私の好きなノーマン・ロックウェル

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私の好きなノーマン・ロックウェル

往年のアメリカを描いたノーマン・ロックウェルの世界は、人の暮らしの中にある優しさや幸せな感覚を彷彿とさせてくれます。そこでご紹介します「私の好きなノーマン・ロックウェル」です。

≪インデックス≫

1「ノーマンロックウェルの生い立ち」

2「絵との出会い」

3「生涯の制作活動」

4「ロックウエルの主な作品ガイド」

5「関連出版物」

関連参考サイト一覧―

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB
参考サイト:https://www.saturdayeveningpost.com/2016/10/lofty-assignment-modeling-norman-rockwell/
参考サイト:http://www2.plala.or.jp/Donna/rockwell.htm
参考サイト:http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/48794/20160528091559600446/bgeou_150_057_070.pdf

1「ノーマンロックウェルの生い立ち」

出生情報:以下参照

189423日ニューヨーク生まれ

1978118日マサチューセッツ・ストックブリッジにて没。

享年84歳。

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7b/NormanRockwell.jpeg

インフォメーション:ノーマン・ロックウェルは(NOMAN ROCKWELL)マンハッタンのアムステルダム・アベニュー西103丁目で生まれました。生来ロックウェルは、やせっぽちで内股の不恰好な子供で運動は苦手でしたが、唯一自分の能力だと感じた絵の能力を伸ばすために、努力を惜しまなかったといわれています。父ジャービス・ウェアリング・ロックウェル(Jarvis Waring Rockwell)は、織物会社の支配人を仕事としていました。ロックウェルが絵を描こうと思い始めたのは、12歳の頃で熱心な日曜画家であった父親からの影響といわれています。 画家・イラストレーターとして生涯を過ごしたロックウェルは、ボーイスカウト活動を精力的に描く一方1916年から40年にわたり300以上の「ザ・サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙を描き続けました。1912年(18歳の時)ボーイスカウトの雑誌”Boys Lifeの事務所を訪れたのきっかけ、その活動に魅せられボーイスカウト活動を描き続けました。その後も生涯、軽いタッチでアメリカ合衆国の市民生活を描き、アメリカ合衆国で幅広い大衆的人気を持っています。祖先はイングランド系と言われており、ニューヨークで生まれ、美術学校を出てから、アメリカ・ボーイスカウト協会の雑誌などに絵を書き始めます。ボーイスカウト運動に対して多大な貢献を果たしたことに対して、後に、世界で十数人しか与えられていない功労賞であるシルバー・バッファロー章が贈られています。庶民の哀歓や暖かな人間関係を描いた画風の作家ですが、彼自身が育った家庭は大都市の裕福な家庭でした。しかし家庭的な環境はロックウェルにとっては厳しいもので、両親に対して親愛の情を抱くことがなかったというエピソードが残っています。そは、他人行儀な父とわがままな母親・ナンシーの存在と言われています彼は、どちらにも本当の親近感を抱いたことはなかったようで彼自身が父親になるFamily」をテーマにした絵はほとんど描かなかったという事実があります。ロックウェルが生涯をかけて描き続けた優しき世界は、そのことと大きな関係があることを予感させます。


2「絵との出会い」

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AB

「ハワード・パイル」出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/Howard_Pyle.png/220px-Howard_Pyle.png

インフォメーション:1910年、ノーマン・ロックウェルはいくつかの学校を経由して最終的にアート・スチューデンツ・リーグに入校します。1875年創立のこの学校は、自由で刺激的な校風で著名な画家を数多く輩出しています。学校の創立者の一人であるハワード・パイルに感銘を受けたノーマン・ロックウェルは、歴史的裏付けがきちんとなされているパイルの作品の、人間の真性な情感表現に自分の行くべき方向性を見出し、J・ブリッジマンからそれに必要な技術を学びます。骨の運動や筋肉の収縮など、人体の構造を正確かつ細密に知ること、「描く前に観察せよ」ということを徹底したと言われています。またロックウェルは、細部の慎重な選び方やユーモアの挿入など、絵に表現する“言葉”を用意周到に、登場人物の性格まで緻密に計算し展開する手法をこの学校で培ったのかも知れません。

*「アート・スチューデンツ・リーグ」について

参考サイトhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/Art_Students_League_NY_jeh.JPG/300px-Art_Students_League_NY_jeh.JPG

