![3-0005-B-5-1024x682[1]](https://bonvoyagejapan.com/wp-content/uploads/2018/08/3-0005-B-5-1024x6821-678x381.jpg)
いつか見た青い空・懐かしい屋並みの風景
全国各地には日本らしい佇まいの風景が散在しています。そもそもは城下町・港町・宿場町と、様々でその景観はいろとりどりです。そこでご紹介します「いつか見た青い空・懐かしい屋並みの風景」です。
≪ノミネートリスト≫
1「青森・黒石の商家の家並」2「秋田・小坂町の洋館群」3「宮城・登米地区の城下町跡」4「茨城・真壁の城下町家並」5「千葉・佐原の家並」6「山梨・赤沢地区の家並」7「群馬・小幡の家並」8「三重・関宿の宿場家並」9「福井・熊川宿の家並」10「愛知・有松地区の家並」11「奈良・五條の新町通り」12「大阪・堺の黒山地区の家並」13「大阪・富田林の寺内地区の家並」14「和歌山・湯浅町の家並」15「徳島・美馬市脇町の家並」16「岡山・真庭市勝山地区の家並」17「鳥取・倉吉の商家家並」18「大分・日田豆田地区の家並」19「熊本・山鹿の宿場跡」20「長崎・島原の鉄砲町屋敷」
1「青森・黒石の商家の家並」
参考サイト:http://www.city.kuroishi.aomori.jp/Sight_Seeing/Sig_Komise_Dori.html
出典元:http://www.city.kuroishi.aomori.jp/Sight_Seeing/Image/Sig_Map2.jpg
基本インフォメーション:「日本の道百選」にも選ばれた伝統的建造物が残る中町通りの「こみせ」は藩政時代から今に残るアーケード状の通路です。現在もまとまった形で残されているのは、全国的にも類例がないといわれ、平成17年には「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。夏は暑い日差しを遮り、冬は吹雪や積雪から人を守り、軒を連ねていた旅篭や呉服屋、商家にとってはなくてはならないものでした。国の重要文化財「高橋家住宅」、造り酒屋、蔵などが並ぶ風景は、いにしえを彷彿とさせてくれます。
エリア住所:青森県黒石市中町界隈
問合せ:0172-52-2111(黒石市商工観光部観光課)/0172-52-3488(黒石観光協会)
そもそもの地域特性:「商家の家並群」
お薦めスポット①「高橋家住宅」
参考サイト:https://www.jalan.net/kankou/spt_02204ae2180022095/
出典元:https://www.jalan.net/jalan/img/2/spot/0022/KXL/02204ae2180022095_1.jpg
インフォメーション:国の重要文化財に指定されている「高橋家」は、江戸時代中期に建築され、築270年以上経過している商家の住宅です。代々「理右衛門」を名乗り、黒石藩御用達の商家でした。主に米を扱ったことから屋号は「米屋」といい、米だけでなく味噌や塩、油、薬などの販売・製造もしていたといわれています。 高橋家住宅の見学は無料ですが、所有者が住まわれている個人住宅ですので、限られた期間、場所だけの公開になります。また冬期間(12月~3月)は非公開す。それ以外の期間でも公開できない場合がありますので、ご了承下さい。
所在地:〒036-0377 青森県黒石市中町38こみせ通り
問合せ:0172-52-5374
お薦めスポット②「鳴海家住宅(鳴海醸造店)」
公式サイト:http://narumijozoten.com/
出典元:http://narumijozoten.com/wordpress/wp-content/themes/kikunoi-2017/images/home/story-image-tradition-06-l.jpg
インフォメーション:鳴海家はもともと文化3年(1806年)に創業された造り酒屋で、南八甲田の伏流水から湧き出た井戸水、周辺の豊かな田園から厳選された酒米、そして創業二百年の伝統の技によって生まれる清酒「菊乃井」の蔵元です。屋号は「稲村屋」ですが、一般には「菊乃井」の名前で知られます。主家の他に作用場と蔵が通り土蔵で繋がっています。
所在地:〒036-0377 青森県黒石市中町1−1
問合せ:0171-52-3321
お薦めスポット③「佐藤酒造」
参考サイト:http://www.ram.co.jp/webram/kako/20180128/kakoindex.html
出典元:http://www.ram.co.jp/webram/kako/20180128/d312-kyuka.jpg
