フォトジェニックな日本の風景/士幌線のアーチ橋梁群・2018年6月更新

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フォトジェニックな日本の風景/士幌線のアーチ橋梁群

廃線の士幌線には多くのエピソードや貴重な建築遺産が存在します。その中には有名な「タウシュベツ橋梁」も含まれます。そこでご紹介します「フォトジェニックな日本の風景/士幌線のアーチ橋梁群」情報です。

≪記事インデックス≫

①「士幌線の歴史」

②「士幌線に架けられた橋」

③「橋梁建築の視点から見たその意味」

④「タウシュベツ橋梁」

⑤「旧士幌線の四季と巡りくる数々の風景」

アイキャッチ画像出典元:http://www.kamishihoro.jp/files/page/00000111_1429860180.jpg


「士幌線の歴史」

「音更川の木材流送」出典元:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/image/sihorose/sihoro_ryusou.jpg

「旧糠平駅」出典元:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/image/sihorose/2014-03-24_2.jpg

≪旧士幌線概要≫:以下参照

士幌線は、1926(大正15)年710日に帯広~上士幌間の38.4kmが開通し、1939(昭和14)年1118日に上士幌 ~十勝三股間39.9kmが開業して全線78.3kmが完成しました。その後、上士 幌~十勝三股間に位置する糠平ダム建設に伴い、ダム湖に沈むルート が湖を沿うように19541955(昭和 2930)年に付替えられました。付替え前を「在来線」、付替え後を「新設線」 と称しています

出典元:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/image/sl/sl1.jpg

≪施設された当時の地域状況≫:以下参照

測量に着手した大正10年の音更・川上両村の戸数は2546戸でしたが、士幌までの開業によって入植者が急速に増え、全線開通時には音更村1732戸、士幌村(大正156月村名改称)1200戸の合計2932戸に増加、人口は両村合わせて17750人となっていました。北十勝の開拓を著しく進めた士幌線はその後、石狩山地を縦断、上士幌と上川を結ぶ鉄道の一部として、昭和9年から十勝三股へ向け延長工事を開始。14118日、37.6キロを新たに開業して全線76キロが完成しました。北部十勝の開拓と、石狩山地南部一帯の森林資源開発を目的とした二度にわたる鉄道の開通で、奥地への入植者がふえ農業と相まって林業が盛んになっていきました。

出典元:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/image/geneki/150221_1.jpg

≪歴史的な歩み≫:以下参照

北海道の鉄道施設は、1896(明治29)年に公布された 『北海道鉄道敷設法』によって建設が進められたましたが、士幌線は当初この計画に入っていませんでした。しかし、1910(明 治43)年から実施された北海道「第1期拓殖計画」の進捗の遅れを取り戻すべく、1916(大正5)年に帯広~上士幌間の「上士幌線」として計画に組み入れられました。 当時、この地域では音更村に約1万人が住み、木野、中士幌、鹿追地区などに開拓者が点在していましたが、その奥地は未開のままでた。1921(大正10)年8月、十勝平野北部開拓の使命を帯びて上士幌線の実測が開始さ れ、翌年には帯広から建設が始まります。工事は順調に進み1926年に完成。開通によって入植者が急速に増え、この地域の人口は約17千人となります。 明治時代末には、革なめしに使用するタンニンを柏の樹皮から採取するため、また肥沃な農地を求め人々は音更川の河岸段丘に入植しました。そして、生活物資や開拓に必要な資材、生産された農作物は上士幌駅に集まります1914(大正3)年頃には3戸の入植者しかいな かった現在の上士幌町でたが、鉄道開通の前後に70軒を超える商店が新規開業しました。周辺の開発が進むにつれ上士幌町は一層の賑わいを見せ、商店だけでなく、事業所や学校、お寺なども建設され、上士幌線は十勝平野北部の資源輸送だけでなく、町や生活文化の形成においても重要な役目を果たします。上士幌線はその後、 石狩山地を横断して上川地方と結ぶ鉄道の一部として、 1934(昭和9)年から延長工事が開始されます。樹海を切り開いた工事1939年に十勝三股までが開通し「音更線」 と呼ばれその後、上士幌線と合わせて士幌線と呼ばれるようになります。しかし1960年代後半から鉄道に平行して国道が整備されると、十勝三股にあっ た製材工場などが上士幌に移転します。さらにその後、木材輸送はトラックに取って代わられ、利用客や貨物 も激減して行きます。やがて十勝三股近郊の住民は10数人になり、1日の利用客が数名にまで落ち込んだことから、1978(昭和53)年に糠平~十勝三股がバス代行化されました。運転再開も考えレールや施設はそのまま残されましたが、結局、士幌線全線が『国鉄再建法』 の下、19873月に廃止されました。


