全国小京都2019

adds by google

ads by google
Pocket

全国小京都2019

古い街並みや風情が京都に似ている日本各地の街の愛称を「小京都」と呼びます。

またそのような愛称を持つ街の全国組織として「全国京都会議」という団体があり、様々な加盟基準が運営されています。そこでご紹介します「全国小京都2019」情報です。

概要:

1「宮城県柴田郡村田町」(宮城の小京都)

2「秋田県角館市」(みちのくの小京都)

3「栃木県足利市」(東の小京都)

4「埼玉県比企郡小川町」(武蔵の小京都)

5「茨城県古河市」(関東の小京都)

6「新潟県加茂市」(越後の小京都)

7「長野県飯山市」(北信濃の小京都)

8「富山県城端町」(越中の小京都)

9「岐阜県八幡町」(奥美濃の小京都)

10「静岡県周智郡森町」(遠州の小京都)

11「愛知県西尾市」(三河の小京都)

12「兵庫県丹波篠山市」(丹波の小京都)

13「兵庫県出石町」(但馬の小京都)

14「兵庫県龍野市」(播磨の小京都)

15「島根県鹿足郡津和野町」(西の小京都)

16「岡山県津山市」(中国山中の小京都)

17「岡山県高梁市」(備中の小京都)

18「広島県尾道市」(瀬戸内の小京都)

19「山口県山口市」(西の小京都)

20「愛媛県大洲市」(伊予の小京都)

21「高知県中村市」(土佐の小京都)

22「福岡県甘木市」(筑前の小京都)

23「熊本県人吉市」(熊本の小京都)

24「大分県日田市」(豊後の小京都)

25「宮崎県那珂郡飫肥町」(九州の小京都)

26「鹿児島県知覧町」(薩摩の小京都)


「小京都」概要:

(*ウィキペディアより)

概要:小京都とは、古い町並みや風情が京都に似ている、日本各地にある街の愛称・別称です。 明治以降の開発や災害、太平洋戦争下の空襲を免れて、江戸時代以前のたたずまいが残る街が日本各地にありますが、このうち景観などが京都に似ている地区が「小京都」と呼ばれます。小京都と呼ばれる地域が集まる団体「全国京都会議」は、加盟条件の一つに「京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがある」ことをを掲げ、1988年(昭和63年)の第4回総会で加盟基準が次のように定めました。

  • 京都に似た自然と景観
  • 京都との歴史的なつながり
  • 伝統的な産業芸能があること

以上3つの要件の1つ以上に合致しておれば常任幹事会で加盟を承認されます


1「宮城県柴田郡村田町」(宮城の小京都)

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E7%94%BA

参考サイト:https://kumamemo.com/murata/

出典元:https://kumamemo.com/wp-content/uploads/2015/06/DSC04570s.jpg

基本情報:村田町は、宮城県柴田郡にある町です15世紀に村田城が築城され、江戸時代に水運を生かして仙南地方における紅花の集積地となって栄えました。中心市街地には、「なまこ壁」が多く用いられた「店蔵」(たなぐら)と呼ばれる土蔵造りの店舗と豪壮な表門とが並ぶ古い町並みが残っており、7.4ヘクタールの区域が2014年(平成26年)918日付けで国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。また、「みちのく宮城の小京都」としても知られる。その他、「スポーツランドSUGOを有しており、町内の一地名である「菅生」「SUGO」はモータースポーツ界では鈴鹿と並び非常に有名で

主要なスポット:以下参照

「蔵の街並み」

参考サイト:http://www.town.murata.miyagi.jp/kanko/kankou_shisetsu/kuranomachi/index.html

出典元:http://www.town.murata.miyagi.jp/kanko/kankou_shisetsu/kuranomachi/img/02.jpg

出典元:http://www.town.murata.miyagi.jp/kanko/kankou_shisetsu/kuranomachi/img/01.jpg

概要:仙台と山形を結ぶ街道の分岐点として、商都の賑わいをみせた「村田」。村田商人は、紅花や藍を仙南地方で買い集め、江戸や上方へ運ぶ商取引を行っていました。当時の栄華を伝える豪勢な店蔵が、今も町の中心部に残っています。重厚な店蔵と門が一対となり、連続する景観が印象的で村田の特色といわれています。通りの両側には短冊形の地割りが整然と並び、江戸時代の「町人地」の姿を今に留めています。また、建築様式のみならず、江戸時代に活躍した村田商人の「紅花商い」を通じて、都から様々な文化がもたらされました。

「村田伝統的建造物群保存地区」

参考サイト:http://www.town.murata.miyagi.jp/kosodate/bunkazai/dento_hozonchiku/hozonchiku/index.html

