生き残りに必死」という現実があるようです。その中のいくつかをご紹介してみたいと思います。「伝統の織物生地」です。

 

科布(羽越科布)

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出典元:http://shinafu.jp/

解説:羽越地域の山間部に生育するシナノキ、オオバボダイジュ又はノジリボダイジュの樹皮から取れる靭皮(じんぴ)繊維で糸を作り、布状に織り上げたもの。 日本では、縄文や弥生時代から衣装や装飾品などに利用され、今日、山形県鶴岡市関川地区や新潟県岩船郡山北町において受け継がれています。原料が樹皮の繊維であることから、その風合いは粗々しいものの、ざっくりとした手触りと落ち着きのある風合いに特徴があり、帯地ばかりでなくバッグ、帽子等多くの日用品にも加工されています。

主要生産地:山形県鶴岡市関川地区・新潟県岩船郡山北町

産地組合「羽越しな布振興協議会」:〒999-7315山形県鶴岡市関川字向222関川しな織センター内・TEL:0235-47-2502

入手方法:生産量が少ないため、一般の方は原反の入手は不可能です。

関連URL:http://shinafu.jp/(羽越しな布振興協議会)

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出典元:http://shinafu.jp/

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出典元:http://shinafu.jp/

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出典元:http://shinafu.jp/

芭蕉布

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出典元:https://www.kaitori-kimono.biz/

解説:芭蕉布は、13世紀頃にはすでに作られていたと考えられますが、人々の間に広まったのは近世になってからのことです。家の庭や畑に芭蕉の木を植え、主婦や娘たちが自家用の布を織っていました。19世紀に入ると絹や綿が出回るようになりましたが、あいかわらず芭蕉布は人々に親しまれていました。この伝統を受けついでいる喜如嘉の芭蕉布は、昭和49年に国指定の重要無形文化財の総合指定を受けています。糸芭蕉からとれる繊維を利用して織り上げる芭蕉布は、沖縄の代表的な織物です。江戸時代には夏裃(なつかみしも)として人気がありました。軽くてさらりとした肌触りが独特で、盛夏の着物として現在も広く愛用されています。

主要生産地:沖縄県/国頭郡大宣味村

産地組合「喜如嘉芭蕉布事業協同組合」:
〒905-1303沖縄県国頭郡大宜味村字喜如嘉454
TEL:0980-44-3202

入手方法:東京では「銀座わしたショップ」にて販売

住所:東京都中央区銀座1-3-9 実業之日本社銀座ビル1F

URL:http://okinawacrafts.com/textiles/Kijoka.html

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「文化財・喜如嘉の芭蕉布」出典元:http://www.e-tamaya.net/

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「文化財・喜如嘉の芭蕉布」出典元:http://www.e-tamaya.net/files/


葛布

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出典元:http://www.ougiya-tatami.com/

解説:葛布とは山野に自生するマメ科の植物葛の靭皮(じんぴ)繊維を織り上げた布のこと。地元の人はカップと呼び、掛川の特産物です。掛川が葛布の特産地として歴史的に初めて認識されたのは、鎌倉時代といわれ、武士の乗馬袴地に用いられました。掛川は東海道の宿場町としても栄え、時の藩主が葛布を掛川の特産品として保護奨励したこともあり、丈夫で水に強い葛布は裃地(かみしもち)や袴地、道中合羽などに珍重されました。明治に入ると、葛布は武家階級の転落と生活様式の急転によって大打撃を受けましたが、襖地(ふすまち)として蘇り、明治30年代、襖からヒントを得て作った壁紙が「カケガワ・グラス・クロス」として米国の壁紙業界において好評を博しました。しかし、原料の葛苧(くずお)をほとんど韓国から輸入に頼る状態であったため、昭和40年過ぎ韓国が日本への葛苧の輸出を禁止したため、掛川葛布は衰退してしまいました。、現在は織元も三軒になりましたが、伝統を守った葛布の持つ美しさと素朴な味わいは、今でも内外を問わず多くの人々に親しまれ、愛用されております。

