日本のヒーリングスポット「滋賀・高島」/2018年7月更新

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日本のヒーリングスポット「滋賀・高島」

戦国時代、織田信長の甥である織田信澄が築城した大溝城の城下町として発展しました。今でも古い家並や町割用水路など、城下町の面影を残しています。また、南玄関口には琵琶湖の中に宋塗り鳥居が立っており、近江の厳島と言われ、長寿の神として知られている自髭神社があります。また、高島は優れた近江商人を輩出した土地でもありました。中でも、近世から近代初頭にかけて活躍した「小野組」は有名で、明治時代には、三井組と肩を並べるほどの豪商でした。大溝の街角には、今もどっしりした商家の建物が残り、当時の繁栄ぶりをしのばせています。 最近では、商家を改造した「びれっじ」も開館。観光客の人気のスポットになっています。

≪参考サイト:https://takashima-kanko.jp/

 

 

白髭神社

市内から国道161号を通って南へ向かうと、大津市に入る少し前の左手に広がる琵琶湖中に、ひときわ目を引く、有名な白鬚神社の朱塗りの大鳥居を見ることができます。現在の鳥居は、昭和56年(1981)に、琵琶湖総合開発の補償事業で、国道端から58・2メートル沖に建立されたものです。高さが湖面から12メートル、柱幅は7・8メートルという巨大なもので、湖中にそびえ立つ鳥居の背後に、琵琶湖最大の島である沖ノ島がうっすらと浮かぶ美しい光景は、高島市を代表する景観ポイントの一つです。特に、琵琶湖側から太陽が昇る日の出の時間帯や、湖面と鳥居が青空に映える季節には、たくさんのカメラマンが湖岸に並びます。

住所:滋賀県高島市鵜川215

電話:0740-36-1555

URL:http://shirahigejinja.com/

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出典元:http://network.biwako-visitors.jp/

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出典元:http://network.biwako-visitors.jp/


小野組

明治初期の政商が小野組です。小野組の始まりは近江から出た糸割符商人であり両替商でした。小野家は、琵琶湖西の大溝(現滋賀県高島町)からみちのく南部(岩手県)へ進出しました。南部地方の大豆や生糸・紅花・漆・大小豆・砂金などを京都や大阪、上方へ持ち込んで商うためでした。また上方からは、古着・茶・薬・砂糖・傘・京人形・呉服・扇子・線香などを南部地方へ運びました。1695元禄8年、冷害と大暴風雨による大飢饉で餓死者4万人が出た際、南部藩は盛岡城下の商人らに救済費御用金を命じ小野家もこれに応じました。その後、南部藩は領内産金が衰微し、商人の御用金(借上げ金)に頼ることが多くなっていきました。 天保年間、南部地方は大飢饉と不況が尾をひき、藩財政は極度に逼迫、莫大な御用金が商人に課せられました。当時、小野家も危機的なほど負債を抱えていたので藩財政から手を引き追放処分になった経緯があります。翌年、追放は解除されましたが内部のギクシャクが影を落としました。1868慶応4年、王政復古の大号令。戊辰の戦に小野組・三井組・島田組の三家で新政府軍に二千両献金しています。そのほか、政府の会計基金300万両を調達するため、小野組と三井組は大きな役割を果たしました。1868明治元年、小野組当主・小野善助は三井組・島田組とともに明治新政府の為替方を命ぜられ政府の為替方として活躍しました。1872明治5年、三井小野組合銀行(のち第一国立銀行)を創設。取扱官金の借入で、東京築地・福島に製糸工場、阿仁・院内の鉱山や製紙経営など事業を開発拡大しています。こうした官金を利用した経営拡大、各府県の為替方として勢力をふるう小野組に対し政府は、官金預り額に相当する担保をだすよう迫ります。結局、短期間に貸金回収や不動産売却は不可能となり小野組は破綻し、1874明治7年、島田組と共に小野組は破産に至りました。


≪町並み≫

海津地区

マキノ町の東部、海津は西近江路と湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり港町です。湖岸には、風や波から家を守るために延々と続く石積みが残されており、独特の風景を形成しています。この石積みは、江戸時代に、この地の代官の西与一左ェ門(にしよいちざえもん)によって作られた古いもので、まるで城壁を思わせる立派なものです。宿場町、港町として栄えた時代を偲ばせる風景を形成しています。 この地区の水辺景観が全国で5番目の重要文化的景観に選定されています。

住所:滋賀県高島市マキノ町海津

電話:(社)びわ湖高島観光協会 TEL:0740-33-7101

出典元:https://takashima-kanko.jp/spot/uploads/14102.jpg

市場地区

朽木(くつき)の市場地区は鎌倉時代から続く陣屋町でもあります。街道が直角にカーブしているのが特徴で、今では小浜と京都を結ぶ「鯖街道」の宿場町として有名です。鎌倉時代には荘園が置かれ、朽木氏による支配下にありました。朽木氏は関ヶ原の合戦にあたって徳川方についたこともあってこの谷筋の支配を強化していきました。1万石にも満たない旗本でありましたが江戸への参勤交代も行われたといいます。地図を見るとこの地区の独自性がわかります。 朽木の中心集落・市場には古くから町が開けていたらしい色が感じられ、平入りの町家建築や一部には茅葺の旧家も見られます。

住所:滋賀県高島市朽木市場

電話:(社)びわ湖高島観光協会 TEL:0740-33-7101

出典元:https://takashima-kanko.jp/spot/uploads/24301.jpg

旧大溝城下町地区

江戸時代(1619年)、伊勢・上野城から移封されて二万石で大溝に着任した分部光信が、城が荒廃していたので城下町の建設に力を注ぎました。通りの中央に水路を通すなど、水の恵みを巧みに利用した城下町形成であったことがうかがえます。城の西北に陣屋が構えられ、現在も城下町の名残りをとどめる陣屋の惣門や武家屋敷の一部、水路などが残っています。また、長刀町、江戸屋町、伊勢町、船入町、紺屋町、職人町、蝋燭町など当時の町名を刻んだ石柱もあります。湖西随一の曳山祭(大溝祭)も残っており、毎年5月4日に本祭が行われています。

住所:滋賀県高島市勝野

電話:(社)びわ湖高島観光協会 TEL:0740-33-7101

出典元:https://takashima-kanko.jp/spot/uploads/24601-2_1.jpg

針生地区

新旭町針江(はりえ)地区は、里山の写真家・今森光彦さんが撮影、2004年1月にNHKハイビジョンスペシャルで放映された映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台となった場所です。地域の綺麗な湧き水を、地域住民は生水(しょうず)と呼び、昔から大切に利用してきました。集落の中を巡る水路やその水を生活用水に利用したシステムを“かばた”(川端)と呼んでいます。このような水の文化、美しい景色、地域の人との触れあいなどを求めて今では日本中、海外よりたくさんの人が見学に見えるようになりました。2008年には「平成の名水百選」にも選定されました。

住所:滋賀県高島市新旭町針江

電話:針江生水の郷委員会 TEL:0740-25-6566

URL:http://harie-syozu.jp/guide

出典元:https://takashima-kanko.jp/spot/uploads/24401_1.jpg

出典元:https://upload.wikimedia.org/

≪次ページ・パート2.もご覧ください≫

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