出典元:http://www.town.murata.miyagi.jp/kosodate/bunkazai/dento_hozonchiku/hozonchiku/img/01.jpg

出典元:http://www.town.murata.miyagi.jp/kosodate/bunkazai/dento_hozonchiku/hozonchiku/img/02.jpg

概要:村田における紅花の取引は、遅くとも18世紀初期に始まっており、柴田郡や刈田郡の周辺において生産された紅花を集荷する仙南地方の拠点となっています。村田に集積された紅花は、上方や江戸へと出荷されました。上方への輸送は、笹谷峠を経て山形の大石田で船に積み替え、最上川を下り酒田から日本海を北前船で運んでいます。村田商人は、京都で売った紅花の代金で、帰り荷として上方の物資を大量に購入し、鋸商(のこぎりあきない)を行いました。当時、上方の物資は日本海の航路で運ばれることが多く、酒田や山形と交通の便がよかった村田は、上方と仙南地方を結ぶ中継商業地として繁栄しました。明治22年(1889)に村田郷は近隣の3つの村と合併して「村田村」となり、更に明治28年(1895)には「村田町」となりました。明治15年(1882)頃に化学染料アニリンの普及により、紅花の取り扱いはなくなりますが、その後も江戸時代以来の商品は引き続き扱われ、さらに味噌、醤油、生糸、薪、炭、紡績糸、洋反物、繭などの集散地となります。有力商人の中には、株主や大地主として新たな活路を見出す者もあり、昭和期に至るまで商業地として繁栄を続けました。戦後は経済基盤の変化や生活の近代化、自動車交通網の発展などにより、商業地としての役割は薄れ衰退の一途をたどりましたが、近世から近代にかけて築かれた町並みは姿を留め、当時の繁栄ぶりを今に伝えています。

所在地:村田町大字村田字町の一部

「村田商人やましょう記念館」

参考サイト:http://www.town.murata.miyagi.jp/kanko/kankou_shisetsu/yamasyo_kinenkan/index.html

出典元:http://www.town.murata.miyagi.jp/kanko/kankou_shisetsu/yamasyo_kinenkan/img/01.jpg

出典元:http://www.town.murata.miyagi.jp/kanko/kankou_shisetsu/yamasyo_kinenkan/img/02.jpg

概要:村田商人「やましょう」は、江戸後期から昭和の初期にかけて紅花の取引をはじめ、生糸、綿糸、農産物、味噌醤油醸造販売業などを商いとした町有数の豪商として知られていました。記念館は、往時の面影が残る家並みが連なる表通り(蔵の町並み)にあり、歴史的文化価値の高い建築物で、建物に付随する表門は、薬医門と言って非常に珍しいとされ「やましょう」邸のシンボルでもあります。離れ座敷は、名曲「影を慕いて」の作曲者・古賀政男氏も宿泊したことがあります。 七代当主 大沼正七氏より寄贈されました。

所在地:〒989-1305 宮城県柴田郡村田町191

問合せ:0224-83-2113

開館時間:9001630


2「秋田県角館市」(みちのくの小京都)

参考サイト:http://kakunodate-kanko.jp/about.html

出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/miryoku1.jpg

出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/miryoku4.jpg

基本情報:角館は、秋田県仙北市の地名、および国の重要伝統的建造物群保存地区の名称です。現在も藩政時代の地割が踏襲され、武家屋敷等の建造物が数多く残されており、「ちちのくの小京都」とも呼ばれています。 角館の今に続く町並みをつくったのは芦名(あしな)氏で、江戸時代のはじめ1620年(元和6年)のことでした。その後は佐竹北家の城下町として栄えました。玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれたこの町は、歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい、まさに「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所です。

主要なスポット:以下参照

「内町―武家屋敷群―」

参考サイト:http://kakunodate-kanko.jp/uchimachi.html

出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/utimati1.jpg

概要:元和6年(1620)江戸時代のはじめ、芦名氏により大規模な都市計画が実施され、その後は佐竹北家の城下町として栄えた角館。武家屋敷が立ち並ぶ通りは、「内町(うちまち)」と呼ばれ、現在も江戸時代末期時の屋敷割や、母屋・門・蔵の屋敷構え、枡型など武家町の特性をよく残しています。武家屋敷群の表通りは、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており、文化財として保護されています。保存地区は旧武家町のほぼ中央にあり上・中級武士の武家屋敷にあたるところです。広い通り沿いに塀が連続し、シダレザクラやモミの大木が深い木立を形成しており、当時の暮らしが今も感じられる趣深い空間です。「青柳家」「石黒家」「岩橋家」「小田野家」「小野崎家」「河原田家」「松本家」「旧石黒(恵)家」の八軒が主な建物です。