主要生産地:静岡県掛川市

入手方法:詳細は以下の販売店をご参照ください。

小崎葛布工芸株式会社:〒436-0091静岡県掛川市城下3-4TEL.0537-24-2222

URL:http://ozaki-kuzufu.jp/

関連URL:http://www.kuzufu.jp/history.html掛川手織葛布組合ホームページ

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「葛布座布団」出典元:http://ozaki-kuzufu.jp/

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「葛布のふすま」出展元:http://ozaki-kuzufu.jp/

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「葛布のれん」出典元:http://ozaki-kuzufu.jp/


帆布

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出典元:http://www.ichizawa.co.jp/

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出典元:http://www.ichizawa.co.jp/

解説:撚り合わせた綿糸を用いて織った、1平方メートルあたり8オンス(約227g)以上の平織りの地厚い織物のことを「帆布」と呼びます。「帆布」は平織りで織られた厚手の布で、船の帆にも使われていました。非常に丈夫なため、使い込むほどに味が出てきます。環境にやさしい素材で通気性もよく、さまざまな色に染めることもできるため、バックや小物に適しています。岡山県倉敷市は、もともと綿花栽培が盛んであったことに加え、糸を撚る技術があったため、現在でも綿帆布の日本一の生産量を誇っています。また、尾道はかつて船の寄港地だったこともあり、帆布生産地として栄えてきた歴史があります。

主要生産地:「広島・尾道帆布」「岡山・倉敷帆布」

人気の帆布・「一澤信三郎帆布」

株式會社一澤信三郎帆布(いちざわしんざぶろうはんぷ)は、京都市東山区にある布製手作りかばんの直売メーカーです。通称 「信三郎帆布」、「しんざぶ」。ロゴマークは、同社が創作した合成漢字、布へんに包と書いた「布包(かばん)」を使っています。

住所:〒605-0017 京都府京都市 東山区高畑町602

電話:075-541-0436

URL:http://www.ichizawa.co.jp/

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「人気のバッグ」出典元:http://www.ichizawa.co.jp/

人気の帆布・「Anything」

愛知県豊橋の職人さんと、分厚くてやさしい、本物の前掛け生地を作っています。エニシングが豊橋の職人さん達と共に作っている前掛けの生地’一号前掛け’には大きく2つの’違い’があります。「約40年前の厚みを復活。厚いが柔らかく、長持ちする1号生地」。

「使えば使うほどやわらかく味の出る(経年変化を楽しむ)生地」。洗練されたデザイン前掛けは今、静かなブームです。

住所:〒184-0012 東京都小金井市中町1-7-29

電話: 042-401-6982

URL:http://www.anything.ne.jp/post-3.html

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「人気の前掛け」出典元:http://www.anything.ne.jp/


綿紬

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「無地紬」出典元:https://image.jimcdn.com/

解説:静岡県浜松市では、江戸時代に農家の冬仕事として「機織り」が始まったとされています。機織りには綿(わた)を糸の状態にする行程や染める行程など、様々な工程があり、それぞれが得意分野を担当したしたことが分業制につながったと伝えられています。遠州地方は温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、綿作り(わたづくり)に適していて、三河、泉州おならび、綿の三大産地として栄えました。明治以降、機織メーカーとして創業した現トヨタ自動車や浜松に本社を構えるスズキ 株式会社により、動力で機織を動かす力織機(りきしょっき)が登場。昭和三十年代から全盛期を迎えました。しかし、平成になって海外製品に押され生産量は 減る一方となりました。今も職人の手によって作られる「遠州綿紬」はかつての産地を今に伝える希少な織物。人から人へと受け継がれる伝統を大切にしていま す。

主要生産地:静岡県・浜松市

入手方法:作家-取扱ショップ一覧/以下のURLより確認できます。

http://www.enshujima-p.net/

関連URL:http://www.enshujima-p.net/ (遠州縞プロジェクト公式サイト)