インフォメーション:アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークは、ソール・バス、イサム・ノグチ、ジョージア・オキーフ、ロイ・リキテンシュタイン、ドナルド・ジャッド、ジャクソン・ポロック、マン・レイ、マーク・ロスコ、などなど歴史的著名アーティスト達がかつて学んだ、1875年創立の歴史ある美術学校です。大学では無いので、堅苦しい学位や成績というものがありません。そのような自由な校風は、老若男女、プロアマ問わず、プロのアーティストであれば新しいスキルを身に着けながら自分のペースで新しい作品制作をしたり、また、他に仕事を持ったアマチュアアーティストであれば更なる学びの場所を提供しています。大学に比べて学費も安く、幅広くやる気のあるアーティストに門戸を開いている学校です。そのようなアート・スチューデンツ・リーグのスクールモットーは、「no day without a line.(描かない日はない)」です。ちなみに日本人としては高村幸太郎、萩原碌山、北川民次、葉祥明、国吉康雄なども当校で学んでいます。


3「生涯の制作活動」

参考サイト:http://www.norman-rockwell-france.com/rockwell-1930.php

参考サイト:https://boyslife.org/home/17564/boys-life-covers-by-norman-rockwell/

参考サイト:https://www.whig.com/story/17523408/national-tom-sawyer-days-runs-into-hurdle-before-hannibal-city-council

「遺作カレンダー作品」出典元:https://www.saturdayeveningpost.com/wp-content/uploads/satevepost/2016-nd-pg61-ROCKWELL-SPIRIT-OF-1976.jpg

インフォメーション:ロックウェルは、1910ニューヨークで最も進んだ美術学校であったアート・スチューデンツ・リーグに移り一人で勉学に励んでいましたが1912年に父母とその家族がニューヨークに移ってきた時には、既によく知られる一人前のイラストレーターになっていました。順調に仕事を依頼されていた1912年には、ウエストサイド北部の屋根裏に始めてのアトリエ持ちます。1913年「ボーイズ・スカウツ・ハイク・ブック」にイラストを100枚、1914年には、55枚のイラストを「ボーイズ・キャンプ・ブック」に描いています。当時、その傍らで彼は70以上のイラストを「ボーイズ・ライフ」をはじめ、「セント・ニコラス」、「ユースズ・コンパニオン」、「エブリランド」や「アメリカン・ボーイ」などの若者向けの出版物に常に投稿していました。

「BoysLife」出典元:https://boyslifeorg.files.wordpress.com/2011/02/feb-1932.png

時間は遡りますが1912年(18歳の時)ボーイスカウトの雑誌”Boys Life”の事務所を訪れたのをきっかけに、その活動に魅せられ、自身の生涯を左右するボーイスカウト活動を描き始めています。そしてそこのことは、彼の代表的作品の流れを占める、「ボーイズライフ」、ボーイスカウトカレンダー、ボーイスカウトハンドブックの表紙、切手のデザインなどへとつながっていきます。その中でも有名な作品に、1972年の”Can’t wait” 1961年の“Homecoming”などがあります。ちなみに日本国内でのスカウトに用いられていた「ボーイスカウトポケットブック」の表紙のスカウトの横顔は、1922年の彼の作品の一部をとったものです。またロックウェルの最後の作品ボーイスカウトカレンダー“The Spirit of ’76”です。

「ロックウェル&マリー・バーストウ」出典元:http://www.norman-rockwell-france.com/images/n/nor/Norman-and-Mary-s-Wedding.jpg

個人的な生活面では191622歳の時、一流のイラストレーターとしての地位を確立していたロックウェルはイレーヌ・オッコナー(Irene O’Connor)と最初の結婚をしています。その年アメリカは戦争に突入しており、彼は海軍に入隊志願し、南カロライナ州 チャールストンの海軍造船所へ送り出され、そこで週2日、海軍の雑誌「アフロート・アンド・アショア誌」の仕事をしたり、雑誌の注文の仕事を引き受けたりする仕事に従事していました。 除隊後、1920年代半ばになっても仕事は順調で、ロックウェルは裕福かつ有名にもなり、自分専用の酒類密輸業者を雇い、絵を描くのと同じ時間をパーティに費やしたりしてしまいます。その結果、妻イレーヌは彼との離婚を決意してしまったのでした。1920年代後半になるとに、ロックウェルは少数の雑誌の長期広告契約やポスト誌の依頼に集中するようになっていきます。一方、離婚後はセントラル・パーク・ウエストにあるデ・ザルテイストホテルで独身生活を送っていましたが、ニューヨークでの仕事に追われる日々が嫌になり、 ロサンゼルスに転居します。そこで彼自身の生活に大きなに変化が起きす。それはマリー・バーストウ(Mary Barstow)との結婚でした。彼女との結婚生活は、彼女が死ぬ1959年まで続きました。(*後の1961年ロックウェルはモリー・パンダースンと3度目の結婚しています)