所在地:参考サイトをご参照ください。

 

「田町武家屋敷通り」

参考サイト:http://kakunodate-kanko.jp/tamachi.html

出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/tamati1.jpg

出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/tamati2.jpg

概要:芦名家が1620年に町造りをした時に、内町の武家屋敷群とは別に、町の南側地区「田町」に80旗の武士が住む事になります。彼らは秋田藩主佐竹氏直臣から禄を貰った武士でした。1656年佐竹北家が角館を治めるようになって、 内町に居を移す者、佐竹北家から禄を貰う者と分れていきます。田町武家屋敷は、国の保存地区に指定されていませんが、昔から残る黒板塀、春の桜、秋の紅葉は、見応えがあります。蔵が5個もある武家屋敷「西宮家」、新潮社の創設者を祈念して建てた「新潮社記念文学館」、田町の「太田家」、田町下丁にある「下新町太田家」の建物の面白さ、そして、武家屋敷通りである事を表す「樅の木」と「門」「黒塀」等、江戸時代から近代までの時代の流れを感じられます。文学的にも「芥川賞受賞者(石坂洋次郎)の母の出身地」「芥川賞受賞者(高井 有一)の関係地」「ルーブル昆虫記の翻訳者の出身地」など興味をそそられるエピソードが盛りだくさんです。

所在地:参考サイトをご参照ください。

「外町」

参考サイト:http://kakunodate-kanko.jp/tomachi.html

「安藤家」出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/tomati3.jpg

「五井家」出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/tomati4.jpg
「坂本家」出典元:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/syoukyouto/tomati5.jpg

概要:「外町(とまち)」は、武家屋敷が立ち並ぶ「内町(うちまち)」と対照的に、商家などの町並みが続き、歴史を感じさせます。安藤味噌醤油醸造元の向かいに太田家があります。太田家は仙北地方の大地主だった家柄で、内蔵のある家屋敷は田町武家屋敷通りまで続いてい田町武家屋敷通りには太田家の洋館が残っています。下新町の「安藤味噌醤油醸造元」は、蔵座敷としては東北地方現存最古のものです。通りに面した蔵は、外町(商人町)の度重なる大火に学び明治24年(1891)に建てられたものです。 五井家は藩政時代の豪商で藩の御用商人でした。呉服、木材、米殻等の商売のあと酒造業に転じ、現在の店舗の奥に酒蔵が内蔵として残されています。この五井家は解体新書の解体図を描いた小田野直武が平賀源内に出会った場所でもあります。江戸時代から続いた商家の蔵の中で往時をしのばせるのが上新町の坂本家です。角館で唯一の店蔵で、二階建の漆喰蔵と角館では珍しい瓦葺きの屋根が特徴的です。

所在地:参考サイトをご参照ください。


3「栃木県足利市」(東の小京都)

参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%AD%A6%E6%A0%A1

出典元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/e/e8/Ashikaga_Ashikaga-School_School_Gate_2.JPG/800px-Ashikaga_Ashikaga-School_School_Gate_2.JPG

基本情報:足利は、栃木や佐野と同じように両毛線沿いにある「関東の小京都」と呼ばれる歴史の街で、地名からもわかるように室町幕府の将軍家「足利家の発祥の地として有名です。足利は鎌倉時代から続く名門ですしたが、弱体化した鎌倉幕府を倒した後、南北朝時代を経て開府しました。日本最古の学校である足利学校がこの地に設立された時期については諸説があり、平安時代とも鎌倉時代ともいわれていますが、室町時代には関東管領の上杉憲実が整備し、全国から学徒を集めました。多いときには全国から三千人の学生が集まり、優秀な人材を輩出したと伝えられています。その名声は、宣教師ザビエルによってヨーロッパにまで届いたほどでした。時代は移り、江戸時代になると学校の性格は変わり、学問の歴史は受け継がれつつ、やがて文化的施設として近代を向かえます(なお、復元された足利学校の建物は江戸時代の絵図を参考にしたもの)。当地での歴史的な建造物としては、尊氏誕生の地があり足利一門の氏寺「鑁阿寺(ばんなじ)」が歴史を感じさせます

主要なスポット:以下参照

「足利学校」

参考サイト:https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/ashikagagakko

出典元:https://www.ashikaga-kankou.jp/files/topics/72_ext_08_0.jpg?v=1485411598

出典元:https://www.ashikaga-kankou.jp/files/topics/72_ext_09_0.jpg?v=1485411598

概要:足利学校の創建については様々な説があります。奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説。しかし、どれが正しい説であるかは現在も解明されていません。足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期です。上杉憲実が関東管領になると学校を整備し、書籍の寄進や庠主(校長)を招き入れ、学生の養成をしました。16世紀の初頭には生徒は三千人を数え、フランシスコ・ザビエルによって海外にも紹介されました。現在の姿は落雷により消失してしまった江戸時代の姿を復元したもので、当時の学徒がどのようなところで勉強していたのかを、皆さんが見学できるように一般開放しております。