「士幌線に架けられた橋」

「旧国鉄士幌線第二音更川橋梁」出典元:http://kamishihoro.info/data/sg/000000/00/0000000038/img0_l.jpg

国道273号線、ぬかびら源泉郷から南へ4㎞の所にある1936年完成、長さ73mのアーチ橋です。断崖絶壁に沿った川を渡らない陸橋で、とてもきれいな石積み護岸が続き、天然素材とコンクリートが自然と調和している美しい景観を見ることができます。

「旧国鉄士幌線第三音更川橋梁」出典元:http://kamishihoro.info/data/sg/000000/00/0000000036/img0_l.jpg

国道273号線、ぬかびら源泉郷から南へ6.5㎞の所にある1937年完成、長さ71mのアーチ橋です。鉄筋コンクリートアーチ橋としては北海道一の大きさを誇る美しい橋です。桜と釣りの名所泉翠峡という景勝地にかかり、元小屋ダムの静かな湖面に影を落としています。

「旧国鉄士幌線第四音更川橋梁」出典元:http://kamishihoro.info/data/sg/000000/00/0000000037/img0_l.jpg

国道273号線、ぬかびら源泉郷から南へ4㎞の所にある1936年完成、長さ91mのアーチ橋です。音更川に架かるところは36mの鉄の桁橋でしたが、今は撤去されています。残ったアーチ橋には木が生い茂り、年月を感じさせます。

「旧国鉄士幌線第五音更川橋梁」出典元:http://kamishihoro.info/data/sg/000000/00/0000000035/img0_l.jpg

国道273号線、ぬかびら源泉郷から13㎞の所にある1937年完成、長さ109mのアーチ橋です。国道橋と高さがそれほど変わらず非常に見やすい橋です。また紅葉の時期はバックの山々が赤や黄色に色好きコラボレーションが素敵です。

旧国鉄士幌線十三の沢橋梁は1938年に完成した橋長58mのアーチ橋です。十三の沢林道入口より1kmほど奥に入ったところにあります。登録有形文化財です。

「旧国鉄士幌線五の沢橋梁」出典元:http://kamishihoro.info/data/sg/000000/00/0000000031/img0_l.jpg

国道273号線、ぬかびら源泉郷から6㎞の所にある1955年完成、長さ7mの小さいアーチ橋です。冬は糠平湖上でのワカサギ釣り場へのアクセスポイントとなっています。

 

「旧国鉄士幌線糠平川橋梁」出典元:http://kamishihoro.info/data/sg/000000/00/0000000032/img0_l.jpg

ぬかびら源泉郷の中心から歩いて15分ほどの所にある1955年完成、長さ63mのアーチ橋です。温泉街からほど近く、上を歩いて渡ることができ、又橋を下から眺められ、多様な楽しみ方のできる橋です。

架橋橋梁数:「67橋梁」

その詳細≫:以下参照

19341939(昭和914)年に建設された上士幌~十勝三股間は、大小合わせて36の橋梁が建設されました。この新線で建設された31橋梁も合わせると、実に67もの橋梁が建設されました。物資が少ない時代でありながら、しかも冬季は雪により建設休止となるにもかかわらず、短期間で完成しました。そして在来線で27橋、新設線で20 橋と、そのほとんどがコンクリートアーチ橋で


「橋梁建築の視点から見たその意味」

出典元:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/image/archkj/040205-05.jpg