「壁塗り競争」出典元:https://www.whig.com/apps/pbcsi.dll/storyimage/WH/20120418/ARTICLE/304189985/AR/0/AR-304189985.jpg

二度目の結婚をした30年から約5年間、ロックウェルは制作活動に費やす時間が少なくなり、この間の制作数は彼の生涯の中でも寡作な時期と言えます。最初の息子ジェリー(Jerry)が1932年に生まれ、1933年には2番目の息子トミー(Tommy)が、1936年にはピーター(Peterが生まれています。当時、彼が描いたポスト誌での表紙は、家庭生活での新しい興味や印象を反映しており、「Family」をテーマにした絵を多く描くようになっていきます。そしてその状況を一変させる転機となった作品が「トム・ソーヤー」と「ハックルベリー・フィン」のための挿絵でした。マーク・トウェインによって書かれたこの2作品は児童文学の域を越え、アメリカ文学史にとって重要な価値を持つと考えられていますが、挿絵を描いたロックウェルは、洞窟のシーンを描くために1週間、明かりなしで洞窟にこもったという逸話があります。その挿絵原画は、現在、ハンニバルにあるマーク・トウェイン博物館で展示されています。また、ハンニバルで毎夏開催されるTom Sawyer Days(トム・ソーヤー祭)では、Fence Painting Contest(塀塗り競争)が開催され、トムに扮した子供たちが、いかに悪ガキ風に短時間で塀を塗るかを競うゲームが現在も毎年行われています

「メダル・オブ・フリーダム」出典元:https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0406/users/6f577d0f6f2792cfb266307741e99bc02031d3a7/i-img900x1200-1528716941kdxhma759994.jpg

1940年になると彼の制作活動を最高に評価する出来事が起こります。アートディレクターズクラブから「ベストアドバタイジングポスター賞」を授与されるとともに、第二次世界大戦中にロックウェルが制作した数々のポスターは、戦時中のアメリカ国民に大きななぐさめと勇気を与えたと評され、1977年フォード大統領からアメリカ国民としての最高の栄誉メダルオブフリーダムを授与されますしかしその翌年1978年ストックブリッジの自宅でロックウェルその生涯を静かに閉じました彼が描いたのは、アメリカの夢であり、アメリカの悩みであったと言えます。ペーソスとウィット・・・人間の弱い部分を引き出し、隠れた情景を想像させる。そして誰でもどこかにしまっている、幼いころの純粋な心と夢を刺激して、心地よい温かさを伝えようとする。人間の弱さを描き、笑いを導き出しながらも、必ず、いとおしいノスタルジーを感じさせてくれる。それは古き良きアメリカだけでなく、これからの世界中の人たちに、いろいろなことを考えさせてくれる。そんな力を持つイラストレーションを生み出せたのは、人間を愛し、見つめ続けた、ノーマン・ロックウェルだけの才能かもしれません。

 

*「Presidential Medal of Freedom(大統領自由勲章)」とは:アメリカ合衆国勲章で、議会名誉黄金勲章と並んで文民に贈られる最高位の勲章です。 受章対象者は、「アメリカ合衆国の国益や安全、または世界平和の推進、文化活動、その他の公的・個人的活動に対して特別の賞賛に値する努力や貢献を行った個人」と規定されています。叙勲者の中には、写真家のアンセルアダムス、ウォルト・ディズニー、ヨーヨーマ、マザー・テレサ、ヘレン・ケラーなどがいます。

略歴―

1894 23日、アメリカ、ニューヨークに生まれる
1910 ニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザイン」
で勉強するために高校を2年で中退
「アート・スチューデンツ・リーグ」でジョージ・ブリッジマン、
トーマス・フォガーティより影響をうける。
1916 「ザ・サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙絵を描く
イレーヌ・オッコーナーと結婚
1930 マリー・バストゥと2度目の結婚
1943 4つの自由」を発表(その後火事で焼失)
1959 妻マリー死亡
1961 モリー・パンダースンと3度目の結婚
1963 ルック誌に移り表紙絵を描く
1977 フォード大統領より、国民として最高の栄誉である
「メダル・オブ・フリーダム」 を受賞
1978 118日 マサチューセッツ州ストックブリッジで永眠