所在地:326-0813 栃木県足利市昌平町2338

問合せ:0284-41-2655

参観時間:4月~9月)午前9時~午後510月~3月)午前9時~午後430

休館日:3月曜日年末(1229日~31日)

入館料:一般420円・高校生210円・中学生以下無料

 

「鑁阿寺」

参考サイト:https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/bannaji

出典元:https://www.ashikaga-kankou.jp/files/topics/138_ext_08_0.jpg?v=1487040490

出典元:https://www.ashikaga-kankou.jp/files/topics/138_ext_09_0.jpg?v=1483751504

概要:源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196年)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍(がらん) を建立し足利一門の氏寺としました。寺伝によれば、義兼により開創され、開山は理真上人です。周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000㎡あり鎌倉時代の武家屋敷( 平城) の面影を今に伝えており、 大正113月、「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されています。

所在地:326-0803 栃木県足利市家富町2220

問合せ:0284-41-2627

入場料:寺の境内は、大日苑と呼ばれる都市公園です。入場料は無料です。


4「埼玉県比企郡小川町」(武蔵の小京都)

公式サイト:http://www.town.ogawa.saitama.jp/0000000428.html

参考サイト:https://www.zck.or.jp/site/forum/16663.html#section1

出典元:https://www.zck.or.jp/uploaded/image/7443.jpg

出典元:https://www.zck.or.jp/uploaded/image/7436.JPG

基本情報:以下参照

a「文化と歴史的要件」

国の重要文化財に指定されている日本最古の石造法華経供養塔と板碑が大聖寺にある他、万葉集の研究者として名高い仙覚が、12694月、本格的な万葉集注釈として学問的価値の高い「萬葉集注釈」全10巻をこの小川町で完成させる等、古くからの歴史と文化のある町である。また、1300年の歴史ある手漉き和紙、特に「細川紙」の技術は、国の重要無形文化財に指定されている。※「細川紙」の製紙技術は、平成2611月にユネスコ無形文化遺産に登録された。

b「地理・風土的要件」

小川町は、周囲を緑豊かな外秩父の山々に囲まれ、市街地の中央に槻川が流れ、歴史を秘めて佇む史跡や往時の面影を留める街並みなどの風情、伝統ある夏祭り(祗園祭=訛って、当地では「おぎょん」と呼ばれていた)がある。

c「伝統的産業要件」

1300年の歴史ある手漉き和紙のほか、同じ歴史を持つ「小川絹」や、森林資源を活用した「建具」、全国的に特異な物産「水嚢(すいのう)」、良質な水と盆地独特の気候と酒造りに適した自然環境に恵まれ、関東灘と異名をとった酒造は今でも3軒の造り酒屋があり、鬼瓦などの地場産業を中心に栄えた伝統工芸の町である。

上記の条件などから、平成86月に51番目の会員として認められ、「全国京都会議」に入会いたしました。

主要なスポット:以下参照

「小川和紙」

参考サイト:http://www.town.ogawa.saitama.jp/0000000431.html

出典元:http://www.town.ogawa.saitama.jp/cmsfiles/contents/0000000/431/shashin01.jpg

概要:埼玉の郷土かるたの「お」の札で「折り鶴に 願いを込めて 小川和紙」とうたわれる通り、小川町といえば手漉き和紙といわれるほど、和紙の伝統産業が有名です。そもそも、宝亀5年(774年)の正倉院文書に「武蔵国紙四八〇帳」の紙が納められていたとあり、これが初出の記録とされています。また、承和8年(841年)の太政官府には武蔵国男衾郡(当時の小川地方)の大領であった壬生吉志福正がわが子の中男作物として紙を前納した記載があります。このことから、おそらく小川地方では8世紀にはすでに和紙を生産する体制が作られていたことが推察されます。小川和紙は1300年の歴史があると一般に言われているのは、そのためです。その後、中世には和紙に関わる記録がほとんどなくなり、当時の様子を知ることはできませんが、近世の江戸時代になると、江戸が経済の中心地として飛躍していく中、少しずつ古文書が見つかっていきます。特にこの地方の和紙は「山物」などという表現で記載されていることから、当時の和紙産業の様子がわかってくるようになりました。

小川和紙工業組合:以下参照

所在地:355-0321 埼玉県比企郡小川町大字小川2301

問合せ:0493-72-0079

 