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「ソファーに使用」出典元:http://image.rakuten.co.jp/

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「伝・遠州縞」出典元:https://image.jimcdn.com/

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「縞紬」出典元:https://image.jimcdn.com


上布

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出展元:http://kimono-hiroba.jp/

解説:上布というのは、手績み(麻を細かく裂いて紡ぎ、撚り合わせる)した細い糸を、産地独特な技法で織り上げ、加工した高級な麻布のことです。「近江上布」は鎌倉時代に京都の職人が移り住んでその技術を伝え、江戸時代に入って彦根藩の保護政策のもとで、農家は副業として着尺地、蚊帳地等を盛んに生産し、近江商人が全国に売り歩いて有名になりました。現在、愛知川を中心とする湖東地区で、着物、服地向け上布、ふとん・座布団・シーツ向け縮等が生産されてますが、手績糸は影を潜め、苧麻糸(紡績糸)使いが主体となっています。越後地方で早くから上布の生産が行われ、天正年間(1573年~1591年)に上杉氏が、原料からむし(苧麻)の栽培を奨励したことによって、「越後上布」の生産は一段と盛んになりました。「能登上布」は、能登縮または安部屋縮(出荷港の名)とも呼ばれ、主な産地は石川県鹿島町・鹿西町・羽咋市等で明治初期には麻織物の生産全国一を誇り、昭和35年に石川県無形文化財の指定を受けました。「宮古上布には白絣もありますが、南国の自然をモチーフとした織り柄と黒に近い濃藍とが大きな特徴で、その艶のある深い藍の色合いは、織りあがった布地を水洗いして澱粉をまぶし、木槌で一万回も叩きつづける“きぬた打ち”や染めて乾かし、染めて乾かす作業を一週間も繰り返す丹念な布染めによって生まれるものです。

主要生産地:「近江上布」「越後上布」「能登上布」「宮古上布」

関連URL:近江上布伝統産業会館URL:http://www.asamama.com/

重要無形文化財小千谷縮・越後上布技術保存同人会:http://www.johfu-chijimi.jp/index.html

宮古織物事業協同組合URL:http://miyako-joufu.com/

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「近江上布」出典元:http://www.asamama.com/

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「越後上布」出典元:http://www.johfu-chijimi.jp/

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「宮古上布」出典元:http://image.rakuten.co.jp/


楊柳

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出典元::http://image.rakuten.co.jp/

解説:楊柳生地の発祥の歴史は非常に古く、桃山時代の天正年間(1573年頃)に明(中国)の織工によって楊柳生地は伝えられました。麻を使う麻縮。絹をつかう縮緬(ちりめん)。その中の一つ、綿の綿ちぢみも生まれ、高温多湿の日本の風土と気候に最も合う生地として江戸時代には、東京・大坂・京都を中心に普及しており、古くの文献『 毛吹草 』松江重頼著(1638年)には、山城の国と畿内には、多くのちぢみ織屋があったと記述されています。また『 絹布重宝記 』(1789年)では、その中でも『 京都西陣産のちぢみ織が特に優れている。』と記されており、各産地が絹や麻、そして綿をつかったちぢみ織で競い合っていた事が伺えます。当時の楊柳は非常に生産量も少ない高級品で、一般に出回る事はほとんどなく、戦後の高度経済成長の技術革新で量産が可能になり「綿ちぢみ・しぼ・クレープ・楊柳 」などと呼ばれ、皆様に愛されるコットンのクレープ生地、素材に成長していきました。またその過程で、京都には伏見晒といった晒をする晒工場がかつてはあり、それに伴った機屋や縫製所などが数十社ほどありましたが、現在の晒工場は伏見晒の流れをくんだ、滋賀県高島にある晒工場のみとなっています。

主要生産地:京都・滋賀

(滋賀県公式サイト)関連URL:http://www.pref.shiga.lg.jp/f/shinsangyo/jibasan/cotton/

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出典元:http://www.pref.shiga.lg.jp/