インフォメーション:佐藤酒造は明治27年(1984)創業で、主屋は木造二階建て切妻、妻入り、金属板葺き、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げの大型町屋建築で1階道路側には黒石市の町屋の特徴である「こみせ」が見られ雪国の工夫が見られます。敷地間口が広く建物が道路に接していない部分は高塀を立ち上げ「こみせ」が隣接する建物の「こみせ」と連続するようになっていて黒石市の町並みの景観を作り出しています。さらに敷地背後には11棟の蔵が建ち並んでいます。主屋正面には甕形の酒林(杉玉)が銅瓦棒葺きの切妻屋根に吊り下げられ、酒造建築を印象付けています。
所在地:〒036-0387 青森県黒石市大字元町7
問合せ:0172-52-2803
2「秋田・小坂町の洋館群」
小坂町観光協会公式サイト:http://www.town.kosaka.akita.jp/event/kankoevent.html
参考サイト:http://kosaka-mco.com/publics/index/71/
「旧小坂鉱山病院記念棟」出典元:http://www.town.kosaka.akita.jp/yukei/image/0000000195002.jpg
基本インフォメーション:小坂町はかつて東洋一の銅山として栄えた町です。「明治百年通りの遊歩道」には、その繁栄を物語る数々の洋館が建ち並んでいます。わずか500mの間に国重要文化財をはじめ、明治期からの近代化遺産が多く残されています。小坂の人々が大切に保存して活用してきた証です。明治の初め、遠くヨーロッパ諸国から招かれ、先進の技術を伝えたお雇い外国人、そして東洋一の銅山へと発展する町に全国からやってきた多くの家族が、先進都市・小坂で暮らしていました。文明開化の面影をたどる、明治の街並み散策をどうぞお楽しみください。
エリア住所:秋田県鹿角郡小坂町一帯
問合せ:0186-29-3908
そもそもの地域特性:「鉱山町」
お薦めスポット①「小坂鉱山事務所」
参考サイト:https://www.jalan.net/kankou/spt_05303ae2180021899/?screenId=OUW3701
出典元:https://www.jalan.net/jalan/img/1/spot/0021/KXL/05303ae2180021899_2.jpg
出典元:https://www.jalan.net/jalan/img/1/spot/0021/KXL/05303ae2180021899_3.jpg
インフォメーション:明治38年に建てられたモダンな洋風建築で木造三階建、内部のラセン階段が眺められます。2001年4月28日移築され復元オープンされました。館内にはレストランや売店がありドレス等の衣装レンタルも行っています。力溢れるルネッサンス風の洋館で、明治の貴婦人を体験してみてはいかがでしょうか。モダン衣裳室では5号から17号まで、100着以上のドレスのほか、男性用タキシードや子供用ドレスも用意されています。ご家族お揃いで旅の思い出に是非お楽しみください。
所在地:〒017-0202秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館48-2
問合せ:0186-29-5522
お薦めスポット②「康楽館」
参考サイト:http://www.town.kosaka.akita.jp/korakukan/index.html
出典元:http://www.town.kosaka.akita.jp/korakukan/image/gr33.JPG
インフォメーション:今や全国的に有名な康楽館は、明治43年(1910)に小坂鉱山の福利厚生施設として建設されました。二階建で、定員約800人(当時)。正面のイギリス下見板張の外壁と装飾、客席部の天井に洋風意匠が見られますが、花道、廻り舞台など江戸期に成立した芝居小屋の形式を伝える和洋折衷の様式を持っています。設計者は、当時小坂鉱山工作課で営繕係長(工作課長としている文献もあるが誤り)をつとめた山本辰之助です。 康楽館は、近代の芝居小屋のうち、優れた洋風意匠を取り入れた現存最古のものとして歴史的価値が高く、小坂鉱山と鉱山町の繁栄を物語る遺構として貴重であると認められ、平成14年5月、国重要文化財に指定されました。
所在地:秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山字松ノ下2
問合せ:0186-29-3732
お薦めスポット③「旧聖園マリア園・天使館」
参考サイト:https://www.jalan.net/kankou/spt_05303ae2182034981/
出典元:https://www.jalan.net/jalan/img/4/spot/2034/KXL/05303ae2182034981_1.jpg
インフォメーション:聖園マリア園は昭和6年(1931)、小坂鉱山の協力を得た聖心愛子会が鉱山従業員の子どもたちの保育を目的として設置した幼児教育施設で、平成4年(1992)に新園舎へ移転するまで使われました。建物は木造平屋建でキリスト教に基づいた保育園にふさわしく、西洋風の外観をしています。下見板張りの外壁、縦長の上げ下げ窓,屋根の上の棟飾等、小坂鉱山事務所や康楽館にも負けないデザインが特徴的です。