「黒曜石」出典元:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/image/kokuyouseki.jpg

≪設計工事面の価値≫:以下参照

1937(昭和12)年に『音更線混凝土拱橋工事概要』が発刊されており、混凝土拱橋とはコンクリートアーチ橋のこ とです。それによると当時、鉄道で建設される橋梁は鋼桁のものが一般的でした。しかし東京や大阪の工場で造られた鋼桁を輸送するには、音更は遠く、かつ山間部を運ぶとなると、輸送コストがあまりにも高く不経済でした。そこで現地で採れる砂利などを利用したコンクリートアーチ橋を建設することとなりました。北海道は良質な黒曜石の原産地があることで知られ、中でも十勝三股は北海道の四大産地の一つで。現存する旧士幌線 コンクリートアーチ橋の表面には、 コンクリートの粗骨材に混じった黒曜石を見つけることができます。 またコンクリートアーチ橋のほとんどが径間長10mとなっていますが、これはアーチ一つをモジュール化することで、設計や施工の簡略化を図った結果です。さらに常に圧縮力がかかるアーチ部には引張に抵抗するための鉄筋が不要で、側壁のみ鉄筋コンクリートとすれば良く、結果的に計画全体の使用鉄筋量が少なくてすみ、工事費の低減につながっています難工事であったことは予想できますが工事オペレーションの面からは技術の粋を結集した工事であったといえます。

出典元:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/image/archkj/040205-61.jpg

≪土木工事面の実態≫:以下参照

鉄道が完成し、一本の道路もない未開の地であった十勝三股は町と結ばれ、道内屈指の木材産地と して発展していきました。 しかし工事の実態は、未踏の地であったことから、測量さえも困難を極めたことは容易に想像できます。沿線は北上するにつれて十勝平 野の広大な河岸段丘も狭まり、そこから海抜6001,000m 級の東大雪の山々に囲まれた盆地へ続く音更川の険し い渓谷が始まります。そのため25‰の急勾配と最小曲線半径200mという計画となります。また建設資材の輸送にも苦労を伴いました。 音更線全工区の請負業者は合資会社栗原組で、コンク リートアーチ橋の建設は、栗原組の下で数々の鉄道建設工事に携わってきた丹野組が施工しました。そして施工効率を向上したとされるのが、丹野組の飯塚栄三郎が開発 した丹野式混凝土巻上機です。これはコンクリートなどを高さのある橋上に運ぶ装置で、コンクリートを入れた箱を、油を塗ったレール上を滑らせながら巻上げ、所定の位置に到達した時に中のコンクリートが出るものです。素朴で単純な装置ですが、その効果は大きく、その後も別の林道工事などで使用されました。この鉄道のコンクリートアーチ橋工事の成功以降「アーチ橋の丹野組」と言われたそうです。

・「現地での資材調達」

・「多くの橋を径間長10mのアーチとしてモジュール化」

・「現場の作業効率を上げる混凝土巻上機の開発」

これらが組み合わさり、さらに現場の多くの作業員たちが「北の大地の開拓」に情熱をかけて懸命に従事したことで、これほど多くのコンクリートアーチ橋を5年間という短期間で建設することができたのではないでしょうか。また昭和初期にもかかわらず、音更川の渓谷美との環境調和を考慮した結果「アーチ橋」と言うデザイン選択したことは秀逸と言えるのではないでしょうか。さらにその先見性には敬服します。当時、将来増えると想定された山岳鉄道線や人口希薄地における鉄道敷設で、コンクリートアーチ橋の有効性を推進する視点を有しており、そのテストケースとして、士幌線における導入を試みた ものでした