「細川紙」

参考サイト:https://www.zck.or.jp/site/forum/16663.html#section1

出典元:https://www.zck.or.jp/uploaded/image/7438.jpg

概要:細川紙とは、江戸時代に世界的な大都市「江戸」において大人気を博した和紙のことです。起源は紀州(現和歌山県)の高野山麓の細川村において漉かれた「細川奉書」と言われています。これが大阪商人を通じて江戸にほど近い小川町周辺に漉きたてを依頼され、以降「細川紙」の名称で江戸において流通したものと伝えられています。当時、小川の紙漉き職人らは様々な和紙を漉いており、この「細川紙」についても容易にその技術をもって江戸商人たちの需要に応えたものと考えられています。昭和53年(1978年)、細川紙は国の重要無形文化財に指定されています。「団体指定」といい、その技術を保持している職人らによる細川紙技術者協会の名で指定されたものです。細川紙のその要件は、①楮だけで作られていること②伝統的な製法と製紙用具を使用して流し漉きですくこと③細川紙の風合いなどが保たれていること、となっています。ユネスコ無形文化遺産に登録されるための申請については、国(文化庁)が団体指定の3産地(他に島根県浜田市の「石州半紙」、岐阜県美濃市の「本美濃紙」)の和紙で行ったため、個別産地ではなく全体として和紙による登録となりましたが、その内容は3産地そのものでありました。

お問い合わせ先:東秩父村 産業建設課0493-82-1223

「小川町七夕まつり」

参考サイト:https://www.zck.or.jp/site/forum/16663.html#section1

参考サイト:https://www.saitamatsuri.jp/matsuri/ogawa-tanabata/

出典元:https://www.saitamatsuri.jp/57pPw4uUPt/wp-content/uploads/2018/07/IMG_5393-660×440.jpg

出典元:https://www.saitamatsuri.jp/57pPw4uUPt/wp-content/uploads/2018/07/IMG_6581-1024×683.jpg

概要:昭和24年(1949年)、和紙の普及宣伝に危機感を持った小川町の先人達は、和紙をふんだんに使用する祭りを、戦後間もない頃に始めました。それが「小川町七夕まつり」です。当時、機械紙や洋紙に押され、和紙業界は困窮を極めていました。これをいち早く見極めた名誉町民になっている小久保太郎氏らは、仙台の七夕まつりを参考にこの祭りを開催しました。その後の昭和46年(1971年)、同じ夏に町内で行われていた祇園祭を合体させ、さらに大きな祭りに発展させました。その結果、全国的には珍しい「静かな」七夕から「賑やかな」七夕へと変貌を遂げたのです。観光レベルの取組が産業としての小川和紙を支え、文化財の細川紙の技術をつないできました。各種のイベントは多くの人たちに和紙のすばらしさを伝え、地域の方々の誇りを醸成してきました。

問合せ:0493-72-0280 小川町七夕まつり実行委員会事務局(商工会)

主催:小川町七夕まつり実行委員会

会場所在地:355-0328 埼玉県比企郡小川町大字大塚(小川町駅周辺一帯)


5「茨城県古河市」(関東の小京都)

参考サイト:https://www.kogakanko.jp/spot_history

参考サイト:http://commonclub.jp/sh-koga/62

出典元:http://commonclub.jp/sh-koga/wp-content/uploads/2010/10/65039_29-01koga.jpg

基本情報:古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場、河川交通の要所として江戸時代には譜代大名の城下町、日光街道の宿場町として栄えてきました。「古河」は、古く「許我」と表記され、『万葉集』に当時の情景が二首詠まれ、すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺えます。平安時代には、9世紀初め〜10世紀における東日本最大級の“製鉄所”(川戸台遺跡)があり、9世紀後半には「半地下式平窯」(江口長沖窯跡)も発見されており製鉄や窯業の生産拠点でもありました。室町時代後期から戦国時代にかけて古河公方の本拠地であり、江戸時代には古河城の城下町、日光街道の宿場町・古河宿が盛えました。 古河藩領は下総国・下野国・武蔵国に跨り、市域も下総国、千葉県を経て茨城県に編入された経緯があることから、旧常陸国、水戸街道が中心となって形成された近代以降の茨城県の県史としては傍流的な位置づけとなっています。

主要なスポット:以下参照

「肴町」

参考サイト:https://www.kogakanko.jp/history/sakanamachi

出典元:https://i2.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2017/11/feba7d6741854e277006e4f1a7134126.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1