所在地:〒017-0202 秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山古館35-6
問合せ:0186-29-5522
3「宮城・登米地区の城下町跡」
基本インフォメーション:登米は明治期の建物が沢山残っていますが結構、広範囲に点在しています。旧水沢市庁舎,旧登米警察署,旧登米高等尋常小学校などで、別名「宮城の明治村」と言われます。ちなみに登米市は「とめ」,町名の登米町は「とよま」と読みます。とよまの由来は古代陸奥国遠山(とおやま)村が転訛したものだそうです。
エリア住所:宮城県登米市登米町界隈
問合せ:0220-52-5055(登米市登米総合支所産業建設課)
そもそもの地域特性:「城下町」
お薦めスポット①「警察資料館」
参考サイト:http://toyoma.co.jp/facilities-keisatsu/
出典元:http://toyoma.co.jp/wpcms/wp-content/uploads/2015/11/keisatsu_06.jpg
インフォメーション:警察資料館(旧登米警察署庁舎)は、明治21年(1888)に金成警察署登米分署から登米警察署に昇格したのに伴い、庁舎新築に着工し翌明治22年に落成。設計監督は旧登米高等尋常小学校(現:教育資料館)を手掛けた山添喜三郎氏によるもので、明治の事務所建築としては極めて珍しいもので昭和63年(1988)に県の文化財に指定されました。構造は木造二階建て下見板張り白ペンキ塗り寄棟の瓦葺きで、突き出した玄関の二階はバルコニーとなっています。屋根は切妻造で鬼瓦が載せてあり、ペディメントを形成している。玄関屋根下の白壁には金色の警察紋章が輝いており、柱には堅溝を彫りつけ、イオニア式の柱頭で飾られています。昭和43年(1968)に登米警察署新庁舎の落成に伴い警察署庁舎としての役割を終えた後、商工会が使用。昭和61年(1986)商工会は移転し復元工事が開始され、その復元工事途中に建設当時の留置場の基礎が発見され、本庁舎と併せて留置場を再現し全国でも珍しい明治の留置場が付設されました。翌昭和62年警察関係資料を展示した日本唯一の「警察資料館」として一般に公開されました。
所在地:〒987-0702 宮城県登米市登米町寺池中町3
問合せ:0220-52-2595
お薦めスポット②「看板建築の家並」
参考サイト:http://home.h09.itscom.net/oh-net/miyagiken.html
参考サイト:http://www.sukima.com/16_hanamaki01_04/10buke.html
出典元:http://home.h09.itscom.net/oh-net/toyoma-2.jpg
出典元:http://www.sukima.com/16_hanamaki01_04/10buke11.jpg
インフォメーション:登米町の東のはずれは“九日町通り“と呼ばれる道で、ここは戦前~戦後の商いの中心地です。現在も飲食店や衣料品を売る店が並んでいて、写真のような看板建築もいくつか見ることができます。
所在地:宮城県登米市登米町寺池桜小小路界隈
お薦めスポット③「武家屋敷通り」
参考サイト:http://miyagitabi.com/tome/tomebukeyasiki/
出典元:http://miyagitabi.com/tome/tomebukeyasiki/matinami.jpg
インフォメーション:往時そのままの姿で残る遺構で、かつて全国的に宣伝された多くの武家屋敷は火災にあったり、改築されたりして、今日ではわずかに十指を数えるにすぎませんが、多く見られるのは後小路・前小路の辺りです。小路の通りに面して長い白壁を連ねた武家屋敷が残され往時が偲ばれます。町内の寺池地区に白壁に茅葺き、瓦葺きのどっしりした構えの武家屋敷が並んでいます。町内17、8軒、寺池周辺6、7軒といわれています。現在も住居として使用されているところが多く、ほとんどは一般公開されていません。
所在地:宮城県登米市登米町寺池界隈
問合せ:0220-52-5055(登米市登米総合支所産業建設課)
4「茨城・真壁の城下町家並」
参考サイト:http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000141.html
出典元:http://www.kankou-sakuragawa.jp/data/img/1469688949_8.jpg
基本インフォメーション:真壁の町割りは、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、江戸時代初期の浅野氏時代に完成したといわれています。その時代からほとんど変わらない町割りの中に、蔵や門などの歴史的建造物が息づいています。江戸時代から明治・大正にかけて、この地方の文化・産業の中心地として栄え、隆盛を誇った商家の人たちが次々と蔵や門などを建てました。市街地には、300余棟の見世蔵・土蔵・門などがあります。平成22年6月29日には、この真壁地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。全国で87地区目、関東地方では4地区目、県内では初となります。