「タウシュベツ橋梁」

「晩秋に沈みゆく橋」出典元:http://www.guidecentre.jp/_src/sc1936/dscn5073.jpg

「同」出典元:http://www.guidecentre.jp/_src/sc1972/imgp0067.jpg

1月に出現する橋」出典元:http://www.guidecentre.jp/_src/sc2084/imgp0055.jpg

「雪原の橋」出典元:http://www.guidecentre.jp/_src/sc2405/img_3335.jpg

「雪解けの橋」出典元:http://www.guidecentre.jp/_src/sc2627/img_7479.jpg

「新緑の橋」出典元:http://www.guidecentre.jp/_src/sc2884/dscn6075.jpg

「秋の橋」出典元:http://www.guidecentre.jp/_src/sc3141/dscn7082.jpg

立地所在地:北海道河東群上士幌町ぬかびら温泉郷

問合せ:0156477272(上士幌町観光協会)

ガイドセンター公式サイト:http://www.guidecentre.jp/

所在地:0801403北海道河東郡上士幌町ぬかびら温泉郷北区44-3糠平温泉文化ホール

電話:0156442261NPOひがし大雪自然ガイドセンター

現在の管理保有者:電源開発株式会社

完成年度:1937年(昭和12年)

≪注目される要因≫:以下参照

1937年に完成した全長130mのコンクリートアーチ橋で、ダムの水が少ない1月頃から凍結した湖面にその姿を現し、水位が上昇する5月頃から沈み始め、夏頃には湖底に沈みます。このように季節によってその姿が見え隠れするアーチ橋は日本でここだけで、それが幻の橋と言われる所以でもあり、この現象が橋の人気の大きな要因になっています。

≪今後の問題≫:以下参照

糠平ダムの建設前の在来線に位置していたタウシュベ ツ川橋梁は、廃線とともに線路は撤去されたものの、利用価値のない橋梁自体は残され、糠平湖の湖底に水没しました。しかし、糠平湖は季節によって水位が大きく変化するため、タウシュベツ川橋梁は水没と出現を繰り返しています。冬季は厳 しい寒さとなる地でもあることから、コンクリート内部に浸入した水の凍結融解作用によりアーチを形成するコンクリートなどが剥がれ落ち、何とも形容しがたい独特の美し い外観を見せるようになっています。また20039月の十勝沖地震で一部が崩落して強度を保てない状態になり、橋自体への進入は禁止となっていますおそらく、このままの状態が続くと近い将来、タウシュベツ橋梁は消滅の運命にあると言えそうです。橋は消えても、その映像とそこに暮らした人々の暮らしの記憶は脈々と残るであろう・・・と言った論評も目にしますが、果たして、この状態を看過していいものか真剣に考えたいものです。

≪見学方法≫:以下参照

基本的に二通りしかありません。

1.ぬかびら源泉郷から旭川方面に8km進んだ地点にあるタウシュベツ展望台から眺める。
2.
ひがし大雪自然ガイドセンターの有料ツアーを利用して橋の近くまで行く。

タウシュベツ川橋梁の個人見学は禁止事項が数多く存在しますので、ひがし大雪自然ガイドセンターへのツアー参加がお勧めです。詳しくは上記「ひがし大雪自然ガイドセンター」までお問い合わせください。(上記電話番号を参照ください)

なお1.の場合、公共交通機関で最も近いのは旭川~帯広間の都市間バスの利用でノースライナー」を利用し、五ノ沢停留所から歩いて20分ほどで展望台まで行けます。バスが11往復しかないので、ルートは必然的に限られます。バス利用の事例としては・・

<行き>札幌⇒旭川(JRあるいは高速バス)、旭川駅前1030⇒五ノ沢1254
<帰り>五ノ沢1543⇒旭川駅前1810 旭川⇒札幌(JRあるいは高速バス)
札幌~旭川間はJR特急で1時間20分、高速バスで2時間30分です。運賃はJRだと往復Sきっぷを利用して4,940円、高速バスは3,750円です。旭川~五ノ沢間のバスは要予約です、運賃はHPに明示されていませんが片道2,300円くらいです。2018年の最新情報ではありませんので予約も含めて下記ホームページを参照確認をお願います。

北海道拓殖バス公式サイト:https://www.takubus.com/

参考サイト:http://arch-bridge.sakura.ne.jp/outline.htm

参考サイト:http://www.guidecentre.jp/pg278.html

参考サイト:http://kamishihoro.info/sg_detail.php?id=36

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