概要:西口から停車場通りを直進すると、日光街道に突き当たります。日光街道を左折するとすぐ館林方面への交差点になりますが、そこは直進し次の信号を右に入ると肴町になります。肴町は城下町の風情を残し、かつて酒類の販売をしていた坂長の奈良漬は評判で、和田芳恵も「坂長の奈良漬をいただいていると、生きていてよかったなあと思うから、ふしぎである」と絶賛しています。残念ながら今は手に入りません。

所在地:306-0033 茨城県古河市中央町界隈

 

「鷹見泉石記念館」

参考サイト:https://www.kogakanko.jp/spot/tour/takamisenseki_mem_hall

出典元:https://i2.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2017/11/1249761557.jpg?w=800&ssl=1

出典元:https://i0.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2017/11/7db971c4e44e7d51eaa85a3f8f7066d6.jpg?resize=1024%2C638&ssl=1

概要:鷹見泉石記念館は蘭学者 鷹見泉石(たかみせんせき)の晩年の住まいです。古河城の余材を使って建てたと伝えられている建物を改修して公開しています。江戸時代に作られたものとして唯一のヨーロッパ国図「新訳和蘭国全図」など、数々の研究に没頭した住居です。海外情報について教えを請う幕府の役人たちが泉石のもとを訪ねたといいます。鷹見泉石家老として、藩主 土井利位(どいとしつら)に仕えた古河藩士でした。利位が大阪城代であった折りに「大塩平八郎の乱」で鎮圧にあたるなど、大きな働きをしました。また優れた蘭学者でもあり、数多くの研究資料の収集にあたりました。所在地:古河市中央町3-11-2(歴史博物館の道を挟んだ向かいです)

問合せ:0280-22-5211

入館時間:9001700

休館日:毎月第四金曜日・年末年始・祝祭日の翌日・

入館料:入館無料

「杉並通り」

参考サイト:https://www.kogakanko.jp/history/suginamidori

出典元:https://i1.wp.com/www.kogakanko.jp/wp-content/uploads/2017/11/995ef5f1cdb51ba9e6005d87ae2a13ca.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1

概要:隆岩寺本堂と呑龍堂の間の路地を抜けると、杉並通りに出ます。この通りは、赤レンガと雪華をイメージして造られた道で、武家屋敷のおもかげを残す街並みと調和してなかなかの景観をかもしだしています。テレビや雑誌、ポスター等にもしばしば登場し古河を代表する景観のひとつでもあります。

所在地:古河市横山町1丁目7


6「新潟県加茂市」(越後の小京都)

参考サイト:https://matome.naver.jp/odai/2146518108313865001/2146518659620603203

参考サイト:https://matome.naver.jp/odai/2146518108313865001/2146518659620603203

出典元:http://ganko-yawaraka.up.n.seesaa.net/ganko-yawaraka/image/Pict012.jpg?d=a25997

基本情報:加茂市は新潟県のほぼ中央に位置し、古くから北越の小京都、あるいは越後の小京都と評されています。三方を山に囲まれた加茂の街を、県立自然公園粟ヶ岳を水源とする加茂川の清流が縦貫し、信濃川に注ぎます。市街地の近く、市民の憩いの公園として親しまれる自然豊かな加茂山公園は、豪雪地帯に咲く「ユキツバキ」の群生地として知られ、春には加茂山全体でおよそ5万本の花を咲かせます。また、「桐タンス」の産地としても有名で、「桐タンス」といえば加茂といわれるほど、その技術と品質は全国的に高い評価を受けています。

主要なスポット:以下参照

「加茂山公園」

参考サイト:https://niigata-kankou.or.jp/spot/5714#

出典元:https://niigata-kankou.or.jp/image/rendering/attraction_image/1539/trim.1024/3/2?v=8cf73e011a5f59065c1fe40c10654854284f7ef3

出典元:https://niigata-kankou.or.jp/image/rendering/attraction_image/8308/trim.1024/3/2?v=9ef26fc4727e14ae0422f57ce11ebf1022fe6b51

概要:加茂駅から徒歩5分、加茂の市街地に隣接する公園です。その名のとおり加茂山に広がる公園で、すぐ隣の街の雑踏が聞こえない空間をつくりだしています。平日の日中は、神池の噴水の水音、杉木立に響く鳥のさえずり、そして自分の踏む敷砂利の音が響く静かなところです。

所在地:新潟県加茂市加茂228

問合せ:0256532491 加茂山管理事務所


7「長野県飯山市」(北信濃の小京都)

参考サイト:https://www.iiyama-ouendan.net/charm_of_iiyama/

出典元:https://www.iiyama-ouendan.net/charm_of_iiyama/img/point04.jpg

基本情報:数多くの寺社があることから「雪国の小京都」と呼ばれ、町歩きをしながらの寺めぐりが楽しい信州いいやま。17世紀から伝わる「五束太々神楽」や、平成231月に国重要無形民俗文化財に指定された小菅地区の「柱松行事」など、今なお続く神事からも古来からの祈りの風土を感じさせてくれます。また、紙の原料を雪上にさらして漂白する内山紙や、仏教信仰に厚い土地柄と漆塗りに最適な天候に恵まれて生まれた飯山仏壇など、信州いいやまの伝統と文化が伝統的工芸品に今も息づいています。

主要なスポット:以下参照

「愛宕町雁木通り(仏壇通り)」

参考サイト:http://www.iiyama-ouendan.net/sightseeing/2013/07/2490.php

出典元:http://www.iiyama-ouendan.net/sightseeing/assets_c/2013/07/120605_389-thumb-250xauto-5830.jpg

概要:「雁木(がんぎ)」とは雪よけの屋根のことで、冬を快適に過ごすための雪国ならではの知恵。約300mにわたって雁木が再現された通りには、全国的にも珍しく仏壇店が軒を連ねていることから、別名「仏壇通り」とも呼ばれている。

所在地:飯山市愛宕町

問合せ:0269-62-7000 信越自然郷 飯山駅観光案内所

 

「阿弥陀堂」

参考サイト:http://www.iiyama-ouendan.net/sightseeing/2012/07/1637.php

出典元:http://www.iiyama-ouendan.net/sightseeing/assets_c/2012/07/DSC_0014-thumb-250xauto-4107.jpg

概要:昔からそこにあるかのように周囲の景色に溶け込んでいる「阿弥陀堂」。映画「阿弥陀堂だより」(2002年公開・小泉堯史監督)で使用されたロケセットだが、お堂の障子戸を開けると、ついさっきまで映画のおうめ婆さんがいたかのような雰囲気さえ漂います。毎年、おうめ婆さんに会いに全国から多くの人が訪れており、現在は、本物の阿弥陀様が安置され、地域の方に大切に守られています

所在地:飯山市瑞穂福島地区

問合せ:0269-62-7000 信越自然郷 飯山駅観光案内所

 

「阿部製紙(内山紙)」

参考サイト:http://www.iiyama-ouendan.net/exp/2011/09/774.php

出典元:http://www.iiyama-ouendan.net/exp/assets_c/2011/09/abeseishi-sub2-thumb-250xauto-2203.jpg

概要:寛文元年(1661年)に美濃の国で製法を習得して帰郷し、現在の木島平村内山で漉いたのが内山紙の始まりといわれている。飯山の豪雪を生かした内山紙独特の技法『雪晒し』により、雪と陽光がゆっくりと時間をかけ、楮の繊維を痛めることなく自然な白さへ変えていくことから、丈夫で日焼けしにくく長持ちする和紙が生れる。楮100%の手漉き和紙は強靱で通気性・通光性・保温力に優れ、上質な障子紙として有名だ。飯山で3代に渡り内山紙を製造している『阿部製紙』では、紙漉きを体験を行っている。紙漉きとは、原料となる溶液が入った漉き舟の中で簀桁(すけた)の上に楮の繊維を流し込み、紙状にする作業。サイズが大きいほど難しくなるが、ハガキなら簡単だという。小学生が団体で訪問する際には、2代目であり伝統工芸士の認定を持つ社長自らが会話を交えながら教えているという。個人の場合でも5名以上から対応可。時間や金額は作りたいサイズによって異なるので予約の際に相談を。

所在地:389-2322 長野県飯山市大字瑞穂4894

問合せ:0269-65-2594

公式サイト:http://www.uchiyama-gami.jp/


8「富山県城端町」(越中の小京都)

参考サイト:https://www.tabi-nanto.jp/bellmonta/spot/johana.html

出典元:https://www.tabi-nanto.jp/bellmonta/img/page/johana.jpg

基本情報:城端町は富山県の南西部に位置し、城端別院善徳寺の寺内町として栄えました。古い蔵や石畳、路地や坂道の残るノスタルジックな町並みは越中の小京都と称されています。また、加賀藩の一部として絹織物などの独自の伝統文化を育んできました。なかでも曳山祭は、彫刻も唄もすべて城端人がつくり継承する文化芸術の結晶です。また、アニメの舞台にもなり、今までと違った新しい交流も生まれています。

主要なスポット:以下参照

「蔵回廊の小路」

参考サイト: http://www.craft-ran.com/shouji/hp/kairo.html

出典元:http://www.craft-ran.com/shouji/jpeg/kairo05.JPEG

出典元:http://www.craft-ran.com/shouji/jpeg/kairo13.JPEG

概要:曳山会館横の蔵回廊から今町に抜ける小路です。304号線「善徳寺前交差点」南に曳山会館があります。ここは蔵回廊と併設の、蔵を利用した資料館で曳山会館にとても狭い小路があります。蔵回廊の小路を抜けると、もっとも城端らしいといわれる今町にでます。通りも石畳風になり、家々も趣きがあります。曳山が通る姿がとても美しい場所です。この蔵は以前はすべて野村家のものでした。旧野村銀行を経営していた財閥です。以前はもっと長い通りでしたが、国道の拡幅に伴い周辺を再開発して半分になってしまいました。

所在地:城端曳山会館裏

「東下の坂」

参考サイト:http://www.craft-ran.com/shouji/hp/hsimo.html

出典元:http://www.craft-ran.com/shouji/jpeg/hisimo01.JPEG

出典元:http://www.craft-ran.com/shouji/jpeg/hisimo89.JPEG

概要:東下地内の石段の坂で、東下から川島の旧街道へ抜ける道です。今はあまり人通りもなく静かな小路ですが往時は下の街道とともにかなりの人が通ったと推測されます。

所在地:県道城端井波線 城国寺から南へ50m

「四軒町」

参考サイト:http://www.craft-ran.com/shouji/hp/4ken.html

出典元:http://www.craft-ran.com/shouji/jpeg/siken001.JPEG

出典元:http://www.craft-ran.com/shouji/jpeg/siken16.JPEG

概要:四軒町 にある道は「東上町山蔵」前と「宗林寺」間をつなぐ小路ですが、奥に人家があり人が住んでおられます。四軒町付近は昔、城端城主荒木大膳の末裔、豪商紺屋文左衛門の米蔵があったところで城端の歴史をるうえでも重要なスポットです。

所在地:R304「善徳寺前交差点」を東に50m


9「岐阜県八幡町」(奥美濃の小京都)

公式サイト:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_intown.html

出典元:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_images/shokunin_large.jpg

基本情報:郡上八幡城下町では 格子窓、卯建(うだつ)様の袖壁ある木造の家並みが続き、整然と区画割された城下町の佇まいが京都の古き町並みを連想されます。

主要なスポット:以下参照

「郡上八幡城」

参考サイト:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_intown.html

出典元:http://www.gujohachiman.com/kanko/castle_images/castle_full_moon.jpg

出典元:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_images/view_from_castle.jpg

概要: 戦国時代末期の永禄2年(1559)、遠藤盛数によって砦が築かれたのが郡上八幡城のはじまりです。その後稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(16676代城主遠藤常友の修復によって、幕府から城郭として格上げされました。のちに井上氏、金森氏と相次いで入部。宝暦5年(1755)大規模な農民一揆がおこり、12代城主金森頼錦は、お家断絶に追い込まれるというわが国の歴史上、最も壮絶な一揆が展開されました。金森氏に代わって、宝暦9年(1759)に丹後の宮津から転封した青山幸道は城下の殿町に居館を築き、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸、松の丸に改められました。現在、城郭一帯の石垣すべてが県の史跡に指定され、昭和8年(1933)に再建された天守閣は市の有形文化財に指定されています。

入場料金:大人310円 子供150

開場時間:9時から430分(夏季は6時まで)

休館日:1220日から110日まで冬季休館いたします。

所在地:501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町 一の平659

問合せ:0575-67-1819

 

「慈恩禅寺」

参考サイト:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_intown.html

出典元:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_images/jion_ji_spring.jpg

出典元:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_images/jion_ji_large.jpg

概要:1606年(慶長11)、時の郡上八幡城主遠藤慶隆が開基となり、妙心寺円明国師の高弟半山和尚を迎え、釈迦如来を本尊として創建された古刹です。名勝の庭園は東殿山麓の巨岩をそのまま生かした室町様式の禅宗庭園。 つつじの刈りこみや池をおおう楓の大樹が美しく、静寂の中を滝の水音が響き幽玄な雰囲気が漂います。 特におすすめは5月の滴るような新緑と11月の紅葉の季節です。

所在地:501-4222 岐阜県郡上市八幡町島谷339

問合せ:0575-65-2711

「吉田川」

参考サイト:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_intown.html

出典元:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_images/yoshida_river_cover.jpg

出典元:http://www.gujohachiman.com/kanko/sightseeing_images/yoshida_river_in_spring.jpg

概要:吉田川は長良川最大の支流で市街地の中央を流れます。宮が瀬橋からは川底の石が数えられるほど透きとおった水の流れと、緑の山の頂きにそびえる郡上八幡城が眺められ、新橋は渦巻く瀬めがけて子供たちが橋の上から飛び込むことで知られています。

≪次ページパート2≫もご覧ください