エリア住所:茨城県桜川市真壁町界隈
問合せ:0296-55-1159
そもそもの地域特性:「城下町」・「木綿流通の拠点」
お薦めスポット①「伊勢屋旅館」
参考サイト:http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000136.html
出典元:http://www.kankou-sakuragawa.jp/data/img/1404107117_8.jpg
出典元:http://www.kankou-sakuragawa.jp/data/img/1404107084_8.jpg
インフォメーション:明治中期に料亭「勢州楼」として建てられ、平成12年に国の登録文化財になりました。中に入ると昔のままの帳場や長火鉢があり、当時の様子が偲ばれます。また屋敷の奥には、現代の名工によって修復された江戸時代の土蔵もあります。テレビや雑誌でもたびたび紹介されるなど、ひな祭り中心に多くの人が訪れてくれており最近では竹蓋年男氏の作品を展示した切り絵展も定期的に開催されています。
所在地:〒300-4408茨城県桜川市真壁町真壁193
問合せ:0296-55-0176
お薦めスポット②「潮田家住宅」
参考サイト:http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000255.html
出典元:http://www.kankou-sakuragawa.jp/data/img/1425627819_7.jpg
インフォメーション:潮田家は筑波山の北に位置する真壁町のほぼ中央にあり、屋号を「鶴屋」と称し、かつては呉服商を営んでいました。見世蔵は明治43年の建築で、通り側に広く帳場を構え、奥に座敷を配する黒漆喰の町屋です。北側には見世蔵1階の帳場に面して観音扉口を設ける袖蔵(明治45年)を持ち、御陣屋前通りに面した商家の構えとして重厚感を感じさせます。見世蔵の西側には渡り廊下で結ばれる別荘(離れ)があり、全体に良質の材料を用い丁寧な数寄屋風に仕上げられています。この別荘は明治期において皇族の宿泊所にあてられていました。脇蔵(明治30年)は見世蔵、袖蔵とやや離れて建ち、袖蔵より建築年代が古く、大規模商家の屋敷構成には欠かせない存在です。これら3棟が一体となって在りし日の呉服商・鶴屋の繁栄を今に伝えるとともに、御陣屋前通りの重要な景観を造っています。*現在は個人所有の住宅です。
所在地:〒300-4408 茨城県桜川市真壁町真壁189(鶴屋商店)
問合せ:029-301-5449(茨城県教育庁総務企画部文化課・有形無形文化財担当)
お薦めスポット③「西岡本店」
公式サイト:http://hananoi.jp/
出典元:http://hananoi.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/DSC_0291-1-878×562-878×561-876×561.jpg
インフォメーション:酒蔵の建物群で店舗は現在も事務所として使用しており、直交する脇蔵(白米蔵)と米蔵(玄米蔵)は展示場として活用しています。西岡本店の銘柄は「花の井」。敷地面積3000坪を擁する土地に事務所蔵・製造蔵・ギャラリー&イベント蔵が立ち並び、酒造の他、国指定登録有形文化財の蔵を活用した「吉川忠英 震災復興ライブ」をはじめ「真壁のひなまつり」やプロ作家による芸術展など、様々なイベントを開催しております。
所在地:〒300-4411 茨城県桜川市真壁町田6-1
問合せ:0296-55-1171
5「千葉・佐原の家並」
参考サイト:https://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000161882/
出典元:https://cdn.jalan.jp/jalan/img/4/kuchikomi/3134/KXL/db1cd_0003134663_2.jpg
基本インフォメーション:水運を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた佐原。人々は江戸の文化を取り入れ、更にそれを独自の文化に昇華していました。その面影を残す町並みが小野川沿岸や香取街道に今でも残っています。このような歴史景観をよく残し、またそれを活かしたまちづくりに取り組んでいることが認められ、平成8年12月、関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されました。佐原の「重伝建」は昔からの家業を引き継いで今も営業を続けている商家が多く「生きている町並み」として評価されています。
エリア住所:〒287-0003千葉県佐原市佐原界隈