4「ロックウエルの主な作品ガイド」

「舵を操る少年」1913年制作・所蔵未確認

「打席とホームベース」1916年制作・所蔵未確認

「犬の親子とボーイスカウト」1918年制作・所蔵未確認

「シンデレラボーイ」1919年制作・所蔵未確認

「夜ふかし」1921年制作・所蔵未確認

「老船長」1922年制作・所蔵未確認

「やどり木の下で」1924年制作・所蔵未確認

「人形とお医者さん」1929年制作・所蔵未確認

「連休疲れ」1930年制作・所蔵未確認

「ダンサーの失業」1937年制作・所蔵未確認

出典元:http://www2.plala.or.jp/Donna/paint-folda/rockwell/blank-canvas.jpg

BLANK CANBAS1938年制作・所蔵未確認

出典元:http://www2.plala.or.jp/Donna/paint-folda/rockwell/freedom.jpg

4つの自由」1943年制作・火事で焼失

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81B%2BpKkhEEL.jpg

「覗き見」1944年制作・所蔵未確認

「父帰る」1948年制作・所蔵未確認

「コルード・ゲーム」1949年制作・所蔵未確認

「シャッフルトンの理髪店」1950年制作・所蔵未確認

「メリー・クリスマス」1950年制作・所蔵未確認

「食前の祈り」1951年制作・所蔵未確認

「鏡の前の少女」1954年制作・所蔵未確認

「息子の旅立ち」1954年制作・ノーマン・ロックウェル美術館所蔵

「婚姻届け」1955年制作・所蔵未確認

「大発見」1956年制作・所蔵未確認

出典元:http://www2.plala.or.jp/Donna/paint-folda/rockwell/runaway.jpg

THE RANAWAY1958年制作・ノーマン・ロックウェル美術館所蔵

「自画像」1960年制作・所蔵未確認

「ニューフェイス」1967年制作・所蔵未確認

*「ノーマン・ロックウェル美術館」

公式サイト:https://www.nrm.org/

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/92/Rockwell_museum.jpg/300px-Rockwell_museum.jpg

インフォメーション:ノーマン・ロックウェル美術館(英語The Norman Rockwell Museum)とは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の西部、バークシャー地方(Berkshires)のストックブリッジ(Stockbridge)に存在するノーマン・ロックウェルの作品を多く収蔵していることで知られる美術館です。ちなみに、ストックブリッジはノーマン・ロックウェルが1953年にやってきて、そのまま1978年に死亡するまで住んでいた由緒ある場所で。この美術館はストックブリッジにある高台に建設されていて、美術館の近くにはノーマン・ロックウェルのアトリエ復元されていますなおノーマン・ロックウェル美術館にはロックウェルのオリジナル作品574所蔵されています。The Saturday Evening Post」誌の表紙を飾った作品や「4つの自由」など、有名作品も多数あります。さらに写真、ファンレター、関連書類など、10万点を超えるゆかりの品も収められています。

*「火事による作品焼失について」

インフォメーション:1943年、自らが吸っていた煙草の火から出火した火災でArlingtonのスタジオを全焼させ、作品の多くを焼失してしまいました。Wikipwdeiaによれば、彼は2000を超える作品を描いたそうですが、火災で多くを焼失し、残った作品のほとんどが美術館の恒久的所蔵品となっているそうです。


5「関連出版物」

タイトル「Norman Rockwell: Behind the Camera

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61UAhL4NyuL.jpg

著者:Ron Schick

基本情報:ハードカバー224ページ・英語版

刊行年:2009

出版元:Little, Brown and Company(2009/10/22)

著書価格:4803円(アマゾン価格)

オンラインショッピング:https://www.amazon.co.jp/Norman-Rockwell-Behind-Ron-Schick/dp/0316006939/ref=pd_sbs_14_7?_encoding=UTF8&pd_rd_i=0316006939&pd_rd_r=220f064e-42e3-11e9-84af-eb63c8ca5b3c&pd_rd_w=5uIw8&pd_rd_wg=6d7nB&pf_rd_p=ad2ea29d-ea11-483c-9db2-6b5875bb9b73&pf_rd_r=CRHR5GHSVNMEF4485GEV&psc=1&refRID=CRHR5GHSVNMEF4485GEV

タイトル「Norman Rockwell 1894-1978: America’s Most Beloved Painter (Basic Art 2.0)

出典元:https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71k0ATZ4iQL.jpg

著者:Karal Ann Marling

基本情報:ハードカバー95ページ・英語版

刊行年:2017/6/20

出版元:Taschen America Llc

著書価格:1855円(アマゾン価格)

オンラインショッピング:https://www.amazon.co.jp/Norman-Rockwell-1894-1978-Americas-Beloved/dp/3836532042/ref=pd_sbs_14_9?_encoding=UTF8&pd_rd_i=3836532042&pd_rd_r=220f064e-42e3-11e9-84af-eb63c8ca5b3c&pd_rd_w=5uIw8&pd_rd_wg=6d7nB&pf_rd_p=ad2ea29d-ea11-483c-9db2-6b5875bb9b73&pf_rd_r=CRHR5GHSVNMEF4485GEV&psc=1&refRID=CRHR5GHSVNMEF4485GEV