そもそもの地域特性:「商家群」
お薦めスポット①「樋橋(トヨハシ)」
参考サイト:https://www.jalan.net/kankou/spt_12236af2172072750/
出典元:https://cdn.jalan.jp/jalan/img/1/kuchikomi/3321/KXL/a8c99_0003321717_1.JPG
インフォメーション:伊能忠敬旧宅前にある小野川にかかる橋です。もとは江戸時代の前期につくられた佐原村用水を小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋でした。300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので「じゃあじゃあ橋」の通称で親しまれていました。今の橋は観光用につくられたもので30分ごとに落水させています。この樋橋の落水は「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
所在地:千葉県香取市佐原
問合せ:0478-50-1212(香取市商工観光課観光班)
お薦めスポット②「小野川沿い」
参考サイト:https://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000161882/?screenId=OUW3701
出典元:https://cdn.jalan.jp/jalan/img/2/kuchikomi/4342/KXL/90a5c_0004342092_1.JPG
出典元:https://cdn.jalan.jp/jalan/img/4/kuchikomi/2124/KXL/c8e6d_0002124054_1.JPG
インフォメーション:江戸時代から明治年間にかけての古い商家や町屋が,小野川や街道沿いに建ち並んでいます。1892(明治25)年の大火以前に建てられた江戸時代および明治前期の建物が63棟,大火後の明治後期の建物が70棟存在します。なお国選定・重要伝統的建造物群保存地区となっています。
所在地:千葉県香取市佐原界隈
問合せ:0478-50-1212(香取市商工観光課観光班)
お薦めスポット③「中村屋商店」
参考サイト:http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/7601
出典元:http://maruchiba.jp/katori/spot/images/16977_max.jpg
インフォメーション:中村屋商店は店舗兼住宅で安政2年(1855年)の建築です。3階建ての土蔵は明治25年(1892年)の大火後の建築です。明治7年(1874年)頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきた中村屋商店は正面の交差した道路に沿った変形の敷地であるため、母屋の隅の柱を五角形断面にし、内部の架構に工夫をこらし、間取りも変形平面の部屋を設けるなどされています。全体として一階に店舗と台所を、二階には座敷を設けたよくまとまった平面構成となっています。平成5年(1993年)2月26日に千葉県の有形文化財に指定されました。
所在地:〒287-0003 千葉県香取市佐原イ1720
問合せ:0478-55-0028
6「山梨・赤沢地区の家並」
参考サイト:https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/akazawajuku.html
出典元:https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/images/akazawajuku01.jpg
基本インフォメーション:日蓮宗の身延山久遠寺からその信仰の山である七面山へ至る道は、周囲を1000m級の山々に囲まれた険しい土地で、その途中にできた赤沢集落が唯一の宿場として重宝され、近世後半以降、巡礼者で賑いました。標高は500~600m。周囲に1000m級の山々がそびえる土地ゆえ深山幽谷の忘れ去られた村という雰囲気が漂う環境です。ここ赤沢は古来、日蓮宗の総本山である身延山久遠寺と、その奥の院にあたる七面山を結ぶ「身延往還」の中間地にあったため、徒歩で移動するしかない久遠寺と七面山参拝の信者たちの唯一の宿泊の場でした。
エリア住所:山梨県南巨摩郡早川町赤沢界隈
問合せ:0556-45-2511(早川町役場振興課)
そもそもの地域特性:「参拝宿場町」
お薦めスポット①「大阪屋」
公式サイト:http://akasawasyuku.com/
出典元:http://akasawasyuku.com/wp/wp-content/uploads/2017/02/GE0820.jpg
インフォメーション:大阪屋は赤沢の家々の中でひときわ目立つ大形の二階屋になります。天保年間の建築で築180年の時を刻んでおり、現在の主屋は明治15年ごろに講の宿所に適したものにするため、もとの平屋に二階にあげて改造したものです。現在も全部屋が和室になっており、昔ながらの日本の暮らしが体験できます。昔ながらの山間の宿場町「赤沢宿」は、シカやサルの鳴き声以外は聞こえてこない静かな集落です。夜は天気の良い日は満点の星空を見ることができます。目が覚めて扉を開ければ、山や木々に囲まれた大自然。タイムスリップをしたような感覚と、ゆっくりとした時の流れに身をお任せください。
所在地:〒409-2733山梨県南巨摩郡早川町赤沢186
問合せ:0556-45-2012
7「群馬・小幡の家並」
参考サイト:http://www.town.kanra.gunma.jp/sansin/kankou/kanko/02.html
出典元:http://www.town.kanra.gunma.jp/sansin/kankou/sozai/img/bukeyashiki/takahasi01.jpg
基本インフォメーション:甘楽町の小幡地区は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、豪族・小幡氏の根拠地として栄えた場所です。1615(元和2)年に織田信長の次男、織田信雄に上州小幡2万石及び大和国宇陀郡3万石が与えられ、8代152年にわたり織田家が支配した後、松平氏が入封し明治維新を迎えました。1959(昭和34)年に小幡町・福島町(一部富岡市に合併)・新屋村が合併し、現在の甘楽町が誕生しました。古い建物が数多く残っているうえ、織田信雄らの墓が残されており織田信長が亡くなって以降の織田家を語る上では欠かせない場所となっています。
エリア住所:群馬県甘楽郡甘楽町小幡地区界隈
問合せ:0274-74-3131(甘楽町役場商工観光係)
そもそもの地域特性:「城下町」
お薦めスポット①「信州屋」
参考サイト:http://www.town.kanra.gunma.jp/kanko/spot/sinsyu/index.html
出典元:http://www.town.kanra.gunma.jp/s-busan/busan/news/IMG_1447.JPG
出典元:http://www.town.kanra.gunma.jp/s-busan/busan/news/DSC_0283.JPG
インフォメーション:信州屋は、明治時代後期に信州から移転してきた宮嶋九十氏の息子、仁三郎氏が建てた建物です。蔵に普請帳が残されていたことから、明治38年に竣工したことが分かっています。宮嶋氏は、小幡の地で呉服などを扱う商店、質屋として「信州屋」を創業しました。以降、薬や煙草、雑貨などを扱う商品を少しずつ変化させながら、地域の生活を支える商店として営業を続けました。大正から昭和期に入ると信州屋では商店を営みながら養蚕も行うようになりました。信州屋には、この頃の炉や天窓の痕跡があります。また、昭和初期には、母屋の隣に別棟で宮嶋商店が建てられ、当時としてはハイカラだった自転車が販売されていました。
所在地:群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡7
問合せ:0274-74-6061
お薦めスポット②「楽山園」
参考サイト:http://www.town.kanra.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/map/20120330191558.html
出典元:http://www.town.kanra.gunma.jp/kyouiku/bunkazai/sozai/img/natu.JPG
インフォメーション:楽山園は、江戸時代初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園です。池泉回遊式の借景庭園で「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する過渡期の庭園と位置付けられ、京都の桂離宮と同じ特色があります。景石の置かれた池を中心として「中島」や「築山」を築いて起伏のある地形を造り出し「梅の茶屋」や全国的にも珍しい五角形の形状をした「腰掛茶屋」など複数の茶屋を配し、それらを巡る園路にも工夫を凝らしています。借景庭園としても秀逸で、庭園の西側にある雄川をはさんで紅葉山、南方の連石山、熊倉山などの山並を借景として取り込み、豊かな広がりを演出している空間構成は庭園美の極みといえます。楽山園という名前の由来は「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」という論語の故事から名付けられたと言われています。
所在地:群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡648-2
問合せ:0274-74-4795
